デフォー『ロビンソン漂流記』(新潮文庫、吉田健一訳)

難船し、ひとり無人島に流れついた船乗りロビンソン・クルーソーは、絶望と不安に負けず、新しい生活をはじめる。木材をあつめて小屋を建て、鳥や獣を捕って食糧とし、忠僕フライデーを得て、困難を乗りきってゆく。社会から不意に切り離された人間が、孤独と闘いながら、神の摂理を信じ、堅実な努力をつづけてゆく姿を、リアリスティックに描いたデフォーの冒険小説である。(「BOOK」データベースより)
◎『ロビンソン漂流記』誕生の秘話
タイトルは、新潮文庫にならいました。「ロビンソン・クルーソー」とされている翻訳の方が、多いのではないでしょうか。幼いころから慣れ親しんだ作品を読んでみて、記憶のひだから断片的な映像が間延びした感じで落ちてきました。おおまかなストーリーは、だれもが知っています。しかし意外にも本格的に読まれていないのが、『ロビンソン漂流記』なのかもしれません。
本書が発売されたとき(1719年)の本には、著者・ダニエル・デフォーの名前はどこにもありませんでした。ロビンソン・クルーソーという人が、自らの無人島暮らしを書いたように装われていたのです。タイトルは「ヨークの人、ロビンソン・クルーソーの生涯と、不思議な驚くべき冒険」とされており、著者名は「彼自身によって書かれた」と記されていました。(伊集院静訳『ロビンソン・クルーソー』講談社「痛快・世界の冒険文学19」の解説・小池繁を参照しました)
著者・デフォーは父親から、「人間は中間くらいがいちばんいい」といわれて育ちました。しかし彼はそれにあきたりませんでした。デフォーはいまでいうフリージャーナリストとして浮沈をくりかえしました。向上心が強かったのです。1712年、デフォーはある体験記を読みました。
アレクサンダー・セルカークという男が、たった一人で南太平洋の無人島で4年間以上をすごしたという内容でした。デフォーは閃きました。彼には船乗りの経験はありませんでしたが、ロビンソン・クルーソーという想像上の人物を生み出したのです。
さて『ロビンソン漂流記』ですが、主人公・「私」(ロビンソン・クルーソー)は、父親から安定した生涯を送るようにいわれていました。しかし父親の反対を押し切って、「私」(以下カギカッコを省略)は船乗りになります。何度か航海をした私は、一攫千金を夢見てギニアに向かいます。そのときに大嵐に巻きこまれ、仲間はすべて遭難してしまいました。
私はたった一人で、見知らぬ島に漂着します。人食い人種が住んでいるかもしれません。凶暴な獣に襲われるかもしれません。浜辺に着いて無事を知った私は、真っ先にそんな不安にとらわれました。
食べるものも飲み水もありません。もっているのはナイフと煙草を吸うためのパイプだけでした。私は木に登り、落ちないように体をゆわえて、一晩をあかしました。
ここで読者も、木に登って考えることになります。そして今後のことに思いをめぐらせます。現地人や猛獣といかに闘うのか。どうやって彼らから身を隠すのか。真水や食料を調達するための危険を、いかなる手段で克服するのか。武器はナイフしかありません。
◎生きるための孤独な毎日
翌朝、私は1マイル(1.6キロほど)ほど先に、座礁している自分たちの船を発見します。私は潮が引くのを待ちます。苦労して船に乗りこみ、人の姿がないのを確認してから、必要な物資をもち出しました。
ビスケットとラム酒。むさぼるように飲み食いします。その後簡単ないかだを造って、乾燥山羊肉、葡萄酒、大工道具、武器と弾薬、火薬、衣類などを積みこみます。島に戻った私は、さっそく武器をもって水や食料を求めるかたわら、探検をはじめます。小高い丘に登り、そこが「島」であることを認識しました。便宜上山本藤光は、最初から「島」と書きましたが、主人公の私(クルーソー)にはその認識はなかったのです。
――私は猟銃と短銃を一挺ずつと、角製の火薬入れを一つ持って、非常な困難を冒してその丘の頂上まで登った。私はその時私がどういう場所に来たか、初めて解った。そこは島で、周囲の海には遠方にいくつかの岩と、九マイルほど西にこれよりも小さな島が二つ見えるだけだった。(本文P60より)
こうして孤島での28年と2ヶ月の生活がはじまります。山本の記憶の襞には、もっと短い期間の生活と刻まれていました。クルーソーは外敵から身を守り、豪雨から逃れるための住居を造ります。たった数粒の麦の種から、麦の栽培をはじめます。野生の山羊を飼いならし、家畜として育てます。脱出用のボートの建造に、船から持ち出した斧だけで挑戦もします。
生きるための孤独で単調な、毎日がつづきました。私はいつしか神に祈る習慣を、身につけはじめます。『ロビンソン漂流記』は、無からの創造の喜びに満ち満ちています。大木から板をつくり、それをテーブルにします。岩肌を掘り進めて、食料庫に仕上げます。数粒の種を増やし、4年がかりでケーキをつくります。山葡萄から葡萄酒を製造します。そんな創意工夫の生活を見つめつづけたのが、いままで見向きもしなかった神の存在でもあったのです。
読みながら山本は、不思議だなと思ったことがあります。ロビンソン・クルーソーは魚や貝を食べていません。豊富であるはずの魚介類は、まったく食料の対象として描かれていないのです。見たこともない鳥を、打ち落として食べます。そんなクルーソーが、なぜ魚や貝を無視したのでしょうか。わかりません。少なくともこの点にふれた、論評の存在は知りません。
やがて私は島で、人骨を発見します。そして人食い人種が、ときどき来島していることを知ります。ここから先は、また記憶のスイッチがはいりました。フライデーという現地人の存在です。
◎絶望から希望へ
火薬が底をつきはじめました。私は狩猟生活から、畜産や農業に思考を切りかえます。日記も書きはじめました。「絶望の島」といっていた空間が、少しずつ変化をとげるようになります。
その後何度か、野蛮人は島にやってきました。人肉を食い、踊り、海へともどってゆきます。私は見知らぬ世界の人種たちの奇習を、自分と同化させて考えてみたりするようになります。獣肉を何のちゅうちょもなく食べている自分。人肉を食べてはいけない、という倫理観のない野蛮人たち。どこにちがいがあるのでしょうか。やがてインクがなくなり、日記を書く習慣は頓挫せざるを得なくなります。
ある日5艘のボートが、着岸しているのを発見します。野蛮人たちが人肉を食べて踊っていました。そのとき捕虜の一人が、猛烈な勢いで脱走をはかります。私は追っかけてきた野蛮人を撃ち殺し、捕虜を救います。それがフライデーでした。
私はフライデーに、言葉や宗教も教えます。聖書を読み聞かせます。フライデーが住んでいた島には、17人の白人が捕虜生活をしていることを聞きました。フライデーの存在は単調だった毎日に、アクセントをつけてくれました。同胞の捕虜がかなたの島にいることが、私の心を救出へと駆り立てます。
『ロビンソン漂流記』は、けっして単なる児童書ではありません。生きるということの根源を示してくれる、哲学書だとすら思います。つくる、そだてる、くふうする、しんじる。そんな大切なことを教えてくれる、指導書だとも思うのです。
1686年12月19日クルーソーは、27年2ヶ月19日滞在した「絶望の島」と別れを告げます。本書は組織に不満をもつ方には、必読の1冊です。「絶望の島」に希望を見出すヒントを、本書のいたるところから発見することができるからです。
2度目に本書を読んで、はじめて安部公房『砂の女』(新潮文庫)との類似点を発見しました。『砂の女』の主人公は、絶望の砂のなかから毛細管現象という希望を発見しています。無神論者だったクルーソーは、絶望のなかから神の存在を見出しました。
◎ちょっと寄り道
山本は本書を読み終えると同時に、伊集院静・文『痛快世界の冒険文学19・ロビンソン・クルーソー』(初出1999年講談社、文庫なし)を手にしました。伊集院静の冷静でいて、はじけるような文章には味があります。挿絵(長友啓典)もすてきです。ただし完訳と違い本書には、植民地主義のイギリスの思想が書きこまれていません。クルーソー自身にも完訳とは異なり、未開人蔑視の思想は目立ちません。
私は『痛快世界の冒険文学』シリーズを大切にしています。孫が大きくなったら、ひざの上に乗せて読んであげたいと思っているほどです。本シリーズは、一部文庫化されているようです。注目の作品と筆者を紹介しておきます。
志水辰夫『十五少年漂流記』、阿刀田高『アーサー王物語』、嵐山光三郎『水滸伝』、眉村卓『タイムマシン』、立松和平『ハックルベリィ・フインの冒険』など全24巻。
(山本藤光:2009.11.28初稿、2018.02.07改稿)

難船し、ひとり無人島に流れついた船乗りロビンソン・クルーソーは、絶望と不安に負けず、新しい生活をはじめる。木材をあつめて小屋を建て、鳥や獣を捕って食糧とし、忠僕フライデーを得て、困難を乗りきってゆく。社会から不意に切り離された人間が、孤独と闘いながら、神の摂理を信じ、堅実な努力をつづけてゆく姿を、リアリスティックに描いたデフォーの冒険小説である。(「BOOK」データベースより)
◎『ロビンソン漂流記』誕生の秘話
タイトルは、新潮文庫にならいました。「ロビンソン・クルーソー」とされている翻訳の方が、多いのではないでしょうか。幼いころから慣れ親しんだ作品を読んでみて、記憶のひだから断片的な映像が間延びした感じで落ちてきました。おおまかなストーリーは、だれもが知っています。しかし意外にも本格的に読まれていないのが、『ロビンソン漂流記』なのかもしれません。
本書が発売されたとき(1719年)の本には、著者・ダニエル・デフォーの名前はどこにもありませんでした。ロビンソン・クルーソーという人が、自らの無人島暮らしを書いたように装われていたのです。タイトルは「ヨークの人、ロビンソン・クルーソーの生涯と、不思議な驚くべき冒険」とされており、著者名は「彼自身によって書かれた」と記されていました。(伊集院静訳『ロビンソン・クルーソー』講談社「痛快・世界の冒険文学19」の解説・小池繁を参照しました)
著者・デフォーは父親から、「人間は中間くらいがいちばんいい」といわれて育ちました。しかし彼はそれにあきたりませんでした。デフォーはいまでいうフリージャーナリストとして浮沈をくりかえしました。向上心が強かったのです。1712年、デフォーはある体験記を読みました。
アレクサンダー・セルカークという男が、たった一人で南太平洋の無人島で4年間以上をすごしたという内容でした。デフォーは閃きました。彼には船乗りの経験はありませんでしたが、ロビンソン・クルーソーという想像上の人物を生み出したのです。
さて『ロビンソン漂流記』ですが、主人公・「私」(ロビンソン・クルーソー)は、父親から安定した生涯を送るようにいわれていました。しかし父親の反対を押し切って、「私」(以下カギカッコを省略)は船乗りになります。何度か航海をした私は、一攫千金を夢見てギニアに向かいます。そのときに大嵐に巻きこまれ、仲間はすべて遭難してしまいました。
私はたった一人で、見知らぬ島に漂着します。人食い人種が住んでいるかもしれません。凶暴な獣に襲われるかもしれません。浜辺に着いて無事を知った私は、真っ先にそんな不安にとらわれました。
食べるものも飲み水もありません。もっているのはナイフと煙草を吸うためのパイプだけでした。私は木に登り、落ちないように体をゆわえて、一晩をあかしました。
ここで読者も、木に登って考えることになります。そして今後のことに思いをめぐらせます。現地人や猛獣といかに闘うのか。どうやって彼らから身を隠すのか。真水や食料を調達するための危険を、いかなる手段で克服するのか。武器はナイフしかありません。
◎生きるための孤独な毎日
翌朝、私は1マイル(1.6キロほど)ほど先に、座礁している自分たちの船を発見します。私は潮が引くのを待ちます。苦労して船に乗りこみ、人の姿がないのを確認してから、必要な物資をもち出しました。
ビスケットとラム酒。むさぼるように飲み食いします。その後簡単ないかだを造って、乾燥山羊肉、葡萄酒、大工道具、武器と弾薬、火薬、衣類などを積みこみます。島に戻った私は、さっそく武器をもって水や食料を求めるかたわら、探検をはじめます。小高い丘に登り、そこが「島」であることを認識しました。便宜上山本藤光は、最初から「島」と書きましたが、主人公の私(クルーソー)にはその認識はなかったのです。
――私は猟銃と短銃を一挺ずつと、角製の火薬入れを一つ持って、非常な困難を冒してその丘の頂上まで登った。私はその時私がどういう場所に来たか、初めて解った。そこは島で、周囲の海には遠方にいくつかの岩と、九マイルほど西にこれよりも小さな島が二つ見えるだけだった。(本文P60より)
こうして孤島での28年と2ヶ月の生活がはじまります。山本の記憶の襞には、もっと短い期間の生活と刻まれていました。クルーソーは外敵から身を守り、豪雨から逃れるための住居を造ります。たった数粒の麦の種から、麦の栽培をはじめます。野生の山羊を飼いならし、家畜として育てます。脱出用のボートの建造に、船から持ち出した斧だけで挑戦もします。
生きるための孤独で単調な、毎日がつづきました。私はいつしか神に祈る習慣を、身につけはじめます。『ロビンソン漂流記』は、無からの創造の喜びに満ち満ちています。大木から板をつくり、それをテーブルにします。岩肌を掘り進めて、食料庫に仕上げます。数粒の種を増やし、4年がかりでケーキをつくります。山葡萄から葡萄酒を製造します。そんな創意工夫の生活を見つめつづけたのが、いままで見向きもしなかった神の存在でもあったのです。
読みながら山本は、不思議だなと思ったことがあります。ロビンソン・クルーソーは魚や貝を食べていません。豊富であるはずの魚介類は、まったく食料の対象として描かれていないのです。見たこともない鳥を、打ち落として食べます。そんなクルーソーが、なぜ魚や貝を無視したのでしょうか。わかりません。少なくともこの点にふれた、論評の存在は知りません。
やがて私は島で、人骨を発見します。そして人食い人種が、ときどき来島していることを知ります。ここから先は、また記憶のスイッチがはいりました。フライデーという現地人の存在です。
◎絶望から希望へ
火薬が底をつきはじめました。私は狩猟生活から、畜産や農業に思考を切りかえます。日記も書きはじめました。「絶望の島」といっていた空間が、少しずつ変化をとげるようになります。
その後何度か、野蛮人は島にやってきました。人肉を食い、踊り、海へともどってゆきます。私は見知らぬ世界の人種たちの奇習を、自分と同化させて考えてみたりするようになります。獣肉を何のちゅうちょもなく食べている自分。人肉を食べてはいけない、という倫理観のない野蛮人たち。どこにちがいがあるのでしょうか。やがてインクがなくなり、日記を書く習慣は頓挫せざるを得なくなります。
ある日5艘のボートが、着岸しているのを発見します。野蛮人たちが人肉を食べて踊っていました。そのとき捕虜の一人が、猛烈な勢いで脱走をはかります。私は追っかけてきた野蛮人を撃ち殺し、捕虜を救います。それがフライデーでした。
私はフライデーに、言葉や宗教も教えます。聖書を読み聞かせます。フライデーが住んでいた島には、17人の白人が捕虜生活をしていることを聞きました。フライデーの存在は単調だった毎日に、アクセントをつけてくれました。同胞の捕虜がかなたの島にいることが、私の心を救出へと駆り立てます。
『ロビンソン漂流記』は、けっして単なる児童書ではありません。生きるということの根源を示してくれる、哲学書だとすら思います。つくる、そだてる、くふうする、しんじる。そんな大切なことを教えてくれる、指導書だとも思うのです。
1686年12月19日クルーソーは、27年2ヶ月19日滞在した「絶望の島」と別れを告げます。本書は組織に不満をもつ方には、必読の1冊です。「絶望の島」に希望を見出すヒントを、本書のいたるところから発見することができるからです。
2度目に本書を読んで、はじめて安部公房『砂の女』(新潮文庫)との類似点を発見しました。『砂の女』の主人公は、絶望の砂のなかから毛細管現象という希望を発見しています。無神論者だったクルーソーは、絶望のなかから神の存在を見出しました。
◎ちょっと寄り道
山本は本書を読み終えると同時に、伊集院静・文『痛快世界の冒険文学19・ロビンソン・クルーソー』(初出1999年講談社、文庫なし)を手にしました。伊集院静の冷静でいて、はじけるような文章には味があります。挿絵(長友啓典)もすてきです。ただし完訳と違い本書には、植民地主義のイギリスの思想が書きこまれていません。クルーソー自身にも完訳とは異なり、未開人蔑視の思想は目立ちません。
私は『痛快世界の冒険文学』シリーズを大切にしています。孫が大きくなったら、ひざの上に乗せて読んであげたいと思っているほどです。本シリーズは、一部文庫化されているようです。注目の作品と筆者を紹介しておきます。
志水辰夫『十五少年漂流記』、阿刀田高『アーサー王物語』、嵐山光三郎『水滸伝』、眉村卓『タイムマシン』、立松和平『ハックルベリィ・フインの冒険』など全24巻。
(山本藤光:2009.11.28初稿、2018.02.07改稿)