龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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宮台慎二×飯田哲也『原発社会からの離脱』講談社現代新書を読んで

2011年07月24日 21時41分40秒 | 大震災の中で
メディア日記に、台慎二×飯田哲也『原発社会からの離脱』のことを書きました。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980308

日本人のマインドセットを持った人々は、小さいところ(ムラ)に適応して、その中でだけ自分がやりたいことを見つけたり、その小さい集団の「欲望」を内面化し、そのムラの基準を行動規範としてしまうてしまうのはとっても上手で、だから「くるくるパー」ばかりが「原子力ムラ」にいるというよりも、日本人の「マインドセット」(悪しき習慣)が問題なのだという指摘は、深く納得。

多分、「原子力ムラ」の人たちを口を極めてありえない!と言える人は、むしろマインドセットとしては近い場合さえあるんだろうなあ(自分もその例外ではない面があるから)と思うといろいろグルグルしますが


たぶん「じゃあどうすればいいのさっ?」

っていう疑問が、すでにして問題何だよね。

その答えは「安全にやりますからご安心ください!」になっちゃいやすい。

で、外の人は無関心になり、中はムラ社会になって、結局失敗するとまた同じことの繰り返し……〓

スピノザも時に汎神論と呼ばれたりする。

日本人の心性もよく「汎神論」的というかアニミズム的、というかそう呼ばれる。

けれど、この二つはなんと遠いところにあることか。

「スピノザのいう迷信」

と國分功一郎は言っていたけれど、「ムラ」の中で神様を立てて、それを信仰していくのは、決して「神=自然」じゃなくて、「迷信」そのものだろう。

ムラの迷信。

それにしがみつく日本人の悪しき心の習慣」についてすこしでも考えてみたい人にはオススメの一冊。

週末は、宮台社会学と國分哲学を自分の中で「大震災コラボ」していました(笑)

失敗したときのことを考えていない、としてしまうのは、パイロットの安全を顧慮しなかった「ゼロ戦」の設計と一緒ですね。

うまい奴が操縦すればいい……んだけど、ダメな奴の手にかかったら?
それは精神力で乗り切るのかな。
あるいはなかったことにするのかな。
きちんとリスク管理を議論できる社会にしなくちゃね。
戦前から続くマインドセットを変えるのは難しかろうねぇ(>_<)。





メディア日記に國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(連載中)について書きました。

2011年07月24日 19時29分02秒 | 大震災の中で

メディア日記
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980309

言及した元はこちら。
http://asahi2nd.blogspot.com/search/label/國分功一郎「暇と退屈の倫理学」

ビリヤード、うさぎ狩りなどの遊びからから第一次大戦後のヨーロッパの閉塞感、ファシズムまで話の例が広がり、いよいよ面白くなってきました。
退屈は快楽と対置されるのではなく興奮と対置されるという指摘と、ラッセルとハイデガーがほとんど同時代(1930頃)にこの主題を論じているという並べ方からして、主題的にはいよいよ佳境に入るのかな?

楽しみです。

よろしかったら朝日出版社第二編集部のコラム欄にある本文を覗いて見てくださいませ。

オススメです。