ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

体験

2011-05-05 21:31:24 | 日記

体験しないと、分からないことってある。

経験して初めてわかることもある。

けれど、体験しないと理解できないと、切り捨てるのは、行きすぎだと思う。

体験しなくとも痛みや、経験を、わかろうと、努力すれば、ある程度近付くことは

出来ると思う。

体験しても、分かるとは限らないし、体験したことを、糧に出来る人は、多くないと思う。

体験しても、忘れてしまったり、記憶に残らないこともあるだろうから。体験がすべてというのは、違うという気がする。

体験しなければ絶対、分からないだろうということもあるだろうけれど、ドラマなどでよく

使われる、「子どもは?」とか「結婚は?」とかの台詞は、一番耳にしたくない。

子どもがからむ話題があると、必ず「子どもは?」と聞く。

配偶者の話題になると「結婚は?」と問う。

子どもがいない人には理解できない。

結婚したことが無い人には、わからないという含みがあるようで、嫌な気分になる。

子どもがいなくても、子ども時代を過ごしてきた者には子ども心はわかるだろう。

出産できない男性だって、父親になることはできる。

父性を養っていくことはできる。

出産したから母性が芽生えるわけでなく。赤ちゃんに接していくことで、母性や父性は培われていく。

産まなくては、母子の関係が作れないとうのは、違うと思う。

結婚での男女の関係もしかり。

要は、相手を思いやったり、頼ったり、頼られたりの社会は、同居のなかで、築いていくものだけど、結婚したから、夫婦の感情がわかるとか、子どもを持ったら親子の情がわかるというものではないと、思っている。

ただ、生活を一つにしていくことで、芽生えていく感情や、社会性は、養って行って欲しいものだとは思う。

だから、体験のないことで、切り捨てるのは止めて欲しい。

夫婦は、赤の他人が共同生活をしていく中で、お互いを知っていく。