車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

今年もジャパンオープンの開催中止が決定・・・

2021年02月06日 13時34分40秒 | 日記
毎年3月に開催されるジャパン・オープン、今年は神戸で開催予定だったけれど、先日その中止が発表された。

こういう状況だから仕方ないとは思う。

パラ卓球の場合はボランティアの方々もより多くに協力いただくし、車椅子利用者は導線が限られるなどの問題もあるから、賢明な判断が下されたとも思っている。

もちろん、僕に限らず選手はみんなそれに向けて準備をしてきたし、特に僕は自分の中で課題や目標も設定していればイメージするものもあったので、いざ開催が無くなったとなると、それは残念で仕方ない。

けれど、大会の中止によって何かを失ったという訳ではない。

それに向けて積み重ねてきたものはしっかりとこの手にある。

何も失ってはいない。

だから、何も残念に、また、悔しく思う必要はない。

次がいつになるかは全く不明な状況となったけれど、その時に向けて粛々とまた積み重ねていけばいいだけの話。



まぁ正直な話、時間を得たということになる。

ステップアップの為の時間を。

新しいことにチャレンジすることは誰だって、いつだって出来る。

でもチャレンジの途中で次のステージを迎えてしまうと、技術を含め物理的な点においてもメンタル面においても中途半端な状態となってしまうので、それはプラスではなくマイナスの効果を生むことにもなりかねないから、やはり新しいことへのチャレンジはタイミングが大切になると考える。

チャレンジして、それをものに出来るだけの時間を有するタイミングが必要なのだな。

第一に、チャレンジしてみる新しいことが、まず自分に相応しいものであるかどうかの判断にはそれなりの時間が必要だということ。

直感的に「良い!」「あ、ダメ」と判断することは容易い。

けれど、直感というのはまさに主観。

そこには客観的な分析も必要だと僕は考える。

だから、時間を要する。

そして、必要なものを見つけた時、それを「自分のもの」にする為には、そこからまた更なる時間を要すると思う。

一朝一夕なんて、そんな都合のいい話はそうそうないし、特に僕はぶきっちょだから人よりもより多くの時間がかかる(笑)

だから時間を有するのだ。



でも、今がその時間なのかもしれない。

いや、それは既に一年前から始まっている。

この一年をどう過ごしてきたかで今の立ち位置は大きく変わっているはず。

それを確かめる試合がまた失われたわけだけど、自分の立ち位置がどの辺りにあるのかが分からなくたって、今ここに自分が立っていることはゆるぎない事実なのだから、五里霧中、暗中模索であったとしても、今は少なからずいろいろ考える時間の余裕もあったりもするので、地に足をしっかりとつけて、これぞと思う方向へ自分の足で、自らの意志で、前進していけばいい。

足を動かせない車椅子だけど(笑)



そもそも試合というのは「試し合う」ことなのだから、それぞれの日々の積み重ねを披露し、その成果を確かめる場なのだ。

だから、極論を言えば、「試合に向けた練習」というのは、日々の積み重ね+αのものであるべきで、それがトップアスリートのいう「調整」というものだと思う。

それを、試合があるから練習する、なんていうのは言ってみればテスト前の一夜漬けに過ぎない。

そんな勉強法では基礎学力の向上にはならないし、そこで得た知識は忘れるのも早い。身に付きにくいということだ。

自分がそうだったからよく分る(笑)

だから、大切なのは毎日の積み重ね。

その点が続いて線になっていて、その途中で試合というポイントがあるのだな。

僕たちはどのポイントに焦点を当てて、その為にどう進んでいくのか、それを常に考えて、時には修正を入れて、日々積み重ねていかなきゃならない。

試合の予定が定まっていない今は、まさに先述した五里霧中でなかなか苦しい状況にある。

けれど、毎日の努力が大切なことに変わりはない。

だから、現状を悲観している暇はない。

やることをやる。

でも一社会人として、やるべきでないことはやらない。

例えやりたいことでも我慢しなきゃならないこともある。

やるべきことを積み重ねていく。

自分の足で、自分を前に進めていく。

車椅子だけど(笑)



とにかく今は、少しでも早いこのパンデミックの終息を願う。

日本だけでなく世界中の。

そして、また海外の連中と顔を合わせ、それこそ「試合」が出来て、グータッチや握手が出来て、ハグし合える、そんな日をまた迎えられることを切に願う。

その為にもしっかり頑張るぜ!