寓居人の独言

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東京大空襲 火の粉の嵐を逃れて 第8回

2015年08月04日 22時13分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

  夢の中で聞いたと思った吹鳴音は現実の物でした。
私の枕元に母が走ってきて稔すぐ起きなさい。
「警戒警報が発令されたから早く着替えてM劇場へ
行くのですよ」
  私は飛び起きていよいよ来たかと思いました。素
早く着替えて背負い鞄を背負って玄関へ行き靴を履
き母と姉の来るのを待ちました。父や兄たちも玄関
へ来て気をつけていくんだぞと言って僕たち3人を
送り出してくれました。私は母と姉の間に挟まって
2人と急ぎ足に歩きました。

 浜屋さんの角に出ると新大橋の方があかるくなっ
ているのがみえました。中の橋の近くに来ると橋の
向こう側の釣り船店が燃えているのが見えました。

 

拙い画ですがこれ以上の猛火でした。

3人は立ち止まって少しの間、釣り船店の方を見
ていましたら、大きな看板が次々と燃え落ちていき、
家もぱっと炎に包まれてしまいました。3人は驚い
て新大橋通りの左側を見ました。すると浜町河岸地
悪の大きな家も既に激しい火事になっていました。
母は少し考えて家に戻る決心をしたようでした。
「これではM劇場の方もいけないわね。家へ戻りましょう」
私はなんだか家へ戻るのが嬉しくなりました。

 家へ着くと父と兄たちは暗い電灯の下に集まって
何か相談事をしていました。私たちの顔を見ると、
「おや、どうしたんだ。忘れ物でもあったのか」
「それどころではありませんよ、おとうさん。中の
橋の向はものすごい火事になっていますよ。あれで
はとてもM劇場へ行けませんよ。ここだって危ない
かもしれませんよ。早く有馬の学校へ避難した方が
いいのじゃないかしら」
「なんだと。中の橋の向が燃えているというのか。
昌と功は早く物干し台へ登って見てこい。私もすぐ
行く」
 3人は階段を駆け上っていった。するとすぐに戻
ってきた。「父さん、大変だ。火はもうすぐ近くま
で来ているよ。母さん達をすぐ学校へ行かせた方が
いいよ」

 父も階段を駆け上がって物干し台へ行ったけれど
も、すぐ戻ってきて僕たちに学校へそのまま行って
いなさい。私たちも出来るだけ荷物を持って後を追
うから。といって追い出すように私たちを学校へ行
くように言った。

 私たちはすぐ学校へ向かった。しかし道を歩いて
いて気がついたんですが、風がかなり強くなってき
ました。そのために火の粉が嵐の雨のように飛んで
きました。私たちの服や防空頭巾に火の粉が着いて
燻りだしてしまいました。服はお互いに手で叩いて
火を消しましたが、防空頭巾は脱ぐわけに行かない
し中に綿が入っていたので、叩いてもなかなか火が
消えないので閉口しました。母は飛んでくる火の粉
の様子を吹雪みたいね、といっていました。それが
どんな意味か分からなかったのですが、その意味を
今聞くのは止そうと思いました。

 ようやく有馬国民学校へ着きましたが、避難して
きた人達はそんなに多くありませんでした。指定さ
れた教室に入ると近所の人が水やおにぎり缶詰を持
ってお見舞いに来てくれました。

 少し落ちつくと、昨日のことが思い出されてきま
した。折角木材をたくさん家へ運んだのにあれも燃
えてしまうのかと思ってがっかりしましたが、その
ことは誰にも言いませんでした。

  間もなく、父達はほとんど手ぶらで学校へやって
きました。布団などの荷物を持ち出したんだけれど、
火の粉が着いて燃えだしたので捨ててきたといいま
した。だけどお前達は無事学校へ着いててよかった。

 外は北東の風から北西に変わったようだとも言っ 
ていた。少しして窓から外をみると、強制疎開で取
り壊した先の家が盛んに燃えているのが見えた。も
のすごいほどの火の粉が学校の方へ飛んできていた
のに、急に火の粉が川の方に飛んでいくのが見える
ようになりました。

 母はこれはきっと水天宮様の御利益だと言いまし
た。そんな話を聞きながら私はいつの間にか眠って
しまいました。


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