ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

11日

2011-05-12 12:17:36 | 日記

5月11日は、魔の11日かと思える、アクシデントがあった。

3月は、震度5強を初めて体験。

4月も震度5弱を体験。

5月は、久しぶりの合唱団の練習日だった。

地震の余波、もろもろの事情で、しばらく練習にこれなった人。

休団中の人など、久しぶりの顔に言葉が交わされ、和やかな練習が始まった。

3人の見学者もあり、久しぶりの「晩祷」の練習に熱がこもった。

あっというまの2時間が過ぎた。

ここまでは、懐かしさと久しぶりの「晩祷」に余韻を楽しんでいたまでは、まあ、いつものこと。

練習が終わり、さあ散会。駅までぞろぞろと向かうという段になって、「地下鉄東西線が止まっている」との情報。

駅から、少し離れている練習場は、最寄駅もちょっと離れている。

「どこへ行ったらいいの?」と、皆不安げになった。

「高田馬場」か「西早稲田」へという声に二手に分かれて出発。

表通りに出ると、駅に向かう群衆に遭遇。

一緒に混ざっててくてくと歩いた。

3月11日の新宿駅に向かった時のことがすぐ思い出された。

「あの時は、どうやって帰ったの?」「何してた?」と話題に花が咲いた。

途中の東西線の「高田馬場」駅まで来たところで、何人か出入りしているので、階段を下りて改札口に向かった。

「もうすぐ、走ります」との駅員の声に、改札口をはいって行く人。

「中に入ったけどJRにする」と入場のキャンセルを希望する人が交錯。

「もうすぐ、運転再開ですが、JRのほうがいいですよ」との駅員の進めもあって、JRの「高田馬場」駅に向かうことにして、4人になった、合唱仲間と、また歩き出す。

ほどなくJRの「高田馬場」駅に到着。

改札を入ろうとすると「東西線が運転を再開しました」とのアナウンス。

やれやれと、わざわざ戻る必要はなしとそのまま、改札から入場した。

電車は比較的すいていて、本数もたくさんあって楽に乗車。

新宿まで行って、いつものように中央線に。

家に着いたのは、22時半頃。それほどの、影響はなかった。

WEBニュースをみると、東西線は練習場に行く、駅に着いて改札を出たあたりで止まったらしい。

練習の間中、運転見合わせ。

練習終わってしばらくして再開という話だったようだ。

時間だけをみればちょっとだけの影響だったけれど、印象に残りそうな連続11日のアクシデントの記憶。

 

 

 


食中毒

2011-05-11 14:23:09 | 日記

ユッケの事件は、まだ収束しそうにない。

連日の報道では、管理者の杜撰さばかり。

食中毒の場合、たいてい、3日間の営業停止となる。

以前、「食中毒を出したところは、その後、気をつけるから、かえって安全だよ」と言った人がいた。

今には、通用しそうにない。

仕出し弁当屋さんとか、集団給食の提供とかには、6月以降の食中毒シーズンにあわせているのか

保健所の監査が入っているはず。

従業員の細菌の検査とか、厨房の環境とか、色々な項目について、調査し、合格証みたいな物を

発行しているはず。

手指の、殺菌法や洗い方の指導とかも、なされているはず。

集団給食のセンターなどは、提供した食材のサンプルを2,3日(かつてのO―157事件から4,5日に伸びたように、聞いたことがある)保存するのが義務付けられているはず。

食材の扱い。管理の仕方もおのずとわかるはず。

チェーン店とかには、そうした監査や、通達はないのだろうか。

賞味期限が過ぎた商品を販売したとか、偽証したとか、あまりに、人命軽視になりそうな事件が毎年のように、あるけれど、食に関する問題は、なかなか広く、一掃されるのが難しそう。

重箱の隅をつついたり、ザルの目を細かくし、事件の芽を摘むのは、不可能なのだろうか。

他人への思いやり、仕事に対する、謙虚さや責任感など、持ち合わせていない人が増えてきているのだろうか。

無責任な、人は小数のはずだけれど、影響が大きく出そうな所にかかわっているのが、許し難い。

何にも出来ない自分にいら立つ。

 

 


歯医者

2011-05-10 12:27:15 | 日記

2年ほど前に80万円かけて、上の歯がきれいになると言われて、義歯にした。

歯医者は、地元にもたくさんあるし、今までいろんな歯医者の門をくぐった。

人の前で口をあけるのは、好まないし、「しっかり、歯磨きをしてくださいね」といわれるのも

嫌で、半年に一度くらいは、歯石の除去とかで、歯医者に行くのがいいとは思うが、歯医者って信用できない。

安心して、お任せできる歯医者にまだ、お目にかかったことがない。

18歳の頃に、痛い目にあったのを機に、余計歯医者に行く気になれない。

虫歯はないのだが、歯周病になっていた。

歯茎がはれ、歯がぐらぐらしてきて、それでも、そのままにしていた。

1本抜け、2本抜け、やむを得ずに、ブリッジを入れてもらった。

ブリッジを支えていた歯が、反ってしまって、抜歯を余儀なくされた。

歯抜けの状態が増して、ブリッジを作る直す必要に迫られ、医者の門をくぐった。

ブリッジをかけると、支えていた歯がまた、反ってしまうこともある。

そして、歯医者に進められたのが、先の「前歯がきれいになる」というものだった。

結局、2年ほどでまたしても、治療を要する状態についに陥ってしまった。

昨年あたりから、医者へ行かねばならないと思いながら、良心的な医者になかなか出合えず、伸び伸びにしていたが、もう、限界に近付いてしまった。

ネットで調べて、地元でない通勤沿線の歯医者のホームページにたどりつき、悩みのメールを送った。

翌朝には、やさしい回答があり、木曜日の日中に電話をくれるという。

放っておけない状況を説明し、予算がないことを伝えて、最適な方法を提示してもらえたら、

頼ろうと思う。


事業

2011-05-08 14:18:36 | 日記

2億円をかけて、作った防災用ロボットが、がれきの落ちているところはを走れず、

1999年の東海村の事故をきっかけに作られながら今回の原発事故では、投入されながら

利用されずにアメリカから無償(ということになっているが)提供されたロボットのほうが、

性能もよく、活躍してくれたとか。

 

なんとも腹立たしい。

画像をみると、キャタピラもついているようなのに、見てくればかりのおもちゃだったのか。

公共機関や、行政では委託や、補助と称して様々な金が流れる。

 

実際に、委託を受けて、行った事業を間近に知っているし、携わったこともある。

 

100万ほどの事業だったが、見積もりを出したり、組織の、登記簿謄本を提出したり、

始めて袋閉じの契約書を作ったり、中間報告書を何種類か提出もした。

事業が終わって、最終報告書を提出。

やっと、100万弱のお金が口座に振り込まれた。

その間、人件費やら、書類の作成に伴う労力、謄本の取り寄せや市役所への交通費

すべて自前。

短期借入金として、手持ちのお金を回転資金に回してしのいだ。

手持ちの資金が無ければ委託を受けることもできないし、間、間での報告書などの作成も

プロがいるわけではないので、大変だった。

そうして、やっと委託事業を無事終了させたことを思うと、役に立たない代物に2億もかけた事業が、何故行えるのか、不思議だ。

もう、昨年のことになった、事業仕訳で、億や何千万のお金が今まで、疑問も持たれずに流れていたことも、信じられない。

「人の物を盗めば泥棒だが、天下を盗れば英雄」

と偉人の言葉があったと記憶しているが、これにも通じているかも。

 

 


2011-05-07 13:10:26 | 日記

またしても、食の事件が起きた。

食中毒で犠牲者も出た。

生肉に適していない肉を、罰則がないからと使用していたことが発覚。

一時期、肉の卸業者が悪いかのような言動もあった。

チェーン店で起こった事件は、焼肉業界、肉業界へも広がっていく。

自粛しているというチェーン店。今のところ、影響はないという販売店。

「生ものを扱うのはリスクが大きいだけに、細心の注意を払って衛生管理をするのは常識だ」との某焼肉店のマネージャーの言葉が紹介されていた。

こういう良心のある、人ばかりが、提供者側にいれば、安心なのだが、時折、甘くみる輩が

地位のある者のなかにいることがあるのが、許し難い。

罰則ができて、食文化が消えることを懸念しているという、大手焼肉店のオーナーの言葉

が紹介されていたが、食を供する人は、

「おいしい食材を提供したい。おいしいと喜んでもらいたい」ということを考えない

もうけ主義もいるということが、ゆゆしい。

 

第一に考えなければいけないこと。

最小限念頭に置いてほしいことは、法律でどうこうできることではない。

しかし、ざる法でも欲しいと願いたくなる。

 

 


記憶

2011-05-06 08:27:03 | 日記

裏話とか、実際の話などを知るのは、面白い。

掘り下げた話などを知ると、親しみを感じることや、人物像がはっきりしてきたりする。

知るということは、意味あること。

何にでも通じる事のように思う。

知らない方がよかったとか、知りたくなかったということもあるようだが。

人は記憶をなくすと、知ろうとするようだ。

忘れるというのも、人間の知恵だと聞いたこともある。

取捨選択される記憶。

覚えておきたい記憶。

忘れてしまいたい記憶。

何度も、思い出すことで、記憶にとどまるようになっているとか。

自分の自由に操作出来ればいいと思うが、ある程度、操作できるもののようだ。

なんでも覚えていたら、心が壊れるとか。

うまく付き合って行こう。

日本を創った偉人たち365日 -あの日、何があったのか-

楠木誠一郎

講談社+α文庫


体験

2011-05-05 21:31:24 | 日記

体験しないと、分からないことってある。

経験して初めてわかることもある。

けれど、体験しないと理解できないと、切り捨てるのは、行きすぎだと思う。

体験しなくとも痛みや、経験を、わかろうと、努力すれば、ある程度近付くことは

出来ると思う。

体験しても、分かるとは限らないし、体験したことを、糧に出来る人は、多くないと思う。

体験しても、忘れてしまったり、記憶に残らないこともあるだろうから。体験がすべてというのは、違うという気がする。

体験しなければ絶対、分からないだろうということもあるだろうけれど、ドラマなどでよく

使われる、「子どもは?」とか「結婚は?」とかの台詞は、一番耳にしたくない。

子どもがからむ話題があると、必ず「子どもは?」と聞く。

配偶者の話題になると「結婚は?」と問う。

子どもがいない人には理解できない。

結婚したことが無い人には、わからないという含みがあるようで、嫌な気分になる。

子どもがいなくても、子ども時代を過ごしてきた者には子ども心はわかるだろう。

出産できない男性だって、父親になることはできる。

父性を養っていくことはできる。

出産したから母性が芽生えるわけでなく。赤ちゃんに接していくことで、母性や父性は培われていく。

産まなくては、母子の関係が作れないとうのは、違うと思う。

結婚での男女の関係もしかり。

要は、相手を思いやったり、頼ったり、頼られたりの社会は、同居のなかで、築いていくものだけど、結婚したから、夫婦の感情がわかるとか、子どもを持ったら親子の情がわかるというものではないと、思っている。

ただ、生活を一つにしていくことで、芽生えていく感情や、社会性は、養って行って欲しいものだとは思う。

だから、体験のないことで、切り捨てるのは止めて欲しい。

夫婦は、赤の他人が共同生活をしていく中で、お互いを知っていく。


講評

2011-05-04 12:49:47 | 日記

自動車教習所に通って、普通自動車運転免許を取得した。

半年後に、三菱ミニカという軽自動車を購入。

富士スバル・レオーネ、トヨタ・カリーナ、日産ローレルと、変えてきたが、事故を期に

ペーパードライバーに徹した。

自転車に乗るのも怖いので、電車かバス、近い時は、てくてく歩く。

週に一度か2度、15分ほどのスーパーに買い出しに行く。

車の保有も止めているので、、てくてく歩く。テニスコートや玉川上水を横切り、青梅線の踏切を越え、線路の下の歩道をくぐって、ちょっとした散歩コースになる。

横断歩道は、一箇所あるいはニ箇所。横断歩道の表示のない道路を横切るのはニ箇所。

その間に自動車の通行にあうのは0から4回。

信号のないところでの通行は、ドライバー感覚を生かす。

車の鼻さき(いわゆるボンネット)を見ると、その車の、次の行動が予測できる。

歩行者に通行を邪魔したいか、譲りたいのかが、たいてい、分かる。

時折、間いられない車に出会うことも当然ある。

そういう時は、通行しないで車を優先することにしている。

無理に、渡ろうとして、ぶつかりたくはないから。

 

合唱の時は、指揮者の動きを見ながら、楽譜を見たり、耳をそば立てて、皆の息遣いや

気配を感じ取る。

昨日の、演奏会も、指揮者の動きは、いつものように感じ取れた。

皆の息遣いが一つになっているのも感じた。

久しぶりに、やり終えた満足感を味わうことができた。

「100人いたら、100分の1だとは思わないでほしい。100人いても1分の1が自分だと

思って欲しい」

演奏後の、講評での言葉。本番を控えての強化練習の時にも団員に投げ変えられた言葉

が、くり返された。

小人数の合唱より、大人数の合唱団が陥りやすいこととして、人に任せていては、いけないことへの、言葉として。

 


練習番号

2011-05-03 07:01:03 | 日記

楽譜に練習番号が振れれているがアルファベットのことがある。

耳で聞くとはっきりしないこともあり、指導者は、ワードで示すことがある。

指導者によって、多少違うものもある。

 

A

B BACH・Beethoven

C 

D Diamond 

E

F

G

H

I

J

K

L

M

N NAPOLEON

O

P

Q

R

S

T

U

V

W

X

Y

Z

 


水俣病

2011-05-02 10:25:57 | 日記

水俣病の公式確認から55年たったそうな。

熊本県水俣市で水俣病犠牲者慰霊式が開かれたという。

患者代表として祈りの言葉を述べた水俣市の緒方正実さん(53)は、東京電力福島第一原発の事故にふれ、「水俣病発生当時を思い出し、胸が張り裂ける思いだった。経済を優先して世界に類をみない公害を起こしてしまった水俣病の教訓が生かされたか、疑問に思う」と語ったそうな。

行政の隠そうとする姿勢。過小評価する体質は、55年たっても変わっていない。

事故が起きた時の、対応は早くなったようには思うが、推進派の思惑は、たいてい、第一線に深くかかわっていることが多い。

かならず情報が操作される。

情報を報道する、メディアも、視聴者受けするように、操作するから、現実からさらに遠ざかる

結果になりやすい。

本を読むときは、行間を読めという。

音楽を演奏するときは、曲の背景、作曲者の意図、などを知ることが重要だという。

ニュースについても、流れてくる情報を、自己解釈する時に、背景や、裏側を気にしながら

判断をする必要があるだろう。