寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

スーパーストアー駐車場で(20140731)

2014年07月31日 10時32分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日17時頃、近くのスーパーへ食品を買いに行きました。精算を済ませて駐車場へ戻ってくると、私と同年配の方が車の近くにたたずんでいました。記憶にない人なので ”どうしましたか”と尋ねました。するとその方は”バックで自分の車を駐車スペースへ入れるときに接触してしまったので持ち主の方が戻ってこられるまで待っていました” と言うので "私の車ですが" と言うと丁寧な物言いで謝罪をし修理を自分の方で全部させていただきたいという話でした。車を見ると後部右側のバンパーが外れており、部品が少し欠け落ちていました。その方(T氏)は自分の住所氏名電話番号などを書いた紙片を用意しており私に差し出しました。私は取りあえず、デイラーへ電話をかけて相談しました。デイラーが直ぐ来てくれて警察への連絡や保険の取り扱いなどを指示してくれました。その間相手の方は自分の保険会社に電話をしていろいろ指示を受けていました。少しして警察官が来て調書を取っていきました。そのとき近くに駐車していた年配の女性が警察官に車を駐車スペースから出す自信が無いので出して欲しいと言ってきました。私が誘導しますと言いましたが出して欲しいというので警察官が運転して出してあげました。警察官というのはこんなこともやってくれるんだと感心してみていました。
 さてT氏は誠実な方のようで最後まで恐縮していました。少しの時間でしたが、世間話をしてこれからお付き合いしても良いなと思いました。私は今回の事故以前にも数回駐車場で当て逃げされたことがあります。T氏のように責任ある行動を取る人には初めて会いました。このような方が増えると世の中も少しは良くなるのではないかと思いました。


思い出話「福岡博多とカツ丼」(20140731)

2014年07月31日 09時51分17秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和40年代の話で恐縮してしまいますが、こんな事もあったということでご笑覧下さい。
 私が学生の頃、品川区の大井町に住んでいました。大井町は都心の下町とは違った人情味のある町でした。今の若い方にはご理解いただけないかもしれませんが、当時はお米は配給制で米穀通帳というのがないと買えませんでした。それも一人当たりどのくらいと分量が決められていました。独身の勤め人はお米屋さんで外食劵というのを買ってその劵が使える食堂へ行って食事をするという時代でした。外食劵無しでも食事を食べることは出来ますがかなり割高になったようです。
 昭和40年代に入ると事情はいくらか変わってきました。大学の食堂でもご飯を自由に食べることが出来るようになりました。
 私は大学に入るまで肉などというものをあまり食べたことがありませんでした。それで一番の好物というか贅沢というかはいつの間にかカツ丼になってしまいました。何しろカツ丼には肉と卵と野菜が少々は入っているので美味しかったですからね。友人に”お前は美味いものというとカツ丼だなー”といつも言われました。
 時代は下って昭和40年代後半になると一般人の食生活が変わりはじめ、一般の人でも肉を口にすることが多くなりました。
 そんな時、九州は福岡県博多市で学会があり出かける機会がありました。時間に余裕があったので海を見に行きました。帰りに空腹を覚えたので食事をしようとある店に入り、例のごとくカツ丼を注文しました。すると店の人はそれはどんなものだと聞いてきましたので、いつも食べているカツ丼の出来上がりの様子と作り方を教えてあげました。出来上がってきたものは結構美味しかったので褒めてあげました。すると店の主人が出てきて、私も自分で食べてみてこれはいけると思ったので、これからはこれを店の定番にすると言って喜んでいました。
 大げさに言うと博多に新しい食文化を植え付けたことになるのでしょうかね。