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俵万智『サラダ記念日』(河出文庫)

2018-03-04 | 書評「た」の国内著者
俵万智『サラダ記念日』(河出文庫)

万葉集もなんのその、与謝野晶子以来の大型新人類歌人誕生。(「BOOK」データベースより)

◎売れない。歌ではない。

最初にニュース性のある文章を、紹介させていただきます。

―― 一九八七年を振り返ると、予兆に満ちた出来事はあまりにも多い。五月、前年に短歌の芥川賞といわれる第三二回角川短歌賞を受賞した歌人、俵万智(当時二四歳)の『サラダ記念日』が、河出書房新社から初版三千部で出版されると、直後から問い合わせが殺到し、ベストセラーリストのトップに躍り出た。(尾崎真理子『現代日本の小説』ちくまプリマー新書)

当時角川書店の社長だった角川春樹を「人生最大の失敗だった」と語らしめた、俵万智『サラダ記念日』は、河出書房から出版されました、自ら俳人である角川春樹は、俵万智を高く評価していました。しかしもう一つの肩書である出版社の社長が、出版したところで売れるはずはないと決断したのです。

それが出版と同時に大きな話題となり、『サラダ記念日』はミリオンセラーとなりました。斎藤美奈子は著作『文壇アイドル論』(文春文庫)のなかで、次の3首を取り上げています。

――愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
――「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
――「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

そして斎藤美奈子は次のように、俵万智の華々しいデビューを紹介しています。

――「言ってくれる」「言ってしまって」「言ったから」。書き写しながら、ああ、どれも軽い媚を含んだ「言って」の歌だったのかと認識した次第ですが、ともあれこの三首によって(といっていいでしょう)「サラダ現象」と呼ばれるほどのブームが起こり、高校の一国語教師だった二五歳の女性は、一夜にして、「国民的なアイドル」になってしまったのでした。(斎藤美奈子『文壇アイドル論』文春文庫)

戦後の女性短歌の第一人者・河野裕子はサラダが嫌いだったようです。孫引きになりますが、新鮮なサラダにフォークを突き刺す文章を紹介させていただきます。

――『サラダ記念日を』を書評した河野裕子は、歌にある「生活者の手ざわりの実感」を評価しつつ、「ハンバーガーショップ」の歌を含めた四首を掲げて、述べた。「席を立つように捨てられたり、カンチューハイ二本で茶化されたり、ボトルなみにキープされたりしたら、男としてはたまらない。こういう風に歌われて、『言ってくれるじゃないの』と面白がるのは、短歌のほんとうの味わい、うまみを知らない気の毒な読者というほかない。見立ての面白さや、冗談めかしてカラリと言ってのける小気味のよさはあるだろう。しかし、それだけの歌である」(阿木津英著。江種満子・井上理恵・編『20世紀のベストセラーを読み解く』学芸書林より)

――ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう

角川春樹や河野裕子のように、短歌の世界はきわめて保守色の強いところです。読者からの大きな賛辞の嵐のなかで、2人は地団太を踏んでいたのでしょう。

短歌の世界はどうあれ、多くの読者は短歌を身近なものに感じるようになりました。河出書房新社の英断と俵万智の功績により、その後に林あまりや桝野浩一などが続きました。もっとも林あまりは過激すぎますけれど。1首だけ紹介させていただきます。

――生理中のFUCKは熱し
血の海をふたりつくづく眺めてしまう

◎放置されたままの誤植

私の手元に2冊の『サラダ記念日』(ともに河出文庫)があります。なぜ2冊所有しているのかというと、初版にはなかった巻末の解説が重版に追加されているからです。いつから川村二郎の解説が、追加されたのかはわかりません。初版では「跋・佐佐木幸綱」があっただけでした。

初版(1989年):巻末解説なし
31刷(1999年):巻末解説・川村二郎

どのくらい刷数が増えているのだろうと、書店で奥付を見ようとしました。そのときに、「解説・川村二郎」の文字が飛び込んできました。立ち読みしてから、思わず買ってしまいました。

――『サラダ記念日』には、大体上等な飲食物は出てこない。それはたとえば二本のカンチューハイであり、三百円のあなごずしであり、また一山百円のトマトであり、ケチャップ味のオムライスであり、そして何より、手作りのサラダである。ごくありふれた、まずは平均的「庶民」的な生活の細部が、そうした小道具の数々を通じて、読書の目の前に次々に披露されるわけである。(『サラダ記念日』河出文庫31刷、巻末解説・川村二郎)

解説を立ち読みしながら、「誤植」を発見したのです。「読書の目の前に」は、明らかに「読者」でなければなりません。2015年8月、書店で『サラダ記念日』を確認しました。45刷でしたが、誤植はそのままでした。

――こんなふうに歌が作れるというのは、大発見だが、発見だけで魅力的な歌はできない。この人の特徴は、普通の人がどうしてもうまくいえない(でもどうしてもいってみたい)気持ちをズバリ31文字にまとめあげるうまさにある。(金原瑞人「朝日新聞」1987.6.28。尾崎真理子『現代日本の小説』ちくまプリマー新書から転載させていただきました)

俵万智の登場は、日本の文学史上のひとつの革命だと思います。その後俵万智は、『あなたと読む恋の歌百首』(文春文庫)を編んでいます。そこには穂村弘志、阿木津英らに混じって、河野裕子の1首も添えられています。

――たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか(河野裕子)
 
『あなたと読む恋の歌百首』には、1首につき2ページを割いた俵万智の鑑賞が添えられています。味わい深い文章で、大切な著作として、時々読み返しています。
(山本藤光:2012.07.24初稿、2018.03.04改稿)


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