龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

MS Stickyという長らく使っていたAndroidウェジェット

2019年05月20日 22時27分05秒 | ガジェット
MS Stickyという長らく使っていたAndroidウェジェットがいつの間にかなくなっていた。
今スマホには入っているが新しく購入した同じAndroid9.0のtabletには、Googleのバックアップから転送しても入ってこなかった。
調べてみるともうGooglePlayには登録されていないらしい。
手になじむ道具は何時になっても使いたいもの。
やはり実物の万年筆と付箋と書籍、そしてノートにはかなわないのだ、と改めて知った。
まあしかし、付箋なしにスマホやタブレットは使えない。備忘のためのメモなしには1日たりとも社会生活が営めない。日程カレンダーだけではダメなんだよ(>_<)
と言うわけで見つけたのが

「Color Note 」

自由度はMS Stickyの方が高かったが、一度設定してしまえば支障ない。
とにかく手になじんだ道具は継続的に提供して欲しいなあ。
電子書籍を本気で購入できないのも、手になじんでいつもそこにあるという安心感が希薄だからだ。返金すりゃあいいってもんでもないだろうと思う。
無料のソフトでも有料でも、馴染んで愛着のあるものは永続性を持って欲しいと願うものです。
きっとおおかたの人には大した話じゃありませんが、メモ代わりに。

HUAWEI MediaPad M5 liteの良さ。

2019年05月19日 01時01分49秒 | ガジェット
久しぶりにデジタルガジェットを購入した。
発売されたばかりの

HUAWEI MediaPad M5 lite 8インチ

である。
スペックは概要次のおとり。
OSはAndroid9.0
メモリーは3Gbyte
ストレージは32Gbyte
CPUはkirin710
画面は8inch
画素数は1920×1200
battery容量は5,100Ah
重さは310g
値段は
Wi-Fi版が22,880円(税別)
LTE版 が26,800円(税別)
外部記憶として512GbyteまでのmicroSDに対応(SIMと排他ではなく、独立で入れられる)。
昨日(5/17)に届いたので、簡単な感想を書いておく。

まず、色はスペースグレーのみ。つや消しの落ち着いた色で、安物感は感じられない。これでLTE版で税込29,030 円は安い。
(実際はヨドバシのポイントが3,264 ポイントついているので実質25,766円)

購入前は、MediaPad T2 7.0を使っていたが、動作がとても重く、PDFリーダーとして使用するのが精一杯だった。逆に言えばperfectViewer(PDFリーダーソフト)専用機としてならもう少し使えたかもしれない。

対してこのMediaPad M5 lite 8inchは、速度は速いし、画面も美しい。活字用だけでなく、映画やスポーツを気軽に見るのに最適だ。

iPad miniの新型も出たが、描画能力の差を除けば、値段と性能のバランスからいってこちら(MediaPadM5lite8inch)に軍配が上がりそうだ。
スマホやPCもappleというなら別だが、単体でのコストパフォーマンスは圧倒的といっていい。

自分の持っている端末の中では、XperiaZ4tabletが軽量でかつ画面も美しいが、それに次ぐ綺麗さである。
どちらも画像をじっくり観ていたくなる。

筐体のしっかり感は、本機の方が上回る。Z4tabletは10inchタブレット最軽量(発売当時)だけあって、筐体が頼りない。

結局メディアを持ち歩くなら、7~8インチが(スマホと10 インチタブレットの間に挟まれてニッチな市場ではあるけれどやっぱり)ベストなのではないか。

電池の保ちは、前機種のMediaPad T2 の方が(遅いだけあって)少し良かった。

本機では電池使用量に応じて
パフォーマンスモードと省電力モードの二つがある。気になったのは個別に画面スリープまでの時間を選べない仕様になっているらしい点だ。
パフォーマンスモードなら画面スリープまで5分、
省電力モードなら画面スリープまで30秒、
そして更に最適化する場合は15秒、と三段階しか選べない(見つけられなかった)。

読書時に、1ページを何秒で読むか、はほんの種類によって全く異なる。単なるエンタメの物語なら、同一ページ15秒も開いていることの方が少ないだろうし、研究書なら2,30分開きっぱなしのこともざらにある。

スマホとは違って電池容量が大きいので、あまり神経質になる必要はないかもしれないが、ここは自由にスライドスイッチかなにかでスリープ開始時間を指定させて欲しいところだ。

問題を感じたのはそのぐらいで、あとはきわめて軽快に動くし、これなら積極的にprimevideoやdTVを外出先や寝転がったソファの上などあらゆるところで(片手で)持って観られそうだ。10inchタブレットは、片手でずっと持ってはいられない。
スマホは映画を観るのにどうしても画面が小さすぎる。
本を読むにも片手で持てる限界がこのサイズ。

そういう用途なら断然お勧めだ。

このミドルサイズ(7~8inch)タブレットの購入を考えている人は、是非一度お店で触って見ることをオススメしたい。値段をかんがえたら安くていいものだ。

写真は、スマホの進化についていけていないタブレットの例に漏れず、標準的なものにとどまる。
いい写真を撮りたい人は同じHUAWEIでもミドルクラス以上のスマホの購入がオススメ。
今使っている旧型のスマホ(HUAWEIのmate9)の方がずっと面白い写真を撮れる。写真はメモ代わり。

手軽に持ち出せるメディアとして最適。
格安SIMを入れておけば、これ一台でデータの享受(ビデオ再生や電子書籍・PDFの閲覧)は十分だ。
かけ放題のガラケーがあればスマホも不要かも。

結論としてオススメの一台。


互盛央『言語起源論の系譜』は凄い!

2019年05月08日 00時17分33秒 | メディア日記
互盛央『言語起源論の系譜』の一回目を読了した。
一度読んだだけでは足りない本と出会うことがままある。その多くは哲学者や研究者の主著となるもので、研ぎ澄まされた観念の連鎖について行けず意味不明のまま置き去りにされてしまうという体験だ。
だが、気になる。放ってはおけない。だから何度もチャレンジするがそのたびに挫折する……。

この『言語起源論の系譜』は、そういう本とは少し違う。たった一つのことを言おうとしている、という感じがひしひしと伝わってくる。
それは 「ホッブズ問題」と呼ばれ、あるいはルソーの 「一般意志」が抱える超越論的な身振りとして指摘され、あるいは言語起源の不可能性として語られていく。
つまり平たく言えば言語起源論なんて無理ゲーだよね、ということでもある。
だがもちろんこの本の魅力は、その無理ゲーを近代において人はどれほど繰り返し演じてきたか、という 「系譜」を徹底的になぞっていく点にある。

たどり着くのはソシュールであり、チョムスキーでありベンヤミンなのだが、それを読みたいだけなら最終章だけをつまみ食いすればいい……って、訳にはいかない。
この圧倒的な 「系譜」をたどること、つまり 「言語起源論」に渦巻く 「言説の欲望」に向き合うことなしに、例えばベンヤミンは、例えばチョムスキーは読めない、ということを一読して教わった気がする。
つまり、もう一度そこから過去に向かって視線を投じ直さねばならない、ということだ。
ノート取らなきゃならないなあ、とひさしぶりに思った一冊。
「近代」とか 「人間」とか 「言語」とかについて、これほど正面から向き合った本を久しぶりに読んだ気がする。
これから二度目を読まねばならないのだが、『新記号論』(ゲンロン叢書)も控えている(>_<)。
取りあえずまた感想を後で書きます、というところで。

第12回エチカ福島 「【テーマ】公害事件と世代間伝達―水俣事件を第二世代はどのように考えてきたのか」

2019年05月07日 22時05分44秒 | 大震災の中で

第12回エチカ福島開催のご案内です
【テーマ】公害事件と世代間伝達―水俣事件を第二世代はどのように考えてきたのか
【ゲスト】高倉草児さん・高倉鼓子さん(ガイアみなまた)
【日 時】8月17日(土)13:30~17:00    
【会 場】未定(決まり次第アップします)
【申 込】 特に申し込みは必要ありません。
【参加費】資料代100円(学生無料)
【主 催】エチカ福島
【開催趣旨】
過酷な公害事件を子ども世代はどのように見、考えたのだろうか。それに対して、大人たちはどのような姿を見せてきたのだろうか。
原発事故という未曽有の公害事件を経験した私たちにとって、このような問いを避けてとおることはできません。
しかし、その問いに対する答えを見出すことはまだまだこれからのことでしょう。
2020年の東京オリンピックとともに、さまざまな場面で子どもを出汁に「復興」物語を喧伝する大きな力もはたらくなか、あの出来事の教訓を次世代に伝えることは日増しに複雑化しています。
その世代間の伝達はいかにして可能なのか。

このような問題意識から、第12回となるエチカ福島では、水俣市よりガイアみなまたの高倉草児さんと鼓子さん兄妹をお招きして、講話と参加者とのダイアローグを開催します。
ガイアみなまたは、70年代半ばから水俣病問題をきっかけとして水俣に定住し、被害者の社会運動を支援しつつ、水俣病患者運動の中で知り合うことができた被害者家族とともに、 農薬を減らした甘夏栽培(生産者グループ きばる)を始めた団体です。
草児さんと鼓子さんは、その家族のなかに生まれた第二世代です。
  
実は、渡部は3年前にガイアみなまたで援農をさせてもらいながら、10日間ほど水俣に滞在する機会を得ました。
その際に、高倉さん一家をはじめとするガイアみなまたの皆さんには、多くの方々に出会わせていただきながら、水俣病事件をめぐるさまざまなお話を聞かせていただきました。
そのなかでもとりわけ興味を引いたのが、草児さんと鼓子さんのお話でした。
お二人は水俣病事件をめぐる社会運動家であったご両親のもとで育ちながら、その運動や思想について教えられることはほとんどなく、高校卒業まで水俣病事件に関心もほとんどなかったというのです。
その二人は進学・就職とともに県外へ出た後に、いま水俣へ戻ってご両親の仕事を受け継いでいます。
それは、近代水俣という土地に生まれ育った彼らの、人生の「転回」というべきものだったのではないか。いったい、そこにどのような思考のプロセスがあったのか。お二人のお話を伺いながら、私は世代間の伝達というものにたいへん興味を抱かされたものです。

もちろん、このお二人の経験がすべての公害事件地域の第二世代に生じたものではないでしょう。
しかしながら、先行世代というものは、次世代への継承の重要性を訴えつつも、得てして自分たちの枠からはみ出していく可能性には気づけないものです。
しかし、その先行世代の期待と第二世代の受け止め方のズレから生じる化学反応は、世代間伝達における希望の可能性でもあるでしょう。
そのヒントを水俣事件の第二世代ともいうべきお二人をお招きしながら、「3.11」以後の福島における問題としてみなさんと一緒に考える機会とさせていただきます。(文:渡部 純)