奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その376)

2017-09-04 00:07:57 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017に捧ぐ
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

皇太子ご夫妻の「国文祭・障文祭なら2017」のオープニングセレモニー(於:東大寺H29.9.2)へのご出席は、荒井正吾・奈良県知事にとっては本当に嬉しい事だったであろうと推察する。実質的に「国文祭・障文祭なら2017」における奈良県庁の役割はオープニングとクロージングだけなので、もう半分済んだような気分で大丈夫と云える。後は、順に県内各地の市町村の催しを見て回れば良いだけだから、盛大なオープニングに県の費用の大部分が費やされたと見て良いだろう。それでも微々たるもので荒井正吾知事の財布の紐は堅そうである。------
日本人の生活レベルの文化と云えば、文化住宅であり、文化包丁であり、村の鎮守の伝統文化であり、この時期に奈良県を訪れる国内観光客が目にする奈良県各地の文化レベル即ち奈良県民の生活レベルが自分たちの住んでいる都道府県と同レベルか寧ろ奈良県の生活文化レベルの低さに憐みを感じるのか、と云った比較文化論の世界となるのであって、長い歴史を持つ世界遺産の事ではないのである。-----
奈良県民が皆・健(すこ)やかに暮らせているかと云う確認が「国文祭・障文祭なら2017」であるのであって、将棋大会も「国文祭・障文祭」の冠を戴いて開催される。奈良県民140万人の内の100万人が京阪神へ通うサラリーマン家庭であるからベッドタウンの市町村が行う催しは全てサラリーマン文化に彩られているように思う。手芸の展示会や、書道展、高校の文化祭まで国文祭・障文祭の冠行事としてエントリーしているのである。----
当初、期待された伝統文化の継承と云ってもサラリーマン文化は継承すべき価値があるのかさえまだ未定である。三浦朱門氏が文化庁長官の時の発案であるが、良く続いているのは文化庁に国税を投下する力が無いために、国内都道府県の持ち回りで極力税金は使わない方針で来たせいだろう。-----
兎に角、文化と云う言葉の意味を深く考える上でも意味はある。流石に三浦朱門(1926~2017)氏であったと言った処だろうか。
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