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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

やまかん

2019-03-11 | 知育タンスの引き出し
やまかん
「やまかん」は、あてずっぽうな勘を意味します。この言葉の語源は2説あります。戦国時代に戦略にたけた、山本勘助という武士の名前から。もうひとつは鉱脈を発見する山師の勘から。私は後者だと思います。ちなみにタイトルの「やまをはる」は、この山勘が転じた言葉です。(この記事は『目からウロコ、日本語がとことんわかる本』講談社α文庫を参考にしました)
山本藤光2019.02.10

躾け

2019-03-11 | 知育タンスの引き出し
躾け
■躾の由来
「躾け」の由来を知りました。この漢字は日本で作られたもので、中国にはありません。もっとも、中国人には無用の漢字なのですが。着物を仕立てるときにずれないように、「しつけ糸」を使います。「しつけ」という言葉はここからきています。人間的にほころびがないように教育すること、なのですね。(『語源3』青春出版社文庫をまとめました)
山本藤光2019.03.11
■美しい漢字「躾」
「躾」という字が好きです。しつけは、身を美しくと書きます。人間としての礼儀作法が、「躾」です。最近の人間や社会を見ていると、完全にこの文字が欠落しています。
政治や家庭や教育現場の怠慢。それらが美しい文字を、塗りつぶしてしまったのでしょう。日本人はいつから、こんなにひどくなったのでしょうか。「不躾」状態になってしまいました。

「清貧」という言葉も好きです。

世の中に「製品」が満ちあふれ、いつの間にか「清貧」なる言葉が消えてしまいました。「躾」と「清貧」。大切にしたい言葉です。中野孝次には『清貧の思想』(文春文庫)という著作があります。一切を捨てきったときに、心の充実が訪れるという思想です。

最近では「沈潜」という単語にフォーカスがあたっています。意味は「、心を落ち着けて深く考えること。また、深く没入すること。「詩作に沈潜する」(デジタル大辞泉)

きれいな単語だと思います。

山本藤光2017.12.02初稿、2019.03.10改稿

2019-03-10 | 知育タンスの引き出し

「躾」という字が好きです。しつけは、身を美しくと書きます。人間としての礼儀作法が、「躾」です。最近の人間や社会を見ていると、完全にこの文字が欠落しています。
政治や家庭や教育現場の怠慢。それらが美しい文字を、塗りつぶしてしまったのでしょう。日本人はいつから、こんなにひどくなったのでしょうか。「不躾」状態になってしまいました。

「清貧」という言葉も好きです。

世の中に「製品」が満ちあふれ、いつの間にか「清貧」なる言葉が消えてしまいました。「躾」と「清貧」。大切にしたい言葉です。中野孝次には『清貧の思想』(文春文庫)という著作があります。一切を捨てきったときに、心の充実が訪れるという思想です。

最近では「沈潜」という単語にフォーカスがあたっています。意味は「、心を落ち着けて深く考えること。また、深く没入すること。「詩作に沈潜する」(デジタル大辞泉)

きれいな単語だと思います。

山本藤光2017.12.02初稿、2019.03.10改稿

「思う」と「考える」

2019-03-10 | 知育タンスの引き出し
「思う」と「考える」
講演を終えたとき、受講者から次のようにいわれました。
「先生の著書をすべて読んでみようと考えています」

何だか違和感を覚えました。なぜ「思います」といわないんだろうか。気になってネット検索してみました。あるは、あるは。賢い方の考察が山ほどありました。
私たちが何気なくつかっている「思う」と「考える」。私が違和感を覚えたのは、「考える」のなかに逡巡を感じたからです。できれば「思います」といってもらいたかった。

以前に誰かの文章読本で読んだのですが、次の問いを考えてみてください。次の点線部分に、「思う」か「考える」を入れてください。

問題「○○駅前のマンションを購入したいと……。」

 いかがですか。悩んでしまった人が多いことでしょう。○○駅前には、複数のマンションがあります。
この人が購入すべきマンションを特定していれば、「思う」となります。
駅前ということだけを決めていて、そのなかのどれかを購入したい場合には「考える」となります。

「思う」は胸のなかで、ある1つのイメージを大切にしているときに用います。つまり「駅前の〈あの〉マンションを購入したい」というときの用語です。
一方、「考える」は、あれこれ比較しているときに用います。「駅前の〈あれ〉にしょうか、〈これ〉にしようかと、まだ迷っている」状態のときの用語となのです。

日本語って、難しい。プロポーズのときに、「あなたをぼくの嫁さんにしたいと考えています」などとはいわないように。
山本藤光2019.03.10

評価

2019-03-09 | 知育タンスの引き出し
評価
(1)人生最初の「評価」
人生は膨大な数の「評価」の砲弾を受けながら営まれています。産まれたときに婦人科の看護師から「元気な男の子です」と告げられた両親が、満面の笑みを浮かべるのか、多少の無念さをにじませるのか。この瞬間がきみの受けた最初の「評価」の洗礼といえます。
ただし評価者である両親は、きみの性別に対する評価は寛容であるのが普通です。それ以前に「五体満足である」との知らせのほうにこそ、大きな関心が向いているせいでしょう。

生まれたてのきみは、乳児保育室で管理されます。同時期に生まれた何人かのなかの一人として、きみは開放的で健やかな呼吸を謳歌しています。きみの祖父母にあたる人たち、つまりおじいさんとおばあさんが初孫との対面にやってきます。
きみのお父さんは、赤い繭玉のように並ぶ列からきみを指さして「しゅんちゃんです」と告げます。
「まあ、かわいいこと。目鼻立ちがあんたにそっくりだね」
おばあさんは相好をくずして、ガラス窓に顔を押し当てるようにしていいます。これがきみの受けた二つ目の「評価」となります。本当のきみは猿に似ているはずです。産まれたての赤ちゃんはみんな同じです。おばあさんの下した評価は、「よい天気ですね」というあいさつとかわりありません。
「かわいい」のあとにつづく「あんたにそっくり」も、かわいい理由を補ってのものではありません。つまりきみが受けた最初の「評価」は、根源的にくだされたものではないということです。

きみは両親の愛情に包まれ、すくすくと成長します。ベビーカーに乗ったきみをのぞきこんで、近所の奥さんたちが「かわいいわね」といいます。このあたりになると、若干のお世辞も含まれますが、他の赤ちゃんとの比較の上での発言も混在しはじめるます。
この際の評価の対象となるのは、白というよりも青味がかった瞳の大きさです。もちろん「黒々とした頭髪」や「しっかりと自己主張している鼻梁」に評価が向かうこともあります。ただしきみが受けた評価に関して、きみ自身はまったくあずかり知らぬことなのです。
山本藤光2018.01.03初稿、2019.03.09改稿

かっこ悪い

2019-03-08 | 知育タンスの引き出し
かっこ悪い
閑古鳥が鳴く。私も小説のなかで用いたことのある表現です。閑古鳥ってどんな鳥のことなのでしょう。調べてみると、カッコウ(郭公)のことでした。
郭公は5月中旬から7月中旬までしか鳴かないようです。したがって忘年会シーズンなどで、「この店、閑古鳥が鳴いている」というのは誤用となります。
郭公はずるい鳥で、自ら巣作りはしません。他の鳥が産卵したら、卵を一つ抜き取り自分の卵を一つ入れます。これを繰り返して、他の鳥の巣をすべて抜き出し、完全独占してしまいます。他の鳥の卵は、自らの背に乗せて巣外に放り出すようです。エサは他の鳥が、郭公の雛に与えます。恰好悪いは、郭公、悪いから生まれた言葉なのでしょうか。えげつない鳥でした。
山本藤光2018.02.24

角打ち

2019-03-08 | 知育タンスの引き出し
角打ち
ネットニュースに、次のような見出しがありました。
――全国初、コンビニ“角打ち” 250種類のお酒提供 博多駅前のポプラ(西日本新聞)

「角打(かくう)ち」の意味がわからず、調べてみました。
――酒を枡(ます)で飲むこと。また、酒屋で買った酒をその店内で飲むこと(広辞苑)

「広辞苑」にはそれしか書かれていません。イメージとしては枡で酒を飲むときに、角を口に当てるところからの名称でしょう。
山本藤光2019.03.08

暖簾に腕押し

2019-03-07 | 知育タンスの引き出し
暖簾に腕押し
(1)暖簾に腕押しの意味をはじめて知りました。愛読書の『面白すぎる雑学知識2』(青春文庫)によると「腕押し」は腕相撲のこととありました。ただしネット検索では、腕相撲と結びつけられているものは発見できませんでした。「糠に釘」や「豆腐にかすがい」なども同じような意味です。
山本藤光2018.05.07
(2)「暖簾に腕押し」についての記述を発見しました。やはり「腕相撲」のことでした。

――腕相撲をする時は双方に同等程度の力があってこそ面白みがあるが、相手が暖簾では何の手ごたえもないということから。
相手が暖簾のように力もなく対抗心も持たなければ、競おうとする時に何の張り合いもないということ。(故事ことわざ辞典)
山本藤光2019.03.07

ありがとう

2019-03-07 | 知育タンスの引き出し
ありがとう
(1)「ありがとう」の記録 
私は33歳のときに、希望してMR(製薬会社営業マン)に転籍させてもらいました。上司の同行もなく、孤独でプレッシャーのかかった毎日でした。

病院の医局に行くと、ドクターは近寄りがたい存在でした。それ以上にソファーでくつろいでいるドクターを取り囲むように立っている、他社MRの数に圧倒されていました。

壁のシミという言葉があります。壁に背をつけたまま、一歩も語らいの輪に入りこめませんでした。優秀な他社MRの観察をすることにしました。少しでも、MR活動を学ぼうとの意図からです。

そんなとき、「ありがとう」という野太い声が聞こえました。何かを受け取ったドクターが、他社MRに発した声でした。これだと思いました。ドクターに感謝される仕事をしよう。そのためには、ドクターニーズを探らなければなりません。

その後私は、手帳に「ありがとう」というページをつくりました。「ありがとう」といってもらったら、ドクターの名前と案件を記録するのです。このページは、次第に増殖をはじめることになります。そしていつもどん尻を走っていた私を、トップクラスに押し上げる力になりました。
山本藤光2018.01.10初稿、2019.03.07改稿

(2)「ありがとう」の語源
「ありがとう」の語源は、ポルトガル宣教師がもたらしたobrigado(オブリガード)だという説を、真っ向から否定した文章がありました。

――「ありがとう」は形容詞「ありがたし」の連用形「ありがたく」の音便。「ありがたし」は「有り難し」で、めったにないことや貴重であることをいう。(中略)江戸時代ころに、今のような一般的な感謝のことばへと変わったようだ。(続日本語知識辞典)

この文章に触れてほっとしました。「ありがとう」や「おもてなし」は日本生まれに決まっています。
山本藤光2018.06.11初稿、2019.03.07改稿

遊び心

2019-03-06 | 知育タンスの引き出し
遊び心
「遊び心」という言葉が好きです。遊び心の大切さを説くと、企業人時代は「不真面目」「不謹慎」と一蹴されました。
「広辞苑」を調べても、「遊びたい気持ち」「遊び半分」としかでていません。これでは私のイメージとは大きく異なります。だから、あまり「遊び心」をいわなくなっていました。そんなときに、次の文章に出合いました。思わず、うむむ、これだ、と思いました。

――人間がものを考えるときには、詩が付きまとう。ユーモア、アイロニー、軽み、あるいはさらに極端に言えば、滑稽感さえ付きまとう。そういう風情を見落としてしまったとき、人間の考え方は堅苦しく重苦しくなって、運動神経の楽しさを失い、ぎこちなくなるんですね。つまり遊び心がなくちゃいけない。でも、これは当たり前ですよね、人間にとっての最高の遊びは、ものを考えることなんですから。(丸谷才一『思考のレッスン』文春文庫P219)

 引用した「アイロニー」も広辞苑とニュアンスとは違います。丸谷才一はアイロニーを、アナロジーに近い形で表現しているのです。「遊び心」は伝えにくいのですが、何となく大切に思っている言葉です。それにしても、丸谷才一は鋭い。

以前、児玉清が「コモレバWEB」(昭和を生きた大人のWEBマガジン)に「遊び心」という文章を書いていました。幼稚な大人たちが跋扈(ばっこ)する現在を憂い、三十年前には「遊び心」が存在していたと結んでいました。「遊び心」を協調性の潤滑油、と捉えていたようです。すばらしい見識だ、と感心した記憶があります。

この原稿を書き終えたあと、朝日新聞夕刊(一月二十二日)で、森永卓郎の「仕事は遊びだ」というコラムに出合いました。森永卓郎はピケティよりも四半世紀前に、「遊び心」で格差社会の出現に迫っていたのです。
山本藤光2018.01.23初稿、2019.03.06改稿