龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

新型ロードスターに試乗した(1)

2015年05月30日 17時32分30秒 | クルマ




新型ロードスターを試乗してきた。
7年前に購入したNCロードスター(リトラクタブルハードトップの6速AT)の三度目の車検を通し、車検シールが届いたというので、そのついでに新型のロードスターに乗せてもらおうと思ったのである。

しかし。

すぐ乗れるかと思ったら、驚くべきことに(人気からいえば当然?)なんと試乗が4人待ちである。

クルマ屋さんで市場に一時間待ち、とか経験したことがないのでビックリ。

まあ、他の車種なら試乗せずに商談ってこともあるのかもしれないけれど、ロードスターは乗ってみてナンボのクルマだから当然といえば当然かもしれない。
とにかくその人気はかなりのものだ、と実感。

お店の人に聞いたところ、お客さんの層としては、40代~50代の男性が中心だが、それ以外では若い女性が一人での試乗が多いそうである。

というわけで、一時間待ちをして試乗した感想を以下に書きます。

1、女性(や、お年寄り)にこそ乗ってほしい。

掌の中にクルマがすっぽりと収まる感覚、とでもいえばいいだろうか。
クルマに乗る、というより、自分がクルマになる、といった方が適切な感じだ。

たぶんモータースポーツ好きの人は

「ライトウエイトスポーツカーの原点回帰」

とかレトロなことをいうのだろう。だが、それは単なる理念に過ぎない。マツダの看板としては、そうなのかもしれないけれど、全くクルマに関心のない、しかし自分の感覚に正直な人が乗って

「あれ、なんだ、おかしいな、これは楽しいよ」

と思えるクルマに仕上がっている、と私は強く感じた。

余計な馬力はなく、全てが自分のコントロールの範囲にあるから、本当にクルマと一体になれる。適度に小さいから、大きなマシンを動かすストレスも感じない。

もちろんライトウエイトウエイトFRオープンスポーツの魅力を、現時点で世界一凝縮したマツダ渾身の作品だ。

だからこそ、特にクルマ好き、というのではない、むしろ自分の感覚を信じることのできる女性にこそ、乗ってほしいと思う。

たとえ既婚者でも、家族で車に乗るときには、旦那にワゴン車を買わせておけばいいじゃないか(笑)

キッズ一人なら、隣にだって乗せられる。

子育てを終えた中年の男や、まだ子どものおじさんは、もっと大きなクルマに喜んで乗っていればいいのだ。BMWのZ4でもベンツのSLKでも、ポルシェのボクスターでも(ボクスターはちょっと乗ってみててもいいかも(笑))。

これはおじいちゃんおばあちゃんや女性が(そして実はそんなにバリバリのクルマ好きでわないような若い男の子も)、カジュアルに乗るのによく似合ってしかもカッコイいクルマだ。

本当に「気軽に」クルマと一体化して楽しむには、今このクルマ以上のものは世界中にないんじゃないかな。

2速ギアで、扱いやすく回転の上がりの良いエンジンを回しているだけで幸せになれます。


2、マニュアルミッションが最高!

もちろんATでも十分に魅力を堪能できると思う。

現に私はこの前の型のロードスターを6速ATで乗っているが、日常でもワインディングでも、すこぶる楽しい。

でも、もし気持ちに余裕があるなら、MTも試乗してみてほしい。

まず、クラッチのミートが難しくない。ここが素人には大切。日頃オートマオンリーの人でも、すぐに慣れる。そして、慣れてしまえばこれほど楽しい「ギア」はない、と実感できるはずだ。

トルクがあるからなのか、新設計のギアのおかげなのか、クラッチの設定なのかわからないけれど、まったく気を使わずにスムーズなギアチェンジができる。

マニュアルミッションはどうしても車の動き出しに気を使うものだが、このロードスターは、1速でも2速でもスルスルと(場合によったら3速でもなんとか)発進してくれる。気を使わずにマニュアルミッションの醍醐味を味わうことができるのだ。

マニュアルで2速を引っ張りながら加速していくと、自分で運転している感が漲(みなぎ)ってきてとても楽しい。

そして、マニュアルミッションは、なんといってもエンジンの力を自分で直接伝えているダイレクト感を味わえる。

ぜひ、尻込みせずに乗ってみることをお勧めしておきます。


デジタルオーディオ出力の魅力。

2015年05月23日 10時34分34秒 | ガジェット
この澄んだ音が手軽に楽しめるのなら、PCのオーディオをデジタル出力にする価値はある、と感じた。

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WAVIO Powerd Speaker System GX-100HD

PCI DIGITAL AUDIO BOARD

いずれもオンキョーで、光ケーブルを合わせても合計3万円弱。
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8,000円弱のデジタル出力を備えたオーディオのPCIボードをPCの裏に差し、デジタル入力端子のある20,000円のスピーカーを買っただけで、こんなにノイズのないクリアな音を楽しめるとは、ビックリである。

1,デジタル出入力(光のコード)のせい、
2,サウンドボードをマザーボードと別にしたから、
3,それなりの音が出るスピーカーにしたから

どれが理由かはわからない。

だが、もし普段iTunesをパソコンに入れてPCで音楽を聴く習慣がある人で、気にせずただ鳴らしている人がいたら、是非とも試して見てほしい。

でも、今はiPhoneやiPodからearphoneで音楽を聴くのが「普通」なのかもしれない。
そして三万弱をヘッドフォンに投資すれば、これと同じあるいはもっと「良い音」が聴けるのかもしれない。

だから、今更ここで喜ぶ必要もないのかもしれないけれど、「かなり」感動したので、書いておきます。

オーディオの難しいことはもとよりわからない。
もしかすると

「いちおう鳴ればいいよ」

というシーン(ヒト)と、

「音にこだわる」

というシーン(ヒト)とが、かなり別々になってしまっているのかもしれないですね。

たとえばクルマの中で聴く音楽って、環境劣悪だし、ヘッドフォンと部屋のスピーカー、ホールでの生演奏で聴く「音楽」は、たぶんそれぞれ目的が違っちゃってる。


私にとってはスマホの音など、基本なくてもいい(鳴らなくていい)。発光と振動さえあれば足りる。
だいたいメールだけで電話しないし。

そして音楽は車と部屋だけだから、ヘッドフォンなるうっとおしいモノも不要。
そんな「生き物」だから今更デジタルのオーディオボード&スピーカーに感動するのかな。

今はなにやら「ハイレゾ」が話題だとか。

下手な生よりいい「デジタル」

っていう流れは、昔音源がデジタル(CD)化された時もあったような気がする。
音源と再生装置の刷新は、モノを売る側にはいいチャンスなのだろう。でも、音がいいからうれる、というわけではないのも確かな事実。

PCを何十年もいじってきて、ようやく昨日その音楽再生の機能を十分に使ったものとしては、ハイレゾのことは分からないまま終わっていくのかもしれない(笑)



HUAWEI の新型スマホhonor6 plusを超衝動買い!

2015年05月22日 23時03分59秒 | ガジェット
昨夜、楽天市場にファーウェイがお店を開店し(Huawei)の新しいSIMフリースマホを販売するというので覗いてみたら、デュアルカメラで撮影後にピントを合わせられる機能が付いているとしって、即予約してしまいました。

Huawei honor6 plus


値段に比べて機能は高めでけっこう期待できる。電池容量が大きいのもポイントが高い。

問題があるとすれば、LTEバンドが1,3,7しか対応していないということ。
せめて19がほしかったなあ。


ただし、Asend mate7とは違い、3GのFOMAプラスは対応しているので、とりあえず途切れることはなさそうです。


っていうか、今使っている

Xperia Z Ultra も

LTEバンド(DoCoMo)についていえばバンド1,3しか対応していないけれど、ほぼLTEでつかえている。

高速で使わなくてもだいたいメールとSNSなら十分なので、私個人の使用についていえば大きな問題はない。

問題ないはず。

たぶん大丈夫だと……まあ、ちょっとリスクは覚悟の上です(笑)。


むしろデュアルレンズのカメラはぜひとも使ってみたいので、それが楽しみ。
納品は6月後半。

とはいえ、Zenfone2も使ってみたい(笑)





PCのデジタルオーディオ出力(PCIボード&スピーカー)はケタ違いに音がクリア

2015年05月22日 22時34分41秒 | ガジェット
PCのオーディオって雑音が多いよなあ、と何十年来気になっては忘れ、またふと思い出したように気にしていたのだが、先日思い立って、デジタル出力のあるサウンドボードとデジタル入力のあるPC用スピーカーを購入した。

WAVIO Powerd Speaker System GX-100HD

PCI DIGITAL AUDIO BOARD

いずれもオンキョーで、光ケーブルを合わせても合計3万円弱。

これが今日届いたんですが、オンボードのアナログオーディオとは、もう根本的に違うのですね。

音が実にクリア。
そして雑音もない。
そこで音楽が鳴ってる感じがする。

iTuneの中に腐っていて10年聴いていなかった
Hamza ELDin(ハムザ・エル・ディン アフリカの打楽器奏者)

とかも聴いてみる気になる。
音量が小さくても、イコライザとかオフでも、太鼓の音の「圧」が高いんですよ。

信じられない。

世の中の、ちゃんと知っている人はこういうことを最初から味わっていたのか、と思うと、「知識」の有無って大切だなあ、としみじみしました。

クルマはタイヤ、オーディオはスピーカーって若い時に教わったけれど、その通り。

私にとっては、PCのサウンドシステムとしてはたぶんこれで十分過ぎるほどです。

ああ、この幸せを誰かに分けて上げたい。

まだの人は、だまされたと思って試してみる価値ありです!

PCのデジタルオーディオボード&スピーカー-システム、おそるべし、でした。



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2015年05月16日 23時08分57秒 | 観光
本当に勘弁してほしい。

私は人を殺したくない。
自分の国であろうが、他国であろうが、国であろうが別の集団であろうが、とにかく人を殺すのが嫌である。殺さなければ殺される、という状況もイヤだ。単に殺される、というのもイヤだが。

中村哲さんの言葉

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150317/index.html

が胸に染みる。



THE NEXT GENERATION-パトレイバー-を観始めた。誰が観るんだろう、と疑問になる、私は面白いんだけど。

2015年05月16日 22時21分37秒 | 観光

『THE NEXT GENERATION-パトレイバー-』

を7巻いっぺんに借りてきた。

押井守が実写でパトレイバーの三代目(10数年後)を描いたもの。

アニメの自作を実写で模倣&反復していくテイストなんだけど、既視感が先に立って全然面白くないっていう瞬間と、アニメを人間がなぞる「ひどさ」がメチャメチャ面白いって瞬間が「私」の中で交錯しつつ、視聴が進行していく。

もし押井守が気になるなら、必視の作品。

なんだ、『うる星やつら』や『機動警察パトレイバー』のアニメと同じじゃん、って感じもある。まあ「押井守ワールド」を実写でやっちまってるわけですから当然といえば当然。

でも、面白い。
結構面倒くさいが、付き合ってみたくなる。

と同時に、これ、誰が面白いと思うんだろう、とふと思う。

そういえば

『図書館の魔女』高田大介

の時も同じ感想を持った。

どちらも私にとっては問題なく面白いんですが、ね。
それを誰と共有すればいいのだろう。

それも時代かな。自分が懐旧的になったり同じ趣味を反復しているだけになっているのなら、それもしょうがない。時代が既視感を抱え込みだしているのなら、それと付き合うことになるのだろう。

あの押井守がなんでこんなものを作ったのかね。

とりあえず、全巻観ます(笑)


『図書館の魔女』(上・下)高田大介著 講談社刊を読了。

2015年05月10日 22時40分27秒 | 大震災の中で
『図書館の魔女』(上・下)高田大介著 講談社刊を読了。

読み終わった直後の満足感の中で、すぐに誰かに勧めたくなる本と、誰に勧めようか、と考える本とがある。

そしてこの本は間違いなく後者だ。

もちろん、実際にはどんな本だって相手を選んで「推薦」しなければならない。
薦められて迷惑ってことはあるだろう。
「猫に小判」か「釈迦に説法」かってだけの話じゃなくて、むやみに「お薦め」すればいいってものじゃあない。

この本は読者を選ぶんだろうなあ、と思った。

第45回メフィスト賞受賞。

アマゾン『図書館の魔女』はこちら

とにかく書き過ぎ(=語り過ぎ)というぐらい書いているのだが、なにせ「図書館の魔女」が主人公なのだからその言葉に対する拘りや蘊蓄も、描かれている対象とシンクロしていてかつそれがこの小説の骨格を支える前提となってもいて、かつ面白いのだから文句をいう筋合いではない。

だがそれにしても、ストーリーの割には分量が長い。続編も出ているようだが、さらに続いていくのだろう。
図書館の中の少年と少女の関係という小さな物語と、国と国の存亡を賭けた権謀術数渦巻く政治・軍事のお話とを関連づける「大風呂敷」はまず見事といっておきたいなあ。

私は図書館の匂いがしてくるような本の話題や言葉を巡るいろいろを味わっているだけで幸せでしたが。

ファンタジーファンに薦めるべきなのか、いわゆる図書館モノが好きな読者に推すべきなのか、それとも言葉フェチ・「言語探偵モノ」(そんなジャンルがあるとして、ですが)におすすめすべきなのか、迷ってしまう本です。

作者は言語を専門とする研究者だという。ル・グィンや上橋菜穗子、エーコもそうだが、私にとっては学者肌の人の書く「物語」が面白い。

素人には分からないような難しくて面倒くさい蘊蓄が、単なる小説の「ケレン味」としてではなく、世界像の基盤や骨格、あるいは肝心な物語の核を支える大切な力となっている作品には、格別の読む喜びがある。

そんなこんなで誰に勧めたらいいのか分からないけれど、おすすめです。



前の記事に関連して「医者自身が病気になったら“治療拒否”したいケース30」

2015年05月06日 18時52分24秒 | 大震災の中で
前の記事に関連して、同じく

President ONLINE

で、こんな記事が。

医者自身が病気になったら“治療拒否”したいケース30

http://president.jp/articles/-/15155

確かに切ないけれど、考えておいて悪くはない、と思います。選択の余地も時間もなく、深刻な事態は突然襲ってきます。

そのときのことはそのときになってから考えるしかない、というのはもちろん正解。

でも、時間があるときに少しシミュレーションしておくのも、そんなに荒唐無稽な話でもない、とも思います。

考え得る全てを網羅してあらかじめ準備する、とかいった「神経症的」なやり方はどうかな、という気がしますが、大きな方向性とか、ぎりぎりの分岐点で判断を下すための理性の使い方など、全く準備していないようでも困るし、後悔の元でしょう。

人生は一回しかない。だから、ぎりぎりのところで、失敗とか後悔とか成功とか満足とかを超えてその「生」を受け止めることの方が大切だ
し、だから、どこまでどう考えて生きるのか、何が自分にとって大切なのか、優先順位を漠然とであれ考えておくべきでしょう。

たとえば、私は今田舎に住んでいて、緊急事態に対応できる病院まではいきなり車を運転しても30分から50分はかかります。渋滞時に救急車を呼べば、1時間以上は免れない。
その場所に住んでいるリスクは、織り込んでおくべきだし、それは単なるあきらめとは違う。
ある種の覚悟というか、ね。

抗がん剤だって、どこまでがんばるのか、はいつも考えています。そのときになってみないと分からないし、家族の立場と自分自身の場合でも違うのでしょう。
いざとなって考えが変わるかもしれない。迷いだって出てきて当然だし。

それでも、50代半ばも過ぎてくればいろいろと空想から想像へ、想像から心構えへ、心構えから準備へ、と考えが進んでいくものかもしれません。

この記事、自分が「治療拒否」するかどうかは全く別だけれど参考になりました。



「なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか」という記事(President ONLINE)を読んで考えさせられた。

2015年05月06日 01時09分46秒 | 大震災の中で
President ONLINEの記事。

なぜ、医者は自分では受けない治療を施すのか


http://president.jp/articles/-/15153

だから医者はひどいことをしている、という短絡的な反応がしたいわけではなくて、どうしてそんなことになってしまうのか、という「構造」を明らかにした上で、変えていかねばならないだろう。

でも、きちんと相談すれば話の通じるお医者さんもいるけどね。

本人ではなく「家族の期待に応えようとしてしまう医師」という指摘はとても重要。
自分の生命の終わりを自分だけで決定するのはどうかな、と思うけれど、延命治療以外の選択肢が無くなってしまったガンの末期などは、ある程度「予測」できてしまうわけで、そういう時に延命治療をしない選択肢は、もっと自由に選べた方がいい。

ガンは突然死とちがって、ある意味ではこちらが生き方を選択できる病気だ。
家族がガンになってから、そのことをしみじみ考えるようになった。
抗がん剤も(本人に)やってもらったが、どこまでそれを繰り返すのかは考えなければならない、と思う。今はマーカーが落ち着いているけれど、これからは以前よりは短いスパンで人生を考えていく必要が出てきた。それは本人だけではなく、家族みんなにとっても同様だ。

どこまでどんな治療するのかについて判断するためには、それ相応の知識が必要になるだろう。
勉強しておかないと、短い時間で決断を要するときに対応できない、ということもある。
と同時に、どれだけ知識を得たとしても、根本から寿命をどうこうできるわけではない。

知と非知の境界線上にあって、生命と向き合うためには、知識だけではなく、ある種の「魂の訓練」も必要になるのかもしれない。

とにかく、考えさせられた。




地域興しの切り札

2015年05月04日 23時12分11秒 | 観光
夷隅郡大多喜町を訪ねたところ、
「本田忠勝を大河ドラマに」
という幟が町中に立っていた。

香取市の佐原にいったら、今度は
「伊能忠敬を大河ドラマに」
という幟が。

視聴率衰えたりといえども、田舎の町おこしの切り札として「大河ドラマ」は神通力を失っていないのだなあ、としみじみ。

また、養老渓谷をドライブしていたら、

「アートいちはら2015春」

というイベントに出会った。

廃校になった旧里見小学校・月出小学校や、地元の美術館など複数の海上でアートイベントを行うというもの。

新潟の妻有などでは大規模に行われているし、地元福島県いわき市の田人町でも村全体が、アートの会場になるイベントが続けられている。

自分たちの町の歴史を守りかつ新たな企画も立ち上げながら自分たちの町を動かしていこうとするのは大変でもあるのだろうけれど、実際私たちは「観光」というかあたかも「事故」のようにそういうイベントと様々な、形で出会っていくのが楽しい。

道の駅も何十となく訪れているが、人が集まっていくのには、それだけの理由がある、との印象を持つ。

確かに名所を確認に行くのが長らく私たちの「観光」だったし、今もそれは大筋変わらないのかもしれない。
でも、私たちは「歌枕」の確認作業だけをしに旅行をしているわけでもないだろう。

どこかで何かと、誰かと出会っていくこと。

時には「るるぶ」や「まっぷる」、あるいはネットでの観光案内に身をゆだねたりもしつつ、しかしそんなことだけではなく、ふらっと訪れた街や山が、意外な相貌を見せてくれる瞬間があって、だから旅は止められないわけで。

たとえきっかけはマニュアルからはじまった旅だとしても、ふと目に飛び込んできたり、知人に教えられたり、朝市で地元の人の話を小耳に挟んだり……新鮮な野菜、伝統の行事、できたての食べ物、作りたてのアートを前にすれば自然と会話も弾む。

そして、話を聴いたあとなら、大河ドラマを望む地元の人の気持ちもちょっぴり分かってくる。

ものの本によれば、地方は「消滅」する、のだという。

でも、そういうまとめ方は本を売ったり予算をつけたりするのには便利なのだろうけれど、別に地方はそんなに大々的に栄えなくてもいい、と思っていると思うなあ。
人の生活が完全に消滅するまでは、そこに町や村は、あり続けるだろう。そしてその生活の営みは、そう簡単にはなるなるまい。
お店屋さんのシャッターが下りることはあるだろう。温泉街の旅館が廃業することも有るかもしれない。
でも、じゃあ湯治場が一軒そこにあるだけでは、だめなのか?
道路と電気というインフラの維持のために、どれだけの人数と税収が必要なのだろう?

新しく道を作る計算ではなくて、どんな風に補修しながら持続が可能なのか。

千葉県の小さな町や村を二泊三日で旅しながら、
「千葉の田舎の山の舗装道路は福島に比べて狭い」

という印象を抱きつつ、道路さえつながっていれば、何とかなるのではないか、とも思った。

もちろん地方の集落にとって道路の整備は両刃の刃でもある。

消費を地元ではないどこか別のところにある中核都市や、その郊外のショッピングモールに吸い取られてしまいかねない。

道路一つとってもそうなのだから、雇用の問題も難しい。
役場に勤められないから、地元に雇用がないから、若者が出て行く、という声に応えて役場の職員募集を増やしたが、応募がないという結果が、という話も奥会津では聴いた。

山村が栄える特効薬など、おそらく存在しない。しかし、自分たちがずっと住んできた、そして住み続けている村や町について考えることは、おそらく自然なことだ。

そういう自然さを、おそらく地方小都市のサラリーマン子弟の末裔である私は持ち得ていない。







アートいちはら2015春というイベントが面白かった。

2015年05月03日 22時43分24秒 | 大震災の中で

千葉の山の中をクルマで走っていたら養老渓谷の辺りで
「アートいちはら2015春」
というイベントに出会った。

「アートいちはら2015春」(中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス)


山の中のお家や廃校になった小学校で、インスタレーションやアニメーション、鉄のアートの実演屋染色、いろいろなワークショップ、期間限定のレストランなど、思いがけなく楽しい時間を過ごすことができた。

いわき市の田人でもやっているけれど、山の田舎の廃校とアートは相性がなかなかいい。

持続的な活動として展開していくためにはいくつかハードルがあるのだろうけれど、応援したいなぁ。

作品 芭蕉の月

『督促OL修行日記』榎本まみ 文春文庫 が面白い。

2015年05月01日 07時00分00秒 | 観光
『督促OL修行日記』榎本まみ 文春文庫 が面白い。

カード会社の督促コールセンターに配属された気弱な新入社員のOLが書いた、実録。

めちゃめちゃ面白いです。下手な自己啓発とか能力開発の本よりよほど読ませる。

つまり、自己啓発とか能力開発の本は、ほとんどその手法が間違っているわけです。
「言葉」が大切、といっているのに説教じみている本が世の中にはたくさんあって、そういうノウハウ本ってだいたい信用がおけないわけです。この本は、そういうものを適切に相対化できている。


普通は、結局上から目線でノウハウを持っているのは私だ、と読者を脅すしか能がない本(や講座や講演会)が多いわけですね。

ところがこの本は、世間からブラックと思われてきたカード会社のキャッシングの延滞督促という現場に、最弱のOLが放り込まれたという状況から語り出されるため、業界営業路線からいっても、OL成長物語路線からみても、あるいは実際に(潜在的にではあっても)督促をされる読者の側からいっても、決して説教じみていない、リアルとして受け止めることができる。

そう、この本の文章自体「督促」のノウハウの感触を伝えているという意味でも秀逸なのです。テーマ・素材・文体が響き合っている、というか。

対人感情労働をしている方には圧倒的にお薦めの1冊。




別にこれを読んだからといって、苦手な「感情労働」が「あっという間に」得意になるわけじゃござんせんが、「ほっ」と一息つけることは請け合います。

後半、自尊心はビジネス講座を受けるビルの下に埋めた、という記述があって、ちょっと切なくなります。

善し悪しとは別に「感情労働」は生活の中で普通に育ててきた自尊心はどこかに置いておかなければ成立しない、ということでしょう。
さりげなく書いてあるこの記述に「さもありなん」と腑に落ちました。

とはいえ、 単純な業界内情の閲覧本としても楽しく読めます。

腰巻き惹句と解説が佐藤優、というのもいいですね。督促も有る意味では「インテリジェント」=情報・交渉術でもあるわけでしょうから。

文庫で550円(税別)。1時間弱で読めちゃいます。
読む本に困ったら、ぜひ。