龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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Universal Foldable Keyboard の魅力

2017年08月14日 23時21分30秒 | ガジェット

MicrosoftのUniversal Foldable Keyboard(ユニバーサルフォーダブルキーボード。以下MUFと表記)
の使い勝手を書いておく。


☆良い点

1,安定性抜群!
今までもスマホや7インチタブレットに出先でまとまった量の文章を入力する場合、折りたたみのBluetoothキーボードをよく使っていたが、がたついて安定しないことが多かった。
しかし、このMUFは机の上に開くと完全にフラットになりガタツキのでる余地は全くない。
これは画期的だ。

2,軽くて薄い。
今までもガタツキのないき折りたたみキーボードがなかったわけではない。
3EのModel:3E-HB066
などは、しっかりした作りでストロークも深く、打ち易さではMUFを上回る。
しかし、厚みは1CM以上あり、重さも重い。
対してMUFは、圧倒的に薄くて軽い。どんなバッグにも入れることができ、バッテリーも3カ月は保つという。
打鍵感も想像していたよりずっと良い。長時間打っていても負担になるものではなさそうだ。
もちろん、がっちり原稿をひたすら入力するのであれば、もう少し大きめでストロークの深いキーボードの方がよい。しかし、持ち運びをして出先で考えながら入力をする場合、打鍵の感じはこれで十分だと思えるレベルである。

3,Bluetooth接続が素早くかつ安定している。
一度に2台まで登録でき、それを一発で選択できるから、Bluetooth接続の待ち時間がほとんどなく、快適に入力を始めることができる。
かつて接続に時間がかかっていた頃と比較すると隔世の感がある。3Eのキーボードは打鍵ストロークが深く気に入っていたのだが、Bluetooth接続に手間取ることが多く、ついには接続しなくなってしまった。
こういう安定性はBluetoothの場合かなり重要だ。

4,マルチOS対応。
Winfdows,Android,iOSいずれにも対応しており、かつキーボードの違いもキー表面に表記されているので、どのOSを使っても戸惑うことがない。

☆残念な点
1,キーボードの真ん中が空いている。

このキーボードは右手と左手の間に折りたたみのための「マチ」があり、その分普通のキーボードより左右の手の間隔を広くとる必要がある。それがいささか慣れにくい。

具体的にいうと、二段目のキー
左半分ASDFGと右半分HJKLの間に2cmほどの幅が空いている、その幅の間隔がなかなかつかめないのだ。

あらかじめ左右の手の距離をとって、手首を机に固定した上で打てば、けっこうブラインドタッチできる。
だが、手をいったん机から離してしまうと、つい「K」のつもりで「J」を押すことになってしまう。
もちろん、10分~20分も打てば慣れてくるので、ほぼ間違えずにブラインドタッチができるようになる……のだが、ふとした拍子に手を机から離すと、もう一度ポジショニングを明示的にしなおす必要がある。

積極的にこのキーボードに慣れる意識が必要かもしれない。

2,個別に対応の確認が必要。
現在、HuaweiのMate9というスマホとPLE-701Lという7インチタブレットを二台登録し、AndroidのAtokを利用している。

Mate9の方はMUFを接続するとソフトキーボードが隠れ、画面を広く利用できるのだが、7インチタブレットの方はソフトキーボードが表示された状態でないと日本語入力ができない。

設定ではどちらもハードウェアキーボード接続時にはソフトウェアキーボードを隠す設定になっているのだが。

そういう細かいところには差があるので、購入前に実機で接続してみることが望ましい。

総評
Bluetoothキーボードは何台購入したか分からないほどだ。
一時期はappleのフルキーを持ち歩いていたこともある。
だが、小さなバッグ一つで移動している出先で、スマホしか端末がない状態である程度の入力量が必要な場合、これが現在のところベストチョイスだと感じる。
ほとんど平面に近いキーボードなので最初は少し違和感があるかもしれないが、なにせ折り畳んだときのコンパクトさは圧倒的にすばらしい。
10インチのキーボード付きタブレット端末を持ち歩く時以外は、これが定番になりそうだ。

佐藤正午『月の満ち欠け』(岩波書店)を読んだ。

2017年08月05日 16時41分35秒 | メディア日記
たった一冊佐藤正午の本を薦めるのなら、これにはしないだろうと思った。

あまりに面白く、あまりにシンプルで、かつあまりにも上手に描かれているこの作品『月の満ち欠け』をその人に紹介してしまったら、その後どうすればいいか分からなくなる、そんな気持ちで読んだ。

何だろう 「キツネに 鼻を摘ままれた」感じ、とでもいえばいいのだろうか。
とにかく語られている話の筋は、読み終わってみれば荒唐無稽かつシンプルだ。

だが。これをどうやったらこんなにも面白く描けるのか?いや、今し方読み終えたばかりの小説なのだから単純に 「面白かった」といえばそれで済みそうなものだが、そう簡単にはいかないのだ。

もちろん 「語り口の妙」とか 「テクニック」とか「佐藤正午だからな」と呟いてもいいのだが、このなんともはやもっていきところのない 楽しい「騙され感」は、むあ読んでみるしかない、と言うべきだろう。
こういうモノは、お金を払って読み、 「二度と読まない」となるかもしくは 「一生ついていきます」となるしかないんじゃなかろうか。私は無論後者なのだが。

読んだ後の感想を聞きたくなる小説だ。小説の 「物語の筋」についてではない。この小説が、読まれてしまったそのことについての、である。

ちなみに私が見知らぬ人に薦めるなら『鳩の撃退法』にしておきたい。身近な人なら 「直木賞だよ」といってこの本を渡すかな(^_^)

佐渡の本を読もうとしたら、北一輝にたどり着いた。

2017年08月03日 13時28分38秒 | メディア日記
まず長嶋有『佐渡の三人』を読んでいたのだが、その途中で渡辺京二『北一輝』をなんとなく読み始め、結局今日は北一輝の『国体論及び純正社会主義』を読むことになってしまった。
原文も国会図書館のデジタルアーカイブズみたいなので読めないことはなさそうだが、現代語訳をしてくれているありがたいサイトがあったので、そこで読み始めた。これがすこぶる面白いのだ。


『国体論及び純正社会主義』全現代語訳


http://kokutairon.web.fc2.com/gendaigoyaku.html

上記サイトからの引用だが、
「明治三十九(1906)年五月九日、『国体論及び純正社会主義』を自費出版。片山潜、河上肇、福田徳三などの賞賛を受ける一方、不敬との批判を受け、五月十四日発禁処分を受ける。この本を契機として、幸徳秋水、堺利彦らとの交流を持ち」
明治39年時点での北一輝のこの文章における分析と盛り上がりは、2017年夏の時点ですら、「全く過去の物だ」とばかりは言えない手応えを感じる。
確かに引用されている様々なテキストの解釈の妥当性はかなり割引して考えねばならないだろうことは素人目にも分かる。
だが、かれが「社会主義」と繰り返すその思想の核にある社会の見方は、戦後70年の「平和」を経験したはずの「今」と、まだまだ響き合う点を多く持っていると感じる。

少なくても日本の政治について考えようとする時、この「北一輝」のテキストをどう捉えておくかという「演習」は、自分に課しておかねばなるまい。
まったく今頃遅ればせながらここから学び始めるのか!と思うと自分でもその遅さに呆れるほかないが、まあ、今日の午後は北一輝と過ごしてみる。

今更ながら『君の名は。』を見た。

2017年08月02日 21時23分53秒 | メディア日記
これは 「短編集」だ、と思った。
一話目はとりかえばや。
精神と肉体が入れ替わってしまうアクシデントに遭遇した男女の話。これは大林宣彦『転校生』の本歌取り。

二話目はタイムリープ。
これは基本すれ違いの純愛になる。空間と時間を超えて二人は出会えるのか?
1950 年代のラジオドラマの本歌取りになっているのは周知の通り。

三話目はパニックモノ&ボーイミーツガール。
まあここは蛇足のようなものだ。子供向けに派必要なのだろうが、おじいちゃんにはどうかなあ、と思う。この監督作品のパロディ?ともいえるかな。

売れて良かった、と思う。
しかし、シチュエーション優先というのは、本歌取りというか 「ジャンル」がしっかりしていてこそ、だろう。歌舞伎じゃないが、誰でも知っている一話目と二話目に比して、三話目は、自己模倣になってやしないかな、と思う。新海誠?って監督のことは余りよく知らないんですが(じゃあ批評するな、と言われるかな?)。 

流星=隕石がそうそう降ってくるかーい、という突っ込みはおくとしても、三話目のドラマは弱くないですか?

二話目で泣かせてもらったから最後まで付き合いましたし、楽しみましたが、傑作の誉れには値しない。
こんなんでとりあえずの設定として数百人も殺しちゃダメでしょ。そしてそれを簡単に救えちゃもっとだめでしょ。言いがかりを承知で言うけど、福島の人間としてはこういう救われ方は 「プン、あっそう」ってかんじになる。とりあえずはいじけてるだけなんだけどね。
じゃあ自分で作れよって話だよね、うん。やらなきゃなあ、越えるぞ新海(ムリ……)。

まあ、それでもいいけど、最後にそれ?って思う。

三話目いろいろ問題あり、だけど、かつての日本の不思議な映画から比べれば、まあいいよね。
物語の力が圧倒的な宮崎駿みたいなのを望む方が間違ってる。ジャンル違うし。

もう、『君の名は。』に批評とかみなさんごちそうさまでしょう。

とりあえず個人的なメモのために書きました。