ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』(ハヤカワ文庫、加賀山卓朗訳)
オールタイム不可能犯罪ミステリ・ランキング第1位! ロンドンの町に静かに雪が降り積もる夜、グリモー教授のもとを、コートと帽子で身を包み、仮面をつけた長身の謎の男が訪れる。やがて二人が入った書斎から、銃声が響く。居合わせたフェル博士たちがドアを破ると、絨毯の上には胸を撃たれて瀕死の教授が倒れていた! しかも密室状態の部屋から謎の男の姿は完全に消え失せていたのだ! 名高い〈密室講義〉を含み、数ある密室ミステリの中でも最高峰と評される不朽の名作が最新訳で登場!(アマゾン内容紹介)
◎密室ミステリーの最高峰
ジョン・ディクスン・カーを読まずしてミステリーを語るな。というわけでカーの代表作であり、密室ミステリーの最高峰といわれる『三つの棺』(ハヤカワ文庫、加賀山卓朗訳)を紹介させていただきます。
私の手元に文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)があります。それも1985年版と2013年版の2冊です。これを見比べると、評価の推移がわかります。『三つの棺』は26位だったのに、2013年版では16位に急上昇しています。これは近年、古典的ミステリーが見直されていることの証になります。
ジョン・ディクスン・カーは1906年にアメリカで生まれ、1977年に没しています。したがって死後40年になるのですが、その人気は衰えていません。『三つの棺』は「サンデー・タイムズ・ベスト100」に取り上げられています。私はそれを、丸谷才一監修『探偵たちよスパイたちよ』(文春文庫)で読んでいます。なぜ『三つの棺』を選んだのかについて、次のような説明がなされています。
――ここに描かれている怖しい雰囲気には常軌を逸するほどの迫力があること、謎ときそのものがカーのいつもの手腕さえ超える力量で構成されていること、そして密室トリックのさまざまなパターンについての「講義」が含まれていることである(同書P232、中野香織訳)
本書のなかでは、長々と「密室講義」(第一七章)がなされています。フェル博士という探偵役が講義をする形になっています。この章だけを抜粋して、さまざまな作家の密室談義に用いられているほどです。
『三つの棺』には、たくさんの伏線があります。しかし私はひとつも、謎解きの役には立てられませんでした。本書には巧みな、想像を超える仕掛けがあります。カーの作品には、賛否両論があります。私からすれば、謎解きは破綻のないものです。しかしあまりにもトリッキーな展開に、着いてこられない読者がいるためだといわれています。
カー作品は本書から入り、自分と波長があったら他に手を伸ばす方がいいかもしれません。「密室の総帥」と呼ばれるカーは、多くのミステリ作家に影響を与えています。それを探るのも、カー作品を読む魅力となります。
◎2つの不可能殺人事件
グリモー教授は仲間と、吸血鬼の話をしながら酒場で飲んでいます。そこに一人の男が割り込んできて、「三つの棺」という言葉を投げかけます。そしてグリモー教授に「近いうちに自分か弟が訪問することになる。弟はあなたの命をほしがっている」と続けます。男はグリモー教授にだけ顔を見せ、「奇術師・ピエール・フレイ」と書かれた名刺を渡します。
『三つの棺』はこの場面から、幕が上がります。グリモー教授は動揺し身を守るために、なぜか大きな絵を買い求めます。その絵には荒涼とした風景のなかに、三つの墓が描かれていました。
これらのいきさつを耳にしたフェル博士は、心配になってグリモー邸を訪れます。しかしグリモーの部屋から銃声が響き、そこには瀕死の状態でグリモー教授が転がっています。犯人は見あたりません。雪の降っていた夜ですが、どこにも人の足跡は見つかりません。グリモーが撃たれた部屋にあった絵は、荒々しく切り裂かれていました。病院に搬送されたグリモー教授は死に、こうして密室殺人事件が勃発します。グリモー教授がいまわの際に残した言葉を、著者はこう書いています。
――彼はたんに「煙突」と「花火」についてうわ言を言うばかりで、あとは何もしゃべりませんでした。(本文P313)
前記のように、このような仕掛けがちりばめられています。しかし翻訳された単語は原語とはちがうので、深読みしても意味はないと思います。
後段では、もう一つの不可能殺人事件が起きます。グリモー教授殺害の首謀者と目されていた、奇術師・ピエール・フレイが通りで殺害されます。目撃者が三人いますが、誰一人犯人を見ていません。また雪道には、フレイの足跡しかありません。しかも落ちていた拳銃は、グリモー殺害に使われたものだったのです。グリモー教授を殺害したのは誰なのか。フレイを殺害したのは誰なのか。フェル博士の怒濤の推理が始まります。
本書のストーリーは、あまり追わないことにします。なぜなら不可能な二つの殺害事件が、微妙に絡め合っている細部を説明したくないからです。多くの読者は結末部分の種明かしで、驚愕することでしょう。
『三つの棺』については、多くの作家が書評を書いています。それらを承知のうえで、キーティングは次のようにまとめています。
――ミステリ名作一〇〇選に、〈密室・不可能犯罪〉として知られる特別コーナーから作品を選ばなければ、完全なものとはいえないだろう。ほとんどあらゆる解説者によって、その分野における最高傑作と認められている作品がある。ジョン・ディクスン・カーの手になる『三つの棺』がそれだ。(キーティング『海外ミステリ名作100選』早川書房)
密室殺人の総帥・カーのひねくりまくった『三つの棺』は、考えつつじっくりと読み進めてください。どこかの時点で二つの不可能殺人事件を結びつけたなら、あなたは名人級の読者といえましょう。
山本藤光2019.01.12