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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

デフォー『ロビンソン漂流記』(新潮文庫、吉田健一訳)

2018-02-07 | 書評「タ行」の海外著者
デフォー『ロビンソン漂流記』(新潮文庫、吉田健一訳)

難船し、ひとり無人島に流れついた船乗りロビンソン・クルーソーは、絶望と不安に負けず、新しい生活をはじめる。木材をあつめて小屋を建て、鳥や獣を捕って食糧とし、忠僕フライデーを得て、困難を乗りきってゆく。社会から不意に切り離された人間が、孤独と闘いながら、神の摂理を信じ、堅実な努力をつづけてゆく姿を、リアリスティックに描いたデフォーの冒険小説である。(「BOOK」データベースより)

◎『ロビンソン漂流記』誕生の秘話

 タイトルは、新潮文庫にならいました。「ロビンソン・クルーソー」とされている翻訳の方が、多いのではないでしょうか。幼いころから慣れ親しんだ作品を読んでみて、記憶のひだから断片的な映像が間延びした感じで落ちてきました。おおまかなストーリーは、だれもが知っています。しかし意外にも本格的に読まれていないのが、『ロビンソン漂流記』なのかもしれません。
 
 本書が発売されたとき(1719年)の本には、著者・ダニエル・デフォーの名前はどこにもありませんでした。ロビンソン・クルーソーという人が、自らの無人島暮らしを書いたように装われていたのです。タイトルは「ヨークの人、ロビンソン・クルーソーの生涯と、不思議な驚くべき冒険」とされており、著者名は「彼自身によって書かれた」と記されていました。(伊集院静訳『ロビンソン・クルーソー』講談社「痛快・世界の冒険文学19」の解説・小池繁を参照しました)
 
 著者・デフォーは父親から、「人間は中間くらいがいちばんいい」といわれて育ちました。しかし彼はそれにあきたりませんでした。デフォーはいまでいうフリージャーナリストとして浮沈をくりかえしました。向上心が強かったのです。1712年、デフォーはある体験記を読みました。
 
 アレクサンダー・セルカークという男が、たった一人で南太平洋の無人島で4年間以上をすごしたという内容でした。デフォーは閃きました。彼には船乗りの経験はありませんでしたが、ロビンソン・クルーソーという想像上の人物を生み出したのです。
 
 さて『ロビンソン漂流記』ですが、主人公・「私」(ロビンソン・クルーソー)は、父親から安定した生涯を送るようにいわれていました。しかし父親の反対を押し切って、「私」(以下カギカッコを省略)は船乗りになります。何度か航海をした私は、一攫千金を夢見てギニアに向かいます。そのときに大嵐に巻きこまれ、仲間はすべて遭難してしまいました。
 
 私はたった一人で、見知らぬ島に漂着します。人食い人種が住んでいるかもしれません。凶暴な獣に襲われるかもしれません。浜辺に着いて無事を知った私は、真っ先にそんな不安にとらわれました。
 
 食べるものも飲み水もありません。もっているのはナイフと煙草を吸うためのパイプだけでした。私は木に登り、落ちないように体をゆわえて、一晩をあかしました。
 
 ここで読者も、木に登って考えることになります。そして今後のことに思いをめぐらせます。現地人や猛獣といかに闘うのか。どうやって彼らから身を隠すのか。真水や食料を調達するための危険を、いかなる手段で克服するのか。武器はナイフしかありません。
 
◎生きるための孤独な毎日
 
 翌朝、私は1マイル(1.6キロほど)ほど先に、座礁している自分たちの船を発見します。私は潮が引くのを待ちます。苦労して船に乗りこみ、人の姿がないのを確認してから、必要な物資をもち出しました。
 
 ビスケットとラム酒。むさぼるように飲み食いします。その後簡単ないかだを造って、乾燥山羊肉、葡萄酒、大工道具、武器と弾薬、火薬、衣類などを積みこみます。島に戻った私は、さっそく武器をもって水や食料を求めるかたわら、探検をはじめます。小高い丘に登り、そこが「島」であることを認識しました。便宜上山本藤光は、最初から「島」と書きましたが、主人公の私(クルーソー)にはその認識はなかったのです。
 
――私は猟銃と短銃を一挺ずつと、角製の火薬入れを一つ持って、非常な困難を冒してその丘の頂上まで登った。私はその時私がどういう場所に来たか、初めて解った。そこは島で、周囲の海には遠方にいくつかの岩と、九マイルほど西にこれよりも小さな島が二つ見えるだけだった。(本文P60より)

 こうして孤島での28年と2ヶ月の生活がはじまります。山本の記憶の襞には、もっと短い期間の生活と刻まれていました。クルーソーは外敵から身を守り、豪雨から逃れるための住居を造ります。たった数粒の麦の種から、麦の栽培をはじめます。野生の山羊を飼いならし、家畜として育てます。脱出用のボートの建造に、船から持ち出した斧だけで挑戦もします。
 
 生きるための孤独で単調な、毎日がつづきました。私はいつしか神に祈る習慣を、身につけはじめます。『ロビンソン漂流記』は、無からの創造の喜びに満ち満ちています。大木から板をつくり、それをテーブルにします。岩肌を掘り進めて、食料庫に仕上げます。数粒の種を増やし、4年がかりでケーキをつくります。山葡萄から葡萄酒を製造します。そんな創意工夫の生活を見つめつづけたのが、いままで見向きもしなかった神の存在でもあったのです。
 
 読みながら山本は、不思議だなと思ったことがあります。ロビンソン・クルーソーは魚や貝を食べていません。豊富であるはずの魚介類は、まったく食料の対象として描かれていないのです。見たこともない鳥を、打ち落として食べます。そんなクルーソーが、なぜ魚や貝を無視したのでしょうか。わかりません。少なくともこの点にふれた、論評の存在は知りません。
 
 やがて私は島で、人骨を発見します。そして人食い人種が、ときどき来島していることを知ります。ここから先は、また記憶のスイッチがはいりました。フライデーという現地人の存在です。
 
◎絶望から希望へ 
 
 火薬が底をつきはじめました。私は狩猟生活から、畜産や農業に思考を切りかえます。日記も書きはじめました。「絶望の島」といっていた空間が、少しずつ変化をとげるようになります。
 
 その後何度か、野蛮人は島にやってきました。人肉を食い、踊り、海へともどってゆきます。私は見知らぬ世界の人種たちの奇習を、自分と同化させて考えてみたりするようになります。獣肉を何のちゅうちょもなく食べている自分。人肉を食べてはいけない、という倫理観のない野蛮人たち。どこにちがいがあるのでしょうか。やがてインクがなくなり、日記を書く習慣は頓挫せざるを得なくなります。
 
 ある日5艘のボートが、着岸しているのを発見します。野蛮人たちが人肉を食べて踊っていました。そのとき捕虜の一人が、猛烈な勢いで脱走をはかります。私は追っかけてきた野蛮人を撃ち殺し、捕虜を救います。それがフライデーでした。
 
 私はフライデーに、言葉や宗教も教えます。聖書を読み聞かせます。フライデーが住んでいた島には、17人の白人が捕虜生活をしていることを聞きました。フライデーの存在は単調だった毎日に、アクセントをつけてくれました。同胞の捕虜がかなたの島にいることが、私の心を救出へと駆り立てます。

『ロビンソン漂流記』は、けっして単なる児童書ではありません。生きるということの根源を示してくれる、哲学書だとすら思います。つくる、そだてる、くふうする、しんじる。そんな大切なことを教えてくれる、指導書だとも思うのです。

 1686年12月19日クルーソーは、27年2ヶ月19日滞在した「絶望の島」と別れを告げます。本書は組織に不満をもつ方には、必読の1冊です。「絶望の島」に希望を見出すヒントを、本書のいたるところから発見することができるからです。
 
 2度目に本書を読んで、はじめて安部公房『砂の女』(新潮文庫)との類似点を発見しました。『砂の女』の主人公は、絶望の砂のなかから毛細管現象という希望を発見しています。無神論者だったクルーソーは、絶望のなかから神の存在を見出しました。
 
◎ちょっと寄り道

 山本は本書を読み終えると同時に、伊集院静・文『痛快世界の冒険文学19・ロビンソン・クルーソー』(初出1999年講談社、文庫なし)を手にしました。伊集院静の冷静でいて、はじけるような文章には味があります。挿絵(長友啓典)もすてきです。ただし完訳と違い本書には、植民地主義のイギリスの思想が書きこまれていません。クルーソー自身にも完訳とは異なり、未開人蔑視の思想は目立ちません。
 
 私は『痛快世界の冒険文学』シリーズを大切にしています。孫が大きくなったら、ひざの上に乗せて読んであげたいと思っているほどです。本シリーズは、一部文庫化されているようです。注目の作品と筆者を紹介しておきます。
 
志水辰夫『十五少年漂流記』、阿刀田高『アーサー王物語』、嵐山光三郎『水滸伝』、眉村卓『タイムマシン』、立松和平『ハックルベリィ・フインの冒険』など全24巻。
(山本藤光:2009.11.28初稿、2018.02.07改稿)


P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社、上田惇生訳)

2018-02-07 | 書評「タ行」の海外著者
P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社、上田惇生訳)

優れた成果をあげるために、自らをいかにマネジメントすべきか。経営学の大家が自分の経験を振り返りながら具体的に説く。(内容案内より)

◎明治維新という偉業

数あるビジネス書のなかで、P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社、上田惇生訳)は、最高に示唆に富んだ1冊です。本書を読んでいないマネジャーがいたら、それは本人の不幸であり、会社の損失でもあります。

ドラッカーの優れた点は、歴史への真摯な眼差しと事象への深い洞察力にあります。ドラッカーの著作を読むと、事例として掲げられたことを勉強したくなります。本書は冒頭に、「日本の読者へ――モデルとしての日本」という文章がそえられています。ドラッカーにとって、日本は長きにわたって重要な位置をしめていたのです。その理由として、ドラッカーは次のように書いています。

――ヒトラーの台頭を許した失政と分裂と動乱に匹敵する状況から社会を蘇生させ、固有の文化を守り抜き、政治と経済の機能を取り戻すことに成功した明治維新という七〇年前の偉業だった。

ドラッカーが賛嘆する、明治維新とは何だったのか。本書を読んでから、私はあまりよく知らない明治維新の勉強をせざるをえませんでした。万事がこんな具合で、ディドロ『百科全書』(岩波文庫)を読んだのも本書がきっかけでした。

そうした歴史認識からドラッカーは、
――これからの社会が、資本主義社会でも、社会主義社会でもないことはたしかである。その主たる資源が、知識であることもたしかである。つまりそれは、組織が大きな役割を果たす社会たらざるをえないといくことでもある。(本文P6)
と書いています。そして次のように結びます。

――知識社会では、専門知識が、一人ひとりの人間の、そして社会活動の中心的な資源となる。(本文P31)

つまり「プロフェッショナルの条件」とは、深い専門知識ということなのです。私の敬愛する野中郁次郎先生とドラッカーは、知識創造社会という分野での世界的な先達です。野中先生の著書『知識創造企業』の帯に、ドラッカーの推薦文(これは現代の名著だ!)があるくらい、2人の呼吸は合っています。

◎人間にフォーカスをあてる

ドラッカーは企業の成長のプロセスとして、3つの提唱をしています。(本文P234)

1. うまくいったことをどのように行ったかを仲間に教えること。聞き手が学ぶだけでなく、自らが学ぶ。
2. 別の組織で働くこと。そこから新たな選択の道が開かれる。
3. 一年に何度か現場で働くこと。

私は34年間、日本ロシュという外資系製薬会社に勤務しました。個々人に高度な専門性をもたせるのが、人材育成の柱でした。社員が自分の強みを理解し、そこに磨きをかけさせる。強みにふさわしい仕事をあたえる。これが適材適所の根幹であり、若い有能な人材の抜擢も日常茶飯事でした。これらはすべて『プロフェッショナルの条件』で提唱されていることです。

野中郁次郎先生が、社長に説いた組織変革プロジェクトがあります。これはドラッカーが本書で語っているものと同質の理念です。社長は営業組織を、強化したいと考えました。ドラッカー、野中理論を実践すると次のような構図になります。

1. 優秀な営業マンの暗黙知(経験知)を平均的な人に移植して組織の底上げをはかる。
2. 指導する優秀営業マンの経験知はさらに高くなるので、彼らにはプロジェクト終了後はさまざまな職種で人材育成を担ってもらう。
3. このプロジェクトで全社的な新たな風を起こす。

こうして立ち上がったのが、SSTプロジェクトでした。私は2年間このプロジェクトの事務局長を務めました。この体験についてはプレジデント社から、2冊(『暗黙知の共有化が売る力を伸ばす』『ドキュメント同行指導の現場』)の本を上梓しています。すでに絶版になっていますが、興味のある方は探してお読みください。帯には野中先生の推薦文がついています。

ドラッカーは、人間にフォーカスをあてる希有なナビゲーターでもあります。そして自らの存在価値を考えなさいと説きつづけます。さらに、
――1つの企業だけでキャリアを終えることを前提とせず、専門性の高い知識を取得し、自己の活躍の場を広げる努力が必要。
とも説きます。

古い日本の企業人には考えられないことですが、今やこれは有能な企業人の常識になっています。現に合併で消失した日本ロシュの有能なメンバーは、現在30社を超える企業の中枢で働いています。

ドラッカー『プロフェッショナルの条件』を読んだら、ぜひ野中郁次郎先生の著作に触れてください。野中先生の著書から日本の企業が、いかに知識経営と真摯に向かい合っているかがわかります。具体的に企業名とその取り組みが書かれていますので、実践書として価値あるものです。

ドラッカーは、企業よりも長生きする知識労働者と書いています。日本ロシュは企業としては弱かったのですが、プロフェッショナル人材を育てる気持ちは、きわめて強かった会社でした。久しぶりで本書を再読し、SSTメンバーとドラッカーや野中郁次郎先生の著作を、熱く語り合った日を思い出しました。
(山本藤光:2013.08.11初稿、2018.02.07改稿)

トルストイ『戦争と平和』(全4巻、新潮文庫、工藤精一郎訳)

2018-02-06 | 書評「タ行」の海外著者
トルストイ『戦争と平和』(全4巻、新潮文庫、工藤精一郎訳)

19世紀初頭、ナポレオンのロシア侵入という歴史的大事件に際して発揮されたロシア人の民族性を、貴族社会と民衆のありさまを余すところなく描きつくすことを通して謳いあげた一大叙事詩。1805年アウステルリッツの会戦でフランス軍に打ち破られ、もどってきた平和な暮しのなかにも、きたるべき危機の予感がただようロシ社交界の雰囲気を描きだすところから物語の幕があがる。(「BOOK」データベースより)

◎W.S.モームも退屈な場面に辟易としていた

まったく予備知識がないままに読みました。第1巻には正直面食らいました。登場人物をすべて書きだすのが、私の読書スタイルです。あっという間に、ノートがおびただしいカタカナ名で埋まってしまいました。しかも同一だと思われる人物の呼称が、複雑に変化してくるのです。男爵、公爵、子爵、伯爵なる冠もわずらわしさに拍車をかけました。
 
というわけで、第1巻を読み終えたときに、呼吸を整えることにしました。大雑把なストーリーを知って、できるだけメインの人物の心象風景に集中しようと考えたのです。
 
マークしておかなければならない人物はつぎのとおりです。このリストをしおりがわりにはさみこんで読むと、ストーリー展開が理解できるようになりました。作品に登場する固有名詞は500人を超えるといいます。そのなかから選りすぐったのが、以下の5人です。
 
・アンドレイ・ボルコンスキー公爵
・マリヤ・ボルコンスカヤ(アンドレイの妹)
・ピエール・ベズーホフ伯爵(アンドレイの友)
・ニコライ・ロストフ
・ナターシャ・ロストフ(ニコライの妹)

時代背景については、ナポレオンのロシア遠征を勉強しなければ、理解できないことがわかり、断念してしまいました。勉強するには、あまりにも膨大な資料を読まなければならないからです。ポイントだけを整理しておきます
 
――1805年のアウステルリッツの戦い(ナポレオン軍がオーストリア・ロシア連合軍を破った戦い)の少し前から1812年のナポレオンによるロシア遠征とその失敗、さらに1815年のナポレオンの敗退後、数年経った1820年1月までを描いた壮大な大河小説である。(金森誠也『世界の名作50選』PHP文庫より)
 
 W.S.モームも『戦争と平和』を絶賛していますが、退屈な場面に辟易としていたようです。、
――わたくしが『戦争と平和』をとりあげるのを躊躇したのは、退屈に思える箇所がいくつかあるからである。戦争の場面があまりにもしばしば出てきて、しかもその一つひとつが微に入り細に入り語られていてうんざりするくらいであり(後略)。(W.S.モーム『世界文学読書案内』岩波文庫より)
 
 難渋していたのは、私だけではなかったのです。安心しました。そうした事情がありますので、今回は『戦争と平和』をこれから読む方に向けて発信させていただきます。

◎2極を振り子のように活写

『戦争と平和』は、全4編+エピローグからなりたっています。第1篇は、ロシア貴族の平和な社交場面が、実にていねいな筆致で書き連ねられています。しかしそこにも、戦争の予感が忍び寄ってきています。

アンドレイ(ボルコンスキー公爵)には、身重の妻・リーザがいます。社交好きの美しい妻の大好きな夜会を、アンドレイは退廃的なものと感じ辟易しています。また早まった自分の結婚を、後悔もしています。ある日アンドレイは友人のピエールに、そうした現状を訴えます。当時のロシアは、ナポレオンが率いるフランスと戦争中です。
 
アンドレイは、妻を父と妹のマリヤに預けて出征します。アンドレイは戦地で被弾し、生死の境をさまようことになります。そしてやがて回復して、故郷に戻ってきます。戻ってくると妻は産気づいており、男の子を出産して死んでしまいます。平和と戦争。生と死。
 
トルストイは叙情的な文章で、2極を振り子のように活写してゆきます。アンドレイは、自分の人生の終わりを実感します。彼は戦争で傷つき、妻をも失ってしまいます。ページをくくりながら読者は、戦争場面に圧倒され、戦争から離れた田舎でのアンドレイの悲惨さに、胸を痛めることになります。

ものがたりは、突然明るい舞台に引き戻されます。ロシアとフランスが講話条約を締結します。戦争から平和への幕開け。傷心のアンドレイは、ロストフ伯爵の令嬢・ナターシャを見そめます。2人は愛し合い、婚約します。しかしアンドレイが外遊中に、寂しさからナターシャは浮気をしてしまいます。
 
 婚約が破棄されたそのころ、ふたたびフランスとの戦争が再燃します。アンドレイは戦地で、またもや重症を負います。ロシア軍は撤退をつづけ、ついにモスクワをも侵略されようとしています。
 
負傷者が運びこまれるなかに、ナターシャは瀕死のアンドレイを見つけます。ナターシャは自分の罪をわびるものの、アンドレイは死んでしまいます。

いっぽうアンドレイの友人・ピエールは、ナポレオン暗殺の機をうかがっています。ピエールの妻・エレンは、乱れきった生活の果てに命を失ってしまいます。淫蕩の限りを尽くした妻・エレンを亡くしたピエールは、忘れかけていたナターシャへの愛を実感します。そのころアンドレイの妹・マリヤは、ナターシャの兄・ニコライと結婚します。
 
『戦争と平和』を読み終え、私は達成感に満たされました。トルストイが日本の作家に、大きな影響を与えた意味を実感しつつ、全巻を読み終えて虚脱感すらわきあがってきました。
(山本藤光:2013.08.27初稿、2018.02.06改稿)

デュマ『モンテ・クリスト伯』(全7巻、岩波文庫、山内義雄訳)

2018-02-04 | 書評「タ行」の海外著者
デュマ『モンテ・クリスト伯』(全7巻、岩波文庫、山内義雄訳)

200年近い長い間、世界各国で圧倒的な人気をあつめてきた『巌窟王』の完訳。無実の罪によって投獄された若者ダンテスは、14年間の忍耐と努力ののち脱出に成功、モンテ・クリスト島の宝を手に入れて報恩と復讐の計画を着々進めてゆく。この波瀾に富んだ物語は世界大衆文学史上に不朽の名をとどめている。1841―45年刊。(文庫案内より)

◎無実の罪での幽閉

 19歳の船乗りエドモンド・ダンテスは船長の急死により、つぎの航海から船長にばってきされることになっていました。また恋人メルセデスとの結婚もきまっていました。そんな絶頂期にあるダンテスは、婚約披露宴の席でいきなり逮捕されてしまいます。
尋問にあたったのは刑事代理・ヴィルフォールでした。罪状はナポレオン派のスパイということでした。

ダンテスは釈明の機会もあたえられず、海上の牢獄に幽閉されます。いたずらに時は流れます。そして約7年。ダンテスの前に隣の牢に閉じこめられていた、ファリア神父があらわれます。ファリア神父は長い歳月をかけて、脱獄用のトンネルを掘っていました。しかし計算ミスで、ダンテスの牢に行きついてしまったのです。

孤独な2人の親交がはじまります。ファリア神父は、ダンテスを無実の罪におとしいれた人間を特定します。それまでダンテスはそうした人間がいることに、気づいていませんでした。ファリア神父は、ダンテスに教育を施します。そして新たな脱獄計画をねりあげます。しかしファリア神父は衰弱がはげしく、死を意識して秘宝のありかをしたためた書き物を、ダンテスにゆだねます。

ファリア神父に死がおとずれます。ダンテスは袋にいれられた、ファリア神父の死体と入れ替わります。死体は海に投げこまれます。こうしてダンテスの14年間にわたる、幽閉生活は終焉をむかえます。

脱獄に成功したダンテスは、ファリア神父の地図にあったモンテ・クリスト島を買い求めます。彼はモンテ・クリスト伯の称号を得て、14年間の怨念を晴らすべく復讐の鬼と化します。

◎復讐劇の幕開け

 莫大な財力を手にしたダンテスは、モンテ・クリスト伯としてパリの社交界にはいりこみます。彼はブゾーニ神父、ウィルモア卿、船乗りシンドバッドなどに変装しながら、1等航海士だった時代の人間たちに接近します。

 ファラオン号の船主・モレル氏は、ダンテスをつぎの船長に指名したやさしい人です。ファラオン号が沈没して、モレル商会は経営の危機にありました。そんなときに沈没した船がこつぜんと港にあらわれたのです。形は以前と同じなのですが、新装されたファラオン号でした。モレル氏は息子のマクシミリオンとともに、奇蹟をよろこびます。

 モンテ・クリスト伯は善意の施しをしたのち、いよいよ復讐へと舵をきります。

第1の標的は、元ファラオン号の会計係だったダングラールです。彼はダンテスを罪におとしいれたのち、大銀行家となり男爵の称号を手にしていました。ダングラールはダンテスがつぎの船長になることを知り、はげしい嫉妬にかられていたのです。

第2の標的は、婚約者メルセデスに横恋慕していたフェルナンです。彼はダングラールと組んで、ダンテスをおとしいれました。そしてダンテスなきあと、メルセデスと強引に結婚しています。いまではモレゼール伯爵と名乗り、アルベールという息子がいます。

第3の標的は、元マルセイユの検事補ヴィルフォールです。彼は保身のために、無実のダンテスを投獄した張本人です。現在は検事総長になっています。

復讐劇については、具体的に紹介するのはひかえたいと思います。復讐のターゲットたちには、それぞれりっぱな若者に成長した子どもたちがいます。モンテ・クリスト伯は、彼らにはやさしい眼差しで接します。

さらに物語の最後のほうには、エデという美しくて若い女性が登場します。フェルナンデスの裏切りで奴隷となっていたのを、モンテ・クリスト伯が救出したのです。エデを含めた若者たちは、とかく醜悪になりがちな復讐劇に、さわやかな風を送りこんでくれます。

◎待て、しかして希望せよ!

子どものころに『岩窟王』を読んでいます。そして村松友視・文『痛快世界の冒険文学15・モンテ・クリスト伯』(講談社)も読んでいます。『モンテ・クリスト伯』を「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介しようときめたとき、岩波文庫(山内義雄訳、全7巻)の山をみて一瞬たじろぎました。これを読まなければ、原稿は書けないのです。

そして全7巻を読破したとき、手抜きをしなくてよかったと安堵しました。デュマ『モンテ・クリスト伯』は壮大な物語でした。これほど夢中になって、読み進めた本はありません。筒井康隆は著作のなかで、「児童書で読まなくてよかった」と若い時代の感想をのべています。

――読みはじめてぼくはまず、児童向きの本で読まなくてほんとうによかったと思った。「神は細部に宿る」なんて諺はまだ知らなかったが、その諺はまさに小説のためにあったのだ。子供向きの本ではストーリイを追うあまり細部の描写や顛末なエピソードは省かれてしまう。しかし小説の真の面白さはそういう部分にこそあり(後略)(筒井康隆『漂流』朝日新聞社より)

もう少し『モンテ・クリスト伯』の感想をひろってみます。

――饗宴の描写、服や食物の描写の楽しみ、スカッとさわやかなドンデン返し、スリルとサスペンス、ハラハラドキドキ、快哉、感動、「ああ、終っちゃった……」の詠嘆。――ここにこそ、物語の魅力のすべてがある。/そのいいかげんさや適当さ、ご都合主義と感傷のすべてを含めて、これが私の考える理想の小説というものだ。私はこの本を読んだから小説家になったのだし、私の書きたいのはこういう小説だけなのだ。(中島梓、『朝日新聞社学芸部編:読みなおす一冊』朝日選書より)

 最後にモンテ・クルスト伯がマクシミリヤンに宛てた印象的な手紙があります。それを引用させていただきます。

――この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです。きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができるのです。(岩波文庫第7巻P439より)
 
そして手紙はこんな名セリフで終ります。
――待て、しかして希望せよ!
(山本藤光:2011.08.30初稿、2018.02.04改稿)

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 (全5巻、光文社古典新訳文庫、亀山郁夫訳)

2018-02-01 | 書評「タ行」の海外著者
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
(全5巻、光文社古典新訳文庫、亀山郁夫訳)

父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが……。(アマゾン内容紹介より)

◎未踏の霊峰への最後の挑戦

 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(全5巻、光文社古典新訳文庫、亀山郁夫訳)をついに読破しました。若いころから挑みつづけて、挫折をくりかえした未踏の霊峰です。ずっと読まなければならないと思っていましたが、第1巻の先にあるベースキャンプにすらたどり着けない状態でした。

本書への挑戦は、年齢的にもこれが最後だと思っていました。大学ノートを買ってきました。徹底的にメモをとりながら読む。そう決めました。写本ではないのですが、登場人物と舞台の描写はすべて書き写す。1日に小見出しを1つ分(約20ページ)を読み進める。自分自身に2つの課題をあたえました。課題をあたえたというよりは、退路をふさいだのかもしれません。
 
 ドストエフスキーの5大小説(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』)といわれる作品は、すべて書棚で色あせて沈黙していました。いずれも世界文学全集の端本です。最も古い蔵書は、『ドストエフスキー全集6・罪と罰』(1936年筑摩書房)でした。奥付のところにスミレの押し花があり、しおりは176ページのところにはさまれていました。全体の3分の1のところで、呼吸困難におちいったのでしょう。押し花は昔の彼女が読んだ痕跡だと思います。しかし彼女が読破したのか否かは、定かではありません。『カラマーゾフの兄弟』(「世界文学全集19」集英社)には、読んだという痕跡すらありませんでした。

◎サマセット・モームに背中を押され

どの作品から読むべきかと迷いました。そんなときに、W.S.モーム『世界の十大小説』(上下巻、岩波文庫)を読みました。『トム・ジョーンズ』『高慢と偏見』『赤と黒』『ゴリオ爺さん』『ディヴィッド・コパーフィールド』(上巻で紹介されています)と並んで、『ボヴァリー夫人』『モウビー・ディック(白鯨)』『嵐が丘』『戦争と平和』そして『カラマーゾフの兄弟』が下巻で紹介されていました。

 大好きなモームが薦めています。単純な動機で『カラマーゾフの兄弟』を選びました。第1巻には、24見出しがつけられています。予備日を入れて、ほぼ1ヶ月で読み終えることを、ささやかな目標としました。
 
『カラマーゾフの兄弟』は、難解な作品ではありませんでした。きわめて滑らかに、人間関係をとらえることができました。亀山郁夫の名訳のおかげだと思います。1日20ページのノルマを着実にこなしました。「ノルマ」で思い出しました。私たちは何気なく、「ノルマ」という言葉を使っています。これはドストエフスキーが操っている、ロシア語なのです。シベリアに抑留された日本人が、もちこんだ忌まわしい言葉というわけです。

 ドストエフスキーは空想社会主義者として官憲に逮捕され、死刑判決、特赦、シベリア流刑を体験しています。ノルマとは、「ソ連時代の制度で、労働者が一定時間内に遂行すべきものとして、わりあてられる労働基準量。賃金算定の基準となる」(「広辞苑」より)という意味です。1日20ページという私の読書法は、まさに「ノルマ」なのかもしれません。

◎登場人物の息遣いが聞こえた
 
 私は併読主義なので、ほかに4冊の本を併読していました。小説3冊とエッセイ1冊。読んでいて、作品としての格の違いを実感させられました。冷凍餃子を解凍し、フライパンで調理しただけ。併読中の著者たちには申し訳ないのですが、構成力、表現力、物語の展開、人物描写、社会背景などが貧相きわまりないと思いました。『カラマーゾフの兄弟』には、まったく別格の戦慄をおぼえました。心底「すごい」と思ったものです。
 
 ページをくくるのが楽しみでした。登場人物の息づかいが、間近に聞こえました。この時点で、これまでに読んだなかでは、ナンバーワンの小説だと思いました。ゆったりとした、それでいて研ぎ澄まされた小説です。もっと早くに読んでおけばよかった、と後悔させられました。長いことトップに鎮座していた「これまで読んだ作品のベストワン・安部公房『砂の女』の位置を、ちょっぴりと横にずらすことになりました。

『カラマーゾフの兄弟』第1巻は、ちょうど1ヶ月で読み終えました。最後のページを閉じて、ため息をつきました。巻末に翻訳者・亀山郁夫の「読書ガイド」が掲載されています。翻訳力の優劣を語る資格はないのですが、読者目線の解説には好感をもちました。愛しているのだな、この作品をとも思いました。

 あたかも食後のデザートを提供されたような、さっぱりした味わいでした。料理の味をそこなわないようなデザート。亀山郁夫はデザートにまで気配りできる、一流シェフでした。これまでに何人の翻訳家が『カラマーゾフの兄弟』に挑んできたのかはわかりません。亀山郁夫の解説も翻訳も、私には満足のゆくものでした。

◎シェルパーに励まされて

第1部に圧倒されて、第2部、第3部と読み進めました。相変わらず一気読みはしていません。1日20ページ前後のきめごとを堅実に守り、満たされた気持ちで読書を堪能しました。

大学時代に何度も挑戦した、神秘の巨峰でした。これまでは途中で滑落するか、あえぎあえぎ引き返していました。それが呼吸も乱れず、粛々と歩を進めることができました。登山計画がうまくいったのだろうと思います。これまでの読書は焦りすぎていました。読書の目的も不明瞭でした。

 ドストエフスキーを満喫したい。着実に前進する。裾野で見上げる仲間たちに、感動を伝えられるように呼吸を整える。そのために「読書ノート」を用意していました。ドストエフスキーに関する資料を読みあさりました。 

 斉藤孝『ドストエフスキーの人間力』(新潮文庫)や加賀乙彦『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)が、シェルパーの役割を担ってくれました。

――フョードルは、これ以上はないというほど好色男だ。しかも光源氏のように、洗練された優男とは全く対照的なスケベ男だ。(斉藤孝『ドストエフスキーの人間力』新潮文庫、P214より)

――フョードルはどんな人物かというと、(中略)要するに、全体的に「だぶだぶ」していて、それが「いやらしい淫乱な相を与える」という。これだけでもフョードルの性格がわかります。全然しまらない、太った男。大喰らいで酒飲みなものだから太っている。フョードルはたいへんな金持ちですが、子供たちの養育については、ほったらかしです。そこで子供たちに恨まれ、疎まれている。(加賀乙彦『小説家が読むドストエフスキー』集英社新書、P159より)

自分の理解、イメージとシェルパーのものを重ねてみます。そうすることで、読書中のカラマーゾフ家の父親・フョードルの人物像がよりくっきりとすることになります。
日本の古典を読むときはかならず、「入門書」を併読することにしています。わかったつもりの読み流しを避けるためです。『カラマーゾフの兄弟』のような長編小説を読む場合は、シェルパーをつけることをお薦めしたいと思います。

◎なぜ、カラマーゾフ「の」なのか

『カラマーゾフの兄弟』は、1860年代のロシアの地方都市が舞台です。第1部ではカラマーゾフ一家について、詳しく紹介されています。

 タイトルの不思議について、ふれてみたいと思います。池澤夏樹『世界文学を読みほどく』(新潮選書)は、私の疑問に答えてくれています。なぜ「カラマーゾフの」と「の」が入っているのか? 兄弟3人について書くのなら、「の」はいらないはずです。「の」が入っているということは、「カラマーゾフ家」にウエートがおかれているからです。

 つまり主人公は3兄弟だけれども、そんじょそこらの兄弟とはちがうと、タイトルが語っているのです。これが『カラマーゾフの兄弟』のおさえどころです。カラマーゾフ家にアンテナを張っておきましょう。

 カラマーゾフ家の主は、フョードル・カラマーゾフといいます。この男は酒飲みで、女癖が悪い。ほしいものならなんでも手にいれる、旧ロシアの代表的な地主です。彼は独特の無神論者であり、自らの肉体の衰えを意識しはじめています。詳細については、前項の引用のとおりです。

 フョードルには3人の息子がいます。長男はドミトリー(ミーチャ)といい、熱しやすく冷めやすい単純なタイプです。軍隊から戻ってきたばかりの彼には、カテリーナという、知的な美人の婚約者がいます。カテリーナの父親は中佐で、横領事件のときにドミトリーに助けてもらっています。

◎カテリーナが送金した3千ルーブル
 
 カテリーナの存在が、おさえどころの第2点です。彼女とドミトリーの婚約は、足元が定まらぬふわふわした状態にあります。ドミトリーは老商人に囲われていた妖艶なグルーシェニカに、心を奪われてしまっています。グルーシェニカに対しては、父のフョードルも熱をあげています。
 
父親からの生前遺産まで遣い果たしたドミトリーは、カテリーナがモスクワへ送金しようとしていた3千ルーブルまでかすめとってしまいます。長男・ドミトリーは、金遣いが荒く、物事を自ら解決しようとする姿勢はありません。猪突猛進タイプに描かれていますが、ところどころに詩的な情緒が見え隠れしています。
 
 カラマーゾフ家の次男は、イワン(ワーニャ)といいます。彼は背信論者ですが知的な理論をもっており、父親の無神論とはまったく異なります。第1部では、イワンのあつかいは希薄でした。後述しますが、彼の追い求めている理論は、修道院のゾシマ神父とは相容れないものです。イワンは長男の婚約者・カテリーナに恋情を寄せています。
 
 第1部ではほぼ主役的な位置づけの3男・アレクセイ(アリョーシャ)は、町の修道院で修行をしています。彼は清純な性格で、父や兄を愛しています。アレクセイは修道院の長老・ゾシマを尊敬しており、ゾシマから愛されてもいます。

 ここまでが、カラマーゾフ家の、父親と3人兄弟のレビューです。本書は通勤通学電車の中で読んではいけません。じっくりとメモをとりながら、集中してもらいたいものです。

 いまは1ロシアンルーブルは、3.10円のレートです。カテリーナが送金しようとした当時の3千ルーブルとは、どのくらいの貨幣価値だったのでしょうか。当時のロシアは、どんな世のなかだったのでしょうか。時間があれば、そんなことも学んでみたいと思います。ドストエフスキーが信奉していた空想的社会主義とはなにか。シベリアでの服役を終えたドストエフスキーが熱心に学んだキリスト教人道主義とはなにか。調べてみたいことがたくさんあります。

 すでにカラマーゾフ家について、紹介させてもらっています。カラマーゾフ家には、グリゴリーという下男と、妻のマルファが同居しています。そして2人に育てられた、スメルジャコフという若者が料理人として住みこんでいます。スメルジャコフは人間嫌いですが、イワンの思想を崇拝しています。
 
 ある日、カラマーゾフ一家全員と親戚のミウーソフが、修道院のゾシマ長老を訪ねます。一家が抱える難問を、会合により解決しようというのがフョードルのねらいでした。会合は国家や教会をめぐる長い議論や父親の道化ぶり、遅れてやってきたドミトリーの狼藉などで、解決の糸口さえつかぬまま終わってしまいます。

◎ドストエフスキーはカトリック嫌い
 
 文芸評論家の多くは、ドストエフスキーの哲学に注目しています。でも素人読者は、面倒で高尚なやりとりを流してしまうしかありません。ただしおさえておきたいことがあります。これが3番目のポイントです。
 
 どの「ドストエフスキー論」を読んでも、「ドストエフスキーは大のカトリック教ぎらい」であったとあります。少しだけ宗教について、ふれておきたいと思います。この知識があれば、カラマーゾフ家の激しい議論に、少しは入りこめると思うからです。

――カトリックの思想では、「奇跡」が非常に重要な位置を占めています。足が不自由で動けない者の足に触れたら立ち上がって歩いたとか、その種のことです。(池澤夏樹『世界文学を読みほどく』新潮選書より)

――ロシア正教会の歴史で、ドストエフスキーがもっとも重大な関心を払ったのが、十七世紀半ばに起こった教会分離である。(中略)ドストエフスキーは、正教会から独立した人々を小説の中に取り込むことで、ロシアの精神生活にひそむ、本質的にラディカルな特異性を明らかにしようとした。(『カラマーゾフの兄弟1』光文社古典新訳文庫、「亀山郁夫あとがき」より)
 
 さらに当時のロシアの社会問題について、理解しておかなければなりません。ドストエフスキーという作家の特質を、語っている文章を紹介します。
 
――ドストエフスキーは時代の動きと、同時代の問題に特に敏感な作家であった。現実の問題をいかに小説にまとめあげるか、また小説の中でこの問題をどこまで掘り下げるか、それが彼にとっては問題なのである。(『ドストエフスキー全集6・罪と罰』筑摩書房・訳者小沼文彦のあとがきより)

 当時のロシアは飲酒と無軌道な少年犯罪が、社会問題となっていました。1861年農奴開放以降は、貴族たちから権限を奪い、中間階級の人々がが変革の担い手になってゆきます。社会は混沌としており、青少年はそのはざまに取り残されてしまっています。

 というわけで、感動の第1部は終わってしまいました。私のようにちゅうちょしている人がいたら、騙されたと思って第1部だけでも読んでもらいたいと思います。

 第2部(2巻)からは、これまで主役だったカラマーゾフ一家に関する記述が激減します。かわりに脇役だった人物に、スポットライトがあたります。私は第2部を読みはじめて、1日20ページという設定がわずらわしくなってしまいました。
 
 脇役のなかでもっとも中心になるのは、「スメルジャコフ」というカラマーゾフ家の召使です。24、5歳くらいで、ひどい人間嫌いです。彼はフョードルの隠し子であるともいわれています。ばらばらなカラマーゾフ一家に、寄り添うように登場する彼は、不快な臭気を散りばめます。
 
 詳しくは書きませんけれど、第2部から第3部へはいくつもの支流から、薄汚れた思惑が一気に流れこみます。特にスメルジャコフとイワンとのかかわりに、注目しておいてもらいたいと思います。この流れは他の水と混じりあうことなく、汚物を運びつづけるのです。

◎生涯読書の最高峰

 サマセット・モームは前記のように、「世界の十大小説」として、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』をあげています。W.S.モーム『世界の十大小説(下)』(岩波文庫)には、長文の論評が掲載されています。ひとつだけ引用しておきたいと思います。
 
――ドストエフスキーがしばしば用いる一つの手のあることを言っておこう。それはこうである。彼が描く人物は、それぞれが口にする言葉とは釣り合いがとれぬほど興奮する。顔を赤らめる。顔色が青ざめる。さらには恐ろしいまでに蒼白になる。そして何でもないごく普通の言葉にも、読者には容易に説明のつかない意味が付けられているので、いま言ったような常軌を逸した挙動や病的な感情の激発に接して、読者は次第に興奮をおぼえ、ついには神経が極度に高ぶってきて、そうでなければ、ほとんど心の動揺をおぼえないでしまうようなことが起こっても、容易に心底から衝撃を感じてしまうのである。(本文P225より)

 ドストエフスキーにふれた文章は、数多くあります。つぎに紹介する一文などは、その典型です。まだまだドストエフスキーの世界は、広く深いのだなと痛感させられます。ドストエフスキーがカトリック、とりわけイエズス会を嫌いました。それなら彼は、歌舞伎を絶対に評価しないだろうな。そんなことを考えてしまったほどです。
 
――イエズス会演劇は、バロック演劇の一分派。バロック演劇では、名誉とか、復讐とか、陰謀とか、裏切りとかが重要なモチーフになる。歌舞伎も同じ。(丸谷才一『思考のレッスン』文春文庫P220)

 私の生涯読書のなかで、最高傑作が『カラマーゾフの兄弟』でした。なんとしてでも、読んでいただきたいと思います。おおげさにいえば、「これを読まずして死ねるか」と結んでおきます。

 読後になおもやもやしたものがあるなら、江川卓『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』(新潮選書)をお薦めします。
(山本藤光:2014.06.04初稿、2018.02.01改稿)