「保守の遺言~JAP.COM衰滅の状況(西部邁著・平凡社新書2018刊)」を読んだ。西部邁(にしべすすむ・1939~2018)氏は東大大学院(経済学)を修了し、アメリカ留学を経て1988年まで東大教授を務めた。その後は評論家・思想家として活躍された。-----
「保守の遺言」は文字通りの絶筆であり、西部邁氏の薫陶を受けた方々は元(もと)より、一介の読書ファンにとっても必読の書となっている。------
北海道に生れ、東大に進むが、共産主義者同盟(ブント)に加盟し、全学連・中央執行委員となり60年安保を闘っている。「保守の遺言」の冒頭には、次のように書いている。「僕が最初に投票用紙なるものを受け取ったのは昭和35年の何時であったかは記憶に定かではないが、ともかく東京拘置所の独房においてであった。政治犯の被告人としてそこに座していたのである。僕は即座に“投票なんかしない”と応じた。暴力革命主義者たる旗をまだ下ろしていなかったし、実際に首相官邸や国会議事堂の門扉などの破壊を煽動したのは間違いもなく自分であったのだから、そんな者が総選挙という合法的手続きに順応するのは変だと感じたからである。」-----
実際に過激であった西部邁氏であるが、60年安保世代は大多数が本心かどうかは知らないが転向をして、インテリはインテリの職業についている人が多い。70年安保世代は人数の多さもあるのだが、インテリでもインテリの職業に付けていない人が多い。西部邁氏は或る意味幸運であったのだろう。------
「保守の遺言」の内容はこれまでに西部邁氏がメディアで発して来られた知識人としての主義・主張が分かり易い言葉で丁寧に書かれている。恐らく口述筆記を担当されたお嬢様にも良く分かるようにとの親切心が溢(あふ)れている。横文字は全てカタカナで解説付きである。教授の時代に学生を教える講義のスタイルが踏襲されているかのようであった。------
そして「保守の遺言」の巻末には、真宗寺院に生まれたことに起因するのか、次の様に書いている。「末法の世だから彼岸に思いを致すなどと噓を吐く気は僕にはない。彼岸などはそれを唱えた開祖者自身が内心ではわかっていただろうように、噓話であり詐話(さわ)であるに違いないのだ。俗世への絶望を語り、それに堪えよと訴えるべく“あの世“を捏造(ねつぞう)したのに違いない。少なくとも云えるのは証明責任はそれを云いだした者にあるのだから、彼岸なるものを僕の前にもってきてみせてみよということである。」------
そして最後に先立たれた奥様への思いを次の様に書いている。「一度切りの決断で家庭と云うものを作り、その小さな空間でひたすらに生きそして従容として生を終える。その事の持っている“平凡の非凡”とでもいうべき姿を見せられると僕はたじろがずにはいられないのだ。彼女らが平凡な欲求をしか発せぬということに、僕は胸打たれる気すらしたのである。----だがその徹底した私人性がかえってその外側にある者たちの公人性を陰から支え明るみの中に浮かび上がらせていると言ってよい。」
「保守の遺言」は文字通りの絶筆であり、西部邁氏の薫陶を受けた方々は元(もと)より、一介の読書ファンにとっても必読の書となっている。------
北海道に生れ、東大に進むが、共産主義者同盟(ブント)に加盟し、全学連・中央執行委員となり60年安保を闘っている。「保守の遺言」の冒頭には、次のように書いている。「僕が最初に投票用紙なるものを受け取ったのは昭和35年の何時であったかは記憶に定かではないが、ともかく東京拘置所の独房においてであった。政治犯の被告人としてそこに座していたのである。僕は即座に“投票なんかしない”と応じた。暴力革命主義者たる旗をまだ下ろしていなかったし、実際に首相官邸や国会議事堂の門扉などの破壊を煽動したのは間違いもなく自分であったのだから、そんな者が総選挙という合法的手続きに順応するのは変だと感じたからである。」-----
実際に過激であった西部邁氏であるが、60年安保世代は大多数が本心かどうかは知らないが転向をして、インテリはインテリの職業についている人が多い。70年安保世代は人数の多さもあるのだが、インテリでもインテリの職業に付けていない人が多い。西部邁氏は或る意味幸運であったのだろう。------
「保守の遺言」の内容はこれまでに西部邁氏がメディアで発して来られた知識人としての主義・主張が分かり易い言葉で丁寧に書かれている。恐らく口述筆記を担当されたお嬢様にも良く分かるようにとの親切心が溢(あふ)れている。横文字は全てカタカナで解説付きである。教授の時代に学生を教える講義のスタイルが踏襲されているかのようであった。------
そして「保守の遺言」の巻末には、真宗寺院に生まれたことに起因するのか、次の様に書いている。「末法の世だから彼岸に思いを致すなどと噓を吐く気は僕にはない。彼岸などはそれを唱えた開祖者自身が内心ではわかっていただろうように、噓話であり詐話(さわ)であるに違いないのだ。俗世への絶望を語り、それに堪えよと訴えるべく“あの世“を捏造(ねつぞう)したのに違いない。少なくとも云えるのは証明責任はそれを云いだした者にあるのだから、彼岸なるものを僕の前にもってきてみせてみよということである。」------
そして最後に先立たれた奥様への思いを次の様に書いている。「一度切りの決断で家庭と云うものを作り、その小さな空間でひたすらに生きそして従容として生を終える。その事の持っている“平凡の非凡”とでもいうべき姿を見せられると僕はたじろがずにはいられないのだ。彼女らが平凡な欲求をしか発せぬということに、僕は胸打たれる気すらしたのである。----だがその徹底した私人性がかえってその外側にある者たちの公人性を陰から支え明るみの中に浮かび上がらせていると言ってよい。」
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