過日の日記「転倒する経験を・・!(2021.10.30)」に関する”思い出”について記述しておきたい。
此の思い出の”地・施設”を「Ru」とする。
入社して基礎的な研修が終了したある時、出張を命じられた。
「Ru」の無人化工事への参加であった。
先の日記で「停留所」という事を記している。
その付近には、今で言うコンビニ的な「雑貨屋」や、社員住宅・単身者住宅(寮母さんが居た)があった。
注:入社時・仮宿舎であったが単車者寮が増設されたことから、単身者寮に移った。 此の寮の”寮母さん”が「Ru」の単身者住宅の”元寮母”であった。
「Ru 」は、県道のバス停から砂利道で4Km程の山頂に在った。
当時から、四輪駆動車が活躍した。
山頂の職場での作業が終われば、此の”寮”が宿泊場所となった。
話を戻して、山頂の職場は、木造の建屋であった。
そして、無人化の為の施設として、鉄筋コンクリート造と成っていた。
木造の旧建屋から設備や装置を移設した機器や、新設された機器・装置の機能試験を行う役割であった。
新たな建屋は・二階建で、一階は電源設備や停電に備えた電力装置(発電機)が設備されていた。
二階が設備(機械)室で、機器類が整然と配置されていた。
一日の仕事も終わり、宿泊所の”寮”へ移動する。
「(当時はあった)雑貨屋」で、食料品を買って来て、飲酒が始まる。
そして、此処に”進駐軍”が居たことを知った。
兵隊さんとの関わり等の話しに、興味を持って聴いた。
翌日、山頂の職場に移動し作業を再開したが”進駐軍”が居たという建屋を観た。
建屋の外壁は、青色に塗装されていた様に記憶している。
其処で現認し、今も鮮烈に記憶している。
それは、座って”用”と足す白磁のモノである。
話には聞いていた「此れが”アレか・・!?”」と、話と現物が合致した一瞬であった。
この様な体験を経て(入社より一年後に)転勤の辞令があった。
市街地にあった建屋を増築し、新組織化された”職場”であった。
所謂・管理者(所長等)他、総勢・20人程であったと、記憶している。
施設を24時間・保守・監視するため、四輪番(宿直・宿明・日勤・休み)の勤務体系は、前任地と同様であった。
出張や年休などには、補充要員が居た。
僻地(山頂)に有った「Ru」を無人化した事により、遠隔監視制御する業務が主たるものであった。
加えて、三ヶ月?に一度、「Ru」への巡回・保守点検作業があった。
やがて「Ru」にあった木造の建屋(進駐軍の建屋も含め)は撤去され、既存のコンクリート造の建屋を残し・更地となった。
先日・訪れた時には、巡回保守の思い出のある・此のコンクリート造も撤去され、新たな建屋となっていた。
加えて「Ru]を遠隔監視し、保守を担当していた、青春時代の職場も・今は無人となっているのである。
真空管式の装置からトランジスターへ・・集積回路を使った装置となって、信頼性の向上や消費電力低減に伴う「時代の趨勢(流れ)」なのだろう・・!?
在りし日の・その存在は、記憶のなかとなった。