一気読み「ビリーの挑戦」059-064
059cut:何とかこの悪習を変えたい
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 釧路営業所の朝です。柱時計は11時を回っています。タバコの煙が充満し、奥がかすんで見えるほどです。釧路は霧の都として有名ですけど、これって霧かしら? 漆原さん、何だかいらついている様子です。こっそり質問してみます。
漆原 朝、代理店さんへ行って、いったんオフイスへ戻り、こんな時間まで内勤をしている。私のいた千葉では、考えられないことです。何とかこの悪習を変えなければ、と頭を悩ませています。
影野小枝 漆原さんから、きつくいったらいいじゃないですか。
漆原 いいえ、彼ら自身がそのことに気づかないかぎり、命令しても真の改善にはなりません。命令して、従わせる。これだけはやりたくないのです。
影野小枝 どうやって気づかせるのですか?
漆原 楽しく働けるようになること。仕事が楽しくなると、自然にムダを省くようになります。集中するとは、ムダを省くことなのです。
影野小枝 タバコの煙、ひどいですね。漆原さんはタバコを吸わないのですか?
漆原 やめて5年ほどになります。
影野小枝 禁煙になさったらいいのに。
漆原 オフイス環境を考えるのも、彼らの仕事の一貫です。だから、私からは絶対に命令しません。
影野小枝 せっかく5日間も合宿したのに、あまり効果が上がっていませんね。
漆原 活動内容は劇的に変化したのですけど、習慣は簡単には変わりません。今の段階は、彼らが気づいてくれるのを、ひたすら待つことです。
影野小枝 でも1年以内に、業績を倍増しなければならないのですよね。漆原さんは悠長過ぎるような気がするのですが……。
漆原 もう少し見守っていてください。モチベーションというやつに火がついたら、彼らの意識・行動はもっと変化します。
060cut:こんな環境で元気が出ますか
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 漆原さんの改善が、どのくらい進んでいるのか。ちょっとだけ、前任者の鈴木さん時代のオフイスを再現してみましょう。これは夕方のオフイスです。
疲れ切った顔で、寺沢さんがオフイスに戻りました。タバコの煙が充満しています。
寺沢(うつむきながら、小さな声で)ただいま……。
鈴木(顔を上げずに)おかえり……。
チームメンバー(顔を上げず、書き物をしながら)おかえり……。
影野小枝 寺沢さん、日報を記入しはじめました。
鈴木 テラ、何かいい話があったか?
寺沢 ダメでした。
鈴木 ダメだって。気合が足りないからだ。おれが若いころは、売れるまで帰ってこなかった。
寺沢 すみません。
鈴木 日報書き終わったら、エッちゃんのところでパーッとやるぞ。
影野小枝 かなり暗いですね。こんな環境で、元気が出ますか。まるで葬儀の会場みたいです。
061cut:「おれたちが」という3人称
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 現在の夕方のオフイスです。柱時計は午後6時半を指しています。漆原さんは帯広へ出張で不在です。寺沢さんを除く3人が缶コーヒーを飲みながら談笑しています。
熊谷 (時計を見ながら)テラ、遅いな。6時半に飲み会だと伝えてあるのに。
石川 忘れているのかも?
熊谷 あいつが飲み会を忘れるはずはないよ。
田中 電話くらいよこしてもいいのに。先に行きましょうか?
影野小枝 電話が鳴っています。受話器を取った田中さんが、寺沢さんであると指で合図をしました。
田中 テラ、どうした? えー、K病院の医局説明会、取れたのか。すごいじゃないか。で、いつだ? 明日!
石川(ガッツポーズをしながら)10年間も拒否され続けた、念願の説明会が実現した。漆原さんはすごいよ。こいつを男にしてもらいたいってこの前、薬局長に土下座をしたのだから。
熊谷 テラもよくがんばったよ。難攻不落の薬局長が、ついに首をタテに振った。歴史的な快挙といえる。
石川 ドクターは使いたがっているのだから、説明会が実現すれば採用になる。
熊谷 それにしても、あの薬局長がよく説明会を許可したものだ。いきなり明日というのは残酷だけど。
田中 残念だけど、飲み会は中止ですね。テラの面倒をみてやるのが、最優先事項です。
石川 テラが最高の医局説明会ができるように、おれたちが特訓しよう。今日は徹夜になるかもしれないぞ。
影野小枝 10年前、K病院は前リーダーの鈴木さんが担当していました。鈴木さんは薬局でトラブルを起こし、それ以来、R製薬の新製品は一切採用されていません。それが漆原さんの熱意で、門戸が開かれました。みなさん、喜んでいますね。飲み会を中止して、寺沢さんをサポートするといっています。おれたちという3人称が、チーム内に生まれたようですね。
062cut:本当の勝負は明日だ
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 K病院の内科医局説明会を終えて、寺沢さんの慰労会をしています。中華料理屋の丸テーブルにメンバーが顔を揃えています。
漆原 インパクトのある説明会だった。テラ、おめでとう。
寺沢 ありがとうございます。釧路のメンバー全員がきてくれたので、大船に乗ったつもりでやることができました。
石川 ドクターもびっくりしていたぜ。5人も押しかけてきた説明会は、はじめてだっていっていた。
熊谷 猛特訓の成果が出たな。大成功だったよ。
寺沢 緊張しましたけど、終わってみたら自信に変っていました。医局説明会って、ドクターの方から集まってくれるのだから、一挙にディテール数が増えますね。
田中 本当の勝負は明日だ。明日、どのくらいの症例が獲得できるか。これが医局説明会のすべてだからな。昨日はありがとうございました。ところで、何例かお試しいただけますでしょうか。これをやらなければ、説明会の意味はない。
漆原 みんなで、今日の説明会を演出した。立派だった。これまでに、いろいろな医局説明会を経験してきたけど、テラのためにみんなが力を合わせた。だから、説明会は成功した。1人でできることは、限られている。でも力を合わせると、すごい世界が出現するのだ。
熊谷 何で説明会に5人もくるのだって、W先生に質問されたよ。
石川 それで、何と答えた?
熊谷 10年越しの悲願達成の瞬間を見たい。だから全員できました、と答えました。
寺沢 質よりも量だ。W先生は、そうほめてくれました。
影野小枝 みんなうれしそうです。何かが動き出した。そんな感じがします。
063cut:卵と鶏を同時に突き出された
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 喫茶店「場」です。漆原さんと常連Cさんが話をしています。
常連C 営業リーダーの使命は、「業績向上」と「部下育成」だろう。部下を持ったばかりの営業リーダーから、2つの使命についての相談を受けた。どちらを優先すべきでしょうか、だってさ。あまりにも真剣なので、戸惑ってしまったよ。
漆原 新任リーダーは、2つを別ものと考えているのですね。2つの使命は車の両輪のようなもので、バランスが取れていなければ真直ぐには走れない。どちらかを優先するという類の話ではないと思いますけど。
常連C 質問者の目は、真剣だった。卵と鶏を同時に突き出され、「どっちが先ですか」と詰問されている感じがした。「どっちも大切」などと、答える雰囲気じゃなかった。
漆原 二者択一なら、絶対に部下育成を優先すべきです。ていねいに部下を指導すれば、業績は自然についてきますよ。
常連C おれもそういったさ。でも彼は頷かなかった。納得していなかった。肩に力が入っているな、とほほえましく思った。同時に「部下育成」を最優先するマネジメントを、思い描けないのだとも感じた。
漆原 その人は、「業績向上」といってもらいたかったのでしょうね。できたての営業リーダーにとって、その方が断然やりやすい。つい昨日まで現役のバリバリだったのだから、部下と同行して商談をまとめることはたやすいことのはずですよね。
常連C きみが新人だったころの、上司を思い出してごらん。どっちを優先していた?
漆原 まともな指導を受けた、という記憶がないのですが……。
常連C それでも、きみはこうして責任者に抜擢された。まともな指導がなくたって、営業マンは成長するのかもしれないね。
漆原 そうは思いません。ちゃんとした指導を受けていたら、部下育成でこんなに悩まなかったと思います。
常連C 自分の部下のレベルをどこまで引き上げたいのか。上司は部下と話し合い、ゴールを共有する。そして現場で同行指導をする。これを着実にやれば、業績は自動的についてくる。そう教えたのだけど、彼にはピンとこなかったようだ。
漆原 部下育成って、難しいですね。
064cut:一人称が三人称に変わった
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 ビデオ製作会社打ち合わせです。
監督 一人称の世界が、三人称に変わった。あのシーンはいいな。
製作 10年間拒絶されていた医局説明会に、許可が出た。バラバラだったチームが、磁石に寄せ集められるクリップみたいに変化する。
助監督 その方法が土下座。ここはいただけませんね。インパクトのある違った行動にしたいですね。いまどきの若者に、土下座を勧めるのは抵抗があります。
製作 こいつを男にしてやってください。漆原は深く頭を下げた。これじゃ迫力が出ない。
監督 土下座で行こう。営業リーダーが身体を張った。そんな姿を見せられて、寺沢は仕事の原点を体感することになる。
059cut:何とかこの悪習を変えたい
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 釧路営業所の朝です。柱時計は11時を回っています。タバコの煙が充満し、奥がかすんで見えるほどです。釧路は霧の都として有名ですけど、これって霧かしら? 漆原さん、何だかいらついている様子です。こっそり質問してみます。
漆原 朝、代理店さんへ行って、いったんオフイスへ戻り、こんな時間まで内勤をしている。私のいた千葉では、考えられないことです。何とかこの悪習を変えなければ、と頭を悩ませています。
影野小枝 漆原さんから、きつくいったらいいじゃないですか。
漆原 いいえ、彼ら自身がそのことに気づかないかぎり、命令しても真の改善にはなりません。命令して、従わせる。これだけはやりたくないのです。
影野小枝 どうやって気づかせるのですか?
漆原 楽しく働けるようになること。仕事が楽しくなると、自然にムダを省くようになります。集中するとは、ムダを省くことなのです。
影野小枝 タバコの煙、ひどいですね。漆原さんはタバコを吸わないのですか?
漆原 やめて5年ほどになります。
影野小枝 禁煙になさったらいいのに。
漆原 オフイス環境を考えるのも、彼らの仕事の一貫です。だから、私からは絶対に命令しません。
影野小枝 せっかく5日間も合宿したのに、あまり効果が上がっていませんね。
漆原 活動内容は劇的に変化したのですけど、習慣は簡単には変わりません。今の段階は、彼らが気づいてくれるのを、ひたすら待つことです。
影野小枝 でも1年以内に、業績を倍増しなければならないのですよね。漆原さんは悠長過ぎるような気がするのですが……。
漆原 もう少し見守っていてください。モチベーションというやつに火がついたら、彼らの意識・行動はもっと変化します。
060cut:こんな環境で元気が出ますか
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 漆原さんの改善が、どのくらい進んでいるのか。ちょっとだけ、前任者の鈴木さん時代のオフイスを再現してみましょう。これは夕方のオフイスです。
疲れ切った顔で、寺沢さんがオフイスに戻りました。タバコの煙が充満しています。
寺沢(うつむきながら、小さな声で)ただいま……。
鈴木(顔を上げずに)おかえり……。
チームメンバー(顔を上げず、書き物をしながら)おかえり……。
影野小枝 寺沢さん、日報を記入しはじめました。
鈴木 テラ、何かいい話があったか?
寺沢 ダメでした。
鈴木 ダメだって。気合が足りないからだ。おれが若いころは、売れるまで帰ってこなかった。
寺沢 すみません。
鈴木 日報書き終わったら、エッちゃんのところでパーッとやるぞ。
影野小枝 かなり暗いですね。こんな環境で、元気が出ますか。まるで葬儀の会場みたいです。
061cut:「おれたちが」という3人称
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 現在の夕方のオフイスです。柱時計は午後6時半を指しています。漆原さんは帯広へ出張で不在です。寺沢さんを除く3人が缶コーヒーを飲みながら談笑しています。
熊谷 (時計を見ながら)テラ、遅いな。6時半に飲み会だと伝えてあるのに。
石川 忘れているのかも?
熊谷 あいつが飲み会を忘れるはずはないよ。
田中 電話くらいよこしてもいいのに。先に行きましょうか?
影野小枝 電話が鳴っています。受話器を取った田中さんが、寺沢さんであると指で合図をしました。
田中 テラ、どうした? えー、K病院の医局説明会、取れたのか。すごいじゃないか。で、いつだ? 明日!
石川(ガッツポーズをしながら)10年間も拒否され続けた、念願の説明会が実現した。漆原さんはすごいよ。こいつを男にしてもらいたいってこの前、薬局長に土下座をしたのだから。
熊谷 テラもよくがんばったよ。難攻不落の薬局長が、ついに首をタテに振った。歴史的な快挙といえる。
石川 ドクターは使いたがっているのだから、説明会が実現すれば採用になる。
熊谷 それにしても、あの薬局長がよく説明会を許可したものだ。いきなり明日というのは残酷だけど。
田中 残念だけど、飲み会は中止ですね。テラの面倒をみてやるのが、最優先事項です。
石川 テラが最高の医局説明会ができるように、おれたちが特訓しよう。今日は徹夜になるかもしれないぞ。
影野小枝 10年前、K病院は前リーダーの鈴木さんが担当していました。鈴木さんは薬局でトラブルを起こし、それ以来、R製薬の新製品は一切採用されていません。それが漆原さんの熱意で、門戸が開かれました。みなさん、喜んでいますね。飲み会を中止して、寺沢さんをサポートするといっています。おれたちという3人称が、チーム内に生まれたようですね。
062cut:本当の勝負は明日だ
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 K病院の内科医局説明会を終えて、寺沢さんの慰労会をしています。中華料理屋の丸テーブルにメンバーが顔を揃えています。
漆原 インパクトのある説明会だった。テラ、おめでとう。
寺沢 ありがとうございます。釧路のメンバー全員がきてくれたので、大船に乗ったつもりでやることができました。
石川 ドクターもびっくりしていたぜ。5人も押しかけてきた説明会は、はじめてだっていっていた。
熊谷 猛特訓の成果が出たな。大成功だったよ。
寺沢 緊張しましたけど、終わってみたら自信に変っていました。医局説明会って、ドクターの方から集まってくれるのだから、一挙にディテール数が増えますね。
田中 本当の勝負は明日だ。明日、どのくらいの症例が獲得できるか。これが医局説明会のすべてだからな。昨日はありがとうございました。ところで、何例かお試しいただけますでしょうか。これをやらなければ、説明会の意味はない。
漆原 みんなで、今日の説明会を演出した。立派だった。これまでに、いろいろな医局説明会を経験してきたけど、テラのためにみんなが力を合わせた。だから、説明会は成功した。1人でできることは、限られている。でも力を合わせると、すごい世界が出現するのだ。
熊谷 何で説明会に5人もくるのだって、W先生に質問されたよ。
石川 それで、何と答えた?
熊谷 10年越しの悲願達成の瞬間を見たい。だから全員できました、と答えました。
寺沢 質よりも量だ。W先生は、そうほめてくれました。
影野小枝 みんなうれしそうです。何かが動き出した。そんな感じがします。
063cut:卵と鶏を同時に突き出された
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 喫茶店「場」です。漆原さんと常連Cさんが話をしています。
常連C 営業リーダーの使命は、「業績向上」と「部下育成」だろう。部下を持ったばかりの営業リーダーから、2つの使命についての相談を受けた。どちらを優先すべきでしょうか、だってさ。あまりにも真剣なので、戸惑ってしまったよ。
漆原 新任リーダーは、2つを別ものと考えているのですね。2つの使命は車の両輪のようなもので、バランスが取れていなければ真直ぐには走れない。どちらかを優先するという類の話ではないと思いますけど。
常連C 質問者の目は、真剣だった。卵と鶏を同時に突き出され、「どっちが先ですか」と詰問されている感じがした。「どっちも大切」などと、答える雰囲気じゃなかった。
漆原 二者択一なら、絶対に部下育成を優先すべきです。ていねいに部下を指導すれば、業績は自然についてきますよ。
常連C おれもそういったさ。でも彼は頷かなかった。納得していなかった。肩に力が入っているな、とほほえましく思った。同時に「部下育成」を最優先するマネジメントを、思い描けないのだとも感じた。
漆原 その人は、「業績向上」といってもらいたかったのでしょうね。できたての営業リーダーにとって、その方が断然やりやすい。つい昨日まで現役のバリバリだったのだから、部下と同行して商談をまとめることはたやすいことのはずですよね。
常連C きみが新人だったころの、上司を思い出してごらん。どっちを優先していた?
漆原 まともな指導を受けた、という記憶がないのですが……。
常連C それでも、きみはこうして責任者に抜擢された。まともな指導がなくたって、営業マンは成長するのかもしれないね。
漆原 そうは思いません。ちゃんとした指導を受けていたら、部下育成でこんなに悩まなかったと思います。
常連C 自分の部下のレベルをどこまで引き上げたいのか。上司は部下と話し合い、ゴールを共有する。そして現場で同行指導をする。これを着実にやれば、業績は自動的についてくる。そう教えたのだけど、彼にはピンとこなかったようだ。
漆原 部下育成って、難しいですね。
064cut:一人称が三人称に変わった
――10scene:4月のオフイス
影野小枝 ビデオ製作会社打ち合わせです。
監督 一人称の世界が、三人称に変わった。あのシーンはいいな。
製作 10年間拒絶されていた医局説明会に、許可が出た。バラバラだったチームが、磁石に寄せ集められるクリップみたいに変化する。
助監督 その方法が土下座。ここはいただけませんね。インパクトのある違った行動にしたいですね。いまどきの若者に、土下座を勧めるのは抵抗があります。
製作 こいつを男にしてやってください。漆原は深く頭を下げた。これじゃ迫力が出ない。
監督 土下座で行こう。営業リーダーが身体を張った。そんな姿を見せられて、寺沢は仕事の原点を体感することになる。