龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『イティハーサ』水樹和佳子を読んだ

2017年01月05日 10時30分44秒 | メディア日記
水樹和佳子の『イティハーサ
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/s//ref=mw_dp_a_s?ie=UTF8&i=books&k=水樹+和佳子

という漫画をアマゾンの電子書籍(Kindleアンリミテッド)で15巻一気読みした。

あとがきにもあったが、異世界トリップをしたかのようで、読了後もいささかならず茫然自失。

太古から存在していた目に見えぬ神の力が衰え、人格を備えた亜神と威神が人を従えて争い始めた頃、を描いた古代ファンタジーである。
1980年代に連載されたいわゆる少女漫画(「ぶーけ」に掲載、とwikiにはある)の枠組みではあるけれど、『日出処の天子』山岸凉子や『百億の昼と千億の夜』光瀬龍=萩尾望都と同様、その狭い入口から世界ー歴史ー宇宙を覗き見る、目眩を伴った「深さ」をもたらす種類の作品だ。

作家の世代としては日本古代を舞台にしたファンタジー『空色勾玉』の荻原規子と同じぐらい(ちょっと上?)、60才前後になる。

『陋巷に在り』酒見賢一(この人はその10年ぐらい下の世代てすが)をちょっとだけ思い出しもした。『陋巷に在り』は大人の「エロ」、『イティハーサ』は少女漫画の「萌え」とジャンルは違うが、個が世界と出会う時に必要とされる「他者」の残像が「エロ」だったり「萌え」だったりする、という点では共通しているのかもしれない。

そのエロや萌えは、個が世界と短絡・直結する世界系ファンタジーが湧いて出るために必要な一つの「装置」でもあるのかな。

『狐笛のかなた』上橋菜穂子のことも含めて、ちと考えてみる必要あり。


『図書館の魔女』をそこに置いてみるとどうか。


『鹿の王』(上巻)は、これら上に挙げた作品たちとは異なるという意味で「傑作」の匂いを持つ。

これから考える課題のメモとして。