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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)

2018-02-08 | 書評「は」の国内著者
橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)

あまりにも多くの人たちが日本の古典とは遠いところにいると気づかされた著者は、『枕草子』『源氏物語』などの古典の現代語訳をはじめた。「古典とはこんなに面白い」「古典はけっして裏切らない」ことを知ってほしいのだ。どうすれば古典が「わかる」ようになるかを具体例を挙げ、独特な語り口で興味深く教授する最良の入門書。(「BOOK」データベースより)

◎古典の読み方ステップアップ
 
 多くの人に、日本の古典をもっと親しんでもらいたい。ずっとそう思っています。古典文学を読むのは、国文学を専攻した私でもちゅうちょしてしまいます。日本人なら、せめて「古事記」「源氏物語」「枕草子」「徒然草」「小倉百人一首」「竹取物語」「伊勢物語」あたりの、上代・中古・中世(鎌倉時代)・近世(江戸時代)くらいの著作にはふれたいものです。そのための格好の古典文学の入門書があります。
 
 橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)は、語り調で平易な案内をしてくれています。さらに、阿刀田高監修『日本の古典50冊』(知的生き方文庫)を併読すれば、難解な古典でも「読んでみようかな」という気持ちになります。いきなり原書を選ぶ人はいないでしょうが、できるだけ「口語訳」「新訳」などの冠がついた著作を手にしたほうが楽に読むことができます。
 
 近代(明治)以前の著作について、私が薦めるステップアップ読書法はつぎのとおりです。

【古事記】
1阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)。
2福永武彦訳『現代語訳・古事記』(河出文庫)
3三浦佑之訳・注釈『完全版・口語訳古事記』(文藝春秋)

【源氏物語】
1.橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫)
2.西村亨『源氏物語とその作者たち』(文春新書)
3.与謝野晶子『全訳源氏物語』(全5巻、角川文庫)

【枕草子】
1田辺聖子『むかし・あけぼの・小説枕草子』(角川文庫)
2橋本治『桃尻語訳・枕草子』(上中下巻。河出文庫)
3角川書店編『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラッシック日本の古典)

【徒然草】
1荻野文子『ヘタな人生論より徒然草』(河出文庫)
2斉藤孝『使える徒然草』(PHP新書)
3角川書店編『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラッシック日本の古典)
 
【小倉百人一首】
1吉海直人『こんなに面白かった百人一首』(PHP文庫)
2高信太郎『3日間で覚えられる百人一首』(講談社アルファ文庫) 
3白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫)

【竹取物語】
1星新一『竹取物語』(角川文庫)
2北杜夫『竹取物語』(「21世紀少年少女古典文学館2」、俵万智「伊勢物語」併載、講談社)
3角川書店編『竹取物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラッシック日本の古典)
4川端康成『竹取物語』(新潮文庫絶版)

【伊勢物語】 
1俵万智『恋する伊勢物語』(ちくま文庫)
2津島佑子『伊勢物語・土佐日記を旅しよう』(講談社文庫絶版)
3角川書店編『伊勢物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラッシック日本の古典)

◎古典はやさしいものです

古典は難しくない、やさしいものです。橋本治は、さまざまなたとえを駆使して、古典を身近なものに見せてくれます。私は源氏物語を、瀬戸内寂聴『源氏物語』(全10巻、講談社文庫)を通読しました。口語訳なので、すいすい読むことができました。そこで満足していたら、橋本治『窯変源氏物語』(全14巻、中央公論社、現・中公文庫)が出版されました。読んでみて納得しました。原文を超えたいわゆる「超訳」のおもしろさを実感したのです。
 
 それからは前記のように、橋本治の『桃尻語訳枕草子』(全3巻、河出文庫)や『双調平家物語』(全16巻、中公文庫)を読みあさったのです。そしてはまりました。橋本治の文章は、難解な古典に糖衣がけしてくれたのです。

超訳の楽しさを知ってから『痛快世界の冒険文学』(全24巻、講談社)を買いそろえ、現代作家の踊るような文章を楽しんでみました。第1回配本の「志水辰夫・文/原作ベルヌ『十五少年漂流記』などには、原作の魅力とは異なる共感を覚えたものです。

 橋本治『これで古典がよくわかる』の魅力を、一部紹介させていただきます。全編がこのように平易な記述になっています。古典ぎらいにとって、こんなにわかりやすい入門書は存在しないと思います。

――紫式部は、清少納言以上に漢詩や漢文にくわしい人です。その彼女が清少納言をいやがるのは、「女が漢字にまつわる知識をふりまわすのはみっともない」という〈美学〉があったからでしょう。(本文P75より)

――今じゃ、和歌というものは〈お勉強〉ですが、昔は和歌というものが〈生活必需品〉でした。いくら「中国製の文化」がえらいということになったって、〈生活必需品〉には勝てません。「日本製の和歌というのはいいものだ。和歌というものは、人間の心を伝える大事なものである」という〈文化的な気運〉が生まれて、『古今和歌集』という「国家事業」は生まれるのです。(本文P79より)

 鶴岡八幡宮の巨木が倒壊しました。本書はそれ以前に書かれているので、こんな文章には笑ってしまいます。

――「歴史は暗記ものだからたいへんだ」と思っている人だって、「頼朝、頼家、実朝」の「源氏三代将軍」ぐらいは暗記しているでしょう。おまけに、実朝は暗殺されていて、鶴岡八幡宮には、彼を暗殺しようとした公暁(くぎょう)が隠れていたと伝えられる大いちょうの木だってまだ残っているんです。(本文P154より)

◎ちょっと寄り道

橋本治は東大の大学祭で、つぎのような立看板にコピーを書いて、有名になりました。
――とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く

 そして小説でのデビュー作『桃尻娘』(ポプラ文庫)を発表します。女子高生の口語体を駆使した本書は、文壇からは評価されませんでしたが、若者からは圧倒的な支持を受けました。

――今日、アレが来た。アー、ホントにやっと来たって感じでサ、よかったよかった、心配してたのよねえ、だって新学期からズーッとなかったのよ。そりゃ、いつもキッチリ来るわけじゃないけどサ、「アー、ヤバイヤバイどうしようかな」って思いかけてたの。数一の時間、「アッ、来るッ!」って突然分かってサ、もうホントに声出しそうになっちゃった。アー、よかった。(本文P8より)

 引用文庫では「数一の時間」となっています。初出「小説現代Gen」第3号では、「数二の時間」となっていたようです。雑誌は読んでいませんけれど、清水良典『最後の文芸時評』1999年四谷ラウンドの引用ではそうなっていました。橋本治はなぜ、文庫化にあたり「数二」にしたのでしょうか。あるいは、清水良典の引用ミスなのでしょうか。考えこんでしまいました。

◎『たけくらべ』をすらすら読むことができる人へ
 
 樋口一葉『たけくらべ』(新潮文庫)は難解だと書いたら、「そんなのすらすら読めてあたりまえだろう」という叱責メールをいただきました。さらに「原書を1冊読めば、樋口一葉くらい楽勝だよ」と重ねられました。そんなすごい人とは、つきあいたくありません。私には世間並みの知力しかありませんし、だいいち苦労して原書を読むなどという時間ももちません。
 
 したがって、こんな稚拙なブックガイドしかできないでいるのです。ごめんなさい。
(山本藤光:2010.05.08初稿、2018.02.08改稿)

半村良『晴れた空』(上下巻、祥伝社文庫)

2018-02-04 | 書評「は」の国内著者
半村良『晴れた空』(上下巻、祥伝社文庫)

戦災孤児たちの奮闘を描く。感涙、感動の物語。なぜだろう。東京大空襲のあと、そして終戦、東京はよく晴れた日が続いた…。/ 東京大空襲後に訪れたしばしの青空。親も家も失った浮浪児たちが、一人、また一人と上野の地下道に集まってきた。スリ、かっぱらい、モク拾い……生き馬の目を抜くような廃墟と闇市の中を餓死せず生き抜くために、八人は団結を誓った。そして彼らと手を取り合い、また庇護(ひご)する温かく美しい子連れの未亡人、特攻帰りの男……。大きな感動を呼ぶ大河ロマン、ここに登場!。(アマゾン内容紹介より)

◎できればSFで直木賞を

半村良の筆名は、イーデス・ハンソンに由来する。そんな風説を信じていましたが、弟子であるパスティーシュ小説作家の清水義範が否と打ち消していました(半村良オフィシャルサイト「半文居」より)。
半村良は伝奇小説・伝奇SFの開祖です。安直な筆名をつけたものだと思っていたので、少し救われた思いになりました。後日のことですが、友人も「本人が講演で完全否定していたぞ」と教えてくれました。

半村良は30ほどの職業を転々とし、29歳の時に「収穫」でハヤカワSFコンテスト第3席にはいり、小説家デビューしています。「収穫」は、角川文庫『およね平吉時穴道行』(絶版)に所収されています。そのころのことを半村良自身がつぎのように語っています。

――たまたまSFという分野がその当時勃興していまして――勃興というか、芽を吹いたばかりのときで、あるSFの最古参の専門誌が日本人作家を育成しようとして懸賞募集をしていたんです。(KADOKAWA夢ムック『半村良』河出書房新社、P62)
 
 半村良は第2回の募集で、小松左京と共に入選します。筒井康隆は佳作だったようです。

それから約10年、半村良が本格的に認められたのは、星雲賞(SF作品に与える賞)を受賞した『石の血脈』(早川書房1971年、現・集英社文庫)の上梓からです。

そして1975年『雨やどり』(集英社文庫)で、SF作家としてはじめて直木賞を受賞しました。星新一(推薦作『ボッコちゃん』新潮文庫)、小松左京(推薦作『日本沈没』上下巻、小学館文庫)、筒井康隆(推薦作『家族八景』新潮文庫)らは、直木賞を受賞していません。半村良は直木賞受賞後、「できればSF作品でとりたかった」と慨嘆しています。

『雨やどり』は、風俗小説にジャンル分けできる短篇集です。私は個人的に、半村良のこのジャンルが好きです。『岬一郎の抵抗』(全3巻、集英社文庫、日本SF大賞)もいいのですが、半村作品をランクづけせよといわれれば、『晴れた空』『雨やどり』『岬一郎の抵抗』という順序になってしまいます。

半村良が描くSFの世界にも、随所に人情の機微が登場します。いくつもの職業を経験した作家だからこそ、精密な人情の世界を知りぬいているのでしょう。

◎8人の浮浪児の成長物語

 焦土となった上野駅の地下道に、8人の浮浪児グループがいました。彼らはいずれも小学生で、住まいも家族も失っています。『晴れた空』は、そうした8人の成長物語です。彼らは生きるために、盗みやモク拾いをくりかえします。国や大人にたよっていても、なにひとつ救いの手を差しのべてくれません。

 そんな彼らはひょんなことから、幼い女児を抱える美しい未亡人・吉野静子や特攻帰りの男・前田とスクラムを組むことになります。未亡人は彼らの盗品を、唐草模様の風呂敷の上で売ります。特攻帰りの男は、陰になり日向になって闇の商いを支えます。

半村良は終戦直後の闇市を、実にたんねんに描いてみせます。生きることに精いっぱいの世界に、ほのかな希望の明りがともります。

 未亡人・吉野静子の夫は、海軍特務機関の中佐でした。戦死とされていましたが、国家のきなくさい中枢とのつながりがほの見えてきます。特攻帰りの前田にも、国家の闇という泥濘から引きずる臭いがただよっています。

焼けだされて、地下道で身を寄せ合う人々。敗戦を食いものにして、暗躍する国家権力に近い人群れ。当時の世相にスポットをあてつつ、半村良はその背後の闇を照らしてみせます。

『晴れた空』は、集英社文庫(上中下巻)と祥伝社文庫(上下巻)の2種類がありますが(いずれも絶版)、電子書籍kindleでも読むことができます。
 
ストーリーは冒頭の内容紹介のとおりです。途中で結末が推測できて、ページをめくるのをちゅうちょしてしてしまいました。愛くるしくて、ふてぶてしい浮浪児たちが、終戦の動乱時期をいかに駆け抜けたのか。読者は感動の涙を流しながら、最後に大きなため息をついて、本を閉じることになるでしょう。

半村良作品には、前出の小松左京や筒井康隆とは異質の「伝奇」という基盤があります。本来ならそちらの作品を紹介したいのですが、私は「市井物」を高く評価しています。半村良ファンの読者には申し訳ありませんが、1著者1作品の紹介が原則ですのでお許しください。

最後に「SF作家クラブ」創設のときの笑い話でしめます。これも前出の『KADOKAWA夢ムック「半村良」』で本人が語っていることです。初代の事務局長になった半村は、例会の会場の予約をとります。

――よく入り口に宴会のご案内として、黒い板に白い文字で「何々様御席」なんていうのがございますけれども、あれにSF作家クラブとオーダーを入れたら、「SFサッカークラブ」と片仮名で書かれたことがございまして(笑)、サンフランシスコの蹴球チームが宴会をしに来たのではないか、と思われるような時代もございました。
(山本藤光:2014.08.13初稿、2018.02.04改稿)

花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)

2018-02-01 | 書評「は」の国内著者
花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)

お仕着せの方法論をマネするだけでは、真の知的創造にはつながらない。偉大な先達が実践した手法から実用的な表現術まで盛り込んだ伝説のテキスト。(内容紹介より)

◎ついに文庫化されました(2015.08.14追記)

花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)が、ついに文庫化されました。せっかく推薦していても、絶版で入手が困難な本でした。私がどれほどほれこんでいる本なのかについては、以下の単行本の書評をご覧ください。

花村太郎については、私の近著『仕事と日常を磨く「人間力」マネジメント』(医薬経済社、2015年発売)のなかでも紹介させていただいています。花村太郎は私の4つの資産のなかの「人財資産」として、野中郁次郎先生、川喜田二郎先生、梅棹忠夫先生、西堀栄三郎先生と並んで、著作はいつも書棚の特等席に置いてあります。

以下、過去に発信した書評です。

◎いちばんお世話になっている本

生涯でいちばんお世話になっている本が、花村太郎『知的トレーニングの技術』(JICC)です。本書は、三省堂『新明解国語辞典』などと並べて、いつも目の前においてあります。すでに絶版で入手は困難になっていますので、できるだけていねいにエキスをご紹介させていただきます。

本書は私の著作で、何度も紹介させてもらっています。セミナーの講演でも、本書はスライドで紹介させてもらっています。どこの出版社も軽装版に踏みきってくれませんので、拙文でアピールをかねることにします。

花村太郎にかんする情報も、とんと見当たりません。私が知っているかぎり、花村太郎は筆名で、本名は長沼行太郎といいます。都立高校の国語の先生をしながら、近代文学、文章論、メディア論の研究を重ねていました。花村太郎の名前で検索しても、『知的トレーニングの技術』しか見あたりません。本名の長沼行太郎では、つぎの著作を上梓しています。ただしテーマが限定されているので、『知的トレーニングの技術』ほどのインパクトはありません。
1998年『思考のための文章読本』(ちくま新書。補:最近ちくま学芸文庫になりました)
2006年『嫌老社会』(ソフトバンク新書)

『知的トレーニングの技術』は、「志を立てる」「人生を設計」するからはじまり、「読み・書き・考える」技術に触れています。冒頭の部分を紹介しましょう。(補:文庫ではこの見出しになっていません)

――情報のメモ魔・整理魔になってデータの山にうずもれ、しまいには何のための情報整理かわからなくなってしまう――知的ノウハウの最大の弊害がこれで、はっきりいってこれは、情報整理ごっこでしかない。永遠に準備体操をつづけるようなものだ。たとえば、コンマ1ですむデータに、コンマ3までの情報を求めることは無駄である。この計算に要した時間はまったくの空費だ。(イントロダクションより)

本書は赤線にまみれています。もう何度も読み、そのつど共感を新たにしています。『知的トレーニングの技術』は、1冊の本から知が広がる仕組みになっています。引用された原書に触れる楽しみが満載です。本書をつうじて、南方熊楠や幸田露伴を追っかけることになりました。おかげで現代日本文学を読む量が、激減してしまったほどです。

――世界中の古今の書物から自在に引用して<ミスター・クマグスこそウォーキング・ディクショナリー(生き字引き)だ>とロンドンに集まった学者たちを驚かせた、南方熊楠の博引旁証は、この終生つづけた書写術のトレーニングのたまものだったのだ。さすがの柳田国男も、「我が南方先生ばかりは、どこの隅を尋ねて見ても、これだけが世間なみといふものが、ちょっと捜し出せさうにもないのである(後略)」と驚嘆している。(本文P167より)

前記のような記述から、私は「南方熊楠」「柳田国男」を学ぶことになります。するとそれは「宮本常一」にまで広がり、「民俗学」へとたどり着きます。ふと気がつくと、「梅棹忠夫」や「西堀栄三郎」にまで行き着いているのでした。

私は営業リーダー研修を、仕事にしていました。そこで使うテキストの骨格は、花村太郎から学んだものです。探し出してでも読んでもらいたい本、それが花村太郎『知的トレーニングの技術』なのです。私は執筆にあたって、花村太郎の教えを大切にしています。

◎赤線+マーカー箇所の虫干し

花村太郎『知的トレーニングの技術』(JICC)のなかで、私が赤線のうえからラインマーカーをぬった文章をいくつか紹介させていただきます。これらはすべて私の「知育タンス」(共感した文章のファイル。懐かしく甘美な命名をしています)におさめてあります。冒頭のキーワードは、私がつけた見出しです。検索用につけてあります。

【知への渇望】
 知への渇望がぼくらのなかに眠っていて、それが疑問や不安や痛みのかたちであらわれている。(「知的スタート術」より)

【遅読】
速読法の目的は、不要な本を早めにとりのけて、ゆっくり読むべき本を発見することにあるのであって、読書の根本は、「遅読」にある。(「知的スタート術」より)

【暗黙知】
道具をつくること(発明)とそれをつかいこなすこと(熟練)。ひとによってこのふたつのどちらかをより好むタイプがあると思うけれど、現代社会の歩みをみると、前者の道、つまり技術革新(イノベーション)によって、カンやコツにたよる熟練労働を不要とする方法がとられてきた。でもこの方法が知の分野でもおこなわれると、知的活力は退化してしまう。制度や組織やシステムばかりにたよって、個人の知の主体的力量をたかめるトレーニングがおこなわれなくなるからだ。(「知的スタート術」より)

【学ぶ】
学ぶという言葉の語源は、もともと真似るということなのだから、模倣と変形のトレーニングをしているうちに、自分の発想の独創性も育っていく(「発問・発想トレーニング法」より)

【研究テーマ】
知的生産を志すぼくらは何かひとつテーマを決めて、それのコレクターになろう。これがそのテーマの権威者なるための一番の近道だ。(「あつめる」P102より)

引用しはじめると、本1冊分になりそうです。このあたりでやめます。花村太郎『知的トレーニングの技術』(JICC)は、古書店でみつけるしか方法がありません。いまアマゾンで検索してみました。在庫8冊で最低価格は6500円でした。うーむ。

◎声をからしての応援(2015.09.14追記)

ついに文庫化されました。本日から胸を張って「読め」と薦めることができます。花村太郎とは、まだお会いしたことはありません。しかしいつでもアポなしで学ぶことができる、私の大切な恩師なのです。

(山本藤光:2011.05.22初稿、2014.11.20改稿、2015.09.14追記、2017.11.26最終稿)