【再掲書評】『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』
■アクセスが急増している書評を再掲させていただきます。ピート・デイヴィス『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』(文春文庫、高橋健次訳)に注目が集っているようです。
1997年3月、香港近郊の養鶏場で鶏が死ぬ。H5N1型の鳥インフルエンザが世界を騒然とさせる始まりであった。それを遡ること80年前に世界を席捲した「風邪」は、4000万人を殺した。この恐るべきインフルエンザウイルスの正体を追って、永久凍土に埋葬された遺体の胸からウイルスを採取すべく、ある調査団が極北の墓所へ向かう。(「BOOK」データベースより)
◎正体不明のスペイン風邪
1918年のスペイン風邪で、世界中で4千万人の人々が死亡したとされています。体力 のある若者たちが、発病して翌日には突然死亡してしまう凄まじい勢いでした。
私は本書を一度、単行本で読んでいます。そのときのタイトルは『四千万人を殺したインフルエンザ』(文藝春秋、1999年)でした。当時私は日本ロシュという外資系製薬会社に勤務しており、タミフルのプロダクトマネジャーから薦められて読みました。タミフルは今やインフルエンザの定番となりましたが、その市場導入を画策していたころのことです。
文庫化されて、タイトルが変わりました。この方が科学ドキュメンタリーの、感じが出ていると思います。.スペイン風邪が、人類を襲ってから80年目。スペイン風邪の正体に迫るべく研究者たちが、北極の永久凍土に眠る青年の7遺骸を掘り起こしました。引き金になったのは、1997年の香港養鶏場で鶏が大量死したできごとでした。検出されたのはH5N1型の鶏インフルエンザでした。
1933年にスペイン風邪のウイルスが、インフルエンザであることは証明されています。しかし元気な若者がなぜ簡単に死亡したのか、の原因まで究明することはできませんでした。新たなインフルエンザ菌の出現に備えるために、世界の科学者が立ち上がったのです。
本書はスペイン風邪の正体に挑む、研究者たちの壮絶な闘いの記録です。
◎まるでミステリーのよう
それまでにもアラスカで、スペイン風邪で亡くなった人の遺骸を、掘り起こしたことがあります。しかし遺骸の状態が悪く、解明することができませんでした。
1998年ウィルス採取プロジェクトが、立ち上げられます。リーダーは地理学を教える、カーティス・ダンカン女史です。プロジェクトは研究機関や製薬会社の支援を得て、ようやく発掘にこぎつけます。
プロジェクトの規模は、予想を超えて膨れ上がりました。様々な国から大物研究者が参画し、もはや一女史の手には負えなくなりました。ダンカン女史の性格も災いし、プロジェクトは収拾のつかない状態になります。筆者のピート・デイヴィスは、科学者のことを次のように書いています。
――科学者たち――ことに、どんどん財源が縮小されつつある公的資金に頼っている人びと――は、激烈な競争のなかで活動している。そこにはたらくシステムを一言でいえば、「発表するか、消えるか」である。研究助成金を獲得するためには、自分の勤勉さ、意欲、創意を示すことになる論文の数を増やしていかなければならない。さらには、成功する科学者は、好奇心と野心に駆られるという事実が加わり、環境に圧力をかけて、やる気を起こさせるという事実が加わる。(本文P313より)
すったもんだの末、遺骸は掘り起こされます。しかし状態は期待値とはかけ離れたものでした。本書はタミフルなどが誕生するところで、終えています。1999年に発行されているので、現在の騒動については触れていません。ただし新たなインフルエンザの流行には、警鐘を鳴らしています。
ひたすら圧倒されました。1918年のできごとに接して、悪寒が突き上げてきたほどです。インフルエンザ、恐るべしです。本書には科学ドキュメンタリーというよりも、ミステリーのような味わいがあります。
(山本藤光:2012.12.14初稿、2018.03.07改稿)
■アクセスが急増している書評を再掲させていただきます。ピート・デイヴィス『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』(文春文庫、高橋健次訳)に注目が集っているようです。
1997年3月、香港近郊の養鶏場で鶏が死ぬ。H5N1型の鳥インフルエンザが世界を騒然とさせる始まりであった。それを遡ること80年前に世界を席捲した「風邪」は、4000万人を殺した。この恐るべきインフルエンザウイルスの正体を追って、永久凍土に埋葬された遺体の胸からウイルスを採取すべく、ある調査団が極北の墓所へ向かう。(「BOOK」データベースより)
◎正体不明のスペイン風邪
1918年のスペイン風邪で、世界中で4千万人の人々が死亡したとされています。体力 のある若者たちが、発病して翌日には突然死亡してしまう凄まじい勢いでした。
私は本書を一度、単行本で読んでいます。そのときのタイトルは『四千万人を殺したインフルエンザ』(文藝春秋、1999年)でした。当時私は日本ロシュという外資系製薬会社に勤務しており、タミフルのプロダクトマネジャーから薦められて読みました。タミフルは今やインフルエンザの定番となりましたが、その市場導入を画策していたころのことです。
文庫化されて、タイトルが変わりました。この方が科学ドキュメンタリーの、感じが出ていると思います。.スペイン風邪が、人類を襲ってから80年目。スペイン風邪の正体に迫るべく研究者たちが、北極の永久凍土に眠る青年の7遺骸を掘り起こしました。引き金になったのは、1997年の香港養鶏場で鶏が大量死したできごとでした。検出されたのはH5N1型の鶏インフルエンザでした。
1933年にスペイン風邪のウイルスが、インフルエンザであることは証明されています。しかし元気な若者がなぜ簡単に死亡したのか、の原因まで究明することはできませんでした。新たなインフルエンザ菌の出現に備えるために、世界の科学者が立ち上がったのです。
本書はスペイン風邪の正体に挑む、研究者たちの壮絶な闘いの記録です。
◎まるでミステリーのよう
それまでにもアラスカで、スペイン風邪で亡くなった人の遺骸を、掘り起こしたことがあります。しかし遺骸の状態が悪く、解明することができませんでした。
1998年ウィルス採取プロジェクトが、立ち上げられます。リーダーは地理学を教える、カーティス・ダンカン女史です。プロジェクトは研究機関や製薬会社の支援を得て、ようやく発掘にこぎつけます。
プロジェクトの規模は、予想を超えて膨れ上がりました。様々な国から大物研究者が参画し、もはや一女史の手には負えなくなりました。ダンカン女史の性格も災いし、プロジェクトは収拾のつかない状態になります。筆者のピート・デイヴィスは、科学者のことを次のように書いています。
――科学者たち――ことに、どんどん財源が縮小されつつある公的資金に頼っている人びと――は、激烈な競争のなかで活動している。そこにはたらくシステムを一言でいえば、「発表するか、消えるか」である。研究助成金を獲得するためには、自分の勤勉さ、意欲、創意を示すことになる論文の数を増やしていかなければならない。さらには、成功する科学者は、好奇心と野心に駆られるという事実が加わり、環境に圧力をかけて、やる気を起こさせるという事実が加わる。(本文P313より)
すったもんだの末、遺骸は掘り起こされます。しかし状態は期待値とはかけ離れたものでした。本書はタミフルなどが誕生するところで、終えています。1999年に発行されているので、現在の騒動については触れていません。ただし新たなインフルエンザの流行には、警鐘を鳴らしています。
ひたすら圧倒されました。1918年のできごとに接して、悪寒が突き上げてきたほどです。インフルエンザ、恐るべしです。本書には科学ドキュメンタリーというよりも、ミステリーのような味わいがあります。
(山本藤光:2012.12.14初稿、2018.03.07改稿)
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