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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

天藤真『大誘拐』(創元推理文庫)

2018-02-23 | 書評「て・と」の国内著者
天藤真『大誘拐』(創元推理文庫)

三度目の刑務所生活で、スリ師戸並健次は思案に暮れた。しのぎ稼業から足を洗い社会復帰を果たすには元手が要る、そのためには―早い話が誘拐、身代金しかない。雑居房で知り合った秋葉正義、三宅平太を仲間に、準備万端調えて現地入り。片や標的に定められた柳川家の当主、お供を連れて持山を歩く。…時は満ちて、絶好の誘拐日和到来。三人組と柳川としの熱い日々が始まる! 第32回日本推理作家協会賞長篇賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

◎大奥さまは言われた

数十年ぶりに、電子書籍で再読しました。やっぱり素敵な誘拐物語でした。誘拐小説の最高傑作を紹介させていただきます。ちなみに天藤真『大誘拐』(創元推理文庫)は、文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)の1985年版が12位、2013年版が7位でした。今なおベスト10に君臨する堂々たる作品なのです。

天藤真(てんどう・しん)は1915年に生まれ、1983年に没しています。『大誘拐』は天藤真の代表作といわれ、いまだに色あせることなくミステリー小説の最前線にいます。この作品の人気がすたれないのは、百億円という途方もない身代金に代表されるように、型破りな設定にあります。

これから読む方のために、ストーリーの詳細は伏せておきます。天藤真『大誘拐』(双葉文庫)は、犯人側と被害側の双方向を巧みに描き分けています。この構造は劇場型の誘拐物語をきわだたせる効果をもたらしています。

――紀州随一の大富豪といわれる柳川家の女主人、とし子刀自(とじ)が、不意に山歩きがしてみたいと言い出したのは、一週間ほどまえ、九月上旬のことだった。(第1章1)

――やがて「虹の童子」の名で知られるようになったこの誘拐団は、同志三人。大阪刑務所で知り合った刑余者たちである。かれらについては刑務所におよそ次のような記録が残っている。(後略)(第1章2)

この構造により読者は、テニスのラリーを観ているような感覚にさせられます。スリで大阪刑務所に服役していた戸並健次は、務所仲間の秋葉正義と三宅平太に営利誘拐話を持ちかけます。標的は紀州一の大富豪・柳川家の女主人82歳のおばさん・とし子刀自。

3人は下見を繰り返し、ひたすらチャンスを待ちます。そんなおり、刀自は吉村紀美という少女をお供に、敷地内を散策します。そこて犯人グループと遭遇します。犯人たちは少女をいっしょに誘拐しようとします。その様子は少女の独白文でつづられています。

――「なりまへん」と大奥さまは言われたのです。「この子には指一本触れてはなりまへん。そないなことは、私が許しまへん!」(本文P78)

犯人たちは刀自の気迫に負けて、少女を解放します。こうして「大」誘拐の膜が上がります。

◎ふわりとした紀州方言

刀自は少女を解放するなら、何でもいうことをきくと約束しました。刀自は誘拐団に隠れ家を紹介します。彼らのアジトでは、すぐに見つかってしまうと判断したからです。刀自と誘拐団は、以前柳川家の女中頭・中村くらの山奥の家へ移ります。そこで犯人たちは、身代金を五千万円と決めます。犯人たちは問い返した刀自に胸を張って伝えます。

――「五千万いうたんや。そらおばあさんには世話になったわ。そやけどな、それとこれとは話が別や。五千万や。ビタ一門負けるわけにはいかへんで」(P158)

それに対して、刀自は次のようにいいます、。

(引用はじめ)
「あんた、この私を何と思うてはる。やせても枯れても大柳川家の当主やで。見損のうてもろうたら困るがな。私はそない安うはないわ」
「え?」
「端たは面倒やから、きりよく百億や。それより下で取引きされたら、末代までの恥さらしや。ええな、百億やで。ビタ一文負からんで」
(引用おわりP158-159)

本書の醍醐味は、このやり取りに凝縮されています。刀自は次第に若い誘拐団を翻弄してゆきます。誘拐団を「虹の童子」と名乗らせ、柳川家の代理人として和歌山県警の井狩本部長を指名します。さらに連絡手段は、テレビとラジオに実況中継との条件を提示します。

これ以上、ストーリーを追うのはやめます。最後に向井敏に結んでもらいます。

――このくだりを境に誘拐犯とおばあちゃんとの位置が逆転することになるのだが、紀州方言のふわりとした口調と、きりりと引きしまった地の文とのコントラストが楽しませる。(向井敏『書斎の旅人』中公文庫P46)

ユーモアにあふれた本書はこれからも、ミステリー小説の代表作として君臨することでしょう。ぜひ読んでみてください。 
(山本藤光2017.04.08初稿、2018.02.23改稿)

外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)

2018-02-22 | 書評「て・と」の国内著者
外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)

アイディアが軽やかに離陸し、思考がのびのびと大空を駆けるには? 自らの体験に則し、独自の思考のエッセンスを明快に開陳する、恰好の入門書。内容(「BOOK」データベースより)

◎突然売れはじめた不思議

外山滋比古(とやま・しげひこ)『思考の整理学』(ちくま文庫)は、私の書棚で忘れ去られたまま眠っていました。「山本藤光500+α」の「知・教養・古典ジャンル」にはノミネートしているものの、ずっと下の方に位置づけていました

ところが、そうではすまされなくなりました。爆発的に売れはじめたからです。そのことを朝日新聞(2009年8月3日)では、教育面で大きくとりあげています。以下紹介させてもらいます。
 
 朝日新聞は「東大・京大で昨年最も読まれた『思考の整理学』/外山さん『忘却こそ大切』」との2段見出しで、売れている秘密に迫っています。なぜ読者が生まれる以前に出版された本に、突然火がついたのか。そんな興味から、記事は書き起こされていました。なにしろ88万部も売れているのです。

記事によると2007年盛岡市の書店員が、「もっと若いときに読んでいれば……そう思わずにはいられませんでした」と手書きのコメントをつけて、販売したのがきっかけだったそうです。発売から21年かけて17万部というゆっくりとした売れ行きに、1枚のPOPが火をつけたのです。(ここまでは当時の私のメモより)
 
私は文庫本の初版(1986年)で、『思考の整理学』を読んでいました。当時の私はダボハゼのように、「思考」「整理」「知」などのキーワードに飛びついていました。ハウツー本だとばかり思っていたので、エッセイであることにがっかりした記憶があります。つまり読み流していたのです。
 
文庫のカバー表紙が大好きな安野光雅でしたので、本の記憶は鮮明に残っていました。本文は忘れていました。再読してみました。なるほど、売れるはずだと思いました。なによりも文章が平易です。思わず笑ってしまうエピソードが、ふんだんに盛りこまれていました。
 
◎笑えるエピソードが満載
 
『思考の整理学』は、考えることの意義や楽しさを述べた本です。各章が短いので、すきま時間に読むことができます。「知恵」という章がありますが、「知恵」とはなにかということにはまったくふれていません。たくさんのエピソードが紹介されているだけです。情報をいくつかつなぎあわせると、立派な「知恵」になります。著者は遠まわしに、そう語っているだけです。

革の旅行かばんがくたびれてきました。周囲の人は、みっともないから買い換えろといいます。よごれ落としのクリーナーで磨いてみました。しゃんとなりました。考えてみれば、革靴はていねいに磨くのに、ほかの革製品を磨く習慣がありません。こんな「大発見」から、著者の思考はあっちへとびこっちへとびと膨らんでゆきます。
 
バナナの皮で磨くと、タンニンが含まれているのできれいになります。切れる包丁は錆びやすいので、使ったあと湯に浸しておいて、乾いた布で拭けばいい。こんな知恵をなぜ包丁屋は教えないのか。すぐに錆びたほうが、売上に貢献する。だから隠しているのだろう。
 
こんな感じで、著者は思考の広がりを語ります。きんぴらごぼうの話から、「戦争中に捕虜にゴボウを食わせた。雑草を食わせたのは、捕虜虐待であると、訴えられて、戦犯になった所長のあったことを思い出す」(本文より)と思考がジャンプします。
 
繊維質の野菜は老化防止につながる。こんな話が、きんぴらになり、捕虜収容所までとんでしまいます。外山滋比古は、驚くほどの引き出しをもっています。それゆえ、湯水のごとくエピソードがとびだすのでしょう。
 
◎考えることと忘れること

朝日新聞の記事に戻ります。新聞では、東大駒場キャンパスでの講演内容をを紹介しています。

――「人間は記憶と再生で、コンピューターにかなわない。私たちの記憶力は不完全で、絶えず忘れてしまう。でも、人間のように選択しながら忘れることがコンピューターにはできない」(新聞記事引用)

――「忘れることを恐れないこと。おびただしい情報で頭がメタボになれば、考えることができなくなる」(新聞記事引用)

私は梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)に、たくさんの知恵をもらいました。梅棹忠夫は1920年生まれで、外山滋比古よりも3歳年長です。2冊の本を重ね合わせると、薄っぺらな私の「知」はもっと膨らんだかもしれません。ハウツー本を活用するには、ベースとしての良質な「思考」が必要だったのです。

最近では、加藤秀俊(『隠居学』講談社文庫)や松浦弥太郎(『松浦弥太郎の仕事術』朝日文庫)などを好んで読んでいます。
 
外山滋比古『思考の整理学』により、「考えること」の大切さと「忘れること」の価値に気づかせてもらいました。情報を集め、ファイリングしているだけでは意味がありません。ときどき取り出し、考えてみる。何も浮かばなかったら、またファイルに戻せばいいだけなのです。それが「忘れる」ということなのでしょう。

エッセイのよいところは、小刻みに読むことができる点です。時間がないを口癖にしている人には、特におすすめのジャンルです。
(山本藤光:2012.02.27初稿、2018.02.21改稿)

天童荒太『永遠の仔』(全5巻、幻冬舎文庫)

2018-02-12 | 書評「て・と」の国内著者
天童荒太『永遠の仔』(全5巻、幻冬舎文庫)

十七年前、霧の霊峰で少年たちが起こした聖なる事件が、今鮮やかに蘇る……。/再会は地獄への扉だった。/山本周五郎賞受賞作から三年余。沈黙を破って放つ最高傑作ミステリー。(単行本上巻の帯コピー)
連続殺人、放火、母の死……。無垢なる三つの魂に下された恐るべき審判は……。/人は救いを求めて罪を重ねる。/<救いなき現代>の生の復活を描く/圧倒的迫力の2385枚!(単行本下巻の帯コピー)

◎虐げられて生きている
 
一度単行本で読んでいましたが、文庫は5分冊になっていることもあり、出勤の電車のなかで読み直しました。分厚い単行本が文庫化されると、もち運びに便利なので再読したくなります。この作品については、古い「読書ノート」から紹介してみたいと思います。

(引用はじめ)
 出張先のホテルで、配達された「中國新聞」(2002年6月8日)を開きました。特集記事がありました。「天童荒太自身が語る『永遠の仔』について」というタイトルでした。読者からの手紙やメールが3000通を超えたとの報告のあとに、つぎのようなコメントがありました。

――人はみな幸せでありたいと思っているのに、なぜ人を虐げないと生きていけないのでしょう。僕の作品はそこから始まった。(新聞より)

――子どもばかりでなく虐げられる存在は普遍的にある。今社会に必要なのは、こうした存在を皆が認め、その立場に立って物を発想していくこと。心に傷を受け懸命に生きる人たちの思いを私は背負わなければならない。その上で作家として何ができるか、考えていきたいと思うのです。(新聞より)

 天童荒太は表現こそちがえ、「人は人に虐げられて生きている」と強調しています。作品を生みだす原点は、そこにあるといいきっていいと思います。

 物語は、17年前の過去と現在を交錯させてつづられています。主たる登場人物の久坂優希、長瀬笙一郎(モウル)、有沢梁平(ジラフ)の3人は、愛媛県にある漁師町の小児総合病棟の入院患者です。3人は退院祝いとして、四国の霊山に登ります。そこで事件に遭遇します。やがて3人はある秘密を共有して、離れ離れになります。そして、17年後の再会。
 
 久坂優希は看護婦、長瀬笙一郎は弁護士、有沢梁平は刑事になっています。再会は必然ではなく、偶然の出会いでした。再会は久坂優希の弟・聡志の存在がきっかけになっています。優希の勤める病院の近所で、連続殺人がおきます。

 3人の絆(秘密)とはなんだったのか。12歳で心の病にかかり、入院を余儀なくされた3人の過去とはなにか。そして現在に待ち受けている事件とは? 再読にもかかわらず、最初の感動がよみがえってきました。

「虐げられる」を意識しながら、ぜひお読みいただきたいと思います。緻密なディテールや世の中のゆがみに、読者は圧倒されます。何度読んでも、傑作でした。
(引用おわり)

◎サイコ・サスペンスでデビュー

 天童荒太は現代日本を代表する、エンターテイメント作家です。宮部みゆきや東野圭吾とならぶ、最後まで読ませる筆力をもった作家だと思っています。ただし現状では、レパートリーが狭すぎます。家族、こども、哀れな人……。そのことはタイトルからも推察することができます。
 
 天童荒太には歴史上の人物を、描いてもらいたいと思っています。天童荒太は、緻密で器用な作家です。デビュー作『白の家族』(野性時代新人文学賞1986年、文庫見当たらず)は、王出富須雄(オイデプスオ)の筆名で応募しています。発表時には本名の栗田教行と改められました。その後、映画界に身をおいた時期もあります。
 
 ミステリーでのデビューは、『孤独の歌声』(日本推理サスペンス大賞優秀作1994年、新潮文庫)ということになります。この作品から、筆名を天童荒太としました。それにしても「王出富須雄(オイデプスオ)」というのは、大胆な名前です。「オイデプス王」はソポクレスの作品で、岩波文庫で入手可能です。
 
『孤独の歌声』は、サイコ・サスペンスのはんちゅうにはいる作品です。サイコ・サスペンスとは「異常殺人者、あるいは大量連続殺人犯の恐怖を描いたもので、サイコ・スリラー、異常心理小説、異常心理サスペンスともいわれる」(権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー事典』新潮社より)ものです。

 その後、天童荒太は『悼む人』(上下巻、文春文庫)で、直木賞を受賞することになります。私はそこにいたるまでの作品のなかで、『包帯クラブ』(ちくまブリマー新書)を高く評価しています。

「サイコ・サスペンス」についてふれておきます。ロバート・ブロックは1959年に、有名な異常殺人者エド・ゲインをモデルに『サイコ』(創元推理文庫、他に『切り裂きジャックはあなたの友』ハヤカワミステリー文庫などがあります)を執筆。これがヒッチコックによって映画化されました。トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)は、その最高傑作といわれています。日本では逢坂剛『さまよえる脳髄』(集英社文庫)や折原一『異人たちの館』(講談社文庫)がサイコ・サスペンスの代表作です。(『日本ミステリー事典』を参照しました)

◎『永遠の仔』(単行本)のカバー写真

 初出『永遠の仔』(上下巻、幻冬舎)には、巻末に著者の簡単な謝辞が書かれています。今回文庫化にあたり天童荒太は、長い「文庫版あとがき・読者から寄せられた言葉への返事として」を挿入しています。真摯な天童荒太らしい文章で、作品にたいする並々ならぬ愛情を感じました。
 
『永遠の仔』を読んでいない方は、店頭で文庫版第五巻の「あとがき」を立ち読みしていただきたいと思います。これが天童荒太なのだ、と実感してもらえると思うからです。私のつたない文章の何百倍も説得力があります。

以前私は「『永遠の仔』(単行本)のカバー写真」なる文章を発信しています。以下の文章は、PHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に連載していた「藤光伸(当時のペンネーム)の文学界ウォッチ」からの引用です。残念ながら文庫本の装丁はちがっています。

――天童荒太『永遠の仔』のカバー写真を覚えているでしょうか? 私はあの写真に圧倒されました。上下2巻のカバー写真は同じものですが、表と裏が逆になっています。上巻の表紙には2人の少年、裏表紙には1人の少年。下巻は表紙には1人の少年で、裏表紙には2人の少年。ともになにかをじっと見すえています。

神秘的な少年たちの視線に、圧倒されました。私は「少年」と書きましたが、性別は明らかではありません。また「カバー写真」と書きましたが、初めは絵だとばかり思っていました。本書に掲載されている説明では、つぎのようになっています。

装幀・多田和博、
カバー作品・舟越桂、
『知恵の少年達へ』写真撮影・落合高仁、
『かたい布は時々話す』名古屋市美術館所蔵写真撮影・落合高仁、『砂と街と』写真撮影・近藤正一、
写真提供・西村画廊(株)求龍堂

 あのカバー写真の謎が解けました。あの写真は、舟越桂という人の彫刻だったのです。天童荒太は「本」(講談社・2000年7月号)につぎのように書いています。

「昨年、上梓した小説のカバーに、船越さんの彫刻作品をとの案が出されたのは、二年前の秋のことだ。無垢で温かい印象ながら、生きることの厳しさや奥深さをたたえている舟越彫刻が、その物語には合うと思えた。」(本文より)

 私が圧倒されたカバー写真は船越桂の彫刻作品でした。その船越桂の版画と天童荒太の文章が合体した作品集が出版されています。『あなたが想う本』(講談社)。

天童荒太『永遠の仔』には感動しました。もう一つの感動をあたえてくれた〈カバー写真〉の作者・舟越桂の版画を、じっくりと見たいと思います。版画展があったら行ってきます。

◎心の傷とは(追記:2015.03.02)

むかし書いた書評がでてきました。天童荒太を知るうえで、大切なポイントだと思います。追記させてもらいます。

(転記はじめ)
天童荒太『包帯クラブ』を読みました。天童荒太の6年ぶりの書き下ろしです。しかも珍しい新書サイズでの登場でした。(補:現在はちくま文庫)新書版といっても、260枚と長いものです。『包帯クラブ』は、少年少女たちの「心の傷」に迫った作品です。しかし、従来のように重いものではありません。

天童荒太が「心の傷」にこだわりつづけるのは、つぎの理由からです。

――悲しい人とか、懸命なのに生きづらさを感じている人に惹かれるんでしょう。自分に、そういう人たちに対しての共感があるんだけど、何もしてあげられないこともわかっているので、せめて物語は差し出せるかもしれないということもありますね。
(「ちくま」2006年3月号・インタビュー記事より)

本書のタイトルの意味は、読んでのお楽しみとさせてもらいます。天童の新しい世界にふれて、さらなる可能性を確信しました。
(転記おわり2006.05.10)

(山本藤光:2010.01.21初稿、2018.02.12改稿)