たくさんの人がやっている領域は『俺が1番』と早さを競うしかない。
でもそこに興味がない。誰も見たことがない現象を見るのが楽しいんです。
Ōsumi Yoshinori?, born Feb.9, 1945
【受賞理由:オートファジーの働きの解明】
ノーベル医学・生理学賞の賞者に、細胞が不要になった、たんぱく質などを分解する、「オートファジ
ー」と呼ばれる仕組みを解明した東京工業大学栄誉教授の大隅良典が選ばれた。日本人のノーベル賞受
賞は3年連続、米国国籍を取得した人を含め25人目で、医学・生理学賞の受賞は去年の大村智に続き
4人目。パーキンソン病などの神経の病気の一部ではオートファジーの遺伝子が、正常に機能していな
いことが分かっていて、予防法や治療法の開発につながるとして世界的に激しい競争が続いている。
● 3Dプリンターでボディー外装を製造
4日、ホンダは「CEATEC JAPAN 2016」(幕張メッセ、16年10月4~7日)小型電気自動車(EV)
「MC-β」のボディー外装を3Dプリンタで製造し公開。設計から製造まで2カ月と短い期間で開発でき
る。カブクが意匠設計を手掛ける。開発品は2人乗りのMC-βの座席を一つなくして荷室とし、1人乗り
にした。カブクが、「鳩サブレー」などの菓子で有名な豊島屋の要望に応える形で設計。外装部品の大
半を3DDプリンタで製造する。日本で開発された3Dプリンタでオーダーメイドな自動車が作られる時
代に突入する。
● ヘルスケア・ウェアラブル機器のワイヤレス充電ソリュー ション
先月26日、ルネサス エレクトロニクス株式会社はウェアラブル機器や補聴器など防水、防塵等のニー
ズが多い小電力アプリケーション向けに、電力を非接触で送受電するワイヤレス充電システムソリュー
ションを開発し、11月よりサンプル出荷開始すると発表。ワイヤレス充電技術は、小電力アプリケー
ションの電池交換や充電の煩わしさをなくし、充電する機器本体にコネクタ不要で、スマートフォンを
はじめ様々なアプリケーションへの適用や産業用途への応用が期待されている。機器の小型化、高い防
水・防塵性、接触不良低減等のニーズが高い小電力アプリケーションに有用であるが、既存のワイヤレ
ス充電技術は規格ごとにアンテナサイズ規定され小型化が困難。小電力アプリケーション充電は充電流
大きく、放熱が難しいといった理由から小型リチウムイオン2次電池充電システムに適さず課題があっ
た。
VIDEO
【RE100倶楽部:出力変動1%のメガソーラー着工】
北海道では発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを新設する場合には蓄電池を併設しなくてはな
らない。天候により太陽光発電の出力が変動する影響を緩和するためで、変動幅を1分あたり1%以下
に抑えることが条件だ。国内最大級の蓄電池を併設するメガソーラーの建設工事が苫小牧市で始まると
いう(スマートジャパン 2016.10.03)。大型の蓄電池を備えたメガソーラーを建設する場所は、北海
道の空の玄関口である「新千歳空港」に近い苫小牧市内の林地(上図)。空港の敷地から南に1キロメ
ートルほどの至近距離で、平坦な林地を造成してメガソーラーを建設する。用地の面積は78万平方メ
ートルにのぼる。
建設・運営は日本グリーン電力開発で、10月5日に着工、18年8月に運転を開始する予定。発電能
力は38メガワット。年間に37000キロワット時の電力供給、一般家庭の使用量に換算して1万世
帯分を超える。この事業の特徴は、容量1万キロワットアワーの大型蓄電池――韓国LG化学製リチウ
ムイオン蓄電池――を導入する。
● 蓄電池併設で建設費15%増
北海道では固定価格買取制度が始まった12年度から大規模なメガソーラーの建設計画が相次ぎ、13
年4月、北海道電力が全国に先がけて規制に乗り出す。発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを
建設する場蓄電池などを併設して出力変動を緩和しないと、送配電ネットワークに接続できなくし、出
力の変動量を1分あたり1%以下に抑えることを条件とする。
メガソーラーから送電する電力は最大で25メガワット設計のため、出力変動を1分あたり250キロ
ワット(25メガワットの1%)以下に抑える条件に合せ蓄電池容量を試算すると、1万キロワットア
ワーが最適となる。蓄電池併設で建設費が15%増え、建設費の総額が百億円超の見積もになるが、固
定価格買取制度の認定を12年度に取得した案件であることから採算がとれるめどが立った。買取価格
が1キロワットアワーあたり40円(税抜き)になり、年間の売電収入は15億円弱となる。ここでの
出力変動抑制は1分間である。わたし(たち)が考えているのは、年間あたり2%以下であるから、い
かに、スケールの大きい水素貯蔵型蓄電システムであることを改めて確認する。
【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」
『日本で老いて死ぬということ』5
[目次]
はじめに
第1部 日本で老いて死ぬということ
第1章 生きがいの喪失と回復
第2章 難しい「平穏な在宅死」
第3章 口から食べたい
第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル
第4章 三人介護
第5章 遠距離介護
第6章 ダブルケア
第7章 虐待を防ぐ
第8章 在宅でみる
第9章 訪問看護師の力
第10章 特養で看取る
第3部 老いは地域社会で見守れるか
第11章 地域で暮らす
第12章 コミュニティ再生
最終章 未来へつなぐ
おわりに
第2章 難しい「平穏な在宅死」
穏やかな死を迎えられない?
自宅で穏やかな最期を迎えたい-。そんな思いを抱く高齢者や家族は多いだろう。だが、自宅や
介護施設での「在宅死」の半数ほどが、実は「異状死」として扱われていることが、在宅医らの調
査で明らかになった。その中には、本来在宅で自然な看取りをできるはずだったのに、救急搬送さ
れ望まない治療をされたり、警察が検視に入ったりするケースがあった。今後「多死社会」を迎え、
在宅死を増やしていく中で、こうした「不本意な最期」をどう減らしていくかが課題である。
2015年夏、横浜市鶴見区の済生会横浜市東部病院の救命救急センター。重症肺炎の80代女
性が搬送されてきた。気管切開し人工呼吸器を装着、人工透析など濃厚な治療が行われた。1カ月
弱入院したが、亡くなった。
この女性は、在t医の定期的な訪問診療を受けていて、心臓マッサージや気管内挿管はせず、自
宅で穏やかな最期を迎える、と決めていた。ところが在宅医の紹介で、この救命救急センターに運
ばれてきた。同センター部長の山崎元靖医師は「ご本人が果たしてこうした治療を望んでいたのか、
かえって苦しみを与えているのではないか、という葛藤があった。本来、救命救急センターではな
い病院へ運ぶべき患者だった一と複雑な心境を吐露する。
山崎医師は、そのときの患者家族の状況をこう説明する。「全力を尽くして治療をするという選
択肢」を改めて、救急医から提示される。しかも、それを極めて短時間で返答しなければいけない。
以上の2条件が満たされると、家族は、どうしても「全力を尽くしてください」と答えがちになる。
時間をかけて在宅医と議論した上で作成した、有形無形のリピングウィル(延命治療の拒否などを
事前に意思表明しておく文書)が、「患者急変時の短時間の救急医の説明]に負けてしまうのだと
いう。
山崎医師によると、こうした「不本意な最期」ともいえるケースは、よくあるという。「在宅医
が海外旅行中だったため、救急搬送され、病院で最期を迎えた」「リビングウィルがあったのに、
知らずに挿管された」などだ。
在宅医は通常、家族に対し「急変したら、まず在宅医か訪問看護師に連絡を」と伝えている。だ
が家族が突然のことに驚き、救急車を呼んでしまうことは少なくない。
また在宅医から「夜中なら、救急車を呼んで」と指示を受けることもあるという。救命救急セン
ターに運ばれれば、救急医はそれまでの病気の経過などを知らないので、「異状死」として警察に
届け出ざるを得なくなる。
医師法では、遺体に賢状があった場合、医師に24時間以内の警察への届け出を義務づけている。
事故や他殺、心疾患や脳疾患などによる急性死のほか、死因を特定できない場ハ目も、異状死扱い
になる。すると警察は事件性があるかどうかを調べ、遺体の検視をする。ある救急医は「病死の可
能性が高くても、万が一のリスクを考えると、警察に届け出ざるを得ない」と打ち明ける。
東京都立川市にある立川在宅ケアクリニックの荘司暉昭医師(50)が、訪問診療をする多摩地域
で2012年に自宅で亡くなった1106人を分析したところ、56%にあたる615人が、異状
死扱いだった,また異状死扱いの30%が、「老衰」「がん」「肺疾患」などの慢性疾患で、医師が
定期的に診ていれば、「病死」として死亡診断書がもらえ、警察を呼ぶ必要はないケースだったと
いう。横浜市や大阪府岸和田市の出水明医師(63)らの調査でも、異状死は自宅死亡者の約半数を
占めた。
一方、行政や医療・介護職にも、「自宅で死ぬと、警察を呼ばないといけない」「24時間以内
に診察をしていないと、自宅で死亡診断書を発行できない]といった誤解が、いまだにあるという。
2014年春、ある50代の在宅医は、それを実感する経験をした。がんを患う首都圏の60代の
独居男性が、自宅で亡くなった。同僚の在宅医が往診し、死亡診断書を書いた。ケアマネジャーが、
自治体のケースワーカーに電話すると、「自宅で最期を迎えたのであれば、事件性があるかもしれ
ないので、警察を呼んで]と指示された。ケアマネジャーは指示に従った,最終的には、在宅医が
診ていて事件性がない、とのことで警察官は引き揚げたが、落ち着くまでに数時間かかったという。
こうした「不本意な最期」にならないように、地域の複数の在宅医が看取りをカバ-し合ったり、
リビングウィルを市民に配布したりする取り組みも進んでいる。横浜市鶴見区医師会の訪問看護を
受ける松本孝彦さん(80)は、リピングウィルに「終末期の心肺蘇生はしてほしくない」「最期は
自宅か施設で迎えたい」などと記している。
「こうして書くことで、妻や娘とじっくり話し合うことができ、望んだ最期を迎えられるようにな
る」と話す。
全国在宅療養支援診療所連絡会事務局長の太田秀樹医師(62)は「患者や家族、医師や看護師介
護職員らが何度も話し合い、意思の統一をしておくことが大事だ,特に、普段疎遠な家族が突然車
て、『何で救急車を呼ばないんだ』と言うケースも少なくないので、なるべく多くの家族を巻き込
んで話し合う必要がある」と話している。
救急病院が高齢者であふれる?
高齢者の救急搬送の増加は、これから大きな問題になる,前述のように、回復の可能性がほとん
どないのに、心臓マッサージなどの延命措置がなされ、「不本意な最期」を迎えることにつながる
からだ。また、入院日数が長引くとベッドが足りなくなり、救急治療を受ければ回復する可能性の
高い患者を受け入れられなくなる。
年間約1万人の患者を受け入れる聖マリアンナ医科大病院(川崎市宮前区)の救命救急センター。
2013年9月中旬の3連休中の午後6時前。特別養護老人ホームから、心肺停止状態の93歳の女
性が救急搬送されてきた。
救急外来処置室のベッドの周りには、この日のセンター責任者の下渾信彦医長(48)ら救急医3
人と看護師が降っていた。女性の目から気管挿管チューブを入れ、人工呼吸器をつける。医師と救
急隊員が、交代で心臓マッサージを続ける。
「アドレナリン(強心剤)!」。救急医が足に針を刺し、骨髄からアドレナリンを投与。4分ごと
に投与を続けた。
「(アドレナリンを)6度目打ったってことですよね」。看護師のリーダー、平良弥生さん(30)
が確認する。処置を始めて30分がたった。「もうこれ以上は、やめよう大下渾医長が指示する。結
局、女性の心拍は再開しなかった。
しばらくして、女性の長女(73)と四女(61)が病院に到着した。ベッドの横に座ると、医師か
ら臨終の説明を受け、人工呼吸器を外した。2人は「できる治療を全部やってもらい、ありがたか
った」と□をそろえた,だが、そういう人ばかりではない。下渾医長は「同様のケースでも、家族
から「なぜ蘇生処置をしたんだ」と言われることもある。意向がわからないこともあり、悩ましい」
と明かした。下洋医長が担当した24時間に37人が来院。うちH人が65歳以上だった。この女性のよ
うに自宅や施設から救急搬送され、「看取り」をするケースは増えているという。継続的な入院治
療が必要と判断されると、隣接する集中治療室(ICU)と高度治療室(HCU)に運ばれる,両
室に入院する24入のうち、6割を超える15人が65歳以上だった。65歳以上の割合は、2008年
度 は51・8%だったのが、12年度は56・1%に上昇したという。
救急で入院する原因は、誤嘸性肺炎や脳卒中などという。案内してくれた平泰彦・同医科大救急
医学教授(60)は「複数の疾患を持っていたり、人工呼吸器などをつけた患者を受け入れる施設が
見つからなかったりして、在院日数が長くなるんです」と説明してくれた,入院が長引くと、空き
ベッドは当然少なくなる。この日の空きは、ICUが1床、HCUは2床,同センターは近隣の3
0病院以上と連携しているが、患者の転院先がなかなか見つからないこともあるという。
65歳以上の入院患者15人のうち5人は、これ以上の積極的な治療を希望しない意思表示「D
NR」を本人か家族が示している。だが、一度装着した人工呼吸器を抜いたり、点滴を外したりす
ることはできないことになっている。
超高齢社会に向けて、平教授は「救命救急センターにとって、高齢の救急患者が増えて入院が長
くなり、重症患者を受け入れる空きベッドがなくなるのは最近の大きな課題だ。『出口』を確保し、
近隣の病院だけでなく、在宅医や介護施設とのつながりも深め、高齢者の受け入れ先を確保してい
く必要があるだろう」と話している。
「平穏な在宅死を迎えたい」と考える患者・家族が、救急車を呼ぶと、その逆の結果になってし
まうことが多い。救急医は、たとえ助かるのが0・01%の確率でも、積極的な治療をし命を救う
ことが使命だからである。
在宅医療アンケートで実態浮き彫り
在宅死の難しさについては、朝日新聞横浜総局が横浜内科学会と共同で、2013年H月に実施
した「在宅での医療と看取り]アンケート(55診療所・病院が回答)からもわかる。
回答では、在宅で看取りをした医療機関の数が、2003年度の11ヵ所から、12年度は23
ヵ所に倍増。総数も、この10年間で64人から144人と2倍以上に増えていた。診療報酬など
で国が「施設から自宅ヘーと医療のシフトを進めてきたことが影響しているとみられる。2012
年度に看取った患者は「がん」が最も多く61人、認知症47人、脳血管障害18人、循環器疾患
14人などと続いた。在宅で緩和ケア(痛みのコントロール)のできる医師が徐々に増え、末明が
んの患者も自宅で過ごせるようになってきたことが大きいようだ。
在宅での看取りを経験した34カ所の医療機関に、看取りを増やすために必要なことを複数回答
で尋ねてみた。「かかりつけ医が在宅医療にかかわる仕組み作り」としたのが、17ヵ所で最も多
かった。「一般向けの啓発」「看取りに関して診療報酬を手厚くする」が、それぞれ16ヵ所。「
(24時間対応などが義務づけられた)在宅療養支援診療所の要件緩和」(9ヵ所)、「在宅専門
医の増加」(9ヵ所)と続いた(次のグラフ)。介護する家族への気遣いも、在宅死が広がってい
かない要因の1つと言えそうだ。
今回は、瀕死と死の決定の狭間についての思いを認めようとしたができなかった。
この項つづく
【我が家の焚書顛末記 Ⅳ:中国思想 管子】
『管子』は、西暦紀元前7世紀、現在の山東省に強盛を誇った斉の宰相・管仲の言行録。管仲は、孔子
が生まれる約90年前に死んでおり、いわば諸子百家の大先輩にあたる。彼を注目するのは、諸子百家
の多くとちがい、自ら権力の座にすわり、現実に政権を担当した思想家であるという点にある。とくに、
かれは今日でいう経済政策に独自の手腕を発揮。彼がが仕えた斉の桓公は、当時、群雄割拠のなかでは
じめて覇者、つまり諸侯の盟主の座につく。その大部分は管仲の補佐のたまものであった。「倉廩(そ
うりん=穀物蔵) 実つれば、則ち禮節(=礼節)を知り、衣食足れば、則ち榮辱(=栄辱)を知る」(
『管子』牧民篇)。このことばが端的に示題 すとおり、人倫関係(社会関係)の基礎として物質的条
件を重くみる――というのがヽ管仲の一貫した考え方である。書物としての『管子』は、これは管仲の
当時に完成されたものでなく、当時の書だとすれば、『論語』よりも古くなるが、『管子』はきわめて
雑然とし、管仲自身の著と目される九篇を除き、はるか後世の漢代初期に至る数百年の間に、次第に集
大成されたものされ、このことは必ずしも『管子』の価値を減ずるものではなく、管仲という存在が、
ことほどさように後代の人たちの関心を惹く証左である。
管仲の著書であるとされているものの、実際は戦国期の斉の稷下の学士たちの手によって著された部分
が多いと考えられ、内容的には、各篇によって異なった学派、思想的立場に立つ人たちの著作がまとめ
られ、その面から言えば、「雑家」の著作と呼ぶべきものと言える。また、各々の篇の成立年代に関し
て諸説があり、「経言」は思想史上の史料として、「管子軽重」は社会経済史上の史料として重視され
農業史、農業技術史上の史料も各篇に散見され、「地員篇」は当時の土壌に関する認識をうかがう上で
の貴重な史料である。さらに、『漢書』「芸文志」は、「道家」に分類しているが、『隋書』「経籍志」
以降清代の『四庫全書総目提要』にいたるまで「法家」に分類されるが、宋代の陳振孫がこの書物を法
家に分類することに疑義を呈している。
このように、中国哲学は、中国思想の文脈で書かれた哲学。中国の伝統哲学の多くは「諸子百家」の時
代として知られる春秋戦国時代にまで起源を遡る。諸子百家は顕著な知的・文化的発展によって特徴づ
けられ、中国哲学の多くは戦国時代に始まったが、その構成要素は数千年にわたり存在でありが、その
特徴は、その文化の担当者がいかなる身分職業に属していたかにより決定的な刻印を受ける場合が多く、
インドの思想に宗教色が強いのは,文化の担当者がバラモンという祭司階級であったためとされ、これ
に対し中国思想に政治色が濃いのは,その担当者が士大夫とよばれる政治家・官吏であったことによると
言われ、管子すなわち管仲はその代表的な存在に考えられる。
そこで、中国哲学の近代化で西洋哲学の概念を吸収し始め、1911年の辛亥革命の頃までに、中国の
古い皇帝制度や実践を廃しようと五四運動などを経て。民主制、共和主義、そして産業主義を中国哲学
と統合しようという試みが、20世紀初めの孫文らによりなされ、さらに毛沢東がマルクス主義、スタ
ーリン主義、そしてその他の共産主義思想を加える。そして、中国共産党が権力を握ると、既存の学派
とりわけ法家を除けば後進的だとされ後の文化大革命には粛清された、中国思想に与えた影響は今も残
り、現代の中華人民共和国政府は独自の社会主義市場経済を標榜している。このため、文化大革命の過
激な運動以降、中国政府は精神的・哲学的な慣例は中国共産党に脅威とみなされない限り構築・再構築
が許され、その影響は中国文化に未だ深く染み込んでいおり、新儒家は、儒教の知的運動で20世紀初
期宋代・明代の新儒学から強い影響を受けているが同一ではないが、に中華民国で始まり、ポスト毛沢
東時代の中華人民共和国で復興している。
このように考えていくと、ポスト毛沢東時代の中華人民共和国のナショナリズムや政治行動の変容を読
み解く上で管子を踏まえておく(お温習いしておく)ことは重要になるのではかと思える。
この項つづく。
一般家庭でも、電気を作り・ため・消費することができます。しかも身近な素材や簡単に入手できる材
料から手作りの発電機を製作することも夢でない。日常的に照明や家電品の電源を自作の発電機でまか
なっている著者が、家庭でも実践できる発電・蓄電の知識とテクニック、機材の製作方法をわかりやす
く解説する。
中村昌広
1959年、栃木県那須郡那須町に生まれる。08年、手作り風力発電1号機を完成。09年、風力発
電2号機・3号機を設置。2010年、風力発電4号機(デュアルコア発電)完成(本データはこの書
籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
目次
第1章 停電にならない家
第2章 ぼくの家は発電所
第3章 自分発電所の作り方
第4章 電気をためる
第5章 作った電気を賢く使う
第6章 LED照明を手作りしよう
第7章 手作りの電気を楽しく使うための注意点
第8章 この週末、あなたもプチ発電工作を!
現在の日本では、情熱と時間さえあれば何でも作れる時代だと考えている。この一冊はそれをわかりや
すく実体験から解説されている。ものづくりだけでなく、大げさに言えば社会変革も可能だろう。「先
ず隗より始めよ!」というではないか、時間をかけ、確りと思いを凝縮させ、自分を追い込み、それを
発条に行動にでる、「先ずは、自己凝縮!」と。
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