書きたいことは山ほどあるのだが、時間が足りない、と言い訳したくなる。
忙しいというより、つまらないことが多過ぎる。
もちろんその幾分かは自分の怠惰や、瑣末なしがらみ、不適切な好奇心などによって招き寄せた、いわば自業自得の状況、でもある。
さて、しかし、これだけは書いておきたい。
大前研一と東電広瀬社長の対談。
ぜひ閲覧されたし。
この「腹話術」みたいな取り合わせは一体なんだ?
誰か私に教えてほしい。
ぜひ感想プリーズ。ちと長いけどね。
http://r34.smp.ne.jp/u/No/322326/CJWs0gH7ci0D_138014/1308210010.html
でもね、本当に腹話術みたいなんだよ。
もちろんまずは広瀬社長が人形で、大前研一の話に全部(全部ですよ!)うなずくという、気持ち悪い展開。
住民?国民が反発するのは「当然だ」と、全ての反発を一旦肯定しつつ、それを「住民心理」に還元し、原発事故の原因を電源喪失に絞り込む。
そして福島の被害に頭を下げる姿勢と、原発再稼働の説得の姿勢を切り分ける。
相対的にはクリアな分析がそこにある。
東電がいかにダメか、を言い募りながら、社長の立場を忖度する(その結果として共感をジワジワ高める)言説も、よく考えてはある。
でも、説得はされないなあ。
大前研一のいう再稼働の条件をきちんと満たす政策は、今の政権や官僚からは出てこない。
また東京電力は権力の中心にあったのに、そのシステムの周縁部にいたかのような矮小化が時間をかけてレトリカルに進行するのにも違和感がある。むしろテクニックがある(説得力がある)ぶんだけ「警戒感」が出てくる。
知性はこういう風に使うものじゃないと思うよ。
再稼働ありき、なんだもん。二人とも結局ね。
ただし、これは少し手強い感じもする。
説得になってるもんね、単なる嘘じゃなくて。絶対安全だという神話を解体しなければならない、という主張は、半分は原発反対派と共通してたりするからね。
そのレベルで住民心理と技術論の両面から攻めていって神話解体後になおも際稼働を目指す、とは。
今必要なのは、住民心理への手当てじゃないだろう。
哲学、なかんづく倫理が今ほど求められている時はない、と改めて実感。
根本まで遡って原理的に考えたいのです。
私は
「悪いことは言わないから原発は止めておけ」
といいます。