藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社文庫)
全選考委員絶賛、ハードボイルド最高傑作!/本年度「江戸川乱歩賞受賞作」/東京・新宿の公園で爆破事件が発生、多数の死者が出た。犠牲者のなかに「私」の、ただひとりの女性、ただひとりの友人がいた……。(単行本初版本の帯コピー)
◎「めくら花」の時代
藤原伊織は1945年大阪で生まれました。その後、東京大学文学部フランス文学科へ入学します。いわゆる全共闘世代です。大学にいるよりも、雀荘にこもっている時間のほうが長かったようです。卒業後は電通に就職します。
アングラの女王といわれていた、浅川マキという歌手をご存知でしょうか。彼女には「めくら花」という曲があります。自ら作曲したのですが、作詞をしたのは藤原利一でした。これが藤原伊織の本名で、彼が大学在籍中に書いたものです。こんな歌詞です。
――昔のことは忘れたよ あんたのことも忘れたよ ガキのおいらにゃ涙も出ない 流れさすらい 落ち込んで やっと咲きます この めくら花
――夏の光がとけてった あんたの瞼も乾いたろ 今のおいらにゃ とても歌えぬ 走って走って なお走り 胸の高まりひそめた恋歌
――遠いところで死んでった おいらの二十歳 あんたの温み とおにおいらにゃ傷さえ失せた 狂い狂って なお狂い いつか散ってた あの めくら花
(「めくら花」作詞・藤原利一、作曲・浅川マキ)
1977年電通勤務時代に、「踊りつかれて」で野性時代新人文学賞佳作を受賞します。まだ藤原利一の本名を使用していました。この作品はどの著作にも所収されておらず、未読のままです。
藤原伊織が実質的に文壇デビューしたのは、1985年「すばる文学賞」を受賞した『ダックスフントのワープ』(集英社文庫)でです。『ダックスフントのワープ』の初出の帯には、「スケボーをはいた老犬が挑む愛の物語」と紹介されています。この作品はレイモンド・チャンドラー(推薦作『長いお別れ』ハヤカワ文庫)の影響を強く受けています。すばる文学賞の選評を転載します。
――得体の知れない破壊性みたいなものを、現代の純粋悪意として、これを中心に一つの話なり世界をつくろうとしている。(佐伯彰一の選評を引用)
それから10年間、藤原伊織は原稿依頼を拒絶し、ギャンブルで借金を重ねます。借金返済のための賞金目あてで1995年、『テロリストのパラソル』(講談社文庫)を江戸川乱歩賞に応募し、みごとに受賞します。そして翌年、同作品で直木賞を受賞することになります。両賞のダブル受賞は、史上はじめての快挙でした。
ここにいたるまでの沈黙期間について、藤原伊織自身が触れているエッセイがあります。これは『テロリストのパラソル』発表の5年ほど前のものです。
――あれから(注:すばる文学賞の受賞)5年たつ。このポイントがどういうものなのか、よくわからない。まっとうな大人になったという自覚も、依然ない。ただ最近、執行猶予の終わりが近づいている、そんな気分の訪れが時おりある。(「すばる文学賞・特別別冊1991」集英社、「受賞をめぐるワンポイント・エッセイ」より)
藤原伊織は書けないことに対する、焦りを前記のようにつづっています。麻雀をし、泥酔し、テレビを見つづける毎日。そのなかで少しずつ発酵してきたのが、『テロリストのパラソル』でした。
◎長いトンネルからの脱出
「江戸川乱歩賞受賞作」と腰に帯を巻かれた『テロリストのパラソル』を店頭で見たとき、作者の名前に思わず声がでてしまいました。忘れかけていた『ダックスフントのワープ』の作者? 奥付で確認したほどです。
私が驚いたのは10年近いブランク以上に、記憶とはあまりにも異なるジャンルでの登場だったことにあります。『ダックスフントのワープ』は、スケボーをはいた老犬をめぐる寓話です。ところが『テロリストのパラソル』は、息をもつかせぬ本格的なハードボイルド作品でした。
主人公は40代半ばのアルコール中毒者。職業はバーテンです。本名は島村桂介。22年前に爆弾事件を起こし、指名手配されています。彼は名前を変え、新宿の片隅でひっそりと暮らしていました。
10月の午前10時過ぎ。彼は目覚め、日差しに誘われて新宿中央公園へでかけます。芝生に座り震える手で、カップにウイスキーを注ぎます。暗い部屋から開放されても、彼には未来への希望はありません。
突然の爆発音と地響き。。爆心地へと走ります。公園で言葉を交わした少女が、倒れていました。命に別状はないようです。パトカーのサイレンが近づいてきます。指名手配中の彼は、惨憺たる現場にウイスキーをおき忘れて、野次馬のなかにまぎれこみます。ウイスキーの壜には、指紋が残っています。
再び警察に追われます。ヤクザが店にやってきます。22年前に爆弾事件を起こした友人が、今度の新宿爆発事件の被害者になっていました。学生時代一緒に暮らしていた女の母親も、巻きこまれていたことを知ります。爆弾犯人を追いかける決心をしました。
藤原伊織は、ほんわかとした作風をかなぐり捨てていました。ストーリー展開が速く、巧妙な会話と描写力が、がっちりとそれを支えています。藤原伊織は暗い小さな部屋から、脱出したようだと確信しました。
直木賞は小池真理子『恋』(ハヤカワ文庫。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)との、2作同時受賞でした。直木賞の選評を読んで、わがことのようにうれしくなりました。すこしだけ引用させてもらいます。
――ほとんど満票と言っていい支持を受けてのダブル受賞である(五木寛之)
――なにかを言いたい作家の息遣いが感じられるという点で、際立っていたと思う(五木寛之)
――人物の描写力がただごとではない(阿刀田高)
――活発な精神の往復運動が独特の、得難いヒューモアを生み出している(井上ひさし)
――何より魅力的なのは文章の快いリズムで、会話におけるいささかのケレン味もいやみではなくよく消化されている(田辺聖子)
――細部に力がある(津本陽)
藤原伊織は2007年、59歳でガンのために死去しています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、1945(昭和20)年生まれの作家までを、「日本近代文学作家」としてジャンルわけしています。書評を書き終えて、藤原伊織『テロリストのパラソル』を日本近代文学ベスト125の棚にすえさせてもらいました。これ以上、作品を追いかけられないのが残念です。
(山本藤光:2005.09.30初稿、2018.03.02改稿)
全選考委員絶賛、ハードボイルド最高傑作!/本年度「江戸川乱歩賞受賞作」/東京・新宿の公園で爆破事件が発生、多数の死者が出た。犠牲者のなかに「私」の、ただひとりの女性、ただひとりの友人がいた……。(単行本初版本の帯コピー)
◎「めくら花」の時代
藤原伊織は1945年大阪で生まれました。その後、東京大学文学部フランス文学科へ入学します。いわゆる全共闘世代です。大学にいるよりも、雀荘にこもっている時間のほうが長かったようです。卒業後は電通に就職します。
アングラの女王といわれていた、浅川マキという歌手をご存知でしょうか。彼女には「めくら花」という曲があります。自ら作曲したのですが、作詞をしたのは藤原利一でした。これが藤原伊織の本名で、彼が大学在籍中に書いたものです。こんな歌詞です。
――昔のことは忘れたよ あんたのことも忘れたよ ガキのおいらにゃ涙も出ない 流れさすらい 落ち込んで やっと咲きます この めくら花
――夏の光がとけてった あんたの瞼も乾いたろ 今のおいらにゃ とても歌えぬ 走って走って なお走り 胸の高まりひそめた恋歌
――遠いところで死んでった おいらの二十歳 あんたの温み とおにおいらにゃ傷さえ失せた 狂い狂って なお狂い いつか散ってた あの めくら花
(「めくら花」作詞・藤原利一、作曲・浅川マキ)
1977年電通勤務時代に、「踊りつかれて」で野性時代新人文学賞佳作を受賞します。まだ藤原利一の本名を使用していました。この作品はどの著作にも所収されておらず、未読のままです。
藤原伊織が実質的に文壇デビューしたのは、1985年「すばる文学賞」を受賞した『ダックスフントのワープ』(集英社文庫)でです。『ダックスフントのワープ』の初出の帯には、「スケボーをはいた老犬が挑む愛の物語」と紹介されています。この作品はレイモンド・チャンドラー(推薦作『長いお別れ』ハヤカワ文庫)の影響を強く受けています。すばる文学賞の選評を転載します。
――得体の知れない破壊性みたいなものを、現代の純粋悪意として、これを中心に一つの話なり世界をつくろうとしている。(佐伯彰一の選評を引用)
それから10年間、藤原伊織は原稿依頼を拒絶し、ギャンブルで借金を重ねます。借金返済のための賞金目あてで1995年、『テロリストのパラソル』(講談社文庫)を江戸川乱歩賞に応募し、みごとに受賞します。そして翌年、同作品で直木賞を受賞することになります。両賞のダブル受賞は、史上はじめての快挙でした。
ここにいたるまでの沈黙期間について、藤原伊織自身が触れているエッセイがあります。これは『テロリストのパラソル』発表の5年ほど前のものです。
――あれから(注:すばる文学賞の受賞)5年たつ。このポイントがどういうものなのか、よくわからない。まっとうな大人になったという自覚も、依然ない。ただ最近、執行猶予の終わりが近づいている、そんな気分の訪れが時おりある。(「すばる文学賞・特別別冊1991」集英社、「受賞をめぐるワンポイント・エッセイ」より)
藤原伊織は書けないことに対する、焦りを前記のようにつづっています。麻雀をし、泥酔し、テレビを見つづける毎日。そのなかで少しずつ発酵してきたのが、『テロリストのパラソル』でした。
◎長いトンネルからの脱出
「江戸川乱歩賞受賞作」と腰に帯を巻かれた『テロリストのパラソル』を店頭で見たとき、作者の名前に思わず声がでてしまいました。忘れかけていた『ダックスフントのワープ』の作者? 奥付で確認したほどです。
私が驚いたのは10年近いブランク以上に、記憶とはあまりにも異なるジャンルでの登場だったことにあります。『ダックスフントのワープ』は、スケボーをはいた老犬をめぐる寓話です。ところが『テロリストのパラソル』は、息をもつかせぬ本格的なハードボイルド作品でした。
主人公は40代半ばのアルコール中毒者。職業はバーテンです。本名は島村桂介。22年前に爆弾事件を起こし、指名手配されています。彼は名前を変え、新宿の片隅でひっそりと暮らしていました。
10月の午前10時過ぎ。彼は目覚め、日差しに誘われて新宿中央公園へでかけます。芝生に座り震える手で、カップにウイスキーを注ぎます。暗い部屋から開放されても、彼には未来への希望はありません。
突然の爆発音と地響き。。爆心地へと走ります。公園で言葉を交わした少女が、倒れていました。命に別状はないようです。パトカーのサイレンが近づいてきます。指名手配中の彼は、惨憺たる現場にウイスキーをおき忘れて、野次馬のなかにまぎれこみます。ウイスキーの壜には、指紋が残っています。
再び警察に追われます。ヤクザが店にやってきます。22年前に爆弾事件を起こした友人が、今度の新宿爆発事件の被害者になっていました。学生時代一緒に暮らしていた女の母親も、巻きこまれていたことを知ります。爆弾犯人を追いかける決心をしました。
藤原伊織は、ほんわかとした作風をかなぐり捨てていました。ストーリー展開が速く、巧妙な会話と描写力が、がっちりとそれを支えています。藤原伊織は暗い小さな部屋から、脱出したようだと確信しました。
直木賞は小池真理子『恋』(ハヤカワ文庫。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)との、2作同時受賞でした。直木賞の選評を読んで、わがことのようにうれしくなりました。すこしだけ引用させてもらいます。
――ほとんど満票と言っていい支持を受けてのダブル受賞である(五木寛之)
――なにかを言いたい作家の息遣いが感じられるという点で、際立っていたと思う(五木寛之)
――人物の描写力がただごとではない(阿刀田高)
――活発な精神の往復運動が独特の、得難いヒューモアを生み出している(井上ひさし)
――何より魅力的なのは文章の快いリズムで、会話におけるいささかのケレン味もいやみではなくよく消化されている(田辺聖子)
――細部に力がある(津本陽)
藤原伊織は2007年、59歳でガンのために死去しています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、1945(昭和20)年生まれの作家までを、「日本近代文学作家」としてジャンルわけしています。書評を書き終えて、藤原伊織『テロリストのパラソル』を日本近代文学ベスト125の棚にすえさせてもらいました。これ以上、作品を追いかけられないのが残念です。
(山本藤光:2005.09.30初稿、2018.03.02改稿)
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