寓居人の独言

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思い出話「親友諏訪謙寿君逝くの報に接して」(20130521)

2013年05月21日 13時54分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

  この2年ほど前から年賀状が来ていないのでどうしたのかなと思っていた。先日出したはがきを見て細君が電話をくれた。諏訪君は東日本大震災のときに体調を崩してその後3週間ほどして静かに自宅でなくなったという話であった。電話で地震のときの様子を話してくれた。諏訪君の家は南三陸町から内陸部へ約40キロメートル弱西に行った栗原市というところにあった。3月11日の地震の揺れはかなり酷く2階部分が崩れたし平屋部分も壁が崩れ屋根瓦が滑り落ちて甚大な被害に遭ったという。地震発生から数日して無事を確認する電話をかけた。そのとき諏訪君は被害は大きく出たが夫婦2人無事であるので心配しないでくれと言っていた。しかし、そのときの諏訪君は細君の電話によると、衝撃の酷さに茫然自失してしまったようだったという。70歳代半ばになって災害に遭った方が営々と築いてきたものが一瞬のうちに崩れてしまったのだから宜なるかなと思う。 筆者は、小学校4年から高校卒業するまでの9年間を過ごしてきた宮城県の色麻村(今は町)を第二の故郷と思っていたので、筆者にできる範囲の支援をしたが、諏訪君の電話の声を信じて直接の支援はしなかった。今思うと悔やまれたならない。
 筆者が諏訪君と知り合ったのは古川高校に入学して二年目に化学クラブに入ったときに遡る。諏訪君は、いつもクラブの部室となっていた化学実験室にいて仲間と何か実験をやっていた。一枚だけ残っていた左下の写真は、一年生に滴定の指導をしているところのようである。筆者が諏訪君と深く付き合うようになったのは、秋の文化祭のときからである。筆者は普段、通学に時間がかかり放課後にクラブ活動に参加することは少なかった。それで文化祭の前から積極的にクラブ活動に参加した。              Photo           

 諏訪君は、文化祭の企画からいろいろな役割の分担まで真剣に切り盛りしていたのを思い出す。当時化学クラブで展示したのは、井戸水の水質検査、イチゴやバナナなどの人工香料の合成、そして筆者が中心となってやった、イオン交換物質(パームチッド:高品位石炭を硫酸処理し、その後酸を除去したもの)の作成とイオン交換樹脂を使った純水装置の展示説明などであった。
 この話はいつかこのブログに書く機会を作りたいと思う。
 高校の卒業式に出席しないで上京した筆者に、卒業証書を持ってきてくれたのも諏訪君であった。彼は東京で職を探し新しい出発を始めることにしていたので、そのまま十条駅の近くに部屋を借りて住むことになった。細君とはそこで知り合ったようだ。ここでの思い出もたくさんある。
 というわけで、諏訪君には長い間親しくしていただいた。感謝の気持ちでいっぱいである。 改めて安らかなご冥福をお祈りする次第である。


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