GOCCIのオトコヲミガク旅(w)

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YOU TUBEで在りし日の「マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)」さんを偲ぶ

2009年06月27日 | *YOU TUBE*


YOU TUBEで在りし日の「マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)」さんを偲ぶ



昨日「マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)」
さんがお亡くなりになったと言う悲しいニュースが突然入ってきました。


自分が「マイケル」を聴き出したのは、Don't stop 'til you get enoughRock with You等のヒット曲が入っているアルバム、1979年リリースの「オフ・ザ・ウォール(Off The Wall)」の頃からだと思います。その頃は好きな洋楽アーティストの一人と言った位置づけだったんですが・・・・・

1982年発売のスリラー(Thriller)のリリースで、世界中が「マイケルフィーバー」となっている最中、大学生だった当事、例に漏れず、自分も完全にその渦の中に引き込まれていました。テープが擦り切れそうになるまで聴いたり、仲
間達と「芸大会」の出し物として「ゾンビダンス(スリラー)」の練習を泊り込みでやった記憶が甦ってきます。あとムーンウォークも良くやりました。(そんなに上手くなかったけど・・・・・)

このアルバムには今夜はビート・イット(Beat It)
スタート・サムシング(Wanna Be Startin' Somethin'ビリー・ジーン(Billie Jean)「P.Y.T. (Pretty Young Thing) 」ヒューマン・ネイチャー(Human Nature)等、超スーパーヒット曲のオンパレードで、当事の流行の「カフェバー」のブラウン管のモニターからは、彼の「ミュージック・ビデオ」がハードローテーションされていました。

その後「バッド(BAD)」「デンジャラス(Dangerous)」等アルバムがリリースされ、全世界で素晴らしいセールスが達成されるんですが、個人的には「スリラー(Thriller)」の衝撃が凄すぎて、聴くには聴くんですが、今ひとつのめり込めなくなってしまいました。

マイケルの何気ない思いではいろいろあるんですが、スクーターSUZUKI LoveのCMに出ていたり、「ビバリーヒルズコップ」のワンシーンで「マイケルコスチュームの通行人」が出てきたり、「スリラー(Thriller)」
リリース当時の人気の凄さが窺い知れますね。

あと、もう一つ強烈に印象に残っているのが、20年以上前、学生のころフロリダの「ディズニーワールド」でみたキャプテンEO 12ですね。あの「3D」のリアルな迫力と不思議な感覚は衝撃でした。

彼が亡くなったと言うニュースを聞いた後、いろいろ忙しく、なかなか思い出に浸る時間が取れなかったんですが「YOU TUBE」のマイケルのまだ、スキャンダルも無く、整形で「・・・・な姿」になる前の一番良い時代のハツラツとした姿を見るに付け、物凄く哀しくなってきました。


50歳と言う年齢だったので、まだまだ「一連の騒動」が解決すれば、もう一花咲かしてくれるものだろうと思っていたんですが・・・・。心からご冥福をお祈りいたします。







マイケル・ジャクソンさん:死去 50歳・死因不明

【ロサンゼルス吉富裕倫】キング・オブ・ポップスの異名を取り世界的な人気を誇った米歌手のマイケル・ジャクソンさんが25日午後(日本時間26日午前)、死亡した。50歳だった。26日に解剖予定で、詳しい死因や病名は不明。弟のランディさんはCNNテレビに、正午ごろ心不全を起こしたと述べた。米紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)によると、25日午後0時半ごろ、ロサンゼルス市消防局の救急車が市内のマイケルさん宅に出動。救急隊員が到着した時には、マイケルさんは既に呼吸をしていなかったという。蘇生措置を受けながら、自宅から約4キロ離れたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)メディカルセンターに搬送され、同日午後2時26分(日本時間26日午前6時26分)、死亡が確認された。同センター前には大勢のファンと報道陣が集まっている。AP通信によると25日夜、遺体はヘリでロサンゼルス郡検視局へ搬送された。マイケルさんは4歳のころから音楽活動を始め、兄4人と組んだ「ジャクソン5」のボーカルとして人気を集めた。ソロとなり、82年に発表したアルバム「スリラー」は、史上最多とされる1億枚以上を全世界で売り上げた。人気女性歌手のジャネット・ジャクソンさんは妹。私生活では児童への性的虐待に問われた裁判(05年に無罪確定)などスキャンダルが続き、長い間芸能活動を休んだ。7月13日からロンドンでのコンサートを皮切りに活動を再開する予定だった。

◇「音楽に映像」時代ひらく

エンターテイナーが背負う光と影のコントラストを、くっきりとわれわれの目に焼き付けたまま、“史上最高の大衆音楽家”マイケル・ジャクソンさんが逝った。家族バンド「ジャクソン5」の一員としてメジャーデビューしたのは、11歳の時。兄に交じって大人顔負けのダンスと歌唱を披露し、ジャクソン5を一躍、世界的スターに押し上げた。ソロになっても、マイケルさんの評価は上がり続けた。だが、「白人にも分かるブラックミュージック」として、専門家らから批判を受けることも。マイケルさんが「キング・オブ・ポップス」の座についた時期は、大衆音楽が音だけでなく、映像を伴ったミュージックビデオの時代に入ったのと軌を一にする。音楽専門のケーブルテレビチャンネル・MTVがスタートしたのは1981年。グラミー賞8部門を独占し、1億400万枚を売り上げたアルバム「スリラー」の発売は82年。そのミュージックビデオには「ダンスの歴史を変えた」といわれたダンス、短編映画のレベルを超えた映像が収録され、世界中のテレビから毎晩のように流れた。マイケルさんの「ゾンビ踊り」「ムーンウオーク」は子供たちも熱中させた。ウィ・アー・ザ・ワールド」のようなイベントにも積極的に参加し、「世界でもっとも成功したエンターテイナー」と呼ばれた。その一方で“影”の部分も大きくなっていった。「尋常性白斑」と診断された肌の白化、少年に対する性的虐待疑惑、テーマパークのような広大な邸宅「ネバーランド」、そこでの動物との生活、日本の電器量販店での借り切りショッピング……。さまざまなゴシップの的として、マスコミに徹底マークされた。【川崎浩】
(6月26日 毎日jp)





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