龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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いわき温泉巡り<第4回> 公共浴場 みゆきの湯 湯本温泉

2010年11月30日 20時45分33秒 | インポート
いわき温泉巡り<第4回> 公共浴場 みゆきの湯 湯本温泉

Tel:0246-43-1526


入浴料
 220円(小学生は100円)
  備え付けのボディーソープやンシャンプーはありません。
  タオルは100円程度で販売していたという記憶があります。
  でも、カゴにシャンプーやらボディソープやらひげそりやらを
  入れて銭湯気分で訪れる、のがここのスタイルでしょう。


形式
 公共浴場

温泉
 温度調節のため加水。源泉は59℃。

営業時間 
 10時から22時(最終入場21時半) 第3木曜定休   

駐車場
 JR湯本駅前市営駐車場を利用(1時間200円)

個人的評価 ★★★★☆(4/5)

 地元の共同浴場というと、熱めのお風呂が定番で、観光客やフツーの素人には敷居が高いモノですが、ここは違います。
 熱めの浴槽(小)とぬるめの浴槽(大)の二つが用意してあって、観光客の人も地元の人も満足できるようになっています。
 まだオープンして数年と施設が新しいのも魅力です。
 そして、なにしろお値段が安いのが○。
 露天風呂とかサウナとか、なんとか湯とかいったサービスはありませんが、地元の温泉を味わうならばっちりです。
駅前近くで駐車場が近いのも助かります。

 ぜひ一度お試しアレ。

尖閣諸島沖中国漁船衝突映像の流出について

2010年11月16日 00時58分57秒 | 社会
尖閣諸島沖中国漁船衝突映像の流出について

今日、逮捕せずに任意事情聴取を続けることになった、と報道されていた。

逮捕はしなくても逃亡・隠蔽の恐れはほぼないようだし、任意聴取が適切だろう。

起訴が可能かどうか、有罪になるのかどうか、は専門家の間でも意見が分かれているぐらいだから、そのあたりはじっくり判断してもらえばいい。

ただ、こういう考え方は時代に取り残されているのかもしれないけれど、検察の幹部とか法律に詳しい専門家たちが、「一般国民」の動向を気にして、と前置きしているのが気になった。

「一般国民」の動向を気にするのは本来検察じゃなくて、政治の仕事じゃないのか?

検察がそういうことを気にするっていうのは、なんか間違いの始まり(っていうかもう終わりに近づいているのかもしれないけれど)のような気がしてしょうがない。

法律の解釈は時代とともに変化したりもするのだろうから、国民の一般的な感覚と乖離した法意識はそれ自体が問題だ、という意見も一理ある、とは思う。

けれど、その映像の中であれだけめちゃくちゃなことをした挙げ句に保釈された中国漁船の船長が中国で一部から英雄視までされている、となると、この事案で日本が「国民の一般的な動向」なんてのを気にして起訴ができるとかできないとか逮捕するしないが決定されるとしたら、なんだか中国と一緒じゃん、っていう感じがしてしまう、のは私だけだろうか。

個人的に公務員の一員として、もし自分がこういう行為に及んだならば、きちんとその罪を法律において問うてほしいと思うだろう。そのとき、「国民」の多数の意見なんて正直どうでもいい。
っていうかあくまで「もし私なら」の妄想の上で、だが、中国漁船の船長なんかのような扱いではなく、きちんと日本の国内法に基づいて有罪か無罪かを、法に則って裁いてほしいと強く願うような気がする。

適当なバランスばかりを考える政治的な決着、とか「国民の動向による」とかいうのじゃなくて、きちんとした「公的な規範意識」に支えられた結論がほしいのです。

変態、だろうか。ま、それでもいいや。

秘密の度合いが有罪に値するほど高くない、ため無罪、という余地はあるだろう。もっと言えば、もう既にその情報は「秘密」とは言えない、という判断だってありえる。
たとえ万一有罪になったとしても、国民の感情からいっても執行猶予が付かなかったらそりゃあおかしい、とも思う。
極めて個人的な望みとしては、無罪になってほしいと思っています。

でも、あっちがうやむやだから、こっちもうやむやで、ってのはどうなんだろう、なにやら釈然としない。
有罪がたとえ難しいと予想されても、それが「国民の動向による」とかいうのだったら、検察はいったんは起訴してほしいなあ。法解釈上の問題で起訴できないなら、それはそれでもちろんいいけれど。

仙谷なんたらとかいうひとが、「公務員」にあるまじき行為だから逮捕が当然だ、とか言ってたけれど、おまえたち政治家はなんとも適当なことを言うなあ、という印象だ。

機密だったらしまっとけ、って話だよねえ。
政治的にはもう破綻していると思う。

でもね。

公務員が公務員の仕事としてその対象の情報を実質的に「機密」たりえていないかどうか、を自分で判断して外に流す、ってのは、やっぱりそれはないだろう、と思う。政治家が「機密だっていったら機密だ」なんていうのがナンセンスなのと同じように。国民もそう。公務員だろうが政治家だろうが国民だろうが、そんな判断はどんなに「公」を考えたものであっても、所詮「私的」なものにすぎないじゃないか、と思うのだ(カント的に、かな?)。

たとえ形式主義的、に過ぎる、と言われても、「規範意識」を問いただすために、できれば起訴して裁判をやったらいい。
もし仮に私なら裁判をしてほしい。
その結果、あぶりだされるのは決して当該海保職員の有罪・無罪だけではないはずだ。

そういう展開をもし望まないで、単に「国民」が知りたいだろうから、ってアップしておいて、悪いことはしていない、ってだけいうのだったら、そしてそれを不起訴・無罪にすることがこの国の国民の「大勢」だとするなら、公務員の「私的義務」と「公的義務」の峻別はぐずぐずになってしまうだろう。

ネットの動画サイトにアップするということ自体、すぐれて「私的」な範疇でできてしまう行為だ。

「私的」とか「公的」とかいうなら、とんでもなく「私的」な形で人は世界と直接接続されてしまっている時代だ、ってことは間違いない。

でもさあ。

自分で公務員の仕事を選んでいるのだから、公務員として秘密を守るのは「私的義務」に決まっている。
仕事だから「公的」だ、なんて私は全然全く思わない。

それがネット「だだもれ」になったらほんと「警察」は要らないって感じになってしまわないだろうか。
あ、もしかしてほんとに警察は要らないのか?

ってか、警察や検察はもう「国民」によって無力化されたのでしょうか?

動画サイトという「私」と「世界」とが容易に直結し得る「場所」が、結果として「公」になっていくのだとしたら……。

それじゃあ、
「公(おおやけ)」=「だだ漏れ」
じゃん、という印象を私はどうしても抱いてしまう。

やっぱり「私」の時代遅れって話で終わってしまうのかしらん。

でも、ここの「ツボ」は、もう少し掘り下げておきたい課題あり、とは感じています。

つまりは「公務員」にとって「公的」であるとは、いったいどういうことなのか、って課題です。
(ひとしきり考えたあとは「公務員」っていう枠を外してさらに考えてもいいかもしれません)

それは経済活動の中で非経済活動としての教育を考える、っていうちょっと前のテーマと、実は重なっていくことでもあると思うし、今年の大きなテーマであるカントの「啓蒙」について考えるっていうこととも遠く響き合っているような気がするなあ……。
(この項、別な形でどこかに接続)

本のリストが持つ意味もしくは無意味について

2010年11月08日 00時34分23秒 | インポート
本の紹介だけの週刊紙
「週刊読書人」
をもう何十年も購読している。

どうせ紹介されている本のうち、買おうと思うのは何十分の一。
さらに実際に買うのはその数十分の一。
そしてさらに読み切るのはその……というのが実情なのだから、次の号が来たら捨ててしまえばいいのだが、
「もしその中に読みたい本が紹介されていたら?」
と思うだけで捨てられなくなる。

エンタテインメントは
「本の雑誌」
に頼りっきりだ。
これなどは紹介される本がエンタメモノなだけに基本的に時代が経ってもあまり古くならないから、ますます捨てられない。

そして、BSの書評番組はHDDの中でうんざりするほど溢れかえっている。

Sigh……。

だいたい、TV番組はいくら飛ばしてもそれなりに時間がかかる。
エンタメはせめて買わないまでも紹介本ぐらいはゆっくり老後の楽しみに置いておきたい。
そこからゆっくり選んで読めるように。

せめて新聞紙だけでもやっつけようと、日曜の午後、意を決して2007年から1010年の残留物に手を付けた。

結局、埃を吸い込みながら個別にリストアップした本が、62種類100冊程度(全集モノが一部あるので)。

著者名 書名               出版社名

杉山其日庵 浄瑠璃素人講釈      岩波文庫
    たいした問題じゃないが 岩波文庫
    MM9 創元SF文庫
猪瀬直樹 東京の副知事になってみたら 小学館
    保守主義とは何か       ナカニシヤ出版
田口茂 フッサールにおける<原自我>の問題 法政大学出版局
キリスト教の歴史1・2 山川出版社
姜信子 イリオモテ 岩波書店
小松和彦 妖怪文化研究の最前線 せりか書房
佐藤洋二郎 東京 講談社
ハンス・ヨーナス アウシュビッツ以後の神 法政大学出版局
玄侑宗久 阿修羅           講談社
吉田篤弘 圏外へ 小学館
小説仕事人 池波正太郎 朝日新聞出版
湯浅誠 若者と貧困 明石書店
正村俊之 グローバリゼーション  有斐閣
松尾スズキ 老人賭博 文藝春秋
ジークムント・バウマン 幸福論 作品社
小泉義之 デカルトの哲学書 人文書院
リシン・ネザマフィ 白い紙/サラム 文藝春秋
鹿島田真希 ゼロの王国 講談社
辺見庸 しのびよる破局 大月書店
富岡知子 我が家のバートルビー 武蔵野書房
岩田正美(監)日本の社会福祉(全八巻) 日本図書センター
小池昌代 怪訝山 講談社
原田実 もののけの正体 新潮選書
ジャン・バッティスタ・ヴィーコ 新しい学 1 法政大学出版局
ソレル     暴力論 岩波文庫
ミシェル・ヴィヴィオルカ 暴力 新評論
    戦後日本スタディーズ3「80・90」年代 紀伊國屋書店
    メタ・バイオエシックスの構築へ 生命倫理を問い直す NTT出版
大江健三郎ら 冥誕 加藤周一 追悼 かもがわ出版
白沙会編 私にとっての加藤周一 かもがわ出版
小川洋子 原稿零枚日記 集英社
ジャック・デリダ境域 書肆心水
門脇俊介 自由と行為の哲学 春秋社
ウィリアム・トレヴァー アイルランド・ストーリーズ 国書刊行会
苅谷 夏子 評伝 大村はま 小学館
服部真澄 KATANA 角川書店
福吉勝男 現代の公共哲学とヘーゲル 未来社
廣野由美子 視線は人を殺すか 小説論11講 ミネルヴァ書房
マルティン・ハイデガー アリストテレスの現象学的解釈 平凡社
ジグムント・バウマン リキッド・ライフ 大月書店
細見和之 ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む 岩波書店
浅見克彦 SF映画とヒューマニティ 青弓社
田中純 政治の美学 権力と表象 東京大学出版会
ロイド・ラング ケルトの芸術と文明 創元社
岡真理 アラブ、祈りとしての文学 みすず書房
ティアナ・ノーグレン 中絶と避妊の政治学 青木書店
高橋朋子 中国帰国者三世四世の学校エスノグラフィー 生活書院
森岡孝二 強欲資本主義の時代とその終焉 桜井書店
宮崎芳彦 戦後児童文学史の未解決点 てらいんく
江田浩司 私は言葉だった 北冬舎
池澤夏樹 カデナ 新潮社
渡辺公三 身体・歴史・人類学Ⅰ・Ⅱ 言叢社
吉田修一 キャンセルされた街の案内 新潮社
河出ブックス第一期6巻
内田洋一編集 野田秀樹 白水社
末延芳晴 寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 平凡社
スティーヴ・エリクソン エクスタシーの湖 筑摩書房
大田俊彦 グノーシス主義の思想 <父>というフィクション 春秋社
佐藤嘉幸 新自由主義と権力 人文書院
池澤夏樹 世界文学全集(24巻) 河出書房新社


とうてい全ては購入できない(破産しちまいます)。
しかも社会学・思想・文学・哲学系が中心。

数においてそれを上回るはずの「ぶんがく」とか「エンタもの」とかはとりあえず除外して、だ。
とりあえず、棚を二つ空けて、新聞紙のゴミをいくつか丸めて、日曜日の午後は暮れていった。

本棚を整理したみたいな心地よい疲労感。

しかし、一冊も本は手にしていない(苦笑)。





身近に漂う閉塞感について(1)

2010年11月05日 23時11分32秒 | 評論
身近に漂う閉塞感について(1)

30年勤続の表彰を受けた。

県職員が県費を使ってお手盛りの表彰をする、というのが果たして今の時代に適合した振る舞いなのかどうかはなはだ疑問に思うけれど、表彰してくれるというので、されました(苦笑)。
まあ、賞状1枚の話なんですがね。

さて、30年間同じ仕事をしてきて、職業としては十年一日のことをやっているだけ、とも言えるはずなのに、なぜか近年、「閉塞感」を強く感じるようになってきた。

年を取って変化に対応しにくくなったからだろう、と言われればそうかもしれない。
いつだって年配者は「いまどき」をぼやくものだよ、という指摘も当たっているのかもしれない。

だが、自分が若い時には何かもっと「別の未来」がどこかに(そんなものはありゃしなかったが)あるような気がしていて、今日よりよくなる明日(それは自分が成長し、変化する、という自分への期待が大きかったかもしれない)を夢見つつ、現在のつらさを耐えていたような気がする。

今は、それができないのだ。
「50歳過ぎて仕事でリスペクトされない人間は辛い」
と村上龍が言っていた。

別に50歳とは限らない、と思う。
20歳だって「仕事できない」という周囲の評価は辛いだろう。
ただ、20歳なら、今まで生きてきた以上の時間を費やして自分を変えたり磨いたり、新たなチャレンジをしてもまだ40代だ。

私の自営業の友人たちは皆、口をそろえて「30代までの失敗は、40歳からで全部取り返しがきく」と言っていた。
勤め人の40代からは、むしろ死んだふりしてリスクヘッジをしていた「ツケ」を払わせられるのかもしれない。
いや、40代はまだいい。仕事や家庭に夢中になれるだけの状況やプレッシャーや体力など諸々が本人を「必死」や「夢中」に導いてくれるから。

50代になって子育ても一段落し、自分を支えるモチベーションも「右肩下がり」になってきたところで、体力の衰えも自覚させられ、病気の一つも抱えつつ、時代は「閉塞」感を強く抱えている……

そして、求められる仕事の質と、応対するべき状況(若者、というべきか日本人、というべきか、地域のあり方、というべきか、子育ての現実、というべきか、教育に求められる質というべきか)とが、あまりにも大きく変化しようとしている。
自分が体力の下り坂にあるから「閉塞感」を感じる、というだけのことではどうもなさそうだ。

そしてその変化はまだ大きな新しいうねりにはなっておらず、宿便をかかえてうんうん唸る便秘状態。

古いものが壊れて、まだ新しい息吹の胎動は感じられない、ぽっかりと時代の狭間にあいた「隙間」にはまってしまったかのような感触なのだ。

初老期鬱病の蒙昧、なら、それでいい。
夜明け前が一番暗い、その時期なのだ、というならそれもいい。

しかし、尖閣列島の漁船衝突の一連の動きも、千島四島のロシアの動きも、アメリカの中間選挙もそうだけれど、簡単に満足のいく答えが出そうにないことが目白押しだ。

世界の動向なんていちいち気にして「閉塞感」を感じているつもりはないが、やっぱり「世界資本主義」の中で、自分の超ローカルな生活もうごめいているのかもしれない、とつい「啓蒙」されてしまいそうだ。

「辺境」でいいじゃないか、と肩を叩かれるとそうか、と思い、
「グローバル化する世界」は不可避の現状だ、と威されるとそうだよな、と身をすくめ
今こそチャレンジだ、と鼓舞されると、もう一踏ん張りしなくちゃならんか、とため息をつき……。

「閉塞感」の中に漠然とへたり込んでばかりはいられない、とは思うのだが、慌てて前後も分からずにどこかへ駆け出せるほど「若く」はない。

まあ、モノは考えようで、年寄りは逃げ遅れるかもしれないけれど、じっくり考えて行動するのが年寄りの仕事、でもあるかもしれない

それじゃあ間に合わないよ、グローバルビジネスの速度は速いのだから、というのなら、そっちの方は若者に任せておけばいい。

日暮れの下り坂であっても、年寄りなりに見聞しつつ、今度は若者であったときのようにではなく、物事をじっくり判断し、バランス良い瞳を鍛えていきたいものだと思う。
間に合わなかったら、次の電車を待てばいいじゃないか。
電車を待っている内にお迎えが来るなら、それもまた、一興。

村上龍が言うのは、50歳過ぎると新しいことをやって一定の尊敬を得るまでの時間も気力も体力もないだろう、ということなんだろう。

だったら、世阿弥の言うように「演じない」より他に道はとりあえずない。
できることを、余計な力を入れずに入念に舞い続けること。
とはいえしかし、「円熟」とか「成熟」の方向など見失った幼稚な50代の一員としては、それでもなお「初老」なりの「花」をふらふらと探し続けるよりほかにないのかもしれない。

ありもしない枯れ木の「花」という妄想。

さてそれにしても、温泉巡りと旅行それに暇つぶしの読書程度で過ごすには、老後は長すぎる。

たしかに現状、勤め人としての仕事は、とりあえず社会の中での役割を与えてくれてはいる。しかし、これから数年後その仕事が与えてくれる役割から解き放たれ、追い出された時、自分はいったいどちらを向いて歩き出せばいいのか。

とすると、仕事においてリスペクトされることが人生の豊かさに繋がるのは、勤め人じゃなくて自営業の人の場合だけかもしれないね。

とすれば、仕事の枠組みに限定されない「花」なり「演技」なりをどこかで拾っておかないと。
もしかすると30年勤続の表彰とは、そろそろいろいろ覚悟して準備しておけ、っていうありがたい「啓示」なのかもしれない(苦笑)。

P.S.
先輩諸氏には、「畑」を借りて野良仕事をする人が意外に多い。
盆栽とか庭いじりではなく、畑。
微妙に実用的、というか、成果が早いというか。

個人的にはもう少し役に立たないものがいいんだけどなぁ。











いわき温泉巡り<第3回> 日帰り温泉 湯島屋 湯本温泉

2010年11月05日 22時05分05秒 | 温泉
いわき温泉巡り<第3回> 日帰り温泉 ゆしまや 湯本温泉

福島県いわき市常磐松が台102Tel. 0246(72)2619

入浴料
 700円(土日祝の早朝は400円)
  ボディーソープ&リンスインシャンプー付き
 貸しタオルは別

形式
 日帰り温泉
 (旅館の併設施設なので、旅館の方は宿泊可能)

温泉
 露天風呂は源泉掛け流し

一押し
 なんといっても源泉掛け流しで湯の花が見られる露天風呂!
 第2回で紹介した極楽湯いわき店(葉山の湯)と比べると、暖まり方が全く違う印象を受けました。
 湯本温泉の質なのでしょうか、上がった後もぽかぽかして、「温泉~」という満足感は極めて高いです。
 まあ、これは好みですからなんともいえません。
 むしろあっさりした湯の方が良いという人もいるでしょう。

営業時間 
 平日:午後3時~午後11時
 土日祝:午前10時~午後11時
 (土・日・祝の早朝営業:午前6時~午前9時)

定休日 
 火曜日

個人的評価 ★★★★☆(4/5)
さすが湯本温泉、泉質は大満足です。
一つ☆を差し引いたのは、打たせ湯が稼働していなかったせい。
日帰りに加えて早朝があるので、リピーターになりたいお湯の一つです。

地元の大きな温泉街に、こういう日帰り施設があるのは、敷居が低くていいですね。
手軽に利用できるのがいい。