龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

オーギュスタン ベルクの講演7/4於:日仏会館

2011年07月05日 14時25分25秒 | 大震災の中で
日仏会館で、オーギュスタン・ベルグ氏の講演を聴いてきた。
平日仕事を早めに切り上げて高速に乗る。
首都高が渋滞していなかったため、2時間半ぐらいで恵比寿に到着。
ダメもとで尋ねてみたら日仏会館の守衛さんは親切で、駐車スペースを提供してくれました。
高速駐車料も無料。ガソリン代約4000円のみで首都圏の講演会やシンポジウムに参加できるのは非常に嬉しい。
この一年は、最大限に利用しよう。

まだ時間があったので、近くの喫茶店でちくま文庫から出ている『空間の日本文化』を再読する。しかし、ぎっしり中身が詰まっているので(単に参照・引用が多いと言うことではない。一つ一つ批評的ち吟味されている)、飛ばし読みができない。

若い頃はとにかくアイディアがほしくて本を読んでいたから、初読の時にはこの本の魅力は十分に理解できなかったのだろうな、と思った。

今日の講演だって、私が10年若かったなら、「いまさら和辻とか今西かい」ぐらいの生意気な感想を抱き、聴きにも来なかったかもしれない。

年を取るのは、悪いことじゃないのだ、とつくづく思う。
例えば、中世哲学に寄り道してみたからこそ、アリストテレスやプラトンの話もぼんやりながら筋を見失わずに話を聞けるようになったし、現象学のまわりをうろうろしてみたからこそ、さりげないベルク氏のハイデガー批判もぐっと身近に感じられる。
近代批判の文脈におけるフォーディズム批判のスタンスは、萱野稔人さんのフーコー論から響き合ってくる。

また、主語と述語の関係のアナロジーで自然と人間の環境における象徴的な相互関係を読み解くのは、ラカン的な精神分析の匂いもするし。

ま、要するにこの思想=哲学的なる空間の芳醇な香りを満喫したってことですかね(笑)
知的な対話が、一番の悦びなんだと改めて思う。そして、ここが面白いところなんだけれど、年を取ってくると、対話できる対象が豊かになってくる。
古典についてもいささか親しむようになるし、現代的な課題とそれに対する「今」の哲学や思想、技術たちの取り得るスタンスも見えてくる。
見えてきた上でモノを考えるのは、ほとんど至上の喜びなのではないか。
人文科学系の学問の面白さが、ようやくわかりはじめてきた。
若いうちにがっちり古今東西のテキストを読み込んでおくのは、意義深いことなんだね。もういくら読んでも覚えられなくなった頃に分かるのが凡人たるゆえん、なのだけれど。

それでも、テキストと解釈がある程度自分の中にあると、講演を聞きながら、ある瞬間には講演者と対話し、ある瞬間には講演者が引用テキストと対話するのに耳を澄まし、あるいはさらに、その対話に自分で割り込んでいってさらにポリフォニックな対話空間を作っていったり、ということができる。

もちろん、たった一つの正しい道を探すような焦燥感あふれるスリリングな若い読みはもうできない。
でも、対話の中で、「あれ、これってもしかすると」という発見をすることはできる。てことかなあ。

そういえば、フーコーがカントの啓蒙を引用して「大人」の時代みたいなことをいってたような気がする。ちがうか?

さて講演の中身はとりあえず以下で。
自分なりのメモは後刻メディア日記に書きます。

日仏会館ホームページより。
http://www.mfj.gr.jp/agenda/2011/07/04/index_ja.php#1138

______________________


自然と文化の通態:和辻風土論と今西進化論を出発点に
講演者:
オギュスタン・ベルク
(フランス国立社会科学高等研究院)


講演要旨:
和辻哲郎の人間界についての説とヤーコプ・ヨハン・フォン・ユクスキュルの動物界についての説には驚くべき相似性がある。和辻が「風土」と「自然環境」を区別しなくてはならないことを示しているように、ユクスキュルは生物の一つの種にとって存在する周囲の世界である「環世界」(Umwelt)と、科学が把握するような環境的与件である「環境」(Umgebung)とを区別しなければならないとする。「風土」あるいは「環世界」は「環境」のように普遍的ではなく、一般的に生物であろうと、あるいは特に人間であろうと、一つの主体がいかに個別的に環境を解釈するかの結果である。この解釈は偶然的で、人類の諸文化の時間の広がり(いわゆる歴史)または生物の時間の広がり(進化)から見ても、その歴史は常に特異なものである。そこにおいては、主体(文化、生物の種)とそれを取り巻く周囲とが互いに作用し合う。すなわち特異なロジックの相互関係、「通態性」(trajectivit )が存在するのである。それは進化に関する諸理論において支配的な機械論的思考におけるように単なる因果関係に還元できるものではない。



福島から発信するということ(11)

2011年07月05日 11時42分15秒 | 大震災の中で
(承前)

マックに入ってさらに話は続く。

「郷土への愛着かなあ」
「それはわかるわよ。でも、すでに汚染されているわけでしょう?」
「ええ」
「だったら、フランスの農場では人を受け入れる準備は十分にあるのだから、来てみるといいのよ」
と徹底的にポジティブというか、歯切れのよい主張が続く。

自分のぐだぐださが炙り出されてくる。
しかし、これは心地よい「訓練」でもあった。

「えぇとね、福島の人は、たぶんこの事故を全く意外なこととは捉えていないと思います。いつかこうなるかもしれない、ということは予想していた。原発が事故を起こしたら大変なことになる。ならないはずがない、ということは、『分かっていた』のです。だからこそむしろ、事故が起こったときに言葉を失った、ということは考えられないでしょうか。自分たちの主体が引き裂かれてしまっているのです。」

こう書いていてはじめて整理がついてくる。私たちは原発事故を全く意外なものとして捉えてなどいなかったのだ。

そういうことに「今」気がついている。

そしてそれは、単なる被害者として放射能汚染を言い募り、東電や国の「加害」を声高に語り、我先に避難しなければ、という行動をどこかで抑制しているのかもしれない。

それは、原発プラントの近くに住んでいて、有形無形の補償を受けたり雇用を得たり、ドーピングのような補助金漬けになった「原子力城下の村」だけが引き裂かれた、ということだけではない。

もちろん、原発が立っている近隣の町村は引き裂かれている。双葉町や大熊町の人たちに話をうかがっても、二つに分裂している、という話は聞こえてくる。それは当然だろう。お金をもらう側と放射能被害を受ける側が同じ町民なのだから、心の中が複雑に引き裂かれたり、町民が分裂したりするのも不思議ではない。

だが、私は原発が立っている町の住民ではない。それを容認・黙認はしてきたが、基本的に大きな利害関係の外側にいる存在だ。

かといって、電力を享受する「原子力城下町」にとっての「宗主国」の国民=都民の立場でもない。

その私が自分の行為に言葉を与えることが難しいというのはいったいどういうことなのだろうか。

正直、慣れ親しんだ土地から離れて生きるというのが、こんなに難しいことだとは思わなかった。

たぶん、ここには「神様」が宿っているんだと思う。

生きる基盤、といってもいい。私たちの「生」=「生活」を支える可能性の条件、といってもいいだろう。
私は、私たちは「福島」を生きる可能性の前提として、何十年も「生」を営んできたのだ。先祖から数えれば、100年単位でこの土地の住民だった。

主体として郷土やその自然や共同体の人々を「愛している」のとはちょっと違う。
原発事故が起こるまではそんなに愛郷心など自覚してはいなかったし。そうではないのだ。

主体があらかじめそこにあって、その主体が抑圧されたり、何かを愛したりするのではない。少なくてもそれだけではない。そうではなくて、その主体が、この土地の中で形成され、好むと好まざるとに関わらず、この土地が、自分の「半身」になっていたのだ。


移動可能な世界像から生まれた携帯可能な、どこにいても祈ることのできる「神」と、私たちが生活の基盤であるこの土地をよりどころにしているという意味での「神」、の違いだろうか。

そんなことを口走って、マックで苦笑されたりもした。
でも、そういうところに根ざしているね。

ここを離れたら、取り返しがつかない。
多分野、こんなことを言うとバカバカしいと思われるかもしれないが、被曝との兼ね合いを考えつつでも、止まらねば生らない心の動きがある、ということは、とりあえず福島から発信しなければならない、と思う。
それは、繰り返すが、故郷を愛している、という「主体の叫び」でないことだけはたしかなのだが。かといって、土着的な無自覚の慣習=慣性=惰性というのとを断じて違う。

じゃあなんだよ?
って問われますよねえ。

だから、神様が土地にいるんだよね、と言うのがとりあえずのこたえ。
いないかもしれないけれど、近代以降、共同体的なものが擬制化して、さらに土地まで明示的に喪失したら、かなり究極の「アトム化」になる。それを恐れる気持ちはあるだろう。

黄昏てから考え出す、の典型かな。
この項目、続く、ですね。

そうそう、その翌日、日仏会館のイベントを紹介していただき、オーギュスタン ベルクの講演を聞きにいけることに。
私をマックに拉致したのは、日仏会館の運営をしている方だったのでした。
その講演と、レセプションで考えたとはまたあとでかきます。




震災後を生きる(15)

2011年07月05日 11時26分00秒 | 大震災の中で
震災後を生きる(14)を書いた後で友人からメールがあった。自殺の話だった。「平時」なら、特にそれに共鳴することもあるまい。
しかし、こういう時期は、お互いが敏感になっている。
安心していきることができない状態にあると、人は自ら命を絶つ人の、場所を失った「場所」の洞穴に魂を吸い込まれていく。

無論どこに住んでも生きていくことはできる。
「人間いたるところ青山あり」
には違いない。

けれど私たちには「歴史」がある。
それは決して単に内在的なのでもなければ、単に外在的なのでもない。
そこにあるのは、単なる「知識」や「記憶」ではない、生きられてきた「空間」=「身体」の間主観的な「文化」だ。

これ、と名指すことはできないが、私たちが身にまとい、日々生き、過去から未来に貫かれた一貫性として感じられる「世界観」といってもいい。

だから、「なぜ逃げないのか」の問いは、問いかける人は、理由を尋ねているのかもしれないけれど、応える側は、存在論的哲学を問われている、と感じるのかもしれない。

年寄りがいるからね。
子供は避難させないとね。

そういう外部的に見える理由付けは、実は自分だけの「世界」ではない、ということの、信号にならない信号なのかもしれない、と思う。

自殺の報に感応してしまうのも、存在論的な不安ゆえに「間」に立たされていると感じる私たちの現状を、逆に照射しているのだろう。