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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

目白押し

2018-12-21 | 知育タンスの引き出し
目白押し
「目白押し」という言葉があります。人や物が混み合っている状態をいいます。この語源をご存知ですか。読んで字のごとし、なのです。

――(鳥の)目白が仲間と枝に止まるとき、押し合うように間を詰めて並ぶことから(日本語知識辞典)

納得の解説です。ただし私は、メジロの群れを見たことがありません。メジロはときどき庭にやってきます。本当に目の周りが白いので、すぐに識別できます。ただしいつも一、二羽でしか飛んできません。仕方がないので、ネットで画像を確認しました。ほのぼのとした可愛い姿でした。
山本藤光2018.04.16

裸一貫

2018-12-21 | 知育タンスの引き出し
裸一貫
「裸一貫」の「貫」は、重さのことではない。こんな見出しを見て、ありゃりゃと思いました。私はそう思っていたのです。

――「裸一貫」の一貫は、「終始一貫」の「貫」のことで、一筋に貫くことをいう。(「語源2」青春出版文庫)
山本藤光2018.12.21

がんばる

2018-12-20 | 知育タンスの引き出し
がんばる
「がんばる」には、「頑張る」という漢字をあてています。しかし江戸時代までは、「眼張る」と書いていたようです。また「我張る」という漢字も使われていたようです。日本語倶楽部編『語源2・面白すぎる雑学知識』(青春社文庫)読んでいて、江戸時代の漢字の方が、イメージにあっているなと思いました。
山本藤光2018.10.07

わざ

2018-12-20 | 知育タンスの引き出し
わざ
人間わざとは思えない。この「わざ」を漢字にしなさい。こんな問題がありました。「技」なのか「業」なのか、わかりますか。

――技は両手の多くでものをつくるという意味の文字です。「業」は楽器の板をつくるという意味の文字です。(日本社『目からウロコ!日本語がとことんわかる本』講談社α文庫)

この解説はちょっとわかりにくいと思います。「新明解国語辞典」の方がわかりやすいと思います。

――枝:人並み以上の修練を経て得られる技術・技法。
――業:能力の範囲でやれること。

つまり問題の正解は「業」になります。
山本藤光2018.12.20

思惑

2018-12-19 | 知育タンスの引き出し
思惑
「思惑」。この漢字を、私はずっと「おもわく」と読んでいました。ある人と話をしていて、彼が連発する「しわく」という言葉が耳に障りました。

最初のうちは、意味がわかりませんでした。何度目かの「しわく」で、彼は「おもわく」を間違えて覚えているのだと思いました。
あるいは私の「おもわく」の方が、間違っているのだろうかと不安になりました。

調べてみました。2つは異なる意味で用いられています。漢字を当てれば、同じなのですが。「しわく」は仏教用語で、世間の事物に対する迷情。

「おもわく」は、思うこと、考え、意図などとありました(広辞苑第五版を参考にしました)。どうやら「しわく」は、あまりポジティブな表現ではないようです。
山本藤光2018.02.07

ぜいたく

2018-12-19 | 知育タンスの引き出し
ぜいたく
「ぜいたく」について、いいなと思っている文章があります。おすそわけさせていただきます。

――人は誰でも病気になる。病気にかかってしまうと、その苦悩は耐えがたい。だから、医療を忘れてはならない。衣食住に薬を加えた四つのものが手に入らない状態を貧しいという。この四つに不足のない状態を富んでいるという。この四つ以外のものを求めてあくせくするのを贅沢というのである。(荻原文子『ヘタな人生論より徒然草』第123段・河出書房新社)

『ヘタな人生論より徒然草』は「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介済みです。
山本藤光2018.12.19

曖昧模糊

2018-12-18 | 知育タンスの引き出し
曖昧模糊
曖昧模糊はユニークな漢字です。4つの漢字はいずれも、よく見えないことを示したものです。

――曖という字は、日が雲に包まれてくらいさまをいい、昧は光がかすかでよく見えないさまをいう。模とい字にある莫という字は、日が草の中に沈んで見えなくなるさまをいい、糊は書き間違った所に塗りかぶせて見えなくする白い粉の絵の具をいう。学研・漢和大字典より、(ひろさちや『四字熟語の知恵』日経ビジネス人文庫)

この引用でクリアになりましたか?
山本藤光2018.09.24

ごり押し

2018-12-18 | 知育タンスの引き出し
ごり押し
「ごり押しする」の「ごり」って何かご存知ですか。私にはまったくイメージできませんでした。

――魚の鮴(ごり)を捉える方法をいう「鮴押し」からという説がある。これは川底にむしろを敷いてそこへ鮴を追い込み、むしろごと持ち上げて捕らえる方法で、その方法が強引に見えるためか。また距離で「五里(ごり)」くらいひと押しにすることからとする説もある。(日本語語源辞典)

だいいち「鮴」という魚も知りません。ネット検索してみると、カジカに似た魚でした。「鮴」は「メバル」とも読むようです。どうも魚扁は苦手です。
山本藤光2018.12.18

河清を俟つ

2018-12-17 | 知育タンスの引き出し
河清を俟つ
「百年河清を俟つ」という成句に触れて、むむむと思いました。河清(かせい)を「俟(ま)つ」は、「いくら待っても実現することのない望み」のことです。語源は千年に一度しか澄むことのない黄河の水が澄むのを待つ、とされています。
「俟つ」は「待つ」と同意です。待つ、俟つを用いた言葉は意外にたくさんあります。

――待てば海路の日和あり
――人事を尽くして天命を待つ
――鳴くまで待とう時鳥(ほととぎす)

人生、このくらいのゆとりがほしいものです。
山本藤光2018.06.14

つかぬこと

2018-12-17 | 知育タンスの引き出し
つかぬこと
つかぬことを伺いますが。この「つかぬ」の意味が知りたくで辞書検索しました、

――「付く」に打ち消しの助動詞「ず」がついた、「付かぬ」から出た言葉。‘日本語語源辞典)

ただし、最近の使われ方に釘を刺す文章があります。

――最近では「つまらないことを尋ねますが」というニュアンスで用いられることも多くなっていますが、これは伝統的な使い方ではありません。(NHK放送研究所)

私はこれをやってしまっていました。
山本藤光2018.12.17