車椅子卓球といってもクラスは5つに分かれるわけで、そのクラスによって、というよりもその身体能力によって、スタイルや進化すべき方向性というか、ベクトルは異なると僕は考えている。
僕は真ん中のクラス3だけど、だからこその学ぶべきもの、進むべき方向を、現段階においてだけど、見定めているつもり。
あくまでも自分なりのものでしかないけれど。
それを踏まえたうえで、「車椅子卓球」を突き詰めていきたい。
そして、最終的にはクラスを超えて戦えるプレーヤーになりたい。
クラスを言い訳にするというのは、障害を言い訳にすることと同じなので、僕の中でそれは格好の悪いこと。
自分基準でカッコいいプレーヤーでいたいのだ。
車椅子で始めた当初は「そんなの無理」と思っていたことにも最近はどんどんチャレンジし、次第にそれが出来るようになっていった。
それには複数の要因があるわけで、それらは全て一朝一夕で得られたものでもないけれど、逆にそれが自分自身の軌跡として明確につかめるから、「じゃぁ今ならあれも出来るんじゃないか?」と、さらに上を向いて、ステップアップを試みていけるようになる。
障害を有する身体だからこそ、出来ないと思っていたことが出来るようになった時の喜びは、いわゆる健常者よりもより大きなものだし、逆に「障害があるから出来ない」というのがスタート地点なわけだから、出来るようになった時との差は想像以上に大きなものであるはず。
その為の努力はより必要とされるかもしれないけれど、「障害があるから・・・」と思っていたことが案外そうではないということに気づくと、その時点で人生観すら大きな変貌を遂げるかもしれない。
ふとしたきっかけから、自分の考えをコーチに提案し、それを練習で実際に試してみた。
そして「うん、それは出来るようになった方がいいね」と、練習メニューに加えることになった。
そしてそれにガッツリ取り組む。
コーチの目にもそれが留まったようで、そのメニューに割く時間が思いのほか多いものとなった。
以前の僕には出来なかったこと。
きっと「それは無理です」と諦めて、別の手段を考えたに違いない。
でも今はそれに正面から挑めている。
手ごたえも得ている。
それに大きな喜びを覚える。
そこに大いなる自信と、これまで積み重ねたものの手ごたえを覚える。
それが結果に直結するかは全く持って不明。
でも、一人の人間として、そうした成長の実感は人生をより肉付きの良いものにし、より濃いものにしてくれている。
ただし、そのメニューには想像を超えた副産物があった。
それは筋肉痛(笑)
練習を終えて帰宅した時点で、いつも以上の大きな疲労感を得ていた。
でもそれは嫌いなものじゃない。
むしろ好きなもの。
けれど、翌日に残るであろうレベルに思えたので、そうしないためのケアをいつも以上に行った。
がしかし、翌朝想定していた以外の箇所にまで筋肉痛が及んでいた(笑)
目が覚めて、姿勢を変えようとした際に「うわ!」と思ったほど。
そんな自分が楽しい(笑)
何事においても成長度合いをよくグラフで表すことが多い。
理想は右肩上がり。
45度一定に上がり続けるのが最も美しいのかもしれない。
でも、遠くから見ると右斜め上に上がっているその線でも、ぐっと近づいて虫眼鏡で見てみると、実は細かく上、右、上、右を繰り返しているもので、案外上に向かずに横に平行線を辿っているような瞬間が多々あって、そして少し上がって、また平行線になって・・・と、そうした動きを繰り返しているものだと思う。
こと卓球においては、右肩上がりは存在せず、垂直と並行を繰り返すものだと元全日本女子代表監督が教えてくださった。
上に上がった瞬間は嬉しい。
でも、頑張ってるのに平行線だと虚しい。イライラもする。
そして、それが長く続くとそこで腐ってしまうし、そうなると線は下に向く。そこでやめてしまうことだって少なくないはず。
これは何もスポーツに限ったことではなく、人間の活動全てにおいて言えることだと思う。
平行線が続けば大半は腐る。
続ける気持ちも、やる気も失せる。
それは本人だけでなく、指導する側も同じことだと思う。
これだけ教えているのになんで出来ないんだ!?となるから。
でも、「平行線の時もある」と指導する側にも理解があれば、指導される側へのアクションも異なってくるだろうし、その関係性やそれを取り巻くコミュニティも違ったものが構築されると思う。
でも最も重要なのは、やはり本人の「やる気」だと思うけれど。
平行線の状態を耐え抜けるかどうか、それは心の強さに違いない。
で、その状態を耐え抜き、やっと上を向いて上がっていく糸口を見出せた矢先に、今度は筋肉痛に襲われ(笑)、また平行線になるのかもしれない。
それでもまた耐え抜き頑張り続けると、ふとした時に「ポン!」っと上に上がるもの・・・だと信じて続けていく。
ん?宝くじ信者みたいになっちゃったな(笑)
とにかく、それまで耐え抜いていけるコミュニティの存在と、親から授かった心の強さ、それこそが人生の財産だなと改めて思う。
僕は人に恵まれている。
僕を取り巻く、取り巻いてくれる方々には本当に恵まれていると思う。
それを天運とするなら、それを授けてくれた両親や祖父母、ご先祖様にまず感謝。
それを活かすかどうかは自分次第。
しばらくはこの筋肉痛と共に平行線を辿っていく(笑)
僕は真ん中のクラス3だけど、だからこその学ぶべきもの、進むべき方向を、現段階においてだけど、見定めているつもり。
あくまでも自分なりのものでしかないけれど。
それを踏まえたうえで、「車椅子卓球」を突き詰めていきたい。
そして、最終的にはクラスを超えて戦えるプレーヤーになりたい。
クラスを言い訳にするというのは、障害を言い訳にすることと同じなので、僕の中でそれは格好の悪いこと。
自分基準でカッコいいプレーヤーでいたいのだ。
車椅子で始めた当初は「そんなの無理」と思っていたことにも最近はどんどんチャレンジし、次第にそれが出来るようになっていった。
それには複数の要因があるわけで、それらは全て一朝一夕で得られたものでもないけれど、逆にそれが自分自身の軌跡として明確につかめるから、「じゃぁ今ならあれも出来るんじゃないか?」と、さらに上を向いて、ステップアップを試みていけるようになる。
障害を有する身体だからこそ、出来ないと思っていたことが出来るようになった時の喜びは、いわゆる健常者よりもより大きなものだし、逆に「障害があるから出来ない」というのがスタート地点なわけだから、出来るようになった時との差は想像以上に大きなものであるはず。
その為の努力はより必要とされるかもしれないけれど、「障害があるから・・・」と思っていたことが案外そうではないということに気づくと、その時点で人生観すら大きな変貌を遂げるかもしれない。
ふとしたきっかけから、自分の考えをコーチに提案し、それを練習で実際に試してみた。
そして「うん、それは出来るようになった方がいいね」と、練習メニューに加えることになった。
そしてそれにガッツリ取り組む。
コーチの目にもそれが留まったようで、そのメニューに割く時間が思いのほか多いものとなった。
以前の僕には出来なかったこと。
きっと「それは無理です」と諦めて、別の手段を考えたに違いない。
でも今はそれに正面から挑めている。
手ごたえも得ている。
それに大きな喜びを覚える。
そこに大いなる自信と、これまで積み重ねたものの手ごたえを覚える。
それが結果に直結するかは全く持って不明。
でも、一人の人間として、そうした成長の実感は人生をより肉付きの良いものにし、より濃いものにしてくれている。
ただし、そのメニューには想像を超えた副産物があった。
それは筋肉痛(笑)
練習を終えて帰宅した時点で、いつも以上の大きな疲労感を得ていた。
でもそれは嫌いなものじゃない。
むしろ好きなもの。
けれど、翌日に残るであろうレベルに思えたので、そうしないためのケアをいつも以上に行った。
がしかし、翌朝想定していた以外の箇所にまで筋肉痛が及んでいた(笑)
目が覚めて、姿勢を変えようとした際に「うわ!」と思ったほど。
そんな自分が楽しい(笑)
何事においても成長度合いをよくグラフで表すことが多い。
理想は右肩上がり。
45度一定に上がり続けるのが最も美しいのかもしれない。
でも、遠くから見ると右斜め上に上がっているその線でも、ぐっと近づいて虫眼鏡で見てみると、実は細かく上、右、上、右を繰り返しているもので、案外上に向かずに横に平行線を辿っているような瞬間が多々あって、そして少し上がって、また平行線になって・・・と、そうした動きを繰り返しているものだと思う。
こと卓球においては、右肩上がりは存在せず、垂直と並行を繰り返すものだと元全日本女子代表監督が教えてくださった。
上に上がった瞬間は嬉しい。
でも、頑張ってるのに平行線だと虚しい。イライラもする。
そして、それが長く続くとそこで腐ってしまうし、そうなると線は下に向く。そこでやめてしまうことだって少なくないはず。
これは何もスポーツに限ったことではなく、人間の活動全てにおいて言えることだと思う。
平行線が続けば大半は腐る。
続ける気持ちも、やる気も失せる。
それは本人だけでなく、指導する側も同じことだと思う。
これだけ教えているのになんで出来ないんだ!?となるから。
でも、「平行線の時もある」と指導する側にも理解があれば、指導される側へのアクションも異なってくるだろうし、その関係性やそれを取り巻くコミュニティも違ったものが構築されると思う。
でも最も重要なのは、やはり本人の「やる気」だと思うけれど。
平行線の状態を耐え抜けるかどうか、それは心の強さに違いない。
で、その状態を耐え抜き、やっと上を向いて上がっていく糸口を見出せた矢先に、今度は筋肉痛に襲われ(笑)、また平行線になるのかもしれない。
それでもまた耐え抜き頑張り続けると、ふとした時に「ポン!」っと上に上がるもの・・・だと信じて続けていく。
ん?宝くじ信者みたいになっちゃったな(笑)
とにかく、それまで耐え抜いていけるコミュニティの存在と、親から授かった心の強さ、それこそが人生の財産だなと改めて思う。
僕は人に恵まれている。
僕を取り巻く、取り巻いてくれる方々には本当に恵まれていると思う。
それを天運とするなら、それを授けてくれた両親や祖父母、ご先祖様にまず感謝。
それを活かすかどうかは自分次第。
しばらくはこの筋肉痛と共に平行線を辿っていく(笑)