龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「今、人文学の本を書くとは」第4回が面白かった。

2016年10月27日 22時20分56秒 | 大震災の中で
人文書院のサイトの記事
  「今、人文学の本を書くとは」第4回

が面白かった。

「ナマコとヤドカリ」という題で、千葉雅也氏に、篠原雅武と言う人がインタビューしている。例えばこんな感じ。

引用開始

(千葉雅也氏)僕は、もっと豊かに関係性をとらえよという言説こそが、現状批判の主なやり方であるような人文学の状況に対し、そこから疎外される外部性を考えようとしてきました。対マジョリティのためのマイノリティの一致団結からdetachしたあり方について考えてきた、といえばシンプルでしょう。僕はそれが、ドゥルーズから読みとれる、ある種の自由の可能性だと思うのです。

引用終了

次の本が楽しみだ。

http://www.jimbunshoin.co.jp/smp/news/n16815.html

livesclibeのペン(つづき)

2016年10月24日 00時17分15秒 | ガジェット
この記事を書いたあとで少し検索してみたところ、

Neo smartpen ネオスマートペンN2

というペンがあるのを知った。

レビューはこちらなどを。

http://www.newsweekjapan.jp/ootani/2016/02/neo-smartpen-n2.php

太くて、強い筆圧を要し、インクも良くない、とLIVESCRIBEの難点を書いたが、

このNeo Smartpen N2は、軸も細く、上記サイトのレビューによれば、

>リフィルも標準的な4Cタイプと呼ばれるものを使用できる

とのこと。

ネオスマートペンN2を購入してみたくなってしまったこの気持ちを止める術はありませんかね(苦笑)。


こういう市場は、ノートのフォーマットなどが標準化されて安価になると爆発的に普及すると思うんですけどねぇ。そうじゃないと、結局ニッチな市場に終わってしまいます。

livescribeのスマートペンを使ってみた。

2016年10月22日 20時05分59秒 | ガジェット
某ジャストシステムの営業メールは結構オジサンにうれしいアイテムを誘って来るものだから、時々フラフラと購入してしまうモノがある。


livescribeのスマートペンもその一つ。
詳細はこちらを。
http://www.livescribe.com/ja/
ジャストシステムから、約一万円のセールで購入した。

要は、ボールペンの先にカメラが付いており、そのデータをスマホにBluetoothで転送してPDFとして扱ったり、あるいは自動的にOCRを通してデジタルデータとして二次利用するというもの。

だがこの性能が抜群に高いのだ。
こちらで専用ペンと専用ノートに絵や文字をふつうのノートを取るように書いていくと、ほとんどリアルタイムでその絵も文字もスマホ側に転送されて次々表示されていくのである。
この感じは長年PCや携帯端末を使ってきたオジサンほど感動的するのではないか。

こんなことか出来るんなら
「早く言ってよ」
というほどだ。

加えて、OCRの精度も圧倒的に良い。最近の高性能ぶりを知らないからのかもしれないが、これは使える、と思った。

一方、気になる点もいくつかある。

1、ペンが太い。

まあ、カメラが内蔵されているのだから当然なのだが、軸が太い。
サインをする程度のエグゼクティブが持つ万年筆程度の太さがある。

2、ノートが高い。

このシステムは、ノートに目立たないけれど細かい方眼や様々な制御のための印刷がなされている特殊なノートであるため、そのコストが高くつく。
普通の紙に印刷できそうな雰囲気もある(サイトに印刷用データがあった)のだが、かなり高精細なプリンタでないと認識が不十分で使い物にならない(私のインクジェットでは無理だった)。かなりきれいにでるレーザープリンタが必要だろう。
ラセン綴じのグリッドA4ノートが4冊で2800円弱(Amazon)。
場面によってはいいかもしれないが、これ一つあれば万能!というほどのコスパではない。

3、インクのボタが半端ではない。

水性やゲル、新世代油性インクの能力を望むのは酷だと思うが、このインク芯はちょっと何十年か前の油性ボールペンのレベルだと感じる。
国産メーカーの同サイズを代替して使えるらしいので、これは最初から買い換えた方が良い。

4、長時間の使用はかなり辛い。

これは1の軸の太さとも関連しているし、3、の旧態依然とした替え芯にも関わるのだが、基本的にボールペンとしての書き味がよろしくなく、軸の太さも不適切なため、講義を2つ(90分×2)メモしただけで、右手の親指が悲鳴を上げてしまった。

よく考えてみると、7インチタブレットをスタンドにたてられ、かつ携帯用キーボードが置ける場所なら、こんなに必死にノートを取らなくても良い。今時のキーボードはそんなに手首や指に負担がかからないので、長時間打つことも苦にならないものが多い。
10インチタブレットのカバー型キーボードが使えるなら、もはやこんな苦労はしなくてよいのだ、と分かる。

結論。
スマホや小型PCを持ち込みしにくい場所で、即刻デジタル化してデータを共有したい場合に、威力を発揮する。
そんな種類の 「会議」が、きっとまだ世の中にはあるだろう(笑)
そういう隙間のニーズをを埋める価値はそこそこあるのかもしれないが、一般的には買わなくてもよい製品だ。

最初オジサンとしてはかなり感動したけれど、もはや現代の筆記器具(ボールペン)は、書き味を圧倒的に良くしてしまった。ジェットストリームでもビクーニャでもスララでも、あるいはフリクションボールでも、高性能、高機能化している。
そんな中で、こんな風に指を酷使するペンとペン軸は、いくらデジタル化のところが高性能になっても、需要は伸びないのではないか。

最先端の替え芯を採用し、カラー3色を使えてかつ読み取ってデジタル化でき、さらにあと直径が数ミリ小さくなったら考えてみてもいいんだけどなあ。







マイクロソフト薄型キーボード GU5-00014の使用感(その2)

2016年10月13日 11時02分44秒 | ガジェット
マイクロソフト薄型キーボード GU5-00014
の使用感をもう少し書いておきたい。

二つあった困った点のうちの一つ、
「ATOKが使えない問題」
は、入力設定をフリックから英文字キーボードに変えることで解決した(というか単に知らなかっただけですが)。

もう一つの方、キーボードが」左右に分かれていて、両手の位置をふつうのキーボードより離しておかなければならないという問題について書いておきたい。
このGU5-00014キーボードを使って入力しているのだが、特に右手の側にストレスがかかる。
特に右手の薬指と小指の守備範囲である「0(ゼロ)」と「ー」のブラインドタッチが難しいのである。
私が左利きということもあるのだろうが、バックスペースを含めて右手の上段は、左手の上段にある「Q」と「Tab」に比して使用頻度が格段に高い。従って、その右手の上段にアクセスする場合、手をホームポジションから浮かせて打つこ癖がつきやすい。普段はなんとなくうまく打ててはいても、「F」と「J」のホームポジションを手探りしている状態では、どうしても「ー」が特にブラインドタッチしにくい。

今は脳味噌の訓練をしている状況が続く。

だが、こういう指先の訓練は、なんだか楽しくもある。脳味噌のなかの配線が切り替わる、何ともいえないもどかしさもまた、いい。
この機会に右手薬指と小指の動きを細かくコントロールできるようにしたいものだ。

『いくつもの声』ガヤトリ・C・スピヴァクが胸に沁みる

2016年10月13日 01時11分31秒 | 大震災の中で
スピヴァクといえば『サバルタンは語ることができるか』が超有名だが、よく理解しているわけではない。
だが、語ることばを持たず、語り得ないものを抱えながら沈黙の側に立っている「幽霊」のような存在を、「こちら側」(見る側)から言語化していく行為だけではたどり着けないその場所に対する感性のことなら、少し分かる気がする。

なぜなら、原発事故後5年を経た福島では、今、本当に「語りにくさ」を抱えた人の姿が見えにくくなってきているからだ。

こんな風にブログを書いている側の「私」はもちろん「語り得ない者」ではない。スピヴァクを読んで「なるほどね」」とか思っている「私」は、その幽霊の気配すらつかみ損ねている。

さて、ではどうするか。
いったい「オレ」は、複数の声がほの聞こえる裂け目の近傍に立ちつつ、「幽霊」の気配がすると指させばいい、とでも思っているのか?

そんな「今」に必要な本が、この『いくつもの声』というスピヴァクの講演集だ。
2012年日本で「京都賞」受賞のため来日して、4つ講演をしている。その記録なのだが、実に興味深い。

P109「私には現実に精神を変えることには成功していません。つまり、三〇年ものあいだ手仕事で身を立て、知的労働への権利を否定されてきた人々の精神を変えることができていません。変えることはできませんが、それでも、動き続けなくてはなりません。なぜなら、もしかしたら一人くらいの生徒であれば変えることができるかもしれないからです。」

P101「私が建設したいのは精神であり、欲望を強制によらずに再構築することであって、上から恩恵をたえようとする慈善事業ではありません。」

P90「哲学者が私に対して『私にはわかりません』というとき、実際のところ哲学者が意味しているのは、『あなたは哲学によって学ばれる知性の諸条件を満たしていない』、ということです。つまりそれは、「私は理解しない」ではなくて、「あなたの言っていることは意味をなさない」、ということです。こうしたことが起きるとき私は、その人(哲学者)が自分の専門にとらわれていることに気づきます」

いろいろ考えさせられるわ。


ぜひ一読を。そして感想プリーズ、です。

BluetoothキーボードでATOKが使える、という発見。

2016年10月13日 00時41分29秒 | メディア日記
今まで、スマホ(Android)側でATOKをフリック入力に設定しているうちは、Bluetoothキーボードをいくら接続してもATOKが反応してくれず、てっきりATOKはBluetoothキーボードに対応していないものとばかり思いこんでいた。

かつてiPhone5の時は、ATOKがiPhoneに対応しておらず、アプリケーション(エディタ)として立ち上がっていたので逆に問題がなかった。Androidのスマホにしてから、画面も大きくなり、タブレットも買った(XperiaZ4は何もしなくてもATOKが使えた)ので、スマホではATOKがつながらないなあ、と思いつつも放置しておいた。

だが、7インチのタブレットを購入して使い倒そうとしたところ、この
「ATOKがBluetoothキーボードでは」使えない問題」がしだいにクローズアップされてきた。

なんとかして動かそうとするのだが、ATOKをフリック入力にしている限り、何をどうがんばっても、Bluetoothキーボードが反応してくれない。
英数字は入力できるのだが、日本語変換してくれないのである。

いくらやっても変換してくれないので、これは無理、とあきらめようとしたところ、たまたまATOKをフリック入力ではなく英数キーボードモードにしてみたら、なんの問題もなくBluetoothキーボードからATOKが制御できているじゃありませんか!

相当な脱力感を味わいましたが、結果オーライ。

これで、10インチのタブレットはパソコン代わりに室内中心とし、出先では7インチタブレットと今回購入した

マイクロソフト薄型キーボード GU5-00014

のセットを使うことができます。
「早く言ってよ」
って感じですねぇ。

マイクロソフト薄型キーボード GU5-00014の使用感

2016年10月12日 23時39分43秒 | ガジェット
新しいマイクロソフトのキーボードをためしに使っている。

上が 3E-HB066
下がマイクロソフト薄型キーボード GU5-00014




☆快適な点
①圧倒的に軽量・コンパクト。
もう持っていても重さはなきに等しい。加えて折りたたんだときの薄さは驚異的だ。もっとも厚い折り返し部分でさえ、10数ミリ。しかも柔らかい樹脂で周囲は1ミリもないほどの薄さだ。これ以上薄いものはしばらく出てこないのではないか。携帯することを前提とした用途なら、多少の不便を考えてもこれ一択ではないか。そして、折り畳みキーボードは携帯が前提。とすれば、これ以外には考えられない。

②超薄型の二つ折りキーボードなので、携帯性は抜群だし、テーブルにピタッとおけるので、一切がたつきなくタイピングが可能だ。3E-HB066が質感もなかなかのものだったが、広く平らな場所があれば、こちらの方がずっと安定感がある。


☆困っている点

①ATOKを使えない。
アンドロイド用のATOKを使うことができない(基本的にatokはbluetoothに対応していないため、使えないものが多いようだ)のがもどかしい。
今までPCもアンドロイドも、iPhoneもATOKで使用していたので、正直ATOKが使えないのは辛い。XperiaZ4 tabletの純正キーボードは対応していたのだが、それ以外は使えないものが多い。
色々試行錯誤しているが、どうもだめのようだ。

訂正!
ATOKは使えました!
ATOKをフリック入力画面にしていると、Bluetoothキーボードは全く反応してくれないのですが、英語の古キーボード表示にすると、不思議なことにBluetoothキーボード側が反応してくれました。
これって、知っている人は当たり前なんでしょうが、知らない人は困ってるんじゃないかなあ(そんなことないですかね?)
というわけで、困っている点の①は解消です!

②間に折り返しの「折り目」があり、それが1センチ弱の幅を持っているため、普通のキーボードだと思ってブラインドタッチをすると、両手のホームポジションがその1センチ分だけ離れているので、無意識に速度をあげようとするとミスタッチが増えてしまう。

「キーボードに慣れさえすればいい」

といえばその通り。だが、それがなかなか難しい。
どうしても右手と左手の間に空間をとらなくてはならないのがもどかしいのだ。このキーボードのときの「感じ」というものがつかめれば解消することはわかっている。ホームポジションから離れずにタイピングする基本をに忠実にやればいいのだから。
ただ、一旦手をキーボードから話したあと、戻すときに右手と左手の距離感がつかめない。

☆全体的に。
外出先で、スマホやタブレットで気軽に入力できるキーボードの形態としては、もはや究極かもしれない。
困った上記2点も、この文章を書いているうちにちょっとづつ慣れてきているようだ。このキーボードと一緒にやっていこうと思うなら、慣れてしまえば最高のパートナーになってくれそうだ。もうしばらく試行錯誤しつつ付き合ってみよう。
にしても、ATOKは外部のブルートゥースキーボードに対応しないんですかねえ。
スマホのハードに最初から搭載されてれば大丈夫なんだろうけどね。




J.デリダ・豊崎光一『翻訳 そして/ 或いは パフォーマティヴ 脱構築をめぐる対話』

2016年10月05日 06時03分35秒 | 評論
ここでは、デリダはとても率直に語っている。口ごもり、躊躇い、 「少し間を置」きつつ、さまざまなことを肉声で語っている、という印象を受ける。

肉声で、というのは何か難解なテキストの平易な種明かしがある、というのではもちろんない。分かりやすい、というのでもない。この対談を読んだからといって、デリダのテキストが読めるようになりするわけではない。東裕紀でも読んだ方がよほどすっきりする。

ちょっと違った話だが、ある意味では、もはやデリダのテキストが 「難解」だったことなど、懐かしい思い出のようなものになりつつある、とも言える。それはまた、デリダが 「読めてしまった」ということではもちろんないけれど。

肉声で、というのはデリダが身体を伴ってそこで思考し、語っている 「感じ」、いわゆる 「息遣い」を感じる、ということだ。

哲学のテクストは一般にその主著になればなるほど難しい。個人的な感想だが、ほぼ解説抜きでは読めないといっていいだろう。もし、その主著が読めるようになりたい、と本気で思ったら、遠い遠い旅(迂回)に出ることを覚悟しなければならない。

なにせ書き手の 「主戦場」なわけだし。

だが、身体を伴った語りは違う。
ためらいや回避、言い直しや付け足し、間や繰り返しなど、私たちの身体から発生するリズムというか、動きと同時に彼らの観念が手渡されていくのに従って、その微妙なバランスを共に 「今」として生きることがしやすい。

知的に武装されたテキストは、あらかじめ 埋設された「地雷」の存在が分からないと、いつまでたっても 「読めない」感から脱出できない。お勉強が必要な所以である。その時代の、そのときの彼自身の向き合っている課題や共有している(もしくは共有を拒もうとしている)前提、そういったものが分からなければ歯が立たない。じっくり学ぶ楽しみ、繰り返し読みながらたった一つの(それは複数性を持っていたりもする)小径を発見する喜びはもちろんその先にあるのだけれど。

この対談を読むと、そういった学ぶべきものの手がかり、文字通りどこに 手をかけて山を登ればよいのか、という 「手がかり」のありかが学べる、ということがある。それは身体的なものと、観念的なことが、語り手の上に同時に存在する 「今」を目の当たりにできる、ということでもあるだろう。

もちろん、単に本人がしゃべっている、というだけでそういうことがいつも生じるわけではない。対談の相手との間合いあってのことなのだが。

とにかく、いろいろ面白かった。