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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

芥川龍之介『羅生門』(新潮文庫)

2018-02-07 | 書評「あ」の国内著者
芥川龍之介『羅生門』(新潮文庫)

ワルに生きるか、飢え死にするか、ニキビ面の若者は考えた……。 京の都が、天災や飢饉でさびれすさんでいた頃の話。荒れはてた羅生門に運びこまれた死人の髪の毛を、一本一本とひきぬいている老婆を目撃した男が、生きのびる道を見つける『羅生門』。あごの下までぶらさがる、見苦しいほど立派な鼻をもつ僧侶が、何とか短くしようと悪戦苦闘する『鼻』。ほかに、怖い怖い『芋粥』など、ブラック・ユーモアあふれる作品6編を収録。(アマゾン内容紹介より)

◎芥川龍之介のこと

電子書籍に、『芥川龍之介作品集成155』(kindle)がはいりました。短篇小説を150作品収載しており圧巻です。300円で購読できます。私は1日1篇ときめて、寝ころびながら再読しています。「羅生門」は7日目に読みました。経営していた会社を譲渡し、素浪人の心境だったので、追い詰められた老婆と下人の心情が手にとるように理解できました。まったくちがった作品として、「羅生門」がよみがえりました。

『羅生門』は高校の教科書にのっていました。感想文を書かされた記憶もあります。おそらく下人のエゴイズムを、糾弾した内容だったと思います。5年前に書いた『羅生門』の書評を読み直してみました。味気のないものでした。高校時代に読んだときと、寸分違わぬ感想の羅列でした。全面改稿することにしました。

 自分の読書力の貧しさに恥じて、識者はいかに『羅生門』を読んでいるのか、それを検証してみることにします。書棚から30冊の関連本を引き抜いてきました。全部を読み通すのに、1か月を要しました。

 芥川龍之介の生涯を手短にまとめてありますので、阿刀田高の著書から引用させてもらいます。

――大学在学中に『鼻』という名作をかいて夏目漱石に認められ、さらに『羅生門』によって、一気に文壇の寵児としてデビューしました。それからは一貫して人気作家としての道を歩み続け、最後はいろいろな意味で行き詰まって自殺という形で自らの生涯を閉じました。(阿刀田高『日曜日の読書』新潮文庫P15)

 朝日新聞の特集(「はじめての芥川龍之介」2012.1.16朝刊)に、芥川に関するわかりやすい図解がありました。ちょっと紹介させていただきます。図は芥川龍之介を中央にして、上下左右に文人の似顔絵が配されています。

・上段
芥川→室生犀星:自分とは異なる才能を高く評価
芥川→泉鏡花:芥川の葬儀で先輩代表として弔辞
芥川→谷崎潤一郎:小説の「筋」をめぐる文学論争
芥川→高浜虚子:句の添削を受ける

・左右
芥川→菊池寛:同級生
芥川→夏目漱石:師と仰ぐ(夏目と高浜は親友)

・下段
芥川→堀辰雄:芥川を慕う。芥川文学を継承した人
芥川→萩原朔太郎:その詩に感激し寝間着姿で家を訪ねる
芥川→川端康成:後輩作家。関東大震災後,共に市中を見て回る
芥川→宇野千代:送られた小説を厳しく批評

 芥川龍之介の実母は、彼が10歳のときに死去しています。母親の愛情を知らないことが、芥川龍之介作品に大きな陰を落としているとする文献は数多くあります。新潮文庫の解説でも、「生いたちの秘密を隠そうとする禁忌の感覚は、実生活の告白をこばむ虚構性を芥川文学の本質として決定することになった」(三好行雄)と断言しています。

◎『羅生門』のこと

 芥川龍之介の小説『羅生門』は、『今昔物語集』を素地にした作品です。映画「羅生門」(黒沢明監督)は、国際グランプリを獲得した作品です。ここまでは、誰もがご存知のことと思います、

正確に記せば、『羅生門』は、「今昔物語集」の「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人のこと」(巻29第18)からヒントを得た作品です。黒沢明映画は、芥川龍之介『羅生門』を映画化したものではありません、と書かなければなりません。

そのあたりについて紹介している、文章を引用させていただきます。
――この話(補・今昔物語巻29第18)に取材して、芥川龍之介は傑作『羅生門』を書いた。そこでは男の屈折した心理が細密に解剖されているが、『今昔物語集』は、彼が老婆の懇願を無視して、奪い取った品物を淡々と書き並べるだけである。まるで取り調べの調書のような、無味乾燥が、かえって不気味なほど迫真力を感じさせる。(ビギナーズ・クラッシックス日本の古典『今昔物語集』角川ソフィア文庫P216)

芥川龍之介は素材を『今昔物語集』に求めたものの、まったく異なった作品を書き上げています。関口安義は著書のなかで、「素材は古典に求めながらも、そこには近代人の心理が描かれている」(「関口安義『芥川龍之介』岩波新書P51)と書いています。また黒沢明監督もまったく同様で、タイトルのみ借用し、別物の『羅生門」という映画を完成させました。

――これは(補:黒沢映画)『今昔物語集』の本話や芥川龍之介の『羅生門』とは別のものだ。ただプロローグとエピローグの舞台として、この羅城門が使用されている」(ビギナーズ・クラッシックス日本の古典『今昔物語集』角川ソフィア文庫P216)

『羅生門』の舞台は、平安時代です。下人は「盗人の道」と「餓死の道」の二者択一を迫られています。賞味期限が切れた、食料が棄てられている現在とはちがいます。ホームレスなどという「第三の道」などは考えられません。私はあえて、二者択一と書きました。しかし、常識的に考えるなら、「餓死」などという道を選ぶ人間はいないと思います。

 死体から髪の毛を抜く老婆がいてもいなくても、下人は「盗人」の道を選んでいるはずです。今回読み直してみて、このような一本道であるべき展開に、芥川は下人の微細な感情で揺れを巧みに操り、朦朧としたものに仕上げていることを理解しました。また
『羅生門』関連の本を読んでいて、つぎのような記述ともであいました。

――老婆の行為に「あらゆる悪に対する反感」を抱く下人の感情は、合理的には割り切れない。「悪」そのものへの反応であり、死体損壊という具体的な行為に還元され得ないものだった。そこにはカニバリスムのタブーを侵犯するものへの憎悪が見て取れる。(黒田大河「カニバリスムの彼方へ・芥川龍之介と我々の時代」、『国文学解釈と鑑賞』2010年2月号)

 芥川の小説からテーマを概念的に抽出する傾向については福田恒存がつぎのように警告しているそうです。孫引きになります。図書館で原書を探しましたが、見つけられませんでした。少し長いのですが引用させていただきます。

――「初期の作品を見てもすぐわかることは、人間の善良さとその醜悪さとを両方同時に見てとる作者の眼であります。ぼくが読者諸君にお願いするのは、さういう龍之介の心を味わっていただきたいといふ一言につきます。『羅生門』や『(「)偸盗(ちゅうとう)』に人間のエゴイズムを読みとってみてもはじまりません。(中略)多くの芥川龍之介解説は作品からこの種の主題の抽出をおこなって能事をはれりとする。さういふ感心のしかたをするからこそ、逆に龍之介の文学を、浅薄な理智主義あるいは懐疑主義として軽蔑するひとたちもでてくるのです。(『名指導で読む筑摩書房なつかしの高校国語』ちくま学芸文庫P042、福田恒存「芥川龍之介」)

 短篇小説はさらさらと読み流してはいけない。それをしみじみと感じさせてくれたのが、今回の関連本30冊の完全読破でした。
(山本藤光:2009.06.02初稿、2015.01.18改稿)

朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社文庫)

2018-02-06 | 書評「あ」の国内著者
朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社文庫)

深夜のバー。小学校のクラス会三次会。男女五人が、大雪で列車が遅れてクラス会に間に合わなかった同級生「田村」を待つ。各人の脳裏に浮かぶのは、過去に触れ合った印象深き人物たちのこと。それにつけても田村はまだか。来いよ、田村。そしてラストには怒涛の感動が待ち受ける。2009年、第30回吉川英治文学新人賞受賞作。傑作短編「おまえ、井上鏡子だろう」を特別収録。(「BOOK」データベースより)

◎朝倉かすみは中島京子と並走中

若い作家だとばかり思っていました。生年を知って驚きました。どこから若やいだ作品が生まれてくるのでしょうか。『田村はまだか』(光文社文庫)を読んでから、一気に他の文庫本を買いあさりました。朝倉かすみが作家デビューしたのは、40歳を過ぎてからです。朝倉かすみを小説へと突き動かしたのは、結婚という人生のステップでした。30歳の後半、結婚を意識したつきあいをするようになってから、朝倉かすみは「源氏物語」を読みまくっています。与謝野晶子、円地文子、瀬戸内寂聴、橋本治の「源氏物語」に没頭しました。

結婚したのは39歳のときであり。それを機会に創作教室で学びはじめます。つまり結婚という願望が現実となり、もうひとつの夢である「小説家になる」が頭をもたげてきたわけです。

創作教室の先生が「藤堂(とうどう)志津子みたいになれ」といって彼女の背中を押してくれました。藤堂志津子も北海道出身の作家で、直木賞(1989年『熟れてゆく夏』文春文庫,500+α紹介作)を受賞しています。男女の微妙な心理を描くのに長けた作家です。創作教室の先生が与えた目標は、朝倉かすみの細やかなディテーリング力を評価してのものなのでしょう。

『田村はまだか』『ほかに誰かいる』(幻冬舎文庫)『夫婦一年生』(小学館文庫)をつづけて読んで、藤堂志津子というよりも、直木賞作家の中島京子(500+α紹介作『FUTON』講談社文庫)と重なってしまいました。作品の奥行きはおよばないものの、朝倉かすみには中島京子よりも優れた、登場人物の造形力がありました。

2人の女流作家をならべてみます。

中島京子:1964年生まれ。2003年『FUTON』により野間文芸新人賞。2010年『小さなおうち』(文春文庫)で直木賞。

朝倉かすみ:1960年生まれ。2003年『コマドリさんのこと』(『肝、焼ける』講談社文庫所収)で北海道新聞文学賞、2009年『田村はまだか』で吉川栄治文学新人賞。

朝倉かすみは中島京子と、ほぼ同様の作家履歴であることがわかります。私は近い将来、朝倉かすみも中島京子と肩をならべることになると信じていますし、すでにそうなりつつあります。ついでに前記の藤堂志津子についてもふれておきます。朝倉かすみとは15年のギャップはあるものの、北海道新聞文学賞受賞とスタートラインは同じです。しかも札幌在住の作家として活躍しています。

藤堂志津子:1949年生まれ。1988年『マドンナのごとく』(新風舎文庫、講談社文庫)で北海道新聞文学賞、1989年『熟れてゆく夏』で直木賞。

◎田村はこない

『田村はまだか』には、特別収録作を含めて6つの連作短編が所収されています。いずれも舞台は、札幌ススキノ場末の小さなスナック「チャオ!」です。主な登場人物は、小学校の同窓会から流れてきた40歳の男女5人とスナックの主人・花輪晴彦46歳です。男女5人の客は、ひたすら同窓会に欠席した同級生の田村を待っています。

5人の客はかなり酔っています。「田村はまだか」とつぶやきながら、懐かしい過去と苛酷な現在を語りつつ飲み続けます。田村久志は悪天候のために交通が寸断されて、なかなかやってきません。時計は午前2時をまわり、3時になります。田村はきません。

ものがたりはそれぞれの登場人物を柱に、今と昔がパッチワークのようにつながります。この作品はストーリーにふれない方が賢明でしょう。あなたにはススキノの片隅で、偶然に隣り合わせた客の一人として、ものがたりに参画してもらいたいからです。

待っている5人の時間は、一向に前には進みません。いっぽう待たれている田村は悪天候のなかを、必死にススキノを目指してもがき前進しています。そんな場面はいっさい書かれていませんが、その情景が自然に浮かびあがってきます。不思議な感じの作品なのです。

舞台上にいない田村だけが、クラスメートの集う3次会という場へと匍匐(ほふく)前進しています。もはやアルコール浸けになった男たちの、のど仏は動いていません。女たちもテーブルに突っ伏して眠っていたり、思い出したようにグラスを持ちあげています。マスターはいつものように、客の会話をノートに書きとめています。グラスの氷が、解け落ちる音だけが響いています。

朝倉かすみは平凡な柄と色の端切れを、張り合わせる名人です。未読のかたはどこからでもいいですから、1ページを立ち読みしてもらいたいと思います。単調な素材が張り合わされる華麗な技を、堪能できることでしょう。ただし間違っても、最終ページは開かないでください。松田哲夫らも、最後の大きな感動についてふれています。

――昔の思い出話の間に、それぞれの人生が語られていきます。そこに、合いの手のように「田村はまだか」という台詞がはさまれていく。それでも、田村はやってこない。しだいに酔っていくうちに、彼らが、どうして、こんなに田村に会いたがっているのかがわかってきます。そうして、思わぬ異変が起こるのですが、それでも、最後には、気持ちのいい感動が訪れる。(松田哲夫『王様のブランチのブックガイド200』小学館新書P93より)

――物語が進むと、田村の輪郭が浮かび上がってくるが、最終話「話は明日にしてくれないか」には、意表をつく結末が待ち受けているので、それは実際に読んで確認して欲しい。(『文蔵』2014.04「小説で味わう北海道」のP20より)

朝倉かすみはなんでもない世界を、みごとなハーモニーにまとめあげました。『ほかに誰かいる』『夫婦一年生』も、同じような傾向の作品です。とりあえずは、『田村はまだか』にふれていただきたいと思います。きっと私が薦めなくても、あなたはつぎの作品も読んでみたくなるでしょう。
(山本藤光:2012.12.22初稿、2018.02.06改稿)

安部公房『砂の女』(新潮文庫)

2018-02-01 | 書評「あ」の国内著者
安部公房『砂の女』(新潮文庫)

砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める村の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のうちに、人間存在の極限の姿を追求した長編。20数ヶ国語に翻訳されている。読売文学賞受賞作。(アマゾン内容紹介)

◎『砂の女』の魅力

私が本格的に本を読むようになったのは、安部公房『砂の女』(新潮文庫)との出合いからでした。高校時代まで読書とは軽いつきあいの生活だっただけに、『砂の女』を読んでそのちみつな描写に圧倒されました。

男が昆虫採集のために砂丘を訪れます。男は村人の意思で、女ひとりが住む、砂の底の家に軟禁されます。家は毎日、砂をかきださなければ埋もれてしまいます。男は砂との格闘に明け暮れます。

――砂ってやつは、こんなふうに、年中動きまわっているんだ……その、流動するってところが、砂の生命なんだな……絶対に、一ヶ所にとどまってなんかいやしない……水の中だって、空気の中だって、自由自在に動きまわっている……だから、ふつうの生物は、砂の中ではとうてい生きのびられやしません……。(本文より)

男は何度も、砂の底からの脱出を試みますが失敗します。やがて男は偶然に、「希望」と名づけた仕かけから「水」を発見します。砂の毛管現象を活用した装置です。男の日常に変化が訪れます。これまでは砂をかきだすという、労働との対価として施されていた水。それがいつでも自由になりました。砂の表面のように乾ききった日常に、うるおいがうまれます。

男は「あわてて逃げだしたりする必要はない」、と考えはじめます。人間の希望には「飛びたちたい」と「巣ごもりたい」の2つの種類があります。これは安部公房自身がなにかに書いていました。『砂の女』の主人公は、「希望」と名づけた装置から水を発見したとき「飛びたちたい」という気持ちを、「巣ごもりたい」に転換したのです。

 安部公房の魅力は、豊かな比喩と繊細な自然描写にあります。さらに微妙な主人公の心の動きを、硬質な文章で描いてみせるところにあります。『砂の女』は世界中で翻訳されています。

『砂の女』は安部公房の好きな、メビウスの輪を用いた構成になっています。メビウスの輪とは、細長い紙片をひとひねりして、両端を貼り合わせたものです。できあがった輪の面をたどると、出発点が終点と重なります。最後まで小説を読んだときに、冒頭の2行が活きてきます。

――八月のある日、男が一人、行方不明になった。休暇を利用して、汽車で半日ばかりの海岸に出掛けたきり、消息をたってしまったのだ。(本文より)

◎安部公房から広がる読書世界

1人の作家にとことん傾倒する。読書スタイルとしては、当然のことだと思います。私も筒井康隆と西村京太郎に、夢中になっていた時代があります。私の読むペースよりも、彼らの書くスピードの方が早かった。小さくなる後姿を見やりながら、私はぜいぜいと肩で息をすることになりました。

当時私は、中央大学で国文学を専攻していました。小林一茶、松尾芭蕉、宇治拾遺物語、万葉集など面白くもない授業を受けながら、辟易としていました。1冊ウン千円(喫茶店のコーヒが70円の時代)もする自著をテキストとして購入させ、使い古したノートで偉そうな講義をする教授たち。

暗澹(あんたん)たる毎日に救いの手を差しのべてくれたのは、創作集団「ペンクラブ」でした。このクラブは歴史のある「白門文学」を発信し、作家への登竜門でもありました。ペンクラブでは、現代文学作家の研究も活動の一環でした。私は迷いなく、安部公房を選びました。安部公房の研究をし、自ら創作活動もおこなう。大学生活が少しずつ充実してきました。

芥川賞を受賞した『壁』(新潮文庫)は、ルイス・キャロル(推薦作『不思議な国のアリス』新潮文庫)に触発されて書いたものです。『壁』の序文には、石川淳(推薦作『紫苑物語』講談社文芸文庫)が緊密な文章を献呈しています。少年時代の安部公房は満州で暮らしており、そのころはリルケやハイデッカーに傾倒していました。

私の安部公房研究は、次第に広がっていきます。安部公房が傾倒した作家から、作品への影響を検証するのです。偉い文芸評論家が「安部公房はカフカの影響を受けている」などと書いたら、カフカ(推薦作『変身』光文社古典新訳文庫)も読んでみなければなりません。リルケ(推薦作『マルテの日記』新潮文庫)、石川淳、花田清輝(推薦作『復興期の精神』講談社文芸文庫)も読みあさりました。

当時の安部公房は、三島由紀夫(推薦作『潮騒』新潮文庫)らと「第2次戦後派」と呼ばれていました。当然カッコでくくられた作家たちの作品も読み、社会や文壇の潮流も解き明かさなければなりません。大江健三郎(推薦作『万延元年のフットボール』講談社文芸文庫)、堀田善衛(推薦作『広場の孤独』新潮文庫)、吉行淳之介(推薦作『夕暮まで』新潮文庫)などの作品も、深読みすることになりました。

それまでの私は日本文学を大雑把に、「近代」と「現代」に分けて考えてきました。ところが、もっと細かな潮流があることを知りました。それが前記の「第2次戦後派」や「第3の新人」(安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作など)「内向の世代」(古井由吉、後藤明生、日野啓三、黒井千次、小川国夫、坂上弘、高井有一、阿部昭、柏原兵三など)であったりするわけです。

◎安部公房が語る『砂の女』

『砂の女』の結末について、安部公房自身の見解を示します。「国文学」(昭和49年9月増刊号)における、磯田光一との対談からの引用です。読者が深読みするよりも、著者が語っているのだから間違いはないはずです。

(引用はじめ)
安部公房:『砂の女』の結末というのは、到達することが問題ではなくて、出発点に立つということが問題なのだ、ということだよね。
磯田光一:はああ……。
安部:「出発点だ」という発想に立っていれば、いいんだな。必要なのは、その「出発する(スタートする)」ことなのであって、到達することのために、ほかが全部消えてしまうのは困る。
磯田:ええ、ええ。
安部:出発時の目標どおりに到達しなかったからといって、人を裁いては意味はないの。
磯田:それなら、たえず「出発」をくり返すということになりますか。
安部:そういうことになりますね。
磯田:あの『砂の女』の主人公にとって、考え方によっては、たまたま、昆虫採集に出かけた、あの時点が出発点という見方は、できないものですか。
安部:できないのです。
(引用おわり)

私は大学時代、磯田光一の授業だけは欠かさずに出席しました。磯田光一は、三島由紀夫、永井荷風、小林秀雄などについて、優れた著作を発表していました。

文学作品を深読みするとは、まず自分自身でじっくりと考えてみる。作品論や対談を図書館で調べる。大好きな作家について調べるのは、楽しいことでした。

◎安部公房全集全30巻のこと(2009.03.06)

昨日千葉の書店から電話がありました。「定期購読の本が入荷しました」。相手はそう告げた。
「定期購読なんてしていませんよ」と私。困ったようなため息のあと、「安部公房全集なんですけど」といっています。え、まだ全集の続きがあったの、と驚きました。

確かに安部公房全集は、定期購読していました。最終巻(第29巻)を買い求めたのは、何年前だったのでしょうか。書棚から取り出し、奥付を見た。2000年12月、5700円となっていました。

本日、追補版・安部公房全集の第30巻と対面できます。終っていたと思っていましたが、これで完結となるようです。最終巻は検索ROMなどがついて、8400円とのこと。楽しみです。

1巻平均を5000円として、15万円以上かかった計算になります。安部公房は卒論で選んだ作家ですしし、サインをもらいに新宿紀伊国屋まで行ったこともあります。

日本を代表する偉大な作家。それが安部公房だと確信しています。安部公房にのめりこんだために、私の読書も広がりました。

たくさんの示唆と知を与えてもらいました。本日書店へ行って、最後の1冊を手にすることになります。死ぬまでにあと1回、第1巻から読み直してみたいと気合いをいれました。
(山本藤光:2014.08.02初稿、2017.11.28改稿)

浅田次郎『壬生義士伝』(上下巻、文春文庫)

2018-02-01 | 書評「あ」の国内著者
浅田次郎『壬生義士伝』(上下巻、文春文庫)

小雪舞う一月の夜更け、大坂・南部藩蔵屋敷に、満身創痍の侍がたどり着いた。貧しさから南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新選組に入隊した吉村貫一郎であった。“人斬り貫一”と恐れられ、妻子への仕送りのため守銭奴と蔑まれても、飢えた者には握り飯を施す男。元新選組隊士や教え子が語る非業の隊士の生涯。浅田文学の金字塔。(「BOOK」データベースより)

◎数えきれないほどのアルバイト

浅田次郎は私が教育実習をしたことのある、中大杉並高校を卒業しています。浅田次郎は私よりも10歳年下ですから、おそらくそのときの教室にはいなかったでしょう。教育実習では谷崎潤一郎『陰翳礼賛』(中公文庫)を講義させてもらいました。

 浅田次郎が最初に入った高校は、進学校として有名な駒場東邦高校でした。そこで鬱病になり、環境の変化を求めて転入したのが、中大杉並高校だったのです。この転地療法はプラスとなりました。作家にかぎらず人間の感性がいちばん研ぎ澄まされるのは、高校時代だからです。

高校を卒業した翌年の春、作家志望の浅田次郎は突然自衛隊に入隊します。三島由紀夫の自殺が引き金になりました。その後浅田次郎は、履歴書に書ききれない、あるいは書くことのできないほどの職業を経験しました。自衛隊を除隊した浅田次郎は、小説を書くための時間以外を、アルバイトにあてることにしています。そのあたりのことを、スタッフ霞町著『浅田次郎ルリ色の人生講座』(コアラブックス)から引用してみます。

――こうした条件に合う仕事というと、必然的に限りがある。たとえば、借金取りとか、用心棒とか、私立探偵とか、ボッタクリバーの客引きとか、ネズミ講の講元とか、ようするに裏家業である。(本文より)

浅田次郎は、1991年「とられてたまるか」(『極道放浪記1・殺られてたまるか』と改題して幻冬舎アウトロー文庫に所収)でデビューしています。その後、悪漢ものなどを書きながら、1995年『(「)地下鉄(メトロ)に乗って』(講談社文庫、吉川栄治文学新人賞)でブレイクしました。それからの活躍は、みなさんご存知のとおりです。

◎浅田次郎の5つの鉱脈

浅田次郎は、5つの鉱脈をもっている作家です。

1.悪漢もの:『プリズンホテル』(全4巻、集英社文庫)
2.人情もの:『鉄道員』(集英社文庫)
3.歴史もの:『壬生義士伝』(上下巻、文春文庫)
4.ファンタジーもの:『地下鉄に乗って』(徳間文庫)
5.エッセイ:『勇気凛凛ルリの色(シリーズ)』(講談社文庫)

浅田次郎はそれらの鉱脈を、併行して掘り下げています。1993年から『プリズンホテル』シリーズを書きながら、バラエティに富んだたくさんの作品を発表しています。

 浅田次郎『勇気凛凛ルリの色』は、1994年から「週刊現代」に連載されました。これは雑誌社としても大変な賭けだったのですが、大評判となりました。そのころのことを、茶木則雄と目黒孝二が対談(「本の雑誌」1995年9月号)で次のように語っています。

茶木:才能は高く評価している作家だけど、去年までは一部の人に評価されるだけで、どちらかといえばマイナーな作家だったからね。それがいきなりメジャー誌に連載だものな。
目黒:果たして大丈夫かなって。そんなこと心配することないんだけど。なんだか身内みたいな気持ちになるんだよ。ところがどっこい。うまいね、この人は。(本文より)

今日の浅田次郎があるのは、鬱病の克服、さまざまな仕事体験、そしてこの連載がベースになっているのは確かです。

◎日本現代文学の最高峰『壬生義士伝』

『壬生義士伝』との出合いから10数年を経たいまも、日本現代文学の最高峰の地位は揺らいでいません。

浅田次郎は子母澤寛『新撰組始末記』(中公文庫)で、端役である吉村貫一郎の存在を知りました。創作上の人物だろうかと調べてみると、新撰組の名簿に吉村貫一郎の名前がありました。

『壬生義士伝』は、この吉村貫一郎にフォーカスをあてて描かれています。吉村貫一郎は相撲番付表であれば、虫眼鏡で見なければ判読できない序の口あたりの力士に相当します。吉村貫一郎は南部藩の二駄二人扶持の足軽。本来、物語の主役になれる身分ではありません。吉村は女房子どもを食わせるために脱藩し、新撰組に加わりました。

その吉村貫一郎が満身創痍で、盛岡南部藩蔵屋敷に戻ってきます。それを迎えたのは、幼馴染の大野次郎衛門でした。
「何を今さら、壬生浪めが」
大野は、命乞いをする吉村に吐き捨てます。波乱万丈の物語が動き出します。

本書は浅田次郎が書いた、初めての時代小説です。浅田次郎が新境地を開いた、分水嶺ともいえる作品が『壬生義士伝』だと思います。息をつかせぬストーリー展開と、微妙な人情の交錯。浅田次郎は、新しい時代小説の形を教えてくれました。読者は下巻の最後で、涙を流すことになります。主人公の「義」をしたためた大野次郎衛門への手紙は、身分を越えた熱い友情に満ちあれたものでした。

最後に新選組関連の本を読むのなら、司馬遼太郎『燃えよ剣』(上下巻、新潮文庫)をお薦めします。幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描いていて秀逸です。

もうひとつ、浅田次郎・文藝春秋・編『浅田次郎・新選組読本』(文春文庫)には、新選組や『壬生義士伝』にまつわる対談などが網羅されています。おおいに楽しめます。
(山本藤光:2012.05.20初稿、2014.09.30改稿)