龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

早朝のファミレスに来たら

2015年09月27日 11時32分01秒 | 今日の日記
休日の朝、職場を開けるのが面倒なので、相手も近場なのを幸い、近所のファミレスで仕事の打ち合わせをすることにした。

近所のG(大手チェーン店)は、24hではなく健全な?8:00開店。

その数分前に駐車場にクルマを乗り入れたらビビビびっくり。

開店前のファミレスの入り口に行列ができているのだ。

高齢者が続々と結集中。

そして彼らの目線や身振りから察するに、微妙に常連、というか顔見知りの香りがただよっている。

駐車場にはパトカーも止まっている。
なんだか 「早朝の普通のファミレス」のイメージからズレている感じ。

「早朝の普通のファミレス」がどんなものかなんて、今まで一度も来たことがないんだから知ってるわけもないんだけどね。

一方パトカーの中では、警察の人がスマホをいじっている。警察の人もスマホを使うときはクルマを止めるのだろうし、そのときに開店前のファミレスに駐車したってもちろん構わないのだろう。

だが、老人の行列とパトカーの間にクルマを割り込ませるのはなんだか勇気が要った。

Yという大手スーパーのフードコートがお年寄りの社交場になっているのは以前から聞いていたが、早朝からファミレスのモーニング定食がお年寄りの集客を招いているとは知らなかった。

お年寄りはファミレスなどを好まず、家で味噌汁とご飯と煎茶、なのだと思っていたのだが、そんな偏見を払拭させるのに十分な光景だった。

まあしかし、開店前から並ぶモノじゃあないよねぇ。

いわゆるファミレスの利用中核層がやってくるのはむしろ10時過ぎ。やっぱり子供のわがままな声が休日のファミレスにはお似合いだ、と思ってしまうのだが、72時間の定点観測番組じゃないけれど、早朝のファミレスにはそれに相応しい顔、があるのだろう。

深夜のファミレス、ならちょっとはまだ想像がつきそうだけれど、実際に深夜来てみたら、それも予想が裏切られるのかもしれない。

ビジネスマンや学生じゃあるまいし、

タブレット+Bluetoothキーボード

の還暦おじさんの自分こそいろいろ場違いかも、なんだけどね。

読むべし!『ワンダー』 R.J.パラシオ (訳:なかいはるの) ほるぷ出版

2015年09月18日 23時35分27秒 | 観光
一気に読み切った。

第一に文章が簡潔かつ清潔だ。
これは作者(処女作かと聞くが)の力量であり、かつ翻訳者の手柄でもあるのかもしれない。
登場人物の発話で物語りは進んでいくが、その発話に迷いがない。

だから、世界中の人の心に響く。

未読の方に是非おすすめしたい本です。

ユニークフェイスという活動をしている名古屋の団体の活動が、先日ETVで改めて取り上げられていた。この主人公オーガストはまさにそうだ。

以下は出版社の惹句から。

「オーガスト・プルマンはふつうの男の子。ただし、顔以外は。生まれつき顔に障害があるオーガストは、はじめて学校に通うことになった。だが生徒たちはオーガストの顔を見て悲鳴をあげ、じろじろながめ、やがて「病気がうつる」と避けるようになる……」


そういえば先日、大学の特別支援コースにいった卒業生が訪ねてきて、「ひらがなのきょうだい、とカタカナのきょうだい」という話を教えてくれた。つまり、障がいを持った子どもと、障がいのある兄弟を持った子ども、を「ひらがな」と「カタカナ」と言い分けし、どちらも支援が必要だというボランティアの話だったのだけれど、この作品にはその視点もきちんと描き込まれている。

連休中、読む本に迷ったら手にとって損のない一冊だと思います。


ブログの表紙にしている馬の写真は阿蘇です。

2015年09月15日 21時33分39秒 | 観光
阿蘇山が大規模な噴火をしているという。

ブログの表紙に阿蘇旅行の時の馬の写真を使っていることからも分かるように、私は

「下手の阿蘇好き」

めいた阿蘇ファンである。

夏目漱石の小説『二百十日』

や、

三好達治の詩『大阿蘇』

を読んでから、ずっと行きたいと思っていた。数年前、ロードスター購入を機に、思い切って福島県から熊本県まで往復4000キロほどの旅をした、そのときとった写真だ。

こういうことを書くと、本当に不謹慎だと思われそうだが、火山は噴火するものである。

だから、噴火そのものはそんなに驚くべき事象ではない。少なくても日本に居住している以上、それが私の住む会津磐梯山であれ吾妻山であれ、過去に大規模な噴火もしているし、被害も出ているしまた、現在警戒レベル2の指定がなされていたりもする。
桜島の噴火が生活の中に入ってしまっている鹿児島の方々の「覚悟」というかその日常とは比べるべくもないが、しかし、いつか大きな噴火があるということは日本に住む限り、それなりに「考慮」しておかねばならない。

ただ、箱根の温泉の例を見ても分かるように、その幾分かの危険をはらんだ火山こそが観光資源それ自体だったり、温泉を生み出す源であったりもするから悩ましい。私が大好きな阿蘇の美しい風景も、清らかな湧き水も、間違いなく活火山が作った環境なのだろう。

私は勝手に、退職したら弘前か阿蘇に住みたいという妄想を抱いてきた。
今でもそれは変わっていない。

もう一カ所住んでもいいな、と思っていたのは福島県双葉郡の夜ノ森(浜通り有数の桜の名所がある)だが、これはちょっと無理かも知れないが。

現在阿蘇にお住まいの方はとても大変だろうと察する。
何かできること、必要なことがあったら、支援もしたい。

火山はそれにしても、噴火するものであり、それを押しとどめる力を現在のところ、そして私が生きている間は持たないままだろう。

であるとするならば、どうやって付き合っていくか、の準備と覚悟が大切になる。
覚悟だけではいけないだろうし、準備をしていれば対応しきれる、というものでもない。

東日本大震災と原発事故以降、災害について(考えても仕方の無いかもしれないようなことまでふくめていろいろと)考えるようになった。

阿蘇の噴火がどうか被害を大きくせずに収まってくれることを心から祈る。

同時に、それでもその火山列島の中で生きていくのが日本だ、ということも改めてつくづくと思う。津波も噴火も長い期間を取って観れば避けられない。

私たちの自然観、人生観にそういうことが影響を与えているのかいないのか。



読むべし『小さな革命・東ドイツ市民の体験』ふくもとまさお

2015年09月15日 16時18分43秒 | メディア日記
『小さな革命・東ドイツ市民の体験』ふくもとまさお 言叢社刊

ひさしぶりにページを繰るたびに感情の波が押し寄せてくるノンフィクションを読んだ気がする。
必読の一冊。

「ドイツ統一」 

と五文字で済ませてしまうことができない、かつての東ドイツの人々の生活とその激変ぶりが丁寧に語られていく。

大上段からドイツ統一のドラマを語ったものでもないし、その問題点を政治や経済の視点で分析したものでもない。

基本的にはベルリンの壁崩壊からドイツ統一を経て今日に至るまでの 「東ドイツ市民」のインタビューで構成されている。

この本を読むまで、「東ドイツ」に対しては秘密警察が生活を統制していた 「東側」というイメージしか持っていなかった。

だから、東西ドイツが統一されてよかったね、といった脳天気なイメージというほどではないにしても、ベルリンの壁崩壊のエピソードとか、せいぜい文中にあった映画『グッバイレーニン』のイメージが辛うじてあるだけだ。

実際にその大きな

「世界史的事件」

を、市民はどう受け止め、どう生きたのか、その息遣いが伝わってくる労作である。

日本人としてこの本が読めることをとてもうれしく思う。

二つの全く異なる政治体制を生きた人々(市民)の声を聴くことは、今の日本に生きる自分にとって、大きな意味がある、と感じた。

ちょっとピントが甘くなる表現なのを自覚しつつそれでも書いておくとすれば、 日本もようやく今になって、この失われた20 年(もしくは戦後70年)の時を隔てて、東西ドイツの統一が抱えていた課題と向き合おうとしているのではないか?

そんな思いすら抱かされる。

ぜひ手にとってご覧になることをお薦めしたい。