247:クラーク博士
タウン誌「くしろ」に、標茶町の特集記事が掲載された。筆者は宗像修平である。
――標茶町の風雲児とクラーク博士
――驚くべき進化の陰に二人の男
こんな見出しの後に、次のような文章があった。
標茶町は、人口は約七千九百人と過疎化が深刻な町だった。前町長の宮瀬哲伸は、標茶町を一大温泉郷に変えようと、客室百超のホテルを四棟建設した。これらのホテルは浴室を自由に、行ききできる設計になっている。宿泊客は四種類の温泉を、楽しむことができるのである。これが話題になり、標茶町は大いに賑わいをみせた。
ここまでが、標茶町の変革第一弾である。温泉郷への転換を図った前宮瀬町長が病で倒れ、息子の宮瀬幸史郎が町長職を受け継いだ。幸史郎は標茶町を、近代的な温泉、酪農、農業の町へとさらに変革したいと考えた。
役場には、三つの事業専任局を設けた。観光推進局長の瀬口恭二は、温泉郷のさらなる拡大と観光客の誘致。斉藤貢農業推進局長は、有機栽培とミスト栽培工場の新設。猪熊勇太酪農推進局長は、小規模酪農家を統合して株式会社組織への転換。それぞれの任を担った三局は、次々と役割を実行に移しつつある。
それぞれの事業については、次号以降で紹介させていただく。今回は観光推進局にスポットをあててみたい。
局長の瀬口恭二は、現町長の幼友だちである。二人は標茶高校時代に、議会で町の活性化プランを発表している。それが議会の承認が得られ、「標茶町ウォーキング・ラリー」という人気のイベントとなっている。
それが瀬口局長の手で、大きく改善された。標茶町には三百六十度の眺望を楽しむことができる、「多和平(たわだいら)展望台」がある。ところがほとんど人の訪れることのない、閑古鳥の鳴くスポットであった。
ウォーキングラリーでは本年から第二十六スタンプ所として、多和平が追加された。筆者は以前に足を運んでいるが、何もない活気のないところだった。
第二十五スタンプ所の標茶高校から、筆者は「どんそく号」というトラクターに引かれたマイクロバスに乗った。スピードを求められている時代に逆行するように、どんそく号は超低速で走る。前記のように、筆者には何の期待もなかった。
多和平に着いた。最初に目に飛びこんできたのは、巨大なクラーク像であった。たくさんの人が、その前で記念写真を撮っていた。
子どもたちの大歓声が聞こえた。触れ合いの小動物園があった。山羊、羊、リス、ポニー、アヒルなどがいて、子どもたちは柵のなかに入って、嬌声を上げていた。ポニーの乗馬コースもあった。小動物園の脇には、川魚水族館もあった。
信じられない変貌。閑古鳥の鳴いていた多和平は、みごとなレジャースポットになっていたのである。筆者のインタビューに答えて、宮瀬幸史郎町長は次のように語った。
「多和平は、標茶町大変革の序章に過ぎません。これから、すごいことが起こります。うちには瀬口という、クラーク博士がいます。そして斉藤と猪熊という屯田兵がいます。彼らは近いうちに、次々と新しい何かを、目に見える形に変えてくれます」
道東の風雲児といわれている宮瀬幸史郎町長を支えているのは、クラーク博士と二人の屯田兵のようである。次号を待たれ。(文責・宗像修平)
タウン誌「くしろ」に、標茶町の特集記事が掲載された。筆者は宗像修平である。
――標茶町の風雲児とクラーク博士
――驚くべき進化の陰に二人の男
こんな見出しの後に、次のような文章があった。
標茶町は、人口は約七千九百人と過疎化が深刻な町だった。前町長の宮瀬哲伸は、標茶町を一大温泉郷に変えようと、客室百超のホテルを四棟建設した。これらのホテルは浴室を自由に、行ききできる設計になっている。宿泊客は四種類の温泉を、楽しむことができるのである。これが話題になり、標茶町は大いに賑わいをみせた。
ここまでが、標茶町の変革第一弾である。温泉郷への転換を図った前宮瀬町長が病で倒れ、息子の宮瀬幸史郎が町長職を受け継いだ。幸史郎は標茶町を、近代的な温泉、酪農、農業の町へとさらに変革したいと考えた。
役場には、三つの事業専任局を設けた。観光推進局長の瀬口恭二は、温泉郷のさらなる拡大と観光客の誘致。斉藤貢農業推進局長は、有機栽培とミスト栽培工場の新設。猪熊勇太酪農推進局長は、小規模酪農家を統合して株式会社組織への転換。それぞれの任を担った三局は、次々と役割を実行に移しつつある。
それぞれの事業については、次号以降で紹介させていただく。今回は観光推進局にスポットをあててみたい。
局長の瀬口恭二は、現町長の幼友だちである。二人は標茶高校時代に、議会で町の活性化プランを発表している。それが議会の承認が得られ、「標茶町ウォーキング・ラリー」という人気のイベントとなっている。
それが瀬口局長の手で、大きく改善された。標茶町には三百六十度の眺望を楽しむことができる、「多和平(たわだいら)展望台」がある。ところがほとんど人の訪れることのない、閑古鳥の鳴くスポットであった。
ウォーキングラリーでは本年から第二十六スタンプ所として、多和平が追加された。筆者は以前に足を運んでいるが、何もない活気のないところだった。
第二十五スタンプ所の標茶高校から、筆者は「どんそく号」というトラクターに引かれたマイクロバスに乗った。スピードを求められている時代に逆行するように、どんそく号は超低速で走る。前記のように、筆者には何の期待もなかった。
多和平に着いた。最初に目に飛びこんできたのは、巨大なクラーク像であった。たくさんの人が、その前で記念写真を撮っていた。
子どもたちの大歓声が聞こえた。触れ合いの小動物園があった。山羊、羊、リス、ポニー、アヒルなどがいて、子どもたちは柵のなかに入って、嬌声を上げていた。ポニーの乗馬コースもあった。小動物園の脇には、川魚水族館もあった。
信じられない変貌。閑古鳥の鳴いていた多和平は、みごとなレジャースポットになっていたのである。筆者のインタビューに答えて、宮瀬幸史郎町長は次のように語った。
「多和平は、標茶町大変革の序章に過ぎません。これから、すごいことが起こります。うちには瀬口という、クラーク博士がいます。そして斉藤と猪熊という屯田兵がいます。彼らは近いうちに、次々と新しい何かを、目に見える形に変えてくれます」
道東の風雲児といわれている宮瀬幸史郎町長を支えているのは、クラーク博士と二人の屯田兵のようである。次号を待たれ。(文責・宗像修平)