龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

震災以後を生きる(14)

2011年07月01日 22時15分34秒 | 大震災の中で
計画避難対象となった山木屋の女性が自殺
という報道が今NHKで流れた。

山木屋は、原発立地地域とは全く異なる、ふだんはそんなことを考えてもいなかった中通りの地域である。

勤めていた養鶏場が閉鎖、失業に加えてなれない避難暮らし、さらに家族が分かれての避難ということで、将来に対する不安を感じていたようだ、と夫の話。

とても他人事ではない。
「最近会ったときも普通だった」
という知人のコメントも添えられていた。
それがまた切ないし、聴いた福島人は、我がことのように感じてしまうのではないか。

彼女の思いを安易に忖度することはできないが、いったいこれからどうなってしまうのだろう、という底の知れない不安は、間違いなく私たちも抱えている。

福島の人たちは、やっとのことでそこに立っているのじゃないか。
もし、そのバランスが不意にくずれたら、と思うと、怖くなる。

無理やり心を落ち着けて日々の暮らしを何とか生き延びている人が、福島には圧倒的に多いはず。
これから、何かが起こったら、もう持ちこたえられないかもしれない。

もしかすると実は足元から既に「崩れてしまっている」のでは?

事故の早期収束を祈りつつも、澱のように不安は日々蓄積している。

ふぅ。


國分功一郎「暇と退屈の倫理学」(朝日出版社第二編集部ブログ)

2011年07月01日 13時45分36秒 | 大震災の中で

とっても上質の知的エンタテイメントです。

暇と退屈から解放されるには、何か別のモノに熱中して逃避するんじゃなくて、暇と退屈について、それ自体をこんな風に一緒に考えてくれるテキストの存在が一番役立つ、のかもしれません。

テンポも急がないのがグッド。
國分さんの文体というか、かたりの魅力、でもあります。

考えてみると、暇や退屈から逃げるんじゃなくて、むしろその暇が楽しめればいいんですものね。そしたらもう暇は暇じゃないし、退屈は退屈じゃなくなっている。

どんなところに連れて行ってくれるのか、も楽しみです。


よろしかったら是非。