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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

247:クラーク博士

2019-01-07 | 小説「町おこしの賦」
247:クラーク博士
 タウン誌「くしろ」に、標茶町の特集記事が掲載された。筆者は宗像修平である。

――標茶町の風雲児とクラーク博士
――驚くべき進化の陰に二人の男

 こんな見出しの後に、次のような文章があった。

標茶町は、人口は約七千九百人と過疎化が深刻な町だった。前町長の宮瀬哲伸は、標茶町を一大温泉郷に変えようと、客室百超のホテルを四棟建設した。これらのホテルは浴室を自由に、行ききできる設計になっている。宿泊客は四種類の温泉を、楽しむことができるのである。これが話題になり、標茶町は大いに賑わいをみせた。

 ここまでが、標茶町の変革第一弾である。温泉郷への転換を図った前宮瀬町長が病で倒れ、息子の宮瀬幸史郎が町長職を受け継いだ。幸史郎は標茶町を、近代的な温泉、酪農、農業の町へとさらに変革したいと考えた。
 役場には、三つの事業専任局を設けた。観光推進局長の瀬口恭二は、温泉郷のさらなる拡大と観光客の誘致。斉藤貢農業推進局長は、有機栽培とミスト栽培工場の新設。猪熊勇太酪農推進局長は、小規模酪農家を統合して株式会社組織への転換。それぞれの任を担った三局は、次々と役割を実行に移しつつある。

 それぞれの事業については、次号以降で紹介させていただく。今回は観光推進局にスポットをあててみたい。
局長の瀬口恭二は、現町長の幼友だちである。二人は標茶高校時代に、議会で町の活性化プランを発表している。それが議会の承認が得られ、「標茶町ウォーキング・ラリー」という人気のイベントとなっている。
 それが瀬口局長の手で、大きく改善された。標茶町には三百六十度の眺望を楽しむことができる、「多和平(たわだいら)展望台」がある。ところがほとんど人の訪れることのない、閑古鳥の鳴くスポットであった。

 ウォーキングラリーでは本年から第二十六スタンプ所として、多和平が追加された。筆者は以前に足を運んでいるが、何もない活気のないところだった。
第二十五スタンプ所の標茶高校から、筆者は「どんそく号」というトラクターに引かれたマイクロバスに乗った。スピードを求められている時代に逆行するように、どんそく号は超低速で走る。前記のように、筆者には何の期待もなかった。
 多和平に着いた。最初に目に飛びこんできたのは、巨大なクラーク像であった。たくさんの人が、その前で記念写真を撮っていた。
子どもたちの大歓声が聞こえた。触れ合いの小動物園があった。山羊、羊、リス、ポニー、アヒルなどがいて、子どもたちは柵のなかに入って、嬌声を上げていた。ポニーの乗馬コースもあった。小動物園の脇には、川魚水族館もあった。

 信じられない変貌。閑古鳥の鳴いていた多和平は、みごとなレジャースポットになっていたのである。筆者のインタビューに答えて、宮瀬幸史郎町長は次のように語った。
「多和平は、標茶町大変革の序章に過ぎません。これから、すごいことが起こります。うちには瀬口という、クラーク博士がいます。そして斉藤と猪熊という屯田兵がいます。彼らは近いうちに、次々と新しい何かを、目に見える形に変えてくれます」
 道東の風雲児といわれている宮瀬幸史郎町長を支えているのは、クラーク博士と二人の屯田兵のようである。次号を待たれ。(文責・宗像修平)

088cut:チームがまとまりつつある

2019-01-07 | 完全版シナリオ「ビリーの挑戦」
088cut:チームがまとまりつつある
――14scene:サブリーダー
影野小枝 ビデオ製作会社の打ち合わせです。
製作 サブリーダーを中心に、チームがまとまりつつある。ここからは、ゴールに向けて一直線の展開になる。
助監督 普通の会社の営業リーダーは、部下と1年間連携して攻略する先を、あらかじめ決めてあるものでしょうか。確かに漆原の説明はマトを得ています。しかし、マネしてみようと思ってもらえますかね? 合宿直後のシーンで説明していれば、もっとわかりやすかったと思います。
製作 その点は私も原作者にいったのだが……。
助監督 でも、原作者は頑な人で、ですか?
製作 まいったな、そのとおり。種明かしは、すぐにすべきではない。読者に考えさせることが大切だって、一蹴された。
監督 就任してたった2ヶ月で、ここまで変化するのは眉唾ものだ。このシナリオは、雑誌に連載されていたのでしょう。そのときの反響はどうだったのですか?
製作 すこぶるよかったみたいだ。ただし今回のビデオ化にあたり、大幅に加筆修正している。見こみ数字が引き上げられる場面は、雑誌連載時にはなかったものだ。
監督 仕事には3種類ある。上司と連携する先の目標数字は、必然的に高くなる。この部分はいただきだな。小さな目標を追いかけていると、その人まで小さくなっている。だからさりげなく目標を上げる仕掛けを、漆原は作ったんだな。
助監督 朝の漆原が描かれていたけど、奥さんやこどもは出てこないな。
製作 それも質問したけど……。
助監督 必要ない、っていわれましたか?
監督 きみは成長したよ。そのとおりだったみたいだ。

092:営業活動は量よりも質・起業する(5)

2019-01-07 | 知育タンスの引き出し
092:営業活動は量よりも質・起業する(5)
――第8講義:起業する
順調に走っていた私の肩を叩いたのは、新参の本部長でした。営業部の評価を「量」でおこなう。日報をマークシート方式に改める。突然上司として降臨してきたその人の施策のすべてに、反対しつづけました。

必然、肩叩きに遭遇することになります。サラリーマンですから、上司運が悪ければこういうことになります。窓際の席に追いやられ、仕事を奪われた私は、退職後にそなえて「営業リーダー道」に関する執筆をはじめました。同行道、会議道、面談道、日常道と書き進めながら、私のなきあとの営業組織を観察していました。

窓際での1年間。私は理想的なリーダー像とあってはならないリーダーのギャップを追及していました。そんなとき、支店長会議で革命的なできごとが起こりました。マークシートに改悪された日報で、訪問件数が低いとなじられた支店長が決起しました。

――量ではない。大切なのは営業活動の質です。

たちまち賛同の嵐が巻き上がり、私を窓際に追いやった上司は炎上してしまいました。私が執筆中の文章のタイトルを「質を測るものさしあります」と決めたのは、この瞬間からでした。本書はすでにエルゼビア・ジャパンから出版されています。

その後、伝説の「SSTプロジェクト」事務局長として、名人芸移植プロジェクトを経験することになります。きちんとした同行指導により、1年間で24%も業績を引き上げたプロジェクトです。雑誌「プレジデント」をはじめ、数多くのメディアで取り上げられましたので、読んだ方がいるかもしれません。(明日につづく)

宮原昭夫のこと

2019-01-07 | のほほんのほんの本
宮原昭夫のこと
大学時代に、宮原昭夫(1932年生まれ)を好んで読んでいました。『誰かが触った』(角川文庫)では、芥川賞を受賞しています。ご存知じゃない方も多いと思います。私はほとんどの作品を単行本で読んでいます。残念ながらそれらが、文庫化されることはあまりありません。どうしているだろうと調べてみました。
――横浜文学学校の講師として、村田沙耶香などを育てた。
そうか、がんばっているんだと嬉しくなりました。
山本藤光2019.01.07

ちんぷんかん

2019-01-07 | 知育タンスの引き出し
ちんぷんかん
「ちんぷんかん」は、何のことやらわからないときに用いられます。「ちんぷんかん」を漢字変換しようとしてもできません。珍粉漢、陳奮漢などは当て字で、正式な漢字は定まっていないようです。また語源についても諸説があり、これが本物という記述もありません。

――長崎の人が紅毛人の語がわからないことから言い始めたともいう。(広辞苑)
――もと儒者の用いた漢語をひやかした語とも、外国人の言葉の口まねからともいう。(GOO辞書)
これらも語源はあやふやです。
山本藤光2019.01.07

中国「戦争の準備を」

2019-01-07 | 妙に知(明日)の日記
中国「戦争の準備を」
中国の習首席が年頭から「戦争準備を」と物騒な発言をしています。これは貿易摩擦から安全保障の問題にまで拡大した米国と、一国二制度を受け入れない台湾を意識してのものです。民主主義国家にいる私たちには、信じられない国のトップの発言といえます。絶対に謝らない韓国とあわせて、二つの隣国からは今年も目が離せません。
山本藤光2019.01.07