寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

集団的自衛権についての心配(20140708)

2014年07月07日 22時33分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

 安倍政権は「集団的自衛権」の問題を閣議決定をした。与党の公明党との議論や野党との議論を通してその内容が公開されることになり、対象国によって集団的自衛権の限界や行使の条件が検討されその効果が減衰してしまう懸念がある。といって集団的自衛権をかざして他国に圧力を加えるようなことはしないと思うのだが。近隣の国の中には日本国が再び軍国主義に走り出したと警戒する国がある。それらの国はプロパガンダを駆使して日本を封じ込めようとしている。その先には離島の領有権が存在し、さらにその先には離島周辺に存在が予想される海底資源の採掘権が見え隠れしている。
 本日頂いたメールの中に集団的自衛権問題に関連して,現自衛隊員の訓練が厳しすぎるのではないかという意見が書かれていた。その理由は訓練中にその厳しさのために死亡する事故が頻発しているという。さらに旧日本軍の精神主義が台頭してきているのではないかと懸念を示している。
 自衛隊員に限らず自分を、自分の家族をそして地域の人たちをさらに大きくいえば日本国を守るためには(否もっと大きくいえば人類を地球を守るためには)最大限の努力をしなければならないことはどなたもご存じのことと思う。私の年代は青春時代を戦後の混乱の中に過ごしてきた。そして大学受験でも 『4当5落』という時代を過ごしてきた。これはもう死語になっているかもしれないので少し説明をしておこう。つまり睡眠時間を5時間にすると希望の大学へ入れないと言うことを言っているのである。そのくらい厳しい時代を過ごしてきたのである。
  しかし自衛隊員の訓練中の死亡事故が頻発しているということは対策を講じなければならないだろう。その方法は専門家にお任せしよう。
  ここで余談を書いておこう。あるところの防災訓練の最中に報道関係の記者がある女性に質問した。
「あなたは災害時の緊急物品を準備してありますか」
「いいえ、災害時にはおにぎりなど炊き出しがでますから特に準備をしていません。それに近くにコンビニもありますしね」
 これはずーっと昔に新聞にも載った苦笑い話である。緊急時の危機感についての意識はこんな程度なのかもしれない。


囲碁の話「みのるほど頭を垂れる稲穂かな」(20140708)

2014年07月07日 20時55分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 我が町の囲碁愛好会には,変人とはいわないまでも自己顕示欲の極めて強い方がいる。六段のA氏は高段者としてはマナーが悪い。対戦中に相手が打った手をいちいちけなすようなことを口走る。私は見るに見かねて、表題の言葉を知っていますかといった。すると知っていますよと返事が返ってきた。A氏は言葉を知っているがその意味がわかっていないらしいと気がついた。意味を教えるのはたやすいことだがそれは礼儀に失するかもしれないと思い止めた。
  B氏は四段である。対局中にいつも帽子を被っている。これも礼を失することである。

 またB氏は対局中に自分の番になると碁石をもって盤上にかざしあちこち打つところを迷っている様子を見せる。石を置くところが決まるまで石を持たないということが囲碁の常識であり不文律である。昔プロのO九段が似たようなことをやってひんしゅくを買ったと何かの囲碁番組で話題にでたことがある。
 B氏は自分の対局中に他人の対局の盤上を見ながら何かと口にすることがある。これも自己顕示欲の表れであろうか。
 かく言う私も似たところがある。少し違うのは対戦が終了した後でここはこうした方が良かったとか、こう打たれたらお手上げだったとか,特に下位の段級者と打ったときに感想を言う。昨日私は、T二段と対戦(2子)して5連勝してしまった。そこで打ち回しの方法についていろいろ感想を述べた。6回目にT氏はそれを参考にして打ってきたので私が負けてしまった。来週日曜日に行われる隣接市の囲碁クラブとの親善対戦でこのことを忘れないで打てば良い成績を上げることが出来るのではないかと期待している。
  最後に、最近メキメキ腕を上げてきたO氏について書いておこう。O氏は2級なので四段の方と対戦するときは5子のハンデを付けなければいけないのにO氏は3子しかおかない 。その理由は「自分でそう判断したからである」という。確かに腕を上げたようであるが対戦する両者が納得した後でならそれでもよいが、いきなり自分勝手にハンデを減らすのはルール(1段級差1子置くという規則がある)無視であり、「あなたとはそのハンデが妥当だ」等というのは対戦相手に失礼であり傲慢である。囲碁は礼儀を尊ぶものであることを忘れないで欲しい。
 とまあ世の中には私も含めていろんな人がいるということですね。


思い出話「ダンスについて」(20140708)

2014年07月07日 13時22分25秒 | 日記・エッセイ・コラム

 町の体育館の脇道を通ると時々ダンスをやっているのを目にすることがあります。どんな人たちが踊っているかと窓から見ると、ほとんどの方が高齢者と言っては失礼かもしれませんが私より少し若い方々のようです。しかしその踊っている姿は背筋がびしっと真っ直ぐに伸びていて様子がよく見えました。足運びもきびきびしていて見ているだけでなく私も踊ってみたくなりました。
 私の大学生の頃、ダンスが流行っていました。例えば、”立てばパチンコ 座れば麻雀 歩く姿はダンス調”などと言われダンスも流行っていました。学生のいろいろなクラブの資金稼ぎにダンスパーテーがしばしば開かれたものです。
 かく言う私も大学3年生の頃 T 大学若葉会主催という講習会に通い、その後の練習パーテーに参加しました。なんとか上級クラスを終了して、練習パーテーだけに参加するようになりました。そこでは上級者の周りに女性が集まり踊りに誘われるのを待っていました。楽しかったですね。卒業してからはあまりダンスをしなくなりました。一人で型を踏んでみましたがとても身体がついて行きませんでした。ダンスどころか日常生活を普通に送るために基礎体力作りを真剣にやらなければならないようです。