龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

淀川混声合唱団の草野心平詩・千原英喜曲「わが抒情詩」を100回ほど聴いてみた。

2012年01月31日 23時46分37秒 | 大震災の中で
草野心平の詩が心に沁みて、探し出した淀川混声合唱団の演奏を100回ほど聴いてみた。
この曲をCD化してくれたことに、淀川混声合唱団には感謝したいが、繰り返し聴いているといろいろ見えてくるものもある。

正直にいえば、音楽としての演奏のクオリティはそんなに高くないかもしれない。
楽譜を手に入れていないのでなんとも言えないが、

1,ことばの「アタマ」というか「入り」が揃っていない
2,曲の意図した表現を十分に実現していないのでは?と思われる瞬間がある
3,どうもピッチが定まらない感じがある(そういう微妙な表現?まさかねえ。後半とくにふらつく)

素人が何を言うと言われそうだねぇ。
しかし、誰か他の演奏者に依頼して歌ってもらいたい、と思うようになったのも事実。
気持ちよく歌っている感じは嫌いじゃない。
ルーズでもいいから、歌い込んであればこんな感じは受けないと思うんですよ。
クラブソングというか、愛唱歌ってな感じは、上手いヘタなしに受け入れられる。
そういう「愛」の領域でもないし、じゃあ演奏としてクオリティが高いかというと……。

最初は自分で歌うという選択肢も考えたが(笑)、まあそれはない、ということで。

とはいえ、詩は地元いわきの詩人だし、「戦後」の「闇」を見つめた「抒情」もシンクロしている。
曲もいい。どこか地元の合唱団で歌ってくれませんかねえ。

とりあえず別の音源を探してみます。


会津の一箕中の演奏がありました!

「大震災の中で」

2012年01月29日 17時00分47秒 | 大震災の中で
 「大震災の中で」というレポートを、アップしました。
 生徒300人にその題名で書いて貰った「震災体験レポート」の分析メモです。ぜひごらんください。

メディア日記「龍の尾亭」『大震災の中で』

http://blog.foxydog.pepper.jp/?search=%C2%B8%BA%DF%CF%C0%C5%AA%B6%B2%C9%DD

職場で2年生に「大震災の中で」というレポートを300人に書いてもらいました(原稿用紙8枚)が、320人ちかくの生徒数で300編以上集まりましたから、非常に提出率の良い課題でした。
生徒には全員公開を前提として書いて貰いましたから、いずれデジタルアーカイブとして提供したいのですが、なにせ個人作業なので思うに任せません。
とりあえずその300編を読んで分析したことをメモにしてみました。
視点は、死=恐怖をどう捉えるか、ということが1点目、「人為の裂け目」をどう考えるか、が2点目です。
ご笑覧を。

大震災における恐怖の種類

2012年01月29日 16時56分15秒 | 大震災の中で
「大震災の中で」レポート(メディア日記龍の尾亭を参照されたし)

http://blog.foxydog.pepper.jp/?search=%C2%B8%BA%DF%CF%C0%C5%AA%B6%B2%C9%DD
で述べた恐怖の種類について再論。

まず、うちの犬(故人、というか故犬になりましたが)は、大震災の後、かなり強い余震が起きると、そのたびにいつも、なんとかして庭の外に出ようと必死でもがいていた。

彼女にとっては、今ここでの恐怖は、どこか別の場所への逃走によって解消されるしかない。
誰もこの犬の行為を「愚か」と笑うものはいまい。かわいそうだ、とは思うけどね。

人間にも、この「怖れ」(動物的次元)がまずやってくる。
「うわわわ」とおびえて固まる。
あるいはとりあえず外に飛び出したくなる、みたいな。

その次に、揺れが収まらずに大きくなったり、家や地面自体が波打ったりを続けると、
「こりゃ死ぬかも」
という想念がきざす。存在がおびやかされる死の「恐怖」(存在論的次元)である。
これは判断を伴うものであって、動物的なものとは明確に異なる。

反射的に椅子の下に潜るっていうのは、理性的判断が身について「自然と」身体に身についた形で行動に出る、と言う意味では、無意識のレベルの訓練だろう。動物的次元と存在論的次元の間に合理的な理性によって設定・訓練された「反射的次元」とでもいうべきものだろうか。

問題はその後である。

風景のレベルでの畏れだ。
外に出る。津波が襲ってくるのが視界に入る。波打ち、引き裂かれた道路を目にする。
全てが押し流され、あるいはクルマが幾重にも鏡餅のように波に押し寄せられて積み重ねられている。

そういった社会的構築物によって構成された社会的な風景一切が「引き裂か」れ、その裂け目の向こう側から「自然」が顔をぬっと覗かせる、そんな種類の「畏れ」がその後にやってくる。

1,動物的次元の「怖れ」
2,存在論的次元の「恐怖」
3,「人為の裂け目」の次元における「畏れ」

ととりあえず「恐怖」は3つのレイヤーに書き込まれて響き合うように思われるのだ。

さてだが、それらは、それぞれに、ここより他の場所を指さそうとする。

1ではこの地面以外の場所を、あるいは震える身体を収める状態を
2では「死」に逆照射された「生」を
3では「社会的構成=人為」が破けた向こう側における「自然」=の絶対性を

そして同時に、それらが個別にお互いを参照するという行為、つまりは異なったレイヤー(階層)に書かれた恐怖同士が共鳴しあう、ということも起こるだろう。

そういう風に、「大震災の中で」というレポートを300編読んで感じた。

そして、そのそれぞれの恐怖を統合して思考する場合の参照点として「神」とか「仏」とかという「無限者」・「根本原理」が求められるのではないか、という仮説を考えてみたいのである。(この項目、継続します)



「スピノザが来た」という朝日新聞の記事(ニュースの本棚)を読んだ。

2012年01月29日 15時21分56秒 | 大震災の中で
 國分功一郎『スピノザの方法』への言及もあったので(当然ですが<笑>)ちょっと紹介しておきます。

引用開始
「『我思いつつあり』-スピノザは精神と肉体を分けない。彼の哲学では方法はたどると同時にできる道。それは自分の中にある。『誰も自分で考え、その道を見つけるしかない』と國分さんはいう。現代人にはのみ込みにくい方法でもある。」
引用終了

ふむふむ、なるほど「道」かあ、と一人で納得。

今ちょうど親鸞『教行信証』(岩波文庫)の「信」の巻の部分を読んでいて、二河白道のたとえが出てきた。岩波文庫『教行信証』信巻P143~P146

東には群賊悪獣(毒蟲)たち、北には貪愛の水の河、南には憎悪の火の河、河の中央には幅4、5寸の白い道。そこで
「われいまかへるともまた死せん、住すともまた死せん、ゆくともまた死せん。一種として死をまぬがれざれば、われやすくこの道をたづねてさきにむかひてしかもゆかん。すでにこの道ありからなず度すべしと。」

と親鸞は「道」の喩えを示している。

朝日新聞の鈴木繁氏は、『スピノザの方法』の評として「現代人にはのみ込みにくい方法」とコメントしているが、果たしてそうだろうか。

少なくても、東日本大震災と原発事故によって「人為の裂け目」=聖痕を目の当たりにした人間にとっては、たとえばスピノザの「道」、たとえば親鸞の「道」は、現実に取り得る唯一の道として、むしろ身に親しいものと感じられるのではないか、と思われてならない。

だからスピノザが「来た」ってことになるんじゃないかな。

スピノザが来ている、親鸞が来ている、というのは、決して偶然ではあるまい。
(1月29日日曜朝日新聞12版の下には五木寛之『親鸞 激動編』の広告が<笑>)

その場所には、私たち人間の営みに刻み込まれた決定的な「裂け目」をどう受け止めるのかという、誰もが不可能でありながら不可避でもある問いが屹立している。

「死」への恐怖の分析もまた、必要な仕事になってくると思います(後で詳述します)。

ちなみに、。併せて安冨歩の『経済学の船出』にも言及されていたのにはびっくりでした。

彼の非常に聡明かつ大胆な思索の結果であるこの著書ばかりではなく、ある意味ではトンデモ本とさえ見なされかねない『原発事故と「東大話法」』もまた、「不可能かつ不可避」という多重の困難と向き合うときに、内的な衝動から瞳をそらしてはいけない、「立場」だけで発話することはハラスメントを生むという厳しい自覚の上に書かれているとみるべきでしゃないでしょうか。
共依存=母親&妻からのハラスメントから離脱し(『生きる技法』)、立場を優先してなされる発話からも身を引きはがし、「あられもない」個人的な場所に「も」立つという覚悟に支えられた著作として同時に読まれるべきものでしょう。

他にスピノザ関連としてはドゥルーズ『スピノザ-実践の哲学-』(平凡社ライブラリー)についてまとめたという下記サイトが、明快かつ簡潔でお薦めかと。


Spinoza: Philosophie Pratique
http://www.mars.dti.ne.jp/~kells/Essay/spp.html

Spinoza: Philosophie Pratique (2)
http://www.mars.dti.ne.jp/~kells/Essay/spp2.html


『スピノザの方法』『経済学の船出』は、どちらもかねてからお薦めの2冊。
未読の方はぜひ。





合唱曲「わが抒情詩」(詩:草野心平・曲:千原英喜)を聴いて泣いた。

2012年01月29日 01時10分20秒 | 大震災の中で
草野心平が戦後すぐ、昭和23年に発表した詩集『日本砂漠』の中の「わが抒情詩」という詩に千原英喜という人が曲をつけたものである。

>立正大学グリークラブが2007年(平成19年)から2009年(平成21年)にかけて委託初演された作品。
(「合唱道楽 歌い人」のブログより
だそうだ。

今日、淀川混声合唱団の演奏CDが届いた。聴いているうちに泣けてきた。


会津若松市の一箕中の演(フルコーラス)はこちら。

(YOUTUBEの演奏が削除されていたので、別の演奏の方のurlに切り替えました。)


YouTubeの淀川混声合唱団(一部のみ)「わが抒情詩」はこちら(冒頭部分のみ)
http://www.youtube.com/watch?v=2h48wJc0Qzo




https://www.youtube.com/watch?v=UvFGu-fQ2lI

中国から引き揚げてきて、戦後の日本に向き合った心平の詩の抒情が、そのまま震災後の「今」を生きる私に直接届いた、ということだろうか。

慌てて本棚から取り出した岩波文庫版「草野心平詩集」に解説(入沢康夫)によれば、
「昭和21年春に帰国し、故郷上小川村で三カ年弱を過ごしたのち、東京へ居を移す。」
とある。

そして『日本砂漠』の初出は昭和23年5月。
いわき市の小川村に住みつつ、故郷と東京を行き来しながら出版した詩集の中の一編ということになる。
もちろん、内容からしても中国から帰国してからの作だ。

その事実を知ってから、ちょっとましなステレオセットでもう一度聞き直し、改めて泣けてきた。

東日本大震災とそれによる原発事故はやはり「第2の敗戦」であったのだ、ということを、草野心平は60年以上まえに、いかにも彼の詩らしい抒情によって既に指し示していた......そんな乱暴なことさえ思ってみたくなる。

むろん、草野心平は「世界観」の人ではない。屈折は世界の側ではなく常に「詩人の不可避」(高村光太郎)の側にあったと見るべきところだろう。

でも、少なくてもその抒情の「屈折率」は、今の私の心のそれと響き合っている。

原詩はかなり長いもので、曲にはそこから抄録した言葉が使われているのだが、むしろシンプルかつ力強くなった印象もある。
よろしかったらぜひ一度。


「道だかなんだかわからない。」
「ここは日本のどこかのはて」

が沁みます。個人的に、愛唱曲になりました。


わが抒情詩(抄)

くらあい天(そら)だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
くらあい道を歩いてゆく。

どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いているが。
うたつておれは歩いているが。

おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにいる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつていた。

ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。

去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりん、めうちきりんに
にいたむのだ。

ここは日本のどこかのはてで。
きのふもけふも暮らしている。
都のまんなかかもしれないが。
どこをみたつてまっくらだ。
どこをみたつてまっくらだ。



詩の全文はこちらに。
わが抒情詩:草野心平の詩集「日本砂漠」から
http://japanese.hix05.com/Literature/Kusano/kusano14.jojoshi.html




Facebookの写真、スマホの画面だと眼の焦点が合わない……

2012年01月27日 22時41分57秒 | インポート
今、久しぶりにFacebookをうろつき、知人の写真をよく見ようと思ってダブルタップしたら、全然瞳の焦点が合わなくて、良く見えない。メガネを外してもかけてもダメ。
かなりショックですぅ……※
そのためにわざわざPC立ち上げる気はしないし。
もういい加減にiPadを買えということか。
しゃ~。



絶対他力への道、無限者から還る道。

2012年01月27日 22時15分13秒 | 大震災の中で
もう一つ気がついたことがある。
この「往還」を中心に世界と感応する姿勢は、「絶対他力」と親和性が高い。
スピノザは神=自然の「あらわれ」として世界の存在を考えるから、人間の「自由」とかを重視しない。ってか、そもそも存在は全て神様の「表現形」なんだから、人間の意志とか判断に左右されるはずもない。
親鸞もまた、不可能性のリミットとしての仏の立ち現れを語っているかのようだ。

子羊は果たして「迷える」のか、また子羊は仮に自ら「迷う」ことのできる能力があるとしてそれは自力による選択で救抜できるのか?

根本原理を強く志向しなければまた別だ。
しかし、神なり仏なり、信の向かうべきリミットとしての無限者を志向するならば、それは不思議なことに「イマココ」性を帯びてくる。

いや、不思議なことにとは曖昧な言い方だ。

今村的にいえば、平安時代には自明とされた「信」を、親鸞は真剣に哲学的に問わねばならない場所に立っていた、と指摘する。
國分的にいえば、スピノザに先行するデカルトが想定した説得すべき懐疑する者としての他者は実は、半ばは自分自身であったのに対して、スピノザが語る説得は非常に弱い、と指摘する。
そせてこの弱い説得こそが、本当に絶対的な他者の傍らに立つ行為なのではないか、と問いかけるのだ。

今村の提示する親鸞も、國分のなぞるスピノザも、決して説得を放棄してはいない。
けれどそれは、ある種の無前提な自明性、同一性、本来性を強く拒んでおり、だから、不可能な説得に近い感触、あるいは難解さ、
といってもいい不可解な感じを抱かせるのではないか。

誤解のないようにいえば、法然やデカルトの身振りを否定したとかいうのじゃないのだろうね。
わかんないけど(笑)
そうじゃなくて、人間という有限者を神や仏という無限者と引き合わせるのはもともと無理がある。
信じることを自明とするか、もしくは不可能とするか、以外に方法はない、のかもしれない。
でも、そこのところに限界をおかなかったらどうなるのか?

そういう意味で、哲学として汲めども尽きぬテキスト、になるわけだ。

だから、改めていうと、その不可能性というか、よわい説得のうちに潜む光に感応する、ということが、「読める」ということのとりあえずの内実なのだろう。
ここ、大事な話のような気がするので継続審議、です。


慌てて付け加えておくと

2012年01月27日 21時37分00秒 | 大震災の中で
テキストが読める、というのは何かを悟ったとか理解した、と言うこととは違います。
正直な話、『教行信証』の言いたい内容なんざロクに分かっちゃいない。

ここで「読める」というのは、自分の理解を思考の限界にしなくなった、といほどの意味だ。
悟りとか宗教的回心が、何か対象を認識したり思想をを理解したりすること、と考える思考の歩みとは異なる種類の、テキストに対する耳の澄ませ方を教わったような気がする、ということである。

だから、自分の主観的匙加減による理解という場所からは遠い。
同時に分かるという虚妄から解脱するなんて悟り的境地でもありません。
対象像の問題でもなく、自己修行の成果でもない。

握りしめた手をチョット緩めると、釣竿から当たりの感触が伝わりやすくなる、そんな感じが「読める」ということの実感に近いかもしれない。

高校生の頃入り浸っていた撞球(ビリヤード)場で、徹夜で掛けビリヤードをやってた「たこ寅」っていう飲み屋の主人から
「最初からキューを軽く突くなんて考えるな。強く突き続けてから、後で力の抜き方が初めて分かるようになる」
と言われたことをよく思い出すのだけれど、それにも近いかもしれない。





親鸞『教行信証』を読み出した。

2012年01月27日 21時10分57秒 | 大震災の中で
去年、大震災を経験し、父親の死を経験し、そして飼っていた犬が死んで、自分はようやく「大人」になったと思う。

以前自分が10代や20代の頃仰ぎ見ていた50歳は、もう人生の全てを理解している「大人」だった。
いやむしろもう、人生のピークを過ぎようとしている初老の悲哀さえ感じさせるものであったかもしれない。
実際、自分の父親が50歳を過ぎた頃には
「おれはもうすぐ死ぬから母さんを頼む」
が口癖だった。

父親はそれから延々90歳まで40年も生き続けることになるのだけれど(苦笑)。

まあ、人のことはさておき、自分自身、53歳にもなって「大人になった」というのもそりゃ、どうかと思う。
でも、本当にそうなのだから仕方がない。それほどにも「子供」だったのだ、といっても話は同じなわけで、とにかく、掛け値なしに「世界が見えてきた」のだ。

こんなことをしらふで語る方がどうかしている、のだろうか。
いつもそう自問する。

惚け始めて、細部の区別が分からなくなったからこそ、全体像があまりにも「クリア」に見えるような気がしているだけなのではないか。
細部の感覚壊死し始めて、それでも全体像を懸命に見ようとするから、一瞬だけ花火のように「生の瞬間の真実」が見えたような気になるのではないか。

そうかもしれない。そうではないかもしれない。

でも、とにかくこの10年、古典が読めるようになり、50歳になってからこの数年、世界が見えるようになった。
主観的には、間違いなく、見えてきた。

端的にいって、読めなかったスピノザ『エチカ』が読め始めている。
図々しいことにそれでは、と先週末購入した親鸞『教行信証』を開いて見ると、これがなんと読めるのである。

シータというつかの間のパートナー(とその飛行石)を得た哀れなムスカが、
「読める、読めるぞ~!」
と古代文字が理解できることに、いたく感激するのとまるっきり同じように。

無論、それは國分功一郎氏が『スピノザの方法』で引いてくれた補助線のおかげなわけだし、その前から繰り返し読んでいたドゥルーズの『スピノザ』の意図がその補助線のおかげでクリアに見えてきたからだし、他方『教行信証』についていえば、安冨歩が『経済学の船出』でスピノザ-ホイヘンスと並んで親鸞について語っていたことが前提となり触発されて、本棚に並んで積ん読状態だった今村仁司の『親鸞と学的精神』を一気に読んで「目覚めた」から、そこにたどり着いた、のではある。

つまり、國分&ドゥルーズ&安冨&今村のテキストが私にもたらした「差異」を手がかりにして、自分自身の「偏見」というか、「予見」に基づいてようやく『エチカ』なり『教行信証』というテキストに手を掛けようとしているということだ。

だが、断言してもよいが、その前提となる読書経験によって培われた「偏見」や「予見」という参道がなければ、『エチカ』や『教行信証』は、読み始めることさえできなかった。

いくらページを繰っていても、読めないものは読めない。
本によっては、表紙と題字と書き手の名前を見ているだけで内容が「分かってしまう」ことだってある。

テキストとはそういうものだ。

『エチカ』と『教行信証』はどちらかといえばとりつくしまのない宗教=哲学のテキストである。

一見、もう、たどり着いてしまった「世界の果て」から語り出されているように見え、本当にどこから発話しているのかが見えにくい。
とくに『エチカ』の最初の神様の証明の辺りは、最初いくら読んでも「ぽかーん」とするしかなかった。

だが、國分功一郎と今村仁司は、一見とりつくしまもない「完成」した高見から語られるかにみえる宗教的テキストが、実はその中に「往還」を秘しているのだ、と教えてくれた。
そのかすかな「痕跡」を、明晰なテキストクリティークによって、「読むこと」において示してくれたのだ。

そのことが私をようやく「原テキスト」に向かわせてくれた。
もしかすると、私にとっては彼らが向き合っているスピノザや親鸞よりも、彼ら自身の苦闘の痕跡としてのテキストの方が高い価値を持っているのかもしれない、とさえ思う。


つまり、神といっても自然といっても仏といっても、世界の根本原理といってもいいのだが、そういうものに向かって歩みを進める行為は、ほとんど狂気というか意味の限界を思考に強いるだろう。

実質それは、人間にとってはほとんど不可能な行為、といってもいい。

だが、上に名前を挙げた人達は、一人としてそれをあきらめない。

そうしてみると、私が「大人」になった、というのは、個人の主観においてはどんなに無限者を求めても有限の場所に留まらざるを得ない、その限界を思考と行動の限界にはしない態度を手に入れた、ということなのだ。

正確に言えば手に入れたわけではもちろんない。

だが少なくても、大震災による「人為の裂け目」の顕現は、私に「限界」を安易に設定する虚偽を教えた。
そういう意味で、それはまさしく「聖痕」なのであって、それ以外の意味はない。

その「聖痕」を受けた者は、一度「死んだモノ」として生きることになるだろう。
「往還」において生きる、とはそういうことだ。

親鸞もスピノザも、ただ向こう側に行った人でもなくただ向こう側からこちらに言葉を発している人でもない、と國分氏、今村氏は語る。
一歩一歩その裂け目に向けてテキストを進めていき、その結果としてこちら側に帰ってくる「往還」が、テキストのレベルで生きられているのだ、と言うのだ。

つまりは19歳のころ、石川淳が奇跡的な名著『夷齋筆談』において、「菩薩遊戯」と呼んだそのその此岸と彼岸の往復運動をする場所に、ようやく誘われた、ということなのだろう。

安冨歩は自らのテキストにおいて、その俗と聖の往還を「あられもなく」実行する。それはときにアクロバティックでもあり、ある瞬間には「痛々しく」さえ見えてしまう。

でも、もう後戻りはできないのだとそれらのテキストを読むたびに思うのだ。

根本原理などないというのは簡単だ。
だが、東浩紀の『一般意志2.0』を荒唐無稽と笑い、橋下徹のパフォーマンスを「独裁」とさげすみ、反原発を猿とののしるだけではことは済まない。

同時に、同一性や本来性に収斂する悪魔を注意深く退ける行為は、誰かどこかの他者(たとえば公務員、たとえば反原発運動者)を戦術的に否定すれば済むというものではないだろう。

いまこのときほど、今ここにいる「個」における「差異」を「力」として、「運動」として、つまりは個がよりよく生きる「力能」として受け止めたい、と祈るほどに強く思ったことはない。

隠された悪=本来性を注意深く拒みつつ、開かれた心を持ち続ける勇気は、やはり「差異の強度」において、テキストの細部から試されるより他にないのだ、と、改めて思う。
それは20代の初めから結論としては全く進歩などしていない。

変わったことがたった一つあるとしたら、それを「ハラスメント」としてではなく、「贅沢」として受け止める覚悟というか準備が整った、ということだろうか。

一緒に飛べる仲間を募る時期が来た、ということかもしれない。
さて、どんな仕事を始めたらいいのか、考えはじめようと思う。







インターネット&Googleは改めて凄い。

2012年01月27日 20時21分22秒 | 社会
久しぶりにフェイスブックにアクセスしたら、紹介の欄に旧知の名前がずらりと並んでいて、お友達登録依頼を一気に出してしまった(^^;)。

でも、知り合いの中で基本的にフェイスブックを使っているのは、はっきりいって私より年上はほぼ皆無、である。だから、今日登録依頼を出したのも全て20歳代の知人だ。
今までだったら一生連絡がつかなかった人に、あっけないほどたやすく連絡が取れてしまう。

不思議な時代だ。


私は知り合い自体が高齢なので、リアルタイムのやりとりはせいぜいメールどまりだけれど、同世代の登録率が高いとなると、フェイスブックは本当に「使える道具」になりますね。

それとはちょっと違うが、最近感激していることがある。

40年近くも前に流行し、どこかで1小節か2小節だけ聞きかじって耳に残り、今では題名も分からなくなっている歌、というものがいくつか記憶の中には断片的に残っている。

そういうものでさえ、誰かが気になって、あるいは誰かが覚えていて、たった一人だけでもインターネットの網の目に載せてくれさえすれば、いつかそこにたどり着ける、ということが分かってきた。

いや、そりゃあ、理屈では分かってます。
原理的に、ネット上に公開されたデータはいつでも誰でもアクセス可能なわけだから。
この感激はだから、幾分かは検索エンジンの凄さに関係している。
でも別の部分は、そんなこと(って失礼ですけど)までネットにアップしてくれる人がいるとは?!という種類の感激でもある。

たとえば、この前小学校3年生か4年生の時に配本されて図書室に入った推理小説全集のことをふと思い出して
「少年 少女 推理小説 全集 」
とかでググってみたら、みごと

「あかね書房」の「少年少女世界推理文学全集」

がヒットしてしまった。全巻古本屋さんで揃えてしまった人もいる、とか書き込みがあると、

「分かる分かる」
とかうなずいてしまう。

あるいは、「そんなあなたが」というフレーズだけ覚えていた曲でも、検索すると
小坂明子と中沢京子でヒットしてしまう。

「そんなあなたが」作詞作曲中沢京子<「ポプコン マイ・リコメンド ガールズコレクション」所収>

今日は『教行信証』に出てきた「阿難」が、注にもなくて(常識なんでしょうね、知らなかったけど<苦笑>)困ったから、ググってみると、アーナンダという釈迦の十弟子の一人、とか教えてくれるし。

日々そんな感じで利用していると、誰かが知っていることはGoogleが媒介となって必要なデータの側まで連れて行ってくれるという感じがしてくる。

ネット紀元前であれば、たとえば一番気になっていた
エイプリルダンサーの『コーヒーカップ』
なんて曲と再会することもなかった。そういう意味ではYouTubeも。

これは、確実に「記憶の質」を変えていく、と思う。
そして「記憶」というのは私達の「存在」のありように大きく関わっている。

そういえば、昨日届いた「日経サイエンス」に、記憶が失われる諸症状に対処する一つの方法として、耳にかけられる程度の超軽量超小型のカメラが期待されているという記事があった。
ちょうど『博士の愛した数式』に出てくる「メモ用紙」の代わりに、ビデオカメラないしスチルカメラが、失われ、間引かれた記憶を喚起する手助けになるのではないか、ということだろう。

冒頭に書いたフェイスブックのつながり具合を考えても、本当に世界は大きく動いている、とつくづく思う。

私は退職したら、クルマにのって日本中を旅したいと考えている。クルマは私達が子供の頃から、生活に魔法を掛けてくれる移動装置だった。

でも、今の20代の人にとっては、身体を移動させるこの自動車という金属の箱には、私達の頃のような「魔法」を感じたりはしないのだろう。

ネットにおいては、見いだされるものは全て見いだされる。
たとえば就職試験の面接官のおじさんの悪口をフェイスブックで書いたらその人に見られた、なんてことも普通に起こるのだろうし、Twitterのつぶやきを別々にフォローしていたら、その相手同士もその互いのtweetに反応し合ってびっくりしたりすることもたくさんある。

そう、ネット上では経済行為の脱貨幣化が進んでいるのだ、と今日、酒井さんていう人が呟いていたけれど、本当にそうなのだ。
めちゃくちゃな垂れ流しが続くネット上のゴミ言説の氾濫(無論このブログなんてもその一典型なわけですが)が、それでもどこかの誰かに、検索の結果、間違って届いてしまうかもしれない。

そう思うようになった。
それは3秒後かもしれないし、50年後私がいなくなった後かもしれない。

ネットで死んだ後メールの相手やブログの読み手にそれをどう伝えるかが「話題」になりはじめている。
正直、この生活があと10年も続いたら、お墓よりも死んだ後のネット上の関係の「整理」の方が重大な問題になるかもしれないと思う。

不思議なことになってきたなあ。

ネットの中に広がる「世界」の広さを測る単位ってないんだろうか。そして、この「世界」に「果て」ってないんだろうか。
素朴な小学3年生だった頃の自分にとっては、「世界の果て」がとっても深い謎のように思われていたものだが。






『トム・フランクリン『ねじれた文字、ねじれた路』早川書房を読んだ。

2012年01月26日 22時36分26秒 | 大震災の中で

一週間のうちにアメリカのリステリをたまたま三冊読んだけれど、これが圧倒的に一押しです。

メディア日記龍の尾亭にも感想を書きましたのでよろしかったらそちらも。

http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980341

推理小説としては別に驚天動地のトリックがあるわけではなく、むしろ話の柄は小さい。
南部の田舎町で起きた少女失踪事件に関わった中年の治安官サイラスの話だ。
少年時代野球少年だった主人公サイラスは、内気な本好きのラリーと親しく遊ぶ仲だったが、事情があって疎遠になる。

その後、ラリーは少女失踪事件の被疑者となり、証拠不十分で立件はされなかったものの、それ以降二人は20年以上話をすることもなかった。

ところがその南部の田舎町にまた少女失踪事件が発生し、ねじれたままだった二人の運命が再度ねじれた形で絡み合ってくる……というのがお話の大枠。

動きも少なくて暗い感じかな、と危惧してよみはじめたら、なんのなんの。

簡潔で具体的な描写を積み重ねつつ、豊かで繊細な心の陰翳な揺らぎを的確に浮かび上がらせていく緩みのない文体に即刻ノックアウト。
一気に読み切ってしまいました。

余計な心情描写は抑制されているのに、読者に痛いほどストレートに気持ちが響いてくる。

手練れっていうのはいるものです。

そういう意味ではハードボイルド的な叙情っぽくもあるのかな?

また、南部の田舎町でのイザコザですからむろんそこはフォークナーっぽくもある。
さらに、田舎を駆け回るトム・ソーヤーとハックルベリー・フィン的なところをちょっと押さえてたりもするし。


二人の主人公、治安官サイラスと少女失踪事件被疑者ラリーの視点が交互に出てきますが、語り自体はいたってシンプル。

そういう今では語りのテクニック満載な『二流小説家』と並べて読む機会があったのは、またこれは幸せかもしれません。

全く違ったタイプの現代アメリカミステリですから。

とにかく『ねじれた文字、ねじれた路』は、中年の本好き男には泣ける本だと思いますよ。



『東日本大震災とふくしまの復興に向けて』丹波史紀先生の授業

2012年01月23日 22時30分26秒 | 大震災の中で

福島大学の丹波先生の湯本高校出前授業の概要です。
双葉8町村の避難者全数アンケート(貴重なデータかと)があります。
ぜひご参照ください。

以下のメディア日記龍の尾亭に書きました。
『東日本大震災とふくしまの復興に向けて』丹波史紀(福島大学)
http://blog.foxydog.pepper.jp/?day=20120123


これから長い長い復興を私達福島県民は当事者として生きていかねばならない。
そのとき、こういう風に、当事者の被災状況を追いかけてきちんと形にして提示してくれる仕事は非常に勇気づけられます。
福島の中学生・高校生たちが、こういう仕事に手を挙げて参加してくれるとありがたいと思います。
期待を込めて。


風土記を読み出した。

2012年01月22日 14時33分58秒 | 大震災の中で

こういう本は読み終わらないテキストだし、研究者じゃあるまいし通読してもしょうがない。

だがこれがすこぶる面白いのである。

「常陸風土記」では、

茨城というのは、佐伯という国の権威を遮(さえぎ)る土着民がいたので、黒坂命(ショウサイフメイ)が棘(イバラ=ウバラ)を仕掛けて彼らを成敗したから「うばらぎ」というのだ

とか、

天皇がそこの郡を見晴らす高台に立って国見をした言い伝えが云々とか、そういう話が満載で、実際にその土地を散策しながら読み歩きをしたくなる。

他方「出雲風土記」は、正確な地誌的記述が特徴で、地図を開いて読みたくなる。

それが1300年も昔に書かれていたっていうのが第一ロマンチックだし、その川や里や山が、地名を含めて今ここにある、というのが凄い。

何をやるか、が自分の主題だったころには考えられなかった本読みの快楽である。

メディア日記龍の尾亭にも書きました。
よろしかったらこちらも。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980336


単旋律の懐かしさ。

2012年01月22日 12時15分03秒 | 大震災の中で

メディア日記にエラリー・クイーン『九尾の猫』の感想を書きました。

メディア日記龍の尾亭
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980334

なぜこんなにも懐かしいのか、とおもったら、この頃の推理小説は、証拠となるモノや心理、行動はバラバラに配置されているけれど、むしろ叙述それ自体は線状性を保った一本道である事も多く、安心して読める。

例えば西村京太郎の作品のリーダビリティの高さを見てもよい。余計なところで叙述が滞留せず、こういうのは、きちんと信用できる語り手だ(笑)

語りの多層性とか、信用できない語り手というのが当たり前になっている昨今では、正直物足りなささえ感じてしまうかもしれない。

昔は、探偵と一緒に論理を追いかけて行くのがお作法で、そうでなく、犯人側の心理を描いた作品は「倒叙述モノ」なんで呼ばれていたぐらいですし。

でも、そういうこととは全く別に、信用するとかしないとか実はどうでもよくて、語りを楽しむこともできるのではないか、とも思うのだ。

古井由吉だって、エラリー・クイーンだって、今読み始めたブッカー賞&ハメット賞ダブル受賞の『昏き目の暗殺者』だって、西行だって、その叙述とゆっくりつきあうことは、懐かしいと同時にいつまでも新しい。

さて、いよいよ年寄りモードにはいってきたかなぁ(笑)