龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

デザインフェスタ42(東京ビッグサイト)に行ってきた。

2015年11月30日 22時07分49秒 | ガジェット

2015.11.21(土)、11月吉例顔見世大歌舞伎の昼講演を観た後、ちょっと時間があったので何かイベントはないかと探してみたら、「デザインフェスタ」なるものが東京ビッグサイトで19時までやっている、というのでいってみた。

歌舞伎が伝統的でかつ大がかりな様式美の極致だとすれば、このデザインフェスタというのは本当にオモチャ箱をひっくりかしたようなアクセサリー・玩具・デザイングッズ・絵画・バンド・おもしろグッズに溢れていて、全く対極的な楽しさだった。

デザインフェスタ42出展者
http://www.designfesta.com/exhibitors/introduction/jp/list.php?vol=42


こんなきれいな宇宙のイメージのガラスとか

こんな食品サンプルのオモチャとか

1000店以上の出展があったと思う。まあとにかく可笑しいぐらいいろいろなものが並んでいた。竹とんぼもあれば、キャラクターデザインバッグもあるし、ペンダントもぬいぐるみも、金属工芸品も、茶碗も墨絵も貼り絵も、ピアスもペンダントもなんでもござれだ。

時折、美術系大学のゼミも出展しているのだが、意外に他と比べてクオリティが今ひとつのところも多く(つまりは素人っぽい)、それなりに水準の高い「プロ」がお店を出している、ということでもあった。私が購入したのは、食品サンプルのお店のミニパフェ。聞けばフダンは食品サンプル加工業をしている正真正銘のプロで、こういう出店は半ば趣味らしい。

さてだが、そのバラエティ溢れるオモチャたちなのだが、ふと我に返ってみると、歌舞伎とは対極的な「イマモノ」なのに、どこか均一化され、ある意味様式化された「流通するイメージ」に収斂していく感じも抱かされる。

この国はまことに「様式美」のクニなのだ。

ちなみに、吉例顔見世大歌舞伎の昼公演は、圧倒的に海老蔵の「若き日の信長」(大佛次郎作)が面白かった。まあ、信長という破天荒なキャラの人情話っていうのは、海老蔵の「リアル」メチャクチャなキャラとかぶってイメージが膨らみやすいってこともないではないのだろうけれど、とにかく芝居が楽しい。それに比べると染五郎(ファンなんですけどね)の敦盛は、ちょっと難しい役ということもあったのかもしれないけれど、華が今ひとつ、という印象だった。
偉そうに書いているけれど、自慢じゃないが歌舞伎は全くの素人です。

でも、フラッと立ち寄ってどちらも楽しめるのは、このクニにはそういうものを楽しめる「様式化」という種類の「教養」があるからなんだなあ、と思った次第。

年に2回開催されるというデザインフェスタ。こういう小物雑貨が好きな人は、要チェック、かと。


栗原康『現代暴力論』角川新書が最高だ!

2015年11月30日 20時24分01秒 | 大震災の中で
栗原康『現代暴力論 「あばれる」力を取り戻す』角川新書

を読んだ。圧倒的に面白い。基本は彼の著書『大杉栄伝』をベースにしながら、そのアナーキズムがどのようなものか、そこに込められた意味を分かりやすく説いてくれる。

ここで問われているのは何よりもまず、国家による人間への暴力の理不尽さだ。
ニーチェやスピノザを彷彿とさせる(とか考えるのは私だけか?)。

国家に隷属することは「生きること」とは違う、奴隷状態でいるということは、ただ「生き延びているだけだ」「SurviveではなくLiveをつかめ!!」というアジは、今日だからこそ心に響く。

開沼氏の数字にモノを言わせる姿勢が櫻井よしこと結びついたとき、どんな絶望的な状況の「肯定」が起こるのかを、血が沸騰するほどのリアリティで示してくれている、といっていいだろう。

出てくるのは幸徳秋水、バクーニン、大杉栄、はだしのゲンなどなど。

国家の収奪システムとしての「暴力」に私たちはどうやって対抗していくのか。

アナーキズムとテロとはちょっとツボが違うのだが、筆者は「私はテロに賛成しません」なんぞという間抜けな話はしていない(笑)。

そうはいってももちろん、テロ礼賛なんぞとはもっと遠いところにある話だ。

とにかく、この2015年の年末にたった一冊読むとしたら勧めて置きたいのがこれ。


下は『現代暴力論』の出版記念トークです。

気分はもう、焼き打ち——栗原康×白井聡対談【前篇】
https://cakes.mu/posts/11519



福島でモノを考えることの難しさ(2)

2015年11月30日 19時18分23秒 | 観光
そんなこんなで開沼氏と坪倉氏のイベントにいささか疑問を抱いていたところ、すげえことになっていました。


「いまこそ双葉がひとつになるとき!」

という表題で櫻井よしこの講演会が広野町で開催されるんだそうです。


その内容はこんな感じ。

引用開始------

『いまこそ双葉がひとつになるとき!~歴史をつくるのは君たちだ~』
日時:平成27年12月20日(日)入場無料(定員400名) 
場所:広野町中央体育館(住所:〒979-0408 福島県双葉郡広野町中央台1丁目1番地)
開場 13:30~ 
講演 14:00~
パネルディスカッション 15:00~(終了16:35)

①基調講演
講師 櫻井よしこ氏 (国家基本問題研究所理事長)
演題 『いまこそ双葉がひとつになるとき!~歴史をつくるのは君たちだ~』
  
②パネルディスカッション
コーディネーター:開沼  博(福島大学特任研究員)
パネラー:桜井 よしこ(国家基本問題研究所理事長)
パネラー:遠藤 秀文 (㈱ふたば 代表取締役 富岡町 青年代表)
パネラー:黒川 進(日本JC2012年度復興支援委員会委員長)
パネラー:原 稔(前田建設東北支店環境省関連工事統括部長)
テーマ『いまこそ双葉がひとつになるとき!~故郷を再生するのは俺たちだ~』のもと、双葉郡の現状と問題点を再度共有し認識したうえで、将来の双葉郡像を話し合い、故郷復興再生のカギやヒントを模索し、双葉住民が一致団結して目標に向かえるような時間としたい。

主催:NPO法人ハッピーロードネット
後援:双葉地方町村会・南双葉青年会議所・(一社)浪江青年会議所・(一社)原町青年会議所・(一社)相馬青年会議所・(公社)いわき青年会議所


引用終了----------

それはいいのだけれど、そのイベントのコーディネーターを開沼博がやる、ときいて、正直ちょっと茫然。

そういうことか。

双葉に櫻井よしこを連れてきて、「いまこそ双葉がひとつになる」とか、開沼、正気か?

嫌味な奴だが話は聞いておこうと思って、それなりに夏のてつカフェ@ふくしまか自分なりに丁寧にフォローしてきたつもりだったが。

結局、開沼や坪倉氏の言うことも聴くべき部分がある、と私は今でも考えているし、福島をイメージの手にゆだねてはいけない、というその姿勢は共感する。

だがやはり、これじゃ五十嵐氏の中西準子に対する疑問や秋沢陽吉氏の吉本批判が、開沼にそのまま当てはまってしまうじゃないか。もはや、政治性を隠そうともしない、ということか。

なにせ櫻井よしこは「脱原発は日本をダメにする」系の国家基本問題研究所の理事長ですからねえ。開沼氏の「数字」が結果として「原発事故を乗り越えて行こう」キャンペーンに荷担することになるのでは?という懸念を抱かざるを得ない。

確信犯か?
ではどんな意図で???


さてでは私(わたしたち)はどうするのか。

「福島」でモノを考えることの難しさ。

2015年11月29日 23時40分00秒 | 大震災の中で
このYouTubeの話を聞いた。

毎日メディアカフェ「福島の今を知る」2015年11月26日配信

社会学者・開沼博
南相馬市立総合病院医師・坪倉正治
エイトビットニュース(元NHK)・堀潤

https://www.youtube.com/watch?v=tmK070eKdpY

なるほどそうだよなあ、と思う。
とくに、坪倉氏の嘆きには共感した。
開沼氏のプレゼンの仕方は相変わらず嫌味な「語り」だなあ、とは思うけれど、

「基本的な数字ぐらい押さえておけよ、オラオラ」

という「挑発」は、必要でもあるのだろう、と感じる。フクシマのセシウム、無知な者たちががたがた言うほど大変じゃないぜ、フクシマの課題の中心はそんなことにはない!という声が伝わってくる。なるほどと思うものの、どこかで何かが足りない、と口ごもりながら思ってしまう。彼らが口ごもらせたい者たちを口ごもらせるのはそれでいいのかもしれない。だが、開沼坪倉両氏の言葉たちは、口ごもってはならない者たちの言葉をも奪っていくのではないか。そういう思いは消えない。
いや、私のようなものはそれでも平気で言いたいことは言うから、ご心配には及ばない(笑)。そうではない人たちの声が聞こえなくなりはしないか、ということだ。

フクシマから遠く離れたところでフクシマのセシウム汚染を「メシウマ」の種にしている「輩(やから)」を叩くのはそれでいいし、フクシマの中にあって意味なく怯えている人の「愚かさ」を啓蒙する意義も大きいのだろう。しかし、言葉はそれだけの意味を持てばいい、というものでもない。


一方、今月知人から『駱駝の瘤 通信10』という雑誌が届いた。
ここには、原発事故とその被害を真正面から論じ続けてきた書き手たちの、4年半の蓄積が詰まった充実の論文や作品が並んでいる。
福島県について考えるならば、外すことのできない1冊だと思う。

その中で、

評論 農をつづけながら2015秋 五十嵐進
評論 これは人間の国か、フクシマの明日4 秋沢陽吉
評論 原発小説論(五) 澤 正宏

の三本が特に重要だと感じる。

五十嵐氏の言うポイントは大きく二つ。
1つは環境リスク学の第一人者中西準子の示す「帰還基準」年間5mSV以下という基準に対する疑問である。五十嵐氏はそれに対してこう疑問を示す。

「中西先生が『なるべく早く帰れるような条件と根拠を探』って『年五ミリSV』なら、として具体的な数字を示しました。被災者一人一人が今後の人生を決めて行くことを念頭に考えた、といいます。だが、これだと結局、政府の相双地区の原発被災者早期帰還促進政策に与するのではないか、と思ってしまいます。」

中西準子の発言は読んでいた。まあ、中西さんらしい発話だなあ、とは感じ、なるほど、と思う半面、何か腑に落ちないところも感じていた。五十嵐氏の指摘はそこをクリアにしてくれた。

開沼氏、坪倉氏もそうなのだが、中西氏の言葉も、政治的な意図を「結果」として持ってしまうのではないか、という危惧を抱く。

もちろん、正直な話、三氏の話に納得している自分もいるのだ。

だから、問題は彼らの分析や判断それ自体にあるのではないと思う。

言葉が政治的な「意味」を持ってしまうフクシマを巡る言説空間に対する態度が、「政治的な部分に触れない」という語らない身振りの中にその「政治性」が示されてしまっているのではないか?

その疑問を五十嵐氏は指摘してくれている。

五十嵐氏の言う二つ目のポイントは、「俳句新空間」NO4に掲載された花尻万博という人の「鬼」という俳句についての批評だ。「俳人の定型意識を超越する句」というテーマを体した、というその句に、五十嵐氏は全く惹かれない、というのだ。
俳句の解釈自体は私の任ではないが、五十嵐氏の求める思い、

「今この時代を見極めながら今を生きる自分の呼吸をまさぐること」

からすれば、「わが身に添うリアリティの匕首ではない」という批評に納得する。

そう、私たちは、開沼氏や坪倉氏、中西氏の示す数字や現状「だけ」を生きているわけではないのだ。彼らは彼らの仕事をしているのだろう。それは分かる。そしてそれが必要だということも分かる。
だが、五十嵐氏も言うように、それが結果として「政治的」言説に回収されていくことに対して、十分に「戦略的」なのかどうか、疑問が残るということだ。

他方、それではその「政治的な言説の空間」に対抗できるのは、文学的な言説なのか、という疑問も残る。

その点については、次の秋沢陽吉の評論が、ネガとしての「批評」の意義を示している。
内容は端的にえば吉本隆明批判だ。『反核「異論」』を唱え続けた吉本隆明の姿勢を追いつつ、欠けていたものを
『福島の原発事故をめぐって』(山本義隆2011年11月)の論を引用しつつ分析している。その原発が抱える問題点を踏まえて、秋沢は吉本をこう批判する。


「原発を政治とは関わりのない場所に置き、中立的な文明史と科学技術の本質からして必然だとしたとき、日本の原発の現状が全て肯定された。つまりは、原発が生み出す電機による便利な生活すなわち現代日本文明と資本主義の現状肯定いや礼賛する立場にたった。」

五十嵐氏と秋沢氏が指摘するのは、結果として「科学」と「政治」を分離することによって、その「空白」が政治的な結果をもたらすにもかかわらず、むしろその分離によって政治を自分の視野から排除してしまっているのではないか、という点だ。

私はエチカ福島という企画の中で、原発事故以後の福島について考えてきたが、そこでまず感じたのは、福島における「無数の分断」の存在だった。被災された方々が、それゆえに様々な分断線を人と人との間に、あるいは自分自身の中にさえ抱え込みながら生きなければならない困難がそこにある、と感じた。

4年半が過ぎ、今ここにあるのは、その分断線が分断線のまま繋がりだし、「政治」を巡って大きな溝を作り出しつつあるのではないか、という疑問だ。

開沼・坪倉両氏も、五十嵐・秋沢両氏も、福島の中にあって、福島のこの現実をリアルに感じながら思考を続け、活動を続けているリスペクトすべき福島の知性だと私は個人的に感じている。

だが、そこにもまた落としどころのない裂け目を、しかも無数の小さなそれではなく、大きく口を開けてこちらに迫ってくるような「空白」の裂け目を感じずにはいられない。

さてではどうすればいいのか。

そのためには3つめの澤正宏氏の評論を巡ってもう少し考えなければならないが、それはまた後日。


P.S.
これを書いた翌日、開沼博が櫻井よしこの講演(12/20広野町)をコーディネートするというポスターがFacebookに上がっていた。
そうか、なるほどね、と思う。

これからは安心して戦えるというものだ。




「日々の新聞」と思考の遅速度

2015年11月22日 16時28分09秒 | 大震災の中で
福島県いわき市には「日々の新聞」というバイウィークリー(隔週刊)の新聞がある。

2週間に一度の発行で新聞といえるのか?ましてこのネットで瞬時にニュースが世界を駆け巡るご時世なのに……

という声が聞こえてきそうだ。だがもちろん、バイウィークリーの新聞には、それだけの意味がある。なぜなら、ひとつには思考には「遅速度」が必要だからだ。
じっくり粘り強く物事を考え、文字にして世界の片隅に刻んでいくためには、それ相応に時間の「熟成」が必要だろう。

もちろん、毎日紙面を印刷しつづけることも大切だし、世界中のニュースに目をこらして遅滞なく配信することも必要だ。だが同時に、私たちはその「加速度」的に増え続ける情報=記号の海に流されはじめてから、だいぶ長い時間を既に過ごしてきた。

物事を深くかつ広く考えるためには、いったん立ち止まって考えることが大切だ。

そういう意味で「日々の新聞」は私たちにとってとても重要な時間の「溜め」をもたらしてくれる貴重なメディアなのだ。

もう一つ、「日々の新聞」には重要な役割がある。それは、福島県いわき市(私が住む町)に根付いた新聞だ、ということだ。
お店の紹介やイベントの告知が主のタウン誌なら、どこにでもある。

地元がかかえる課題や話題を、2週間のスパンで届けてくれる「日々の新聞」は、きわめて貴重だ。

こういう地元に根ざしたウィークリーやバイウィークリーを持っている町が、日本にはどれほどあるだろうか。

メディアは、自分たちが生活の中でその主張と対話しながら自分たち自身の生活を見直し、考えを深め、あるいは改めつつ「よりよき生」を生きるために必要不可欠なツールだ。いくら文句を言ってみても、テレビのニュースや新聞、ネットの配信抜き、私たちは「世界」と向き合い、自分自身の生活を向上させていく術を知らない。

なるほど私たちの生活はホームセンターに行ってDIYの道具や資材を買うことによっても向上するし、おいしいレストランをタウン情報誌で探し出し、ステキなランチをゲットすることによっても向上するだろう。
では、それ以外に広がっている私たちの社会が抱える課題は、どうすれば向上するのだろうか。


おそらく私たちに今必要なのは「中立」の報道ではなく、開かれた議論のできる「対話の相手」だ。

地域の生活や空気を共有し、その中から課題を見つけだしてくる地域の新聞だからこそ、できることがある。それは毎日あるいは毎時間ごとにニュースを配信するタイプのメディアとは種類が異なるけれど、必要不可欠な知性の道具なのではないか。


「日々の新聞」を持たない地域に住んでいた時には、そんなことを考えもしなかった。
だが、今は違う。

この新聞がなければ、確実に何かを考えるきっかけを失うだろう。そういう実感がある。

最近、「谷口楼」といういわき市平にある料亭の女将さんが、お店の歴史を語るコラムが連載されている

「谷口楼よもやまばなし」

町の歴史を抱えてきたお店だからこそ、その切り口から見えてくることがある。そういえば、銀座にもそういうコミュニティ雑誌があった。銀座百点とかいったかな?
この記事はそんな香りもする。

他方、じっくり足を止めて問題を見据え、闘うべききっかけを教えてくる記事もある。

「むのさんからのメッセージ」

という連載がそれだ。戦争について、民主主義について、落ち着いて考える素材を提供してくれる。

町の新聞を誇りに思うことができる都市に住んでいることを、私は密かに誇りに思っている。できればそんな気持ちをいわき市の他の人にも、いわき市以外の人にもお裾分けしたい。

よろしかったらこちらまで。

日々の新聞サイト
http://www.hibinoshinbun.com/

そして、もし気に入ったらぜひ定期購読をしてみてください。


honor6plusアップデートが来た!(5)

2015年11月20日 16時38分04秒 | ガジェット
ようやく落ち着いてAndroid5.1.1の使い勝手を味わえるようになった。
最初ギクシャクしていると感じたのはバックグラウンドで動いていたプログラムがあったからだろうか。
一部のソフトをインストールし直した後は、きわめて軽快に作動している。

 デフォルトアプリの設定もアプリ管理から一覧で設定できるようになったし(最初ランチャーを変えるのに一苦労でしたから、これは大歓迎)、ネットワーク通信もアプリごとに一覧で設定できる(Wi-Fi接続とモバイルの通信利用可否)。

私の環境では、アップデートしても大きな問題は起こらなかったようだ。

ララコールも、Wi-Fi接続でも送受信可能で、しかも安定している。

カメラ機能も良くなるし、アップデートの価値はありそうですね。


『数学する身体』森田真生著 新潮社刊

2015年11月20日 09時04分18秒 | メディア日記
『数学する身体』森田真生がめちゃめちゃおもしろい。

著者の森田氏は、大学や研究機関に所属しておらず、「独立数学者」を名乗るそれこそ「異能の」若者だ。

腰巻き惹句にはこうある。

「音楽や美術のように、数学も表現の行為だ。数学を通して『人間』に迫る、30歳、若き異能の躍動するデビュー作。」

私はこの著者の対談を、どこか早稲田のあたりの教会に聴きにいったことがある。ほんとうに気さくな青年で、かつ話す内容が異常なほどクリアだな、という感じがした。その時の対談では、岡潔がぴょんぴょん飛ぶ写真について楽しそうに解説しておられたのが心に残った。

この本は基本的に数学の歴史について書かれている。
だが、歴史を書いた本で、これほどおもしろい本を、私は他に知らない。
まあ、だいたいどんな歴史についても素人だから、読んでいるうちに眠くなってしまうのが通例だ。
だが、この本は違う。圧倒的に面白いのだ。最近では、全く別のジャンルだが、これと同じクリアな感じを、

國分功一郎の『近代政治哲学』ちくま新書

で味わった。つまり、異なった「OS」で作動しているプログラム」を、その根本から明快に解き明かしてくれる「機能」が、この森田真生氏や國分功一郎氏の文章には備わっているのだ。

もちろん素人に向かって解説して「も」いる本だから、ある種の単純化や図式化は避けられない。というかむしろ必要だろう。だが、物理学者ファインマンの本や福岡伸一の初期の著作を読んだときにも感じたことだが、こういう仕事は本当に貴重だと思う。

『数学する身体』についていえば、私の数学に対する見方を根本から変えた、ともいえるし、同時に根本から何も変わっていない、ともいえるような、そんな種類の「普遍性」に届いている著作だ、ということだ。
そしてもっとも驚くべきことは、おそらく彼の数学的な先端的思考と全く別のところでこの本が「啓蒙的」=「解説的」に書かれているのではないだろうという「共感」が私の中に立ち上がってくる、その一点だ。

なんい世迷い言を言っているんだよ、と思われる方にこそ読んでほしい1冊。
圧倒的にオススメです。



primemusic(アマゾン)は使える!

2015年11月19日 17時16分10秒 | メディア日記
Amazonのprime会員を対象に開始された

primemusic

というサービスを今朝から使い始めたのだが、かなり使いでがありそうだ。

Amazonのプライム会員なら追加料金無料で100万曲以上の曲を聴くことができる。

なにが魅力的かといえば、なんといってもプレイリストだ。

余計な選曲をしなくてもシーンにピッタリの曲を予め選んでくれているので、無料のセットをクリックするだけで心地良いサウンドに身を浸すことができる。

ただし、J-popのラインナップはまだ貧弱だから、それが望みなら別のサービスを選ぶべきだ。

ネットラジオでも同様のサービスを受けることはできるが、手軽にクオリティの高いプレイリストを選択して、何の気遣いもなくシーンごとにチャンネル探しをする手間もいらない。いくつかリストをダウンロードしておけばいい。そしてそれが追加無料、なのだからこれは使わずにはいられないというものだ。

会員の方はぜひ一度利用をお勧めしておく。

ただし、primemovieと同様、無料なのは一部にとどまる。有料コンテンツも多いので、本格的に曲を選んできくというより、軽くかつての 「有線」のように聴くのが吉。
ミュージシャンを検索すると一部は無料、一部は有料、と出てくる。
個人的にはとりあえず新しい音楽との出会いの場になりそうだ。

honor6plusアップデートが来た!(4)

2015年11月18日 22時43分49秒 | ガジェット
さて、カメラ機能の大きな追加点は2つ。
一つは、固定撮影で暗いところをいろいろな形で撮影できるモードが追加に。

大きく言えばコマ抜きモードとライトペインティングモードの二つが加わった。
ライトペインティングモードはさらに

テールライトトレイル
ライトグラフィティ
シルキーウォーター
スタートラック

に分かれる。

コマ抜きは、スローモーションの反対で、長時間動画撮影して、花が開いたりするのをコマ落としでそれを短時間に見せるもの。
ライトペインティングは夜間の光が乏しいところで、長時間露光によって光や水などを流れるように撮影するもの。
実際の撮影には、いずれのモードもカメラを固定する三脚などが必須だが、いろいろ手軽に遊べそうだ。

焦点深度や焦点を合わせる箇所をあとから変えられるワイドアパーチャモードも、グッと使い易くなっています。
撮影効果を選ぶボタンも使いやすいですし、手軽にスマホでいろいろな撮影をしたい人には最適、ですね。

P.S.
昨日Lalacall(IP電話)が不安定だと書いたが、立ち上がるまで時間がかかる。また、しばらく経ってから使うと、またその時もつながるまで時間が必要のようだ。
一旦通話ができるようになると大丈夫なのだが。
IP電話だけ、というのはまだ不安が残るね。電話環境の質ががOSのアップデートに左右されるのはあまり歓迎できない。電波アプリじゃなくてハード直結がいいな、やっぱり。


honor6plusアップデートが来た!(3)

2015年11月18日 00時23分45秒 | ガジェット
ようやくアップデート終了。
しかし、なんとなくOSの動きがもっさりしてきたような気配があるのは 「気のせい」か?以下、いろいろあったソフトを列挙。参考までに。

Facebook
なぜか立ち上がらなくなったので、一度アンインストールして、再度ダウンロード&インストールをしたらふつうに動くようになった。

Chrome
アプリとタブが統一さたインターフェースになっててびっくり。
慣れないので従前通りの右上数字クリックに直す。

Lalacall(IP電話サービスのソフト)
Wi-Fi時に繋がらないという状態になる。
2度本体を再起動したらなぜか発着信可能になった。今は大丈夫だが、電話なので不安定なのは困る。
(実際には別にガラケーカケ放題の2台持ちをしているので実質バックアップだからなんとかはなるが)

結局PCのOSアップデートと同様、なにやら得体の知れないことはそれなりに起こるようだ。
しかし、概ねはなんとかなった。

カメラの機能は間違いなく上がったようだが、まだ確認に至らず。明日やってみるつもり。

honor6plusアップデートが来た!(2)

2015年11月17日 22時51分09秒 | ガジェット

早速honor6plusにダウンロードして、Zipファイルを解凍しようとしたのだが、スマートフォン自体ではなぜかzipファイルの解凍に失敗。

仕方が無いのでPCでファイルをダウンロードして解凍まで行い、

UPDATE.APP

というファイルをUSBでhonor6plusに転送。
ところが、sdカードしかPC側からは見えないので、いったんSDカードに転送してから、内部ストレージにさらにコピー。

それでもシステムアップデートのコマンド側からファイルを見てくれない。

そしたら、価格.comのhonor6plusに以下の書き込みをしてくれている方がいて、ようやく問題解決。
download
というフォルダは最初からシステムが作っていたのですが、honor6plusのアップデートシステムは、

dload

というフォルダを作ってそこにAPPファイルを置かないと認識しないのでした。


「解凍して出てくるUPDATE.APPファイルをdloadフォルダに入れる必要があります。SDカードのルートにdloadフォルダを作成するか、内蔵RAMのルートに作成すると表示されると思います。」価格.comより引用

ともあれ、無事アップデート中です(最後までできるかどうかはまだ不明<笑>)

honor6plusアップデートが来た!(1)

2015年11月17日 21時28分43秒 | ガジェット
9/30と一度アナウンスされ、その後10/30からと延期されていたhonor6plusアップデート
4.4.2→5.1.1
が、本日(2015/11/17)やっと開始になりました。

ファーウェイのhonor6plusアップデートサイトから。

長かった…………。
これからインストールしますっ!

P.S.
輸入物のXperiaZultraのときも、Nexus7のときもアナウンスの日からそれなりに待った記憶があるので(順次ってやつですね)そんなに期待はしていませんでしたが、今回ファーウェイのアナウンスが、購入から4ヶ月でのアップデート(9/30),とあまりに早かったので、期待し過ぎて待ちくたびれちゃいました(>_<)

まあ、5月に購入して11月にアップデートですから、まあまあ悪くない話ではあります。

Xperia Z4 Tablet の使い心地

2015年11月05日 22時20分52秒 | ガジェット
Xperia Z4 Tabletを一週間使ってみた感想を書いておきたい。

 かつてiPadの第2世代と第3世代を使用していたが、その重さゆえに、結局持ち運びをしなくなってしまい、けっきょく家族たちのWeb閲覧マシンになってしまっっていた。

その後は、

Nexus72013、
Xperia Z ultra(6.4インチ)、
Yoga Tablet(8インチWin版)

とタブレット漂流を続けてきたが、この Xperia Z4 Tablet に至って、どうやら高い満足を得ることができた。以下、1週間使用しての感想を書きとめておく。

☆満足している点(ほとんど満足なんですが)

1,薄い・軽い

 Wi-Fi版なので389g。厚さは6.1mm。そして筐体の剛性感もまずまず、となれば言うことがない。裏にはBUNKERリングを付け、たので片手で長時間持って自炊本のPDFを読むことができる。もともと 5.5インチスマホ(honor6plus)用に買ったリングだったが、この10インチタブレットは超軽量なので、十分使用に耐える。
 いつでもどこでも単行本自炊PDFの閲覧(読書)が可能になったのは、画期的なことだと思う。

2,画面が大きい(2560×1600)

 5.5インチのスマホでも、文庫本程度ならばなんとか読めないこともない。
 だが、なにせ自炊本PDFはレイアウトが固定されているので、文字だけを大きくすることができない。新書でもちときつい。まして単行本になるとスマホでは読む気になれず、裁断本は増えていくのに、なかなか読む速度が追いついていかない状態になってしまっていた。
 この二年間、6.4~8インチのタブレット漂流をし、最終的にたどり着いたのが、結局このXperia。

 ただし、この軽さだからこそ、片手にもって長時間本が読める。

 軽さと画面の大きさが両立してはじめて、PDF閲覧のための道具として納得がいくものになったわけだ。

 このXperia Z4 Tabletになってようやく念願が叶った、といえるだろう。

3,速度も軽快

 400~500ページのPDFを閲覧するには、CPUの速度も重要だ。
 更に言えば、64GbyteのマイクロSDに書籍を1000冊単位で収納している関係上、速度が遅いと本を選ぶ時にかなりもたつく。
 同じSDカードを使っていても、Xperia Z4 Tabletは、Yoga2やNexus7とは違って検索・表示が快適だ。

SONYのブルーレイビデオレコーダーと連携しても、コマ落ちもなく快適に表示してくれる。

加えて、Androidのバージョンがあがった恩恵として、設定によってはSDカード内の書き込み・削除ができるようになったようだ。

正直なところ今や、PDFを読むならiOSやAndroidの方がWindowsマシンより快適なソフトが揃っている(perfect ViewerやSideBookなど)。

4,防水機能もなかなかいい。

 まだ入浴中に使ったことはないので、お風呂タブレットの魅力にハマったわけではないけれど、いつも身近に置いておく「本」としては、水濡れを気にせずに持ち歩けるメリットは大きい。台所でもお風呂でも、お茶を飲みながらでも、場所を選ばないのは助かる。


☆思ったほど満足しなかった点

これはたった一つ。
一般に評判の良い専用キーボードだが、私にとってはさほど感動するものではなかった。

Sony BKB50 Xperia Z4 Tablet用Bluetoothキーボード

理由は、せっかく400gを切った筐体の軽さが、キーボードをつけた結果、ふつうの「軽い」ノートパソコンになってしまうからだ。

私はNECの超軽量薄型ノートPCも使っている(800グラムを少し切る程度の重さ)が、そちらの方がずっと使い勝手が良い。電池の持ちもタブレットほどではないが、かなり保つ。

使い方にもよるとは思うが、このXperia Z4 Tabletは、専用キーボードをつけずに使った方がいいと思う。

現在

3Eの折り畳み式アルミ筐体キーボード

と組み合わせて使っている。

縦置きにして、この小さな(しかししっかりした)キーボードで入力するのが一番快適だ。横置きはムービーの時だけで十分だし、それならなにもキーボードに取り付けて横置き固定にするには及ばない。

これから購入を検討している人は、専用キーボードが本当に必要なのかどうか、(つまり、結果として軽さをスポイルしてしまわないか)、をしっかり考えてから購入されると良いと思う。

キーボード自体はよくできているし、本体とキーボードを合わせても800グラム以下だから、同じ重さの最薄PC(NEC)より数万円安くキーボード付き端末が購入できるわけで、まあ、購入を検討する価値はあるかなぁ。

私はしかし、このタブレットは単体で使うのがベストだと思う。
いつでもさっとタブレットだけ持って移動できるのがいい。




で、そのtabletで何を読んでいるのか?といえば

2015年11月01日 23時01分34秒 | メディア日記
とりあえず読み始めたのは

アイザック・アシモフの名作SF『銀河帝国の興亡』シリーズ1~6

を、丁度昨日裁断したてなのでついクリック。

現実世界には、天才心理歴史学者ハリ・シェルダンのように世界の進化シナリオを的確に予測してくれる人はいないから、なおさら惹かれてしまうのかもしれない。
40数年ぶりに読み直し始めたところ(初読はたぶん中学生の頃か)、本が茶色に焼けていて(取り込んだときにその焼けが画面に反映されて)読みにくいものの、とにかく楽しく懐かしく読める。

こういう読書はすこぶる楽しいのだが、あまりよろしくはない。

というのは、買っていて読みたくて読めずにいた本を取り込んで読む機会を増やそうというのがtablet購入意図だから、懐かし本に埋もれるのではなく、読みたかったあの本を手のひらに取り戻す………ってことにならないとねえ。

せめて文庫版内田百けん全集の未読巻に手をつけたい?、秋の夜長です。

XperiaZ4Tablet は間違いなく買い。

2015年11月01日 22時18分44秒 | 観光
この大きさでこの薄さ・軽さは凄い。

画面   約10.1インチ
世界最薄 約6.1mm、
最軽量  約389g

発売されてからずっと迷い続けていた10inchタブレットを週末に購入。
家電量販店(ヤマダ電機)で価格.comを参照してくれ、67,000ちょっと(端金はポイント還元・税別)で入手しました。

これは、買いです。

スマホの裏に付けるリング(指を通して片手でスマホを支える)をタブレットに付けてみたら、楽々と片手持ちで長時間読書が可能(写真左側)。



ipad(第2・3世代)は重くてとても片手で持って読書はできませんでした。

ベルキン(写真右側)のTabletスタンドに立てると読みやすく、重宝はしていますが、片手で本を持つように、Tabletが片手で持てるようになればいいのに、といつも思っていました。

それがなんとこの Xperia Z4 Tablet で実現したのですから。

単行本の自炊書籍を読むには(文字が電子データされていないPDF)、どうしてもそれなりの大きさの画面が必要です。
デスクトップでは20インチ超の縦型(回転)ディスプレイで拡大して読めるので、80歳を過ぎて目が悪くなってもとりあえずはなんとかなりそうではあるものの、手軽に寝転がって読むにはどうしても10インチの軽量Tabletが必要でした。

それが、これ。

裏には、スマホ用の片手持ちリング(台座の下がシリコン張りになっており、Tabletの裏面にぴったり張り付いてはがれない仕様)を付けると、片手で新書を持つように、単行本の大きさの本も手軽に読める。

これから先の人生が楽しくなる1台です。iPad Air もだいぶ軽くなったから、そちらでもいいかなあ、とも思ってだいぶ迷ってはいたのですが、軽さが「正義」である以上、一グラムでも軽い方が(実際には数十グラム差があります)いいということでこちらに軍配。