サン・テグジュペリ『星の王子さま』(新潮文庫、河野万里子訳)
砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった…。一度読んだら必ず宝物にしたくなる、この宝石のような物語は、刊行後六十年以上たった今も、世界中でみんなの心をつかんで離さない。最も愛らしく毅然とした王子さまを、優しい日本語でよみがえらせた、新訳。(「BOOK」データベースより)
◎低空飛行からの飛翔
サン・テグジュペリは名門貴族の末裔として、リヨンで生まれました。海軍士官を目指しましたが不合格となり、美術学校で建築を学びました。1920年兵役で航空隊に入隊し、操縦士としての訓練を受けました。この経験が小説家サン・テグジュペリの将来を決めたのです。除隊後職業を転々としながら、サン・テグジュペリは小説を書きはじめました。
1926年航空会社に就職し、定期空路の操縦士となりました。1929年さまざまな飛行体験をベースに、処女作といってもいい『南方郵便機』(サン・テグジュペリ・コレクション)を発表します。この作品は1飛行家の内面の夢を、友人の語りをつうじて描いたものです。人妻との恋などの挿話があり、通俗小説のような体裁です。最近ではkindle版でも読むことができます。
サン・テグジュペリの名前を揺るぎないものにしたのは、次作『夜間飛行』(新潮文庫)でした。このころ彼はアルゼンチン航空郵便会社の開発部長であり、その体験が『夜間飛行』に結実されたのです。この作品はジッドの序文をえて、フェミナ賞(フランスで最も権威のある文学賞)を獲得しています。
『夜間飛行』は感動的な作品です。困難な夜間飛行に従事する部下と、彼らの無事な帰還を待つ支配人。2つの群像の対比が、みごとに描かれています。幾多の障害を乗り越え、自己実現に挑む操縦士たち。こうした世界は、実体験者であるサン・テグジュペリでなければ描けません。それゆえ、読者は真に迫った感動をおぼえます。
自らを克服しようとの強い意志。人間のあり方を追求する勇気。個人を捨て、仕事に立ち向かう倫理心。いろいろと教えられる作品です。その後サン・テグジュペリは長距離航空路のテストパイロット、エール・フランスの宣伝飛行家として業績をあげます。
第2次世界大戦がはじまると、彼は志願し偵察飛行隊の一員となります。数多くの戦歴を重ね、1944年コルシカ島の基地から出撃したまま、消息を絶ちました。
◎純情は人生の原点
私の手元には、大型サイズの『星の王子さま』(岩波書店、内藤濯訳、昭和42年18刷)があります。読み直して驚きました。最後のページに自筆で「この感動を失わぬ人間でありたい」と書きこんであったのです。1967年12月26日とありますので、大学1年のときのことです。初恋の彼女と別れて寂しいクリスマスを過ごしたことまで、鮮明によみがえってきました。
『星の王子さま』は、私にとってきわめて大切な1冊です。孤独な悩み。そんなものは、薄っぺらな世界のできごとなのだよ。夢をもちなさいよ。そんな気持ちが、私に書きこみをさせたのでしょう。
純情は人生の原点だと思います。60歳になっても、純情は失ってはいけません。純情って、ウブな美しさ。未知への好奇心。自分以外のだれか、またはなにかを発見する力が純情なのだと思います。今回何度めかの『星の王子さま』と再会して、指先からこぼれた砂を拾い集めたくなりました。
『星の王子さま』の巻頭には、「レオン・ウェルトに」という心温まる献辞が載っています。レオン・ウェルトは、子どもだったころのサン・テグジュペリの親友でした。
――わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でもそれには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、私にとって第一の親友だからである。
献辞はつづくのですが、親友は「子どもの本でも、なんでも、わかる」し、「いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人」だといいます。そして献辞は最後に書き改められています。「子どもだったころの、レオン・ウェルトに」と。
サン・テグジュペリは、親友であっても「おとなは子どものころのことを忘れている」と思っています。そして、そうであってはいけない、とも思っているのです。それが、献辞の意味でしょう。
ストーリーも挿画も、目を閉じると浮かんできます。浮かんでこない人には、「星の王子さま公式ホームページ」があります。美しい映像を、ご覧いただきたいと思います。またサン・テグジュペリの大ファンである宮崎駿が、『夜間飛行』と『人間の土地』(ともに新潮文庫)に、カバー画を描いています。宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や「天空の城のジュピタ」のなかに、「星の王子さま」を観たのは私だけでしょうか。
最後に三田誠広『星の王子さまの恋愛論』(集英社文庫)から、一部引用させていただきます。
――作者の意図は、わたしたちをイデアの世界にいざなうことにあります。わたしたちの水先案内人(パイロット)は、わたしたちを現実の世界の果てまで連れていってくれるのです。その世界の果ての、一歩先には、イデアの世界が広がっています。(引用P175より)
プラトンは「イデア」を、われわれの肉眼に見える形ではなく、心や魂の目によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」と説明しています。三田誠広の文章にふれて、難解なプラトンが少し理解できたような気になりました。
こども心を失わないあなたへ、そっと大切な1冊をお届けさせていただきました。
(山本藤光:2009.10.26初稿、2018.03.03改稿)
砂漠に飛行機で不時着した「僕」が出会った男の子。それは、小さな小さな自分の星を後にして、いくつもの星をめぐってから七番目の星・地球にたどり着いた王子さまだった…。一度読んだら必ず宝物にしたくなる、この宝石のような物語は、刊行後六十年以上たった今も、世界中でみんなの心をつかんで離さない。最も愛らしく毅然とした王子さまを、優しい日本語でよみがえらせた、新訳。(「BOOK」データベースより)
◎低空飛行からの飛翔
サン・テグジュペリは名門貴族の末裔として、リヨンで生まれました。海軍士官を目指しましたが不合格となり、美術学校で建築を学びました。1920年兵役で航空隊に入隊し、操縦士としての訓練を受けました。この経験が小説家サン・テグジュペリの将来を決めたのです。除隊後職業を転々としながら、サン・テグジュペリは小説を書きはじめました。
1926年航空会社に就職し、定期空路の操縦士となりました。1929年さまざまな飛行体験をベースに、処女作といってもいい『南方郵便機』(サン・テグジュペリ・コレクション)を発表します。この作品は1飛行家の内面の夢を、友人の語りをつうじて描いたものです。人妻との恋などの挿話があり、通俗小説のような体裁です。最近ではkindle版でも読むことができます。
サン・テグジュペリの名前を揺るぎないものにしたのは、次作『夜間飛行』(新潮文庫)でした。このころ彼はアルゼンチン航空郵便会社の開発部長であり、その体験が『夜間飛行』に結実されたのです。この作品はジッドの序文をえて、フェミナ賞(フランスで最も権威のある文学賞)を獲得しています。
『夜間飛行』は感動的な作品です。困難な夜間飛行に従事する部下と、彼らの無事な帰還を待つ支配人。2つの群像の対比が、みごとに描かれています。幾多の障害を乗り越え、自己実現に挑む操縦士たち。こうした世界は、実体験者であるサン・テグジュペリでなければ描けません。それゆえ、読者は真に迫った感動をおぼえます。
自らを克服しようとの強い意志。人間のあり方を追求する勇気。個人を捨て、仕事に立ち向かう倫理心。いろいろと教えられる作品です。その後サン・テグジュペリは長距離航空路のテストパイロット、エール・フランスの宣伝飛行家として業績をあげます。
第2次世界大戦がはじまると、彼は志願し偵察飛行隊の一員となります。数多くの戦歴を重ね、1944年コルシカ島の基地から出撃したまま、消息を絶ちました。
◎純情は人生の原点
私の手元には、大型サイズの『星の王子さま』(岩波書店、内藤濯訳、昭和42年18刷)があります。読み直して驚きました。最後のページに自筆で「この感動を失わぬ人間でありたい」と書きこんであったのです。1967年12月26日とありますので、大学1年のときのことです。初恋の彼女と別れて寂しいクリスマスを過ごしたことまで、鮮明によみがえってきました。
『星の王子さま』は、私にとってきわめて大切な1冊です。孤独な悩み。そんなものは、薄っぺらな世界のできごとなのだよ。夢をもちなさいよ。そんな気持ちが、私に書きこみをさせたのでしょう。
純情は人生の原点だと思います。60歳になっても、純情は失ってはいけません。純情って、ウブな美しさ。未知への好奇心。自分以外のだれか、またはなにかを発見する力が純情なのだと思います。今回何度めかの『星の王子さま』と再会して、指先からこぼれた砂を拾い集めたくなりました。
『星の王子さま』の巻頭には、「レオン・ウェルトに」という心温まる献辞が載っています。レオン・ウェルトは、子どもだったころのサン・テグジュペリの親友でした。
――わたしは、この本を、あるおとなの人にささげたが、子どもたちには、すまないと思う。でもそれには、ちゃんとした言いわけがある。そのおとなの人は、私にとって第一の親友だからである。
献辞はつづくのですが、親友は「子どもの本でも、なんでも、わかる」し、「いまフランスに住んでいて、ひもじい思いや、寒い思いをしている人」だといいます。そして献辞は最後に書き改められています。「子どもだったころの、レオン・ウェルトに」と。
サン・テグジュペリは、親友であっても「おとなは子どものころのことを忘れている」と思っています。そして、そうであってはいけない、とも思っているのです。それが、献辞の意味でしょう。
ストーリーも挿画も、目を閉じると浮かんできます。浮かんでこない人には、「星の王子さま公式ホームページ」があります。美しい映像を、ご覧いただきたいと思います。またサン・テグジュペリの大ファンである宮崎駿が、『夜間飛行』と『人間の土地』(ともに新潮文庫)に、カバー画を描いています。宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や「天空の城のジュピタ」のなかに、「星の王子さま」を観たのは私だけでしょうか。
最後に三田誠広『星の王子さまの恋愛論』(集英社文庫)から、一部引用させていただきます。
――作者の意図は、わたしたちをイデアの世界にいざなうことにあります。わたしたちの水先案内人(パイロット)は、わたしたちを現実の世界の果てまで連れていってくれるのです。その世界の果ての、一歩先には、イデアの世界が広がっています。(引用P175より)
プラトンは「イデア」を、われわれの肉眼に見える形ではなく、心や魂の目によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」と説明しています。三田誠広の文章にふれて、難解なプラトンが少し理解できたような気になりました。
こども心を失わないあなたへ、そっと大切な1冊をお届けさせていただきました。
(山本藤光:2009.10.26初稿、2018.03.03改稿)