龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

8/1(土)エチカ福島第5回を開催します。

2015年07月28日 22時43分32秒 | 大震災の中で
エチカ福島第5回 ワークショップ開催のご案内です。
よろしかったらぜひご参加ください。



お問い合わせはこちら。
エチカ福島Gmailアドレス
ethicafukushima@gmail.com
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テーマ
「教師の仕事を考える」
 ー教育の課題と可能性を福島で探るー

日時 2015年8月1日(土)13:30~16:30

場所 福島大学 M2教室

参加費 無料

日程
  13:00開場
  13:30趣旨説明
  13:45 報告1「地域に根ざした教育」 
  14:25 報告2「教育の湧き出る場所」 
  15:10 全体討議

参加者 どなたでも(大学生・高校生も大歓迎です。大学見学代わりに、あるいは教職のネタ準備にご利用ください)

参加申込み 不要です。当日ふらりとおいでください。

テーマ設定の趣旨

 教育は私たちにとって身近でありながら、何十年も前からの制度に縛られていたり、成果を手にするのが10年20年後だったりそします。それぞれの違いを尊重する場所でもあり、同時に共同性をはぐくむ場所でもありましょう。個人の自由と社会の公共性をどういう次元で出会わせていくか、も大きな課題です。

 エチカ福島では、今後<教育編>として、教育の課題と可能性を継続的に考えていく予定です。

 今回はその<教育編第1回>として、「地域教育」と「特別支援」の実践をしている公立学校の先生をお呼びし、現場からの報告をいただいた後で、そのことについてフロア全体で討議していきたいと考えています。
 お二人の実践は東日本大震災や原発事故と直接の関係はありません。
 けれども、それぞれがここに「違い」を抱えたまま分断線を生きる経験と、同時に共同性・ネットワークの再構築をこの大震災以後に経験してきた私たちにとって、「地域」について考えること、個々の違いに応じた「支援」を考えること、は教育の今日的課題であると同時に、福島の「今」を生きる上で避けて通れない課題でもありましょう。

後半話し合いの時間も十分取ってあります。
ぜひよろしかったらご参加ください。高校生・大学生・一般の方・現職の教員、どなたでも大歓迎です。

正直な話、現場の実践について、技術論・方法論・制度論や社会的視点ではなく、じっくり教育の根本からさかのぼって考えてみる機会は、現場の教師でもそうあるわけではありません。

いやむしろ、現場にいるからこそ、目の前の授業やイベント、事務や部活動などに忙殺されて、日常の繰り返しの中に埋もれてしまっているのが実情かもしれません。

夏休みの土曜日、ゆっくりじっくり「教育」とかを、他の人のお話を聞きながら考えたり話したりしてみませんか。

お待ちしています。

エチカ福島 共同代表 島貫 真

問い合わせはこちらへ。

エチカ福島Gmailアドレス
ethicafukushima@gmail.com

以前のイベントについては
こちらへ。

http://kitsuneinu.jugem.jp/

細田守『時をかける少女』をTVで観て、びっくり!

2015年07月24日 03時42分20秒 | メディア日記
先日TVで放映されたアニメ版『時をかける少女』を、ソニー製のレコーダーと連動してスマホ転送ができるソフトがあったので、試しにやってみたのだが、その環境自体は快適だった。

びっくりしたのはそのストーリー。
「え、こんな話の展開だったけ?」
と、驚きを通り越してあきれるほどほぼ何も覚えていないに等しかったのだ。
いくら記憶は曖昧なものだといっても、主人公がタイムリープできるようになった切っ掛けも忘れていたし、その「安易な」タイムリープが周囲に与える影響の描写も覚えていなかった。
さらには、重要なモチーフになる踏切事故がどんな形でクライマックスに用いられるのかも忘れていた。

つまりは、ほとんど覚えていなかったということになる。

すみません、作品の感想じゃなくて。

最近推理小説やテレビドラマなどでも、途中まで読んだり観たりしてから、

「あれ、これって読んだ(観た)ことがあるかも……」

となることが多くなってきたのは確かだ。

しかし、どちらかといえばお気に入りの映画だったはずのものが、これほど杜撰な記憶にすり替わっているとなると、全ての「印象」はみせかけのものかもしれない、というSFじみた(いやいや、還暦近い脳みそとしてはきわめてリアルな?)感慨を抱かされる。

ちなみに『時をかける少女』はNHKドラマと、大林宣彦監督の映画版と、このアニメ版を観ているが、大林版とアニメ版の違い(前者の主人公が叔母として後者に出てくる)違いは分かっているつもりだった。しかし、あらため考えてみると、NHKドラマと映画版の違いはまったく覚えていない。

全てのものは何も分からなくなっていくのだろうか……。うちの祖父は司馬遼太郎を寝床で読みながら

「1冊あれば足りるんだ。途中で眠ったら、また次の日同じところから読めばいいんだからな」

と笑っていたが、かなり笑い事ではない。

この忘却が本格的に始まる50代こそが、瞬間的に花火のような「本質理解」をもたらす、というのが私の仮説(笑)なのだが、そういう意味では私の「本質理解」からは遠いストーリーだった、ということになるのだろうか。
タイムリープという概念を丁寧に説明しているところが私の「忘却エンジン」からいえば「無駄」だったのだろう。

断っておきますが、いうまでもなくこれは作品批評でも作品批判でもありません(誰もそんなことは考えないか)。

私の身体がこのアニメ版『時をかける少女』という気に入っているはずの映画の、ストーリー部分は取りこぼしていた、ということが驚きでもあり、面白くもあった、というだけの「ボケ話」です。

「ふるさと納税」をやってみた。

2015年07月23日 21時40分53秒 | 社会
知人に勧められて、 「ふるさと納税」なるモノをやってみた。

ふるさと納税とは、自由に自治体を選んで寄付をすると、住民税と所得税が減額や還付される、ということだとざっくり理解しているが、本当のところはよく分からない。(笑)

実行したのに中身がよく分かっていないから、なんとなく居心地が悪い。

年寄りが、新しいお店に連れて行かれて、座り方や注文の仕方が分からなくてモジモジするのと同じようなものか。

とにかく全国の自治体から任意の一つを選び、そのに寄付をすると、お礼の品がもらえると勧められた。

マルチ商法の人集め&無料景品配布と同じような居心地の悪さがある。

また、税金を払ってモノを貰うというのもなんだか潔くない気もする(笑)

とにかく寄付をすると、その自治体が地元産品を贈ってくれるわけだが、まあ考えようによっては、その自治体にマルッとお金が落ちているわけで、下手にお役所が使うよりよかったりもするのかもしれない、とも思ってみたりする。

そしてびっくりすることに、世の中には
ふるさと納税用のポータルサイト
が立ち上がっているのだった。

私が利用したのは

「ふるさとチョイス」

知り合いは
「さとふる」
というのを使ったらしい。

なんだか 「後ろめたい」というか、なんだか間違ったことをしているというか、いまだに釈然としない。

たぶん、寄付のお礼の品をただショッピングのように選んでいるのが 「納税行為」のイメージと対極的だから、かもしれない。

納税というよりは、

「その土地に観光しにいけばお金が落ちるから、結果として地域のためにもなってるよね」

という感じに近い。そういう活動をする人は 「奨励」として税の減免がありますってことなんだろうね。

まだいうか、って感じかもしれないけれど、個人的には高速道路の低料金化の方が納得なんだけどなあ。

結局、私自身まだほんとうに 「ふるさと納税」をやったのかどうか半信半疑である。

クレジット支払いは間違いなく行った。

それでいいじゃないか、という気も、ちょっとしている。

貧乏性というか、 「経済」の動きに身体がついていけてないんだなあ。

どこの自治体かって?

二つは訪ねたことのある場所です。
 
もう一つはお礼に惹かれました(笑)。
でも、行ってみたいところですよ。

老後に住んでみたい阿蘇と弘前は、今回はパスでした。

近藤史恵の自転車小説を立て続けに読んだ。

2015年07月18日 11時01分27秒 | メディア日記
『サクリファイス』以後遠ざかっていた近藤史恵の自転車小説を立て続けに読んだ。

『エデン』『キアズマ』『サヴアイヴ』の三作。

自転車競技のことなどほとんど知らないのに、このシリーズを読んでいるとあたかも自転車に乗ってレースをしているような錯覚を覚える。
ツール・ド・フランスの中継ですら、たった1シーズン、しかも一週間足らずテレビで流れているのをなんとなく見続けたことがある程度。日本の競技はテレビでさえ見た記憶がない。

知り合いに何人か自転車好きはいるけれど、1日に100キロ単位で走る人の気が知れない、と思っていた。

だが、地方の山間にある盆地に住んでいたため、小学校から高校まで、雪がひどいとき以外はほぼ毎日自転車に乗って移動していた記憶がある。
だから、疾走する爽快感は身体が記憶していたのだろうか。

近藤史恵の小説を読み始めると、その感触が体の内側から蘇ってきて、疾走感と共に読み切ってしまった。
 このシリーズに限ってのことかどうかわからないが、この人のお話は、身体感覚を伴った葛藤という特徴がある。それは自転車レースが繊細で神経戦を強いられる団体競技で(も)ある、という性質がもたらすものというより、この作家の美質が適切な素材と素材と出会ったというべきなのかもしれない。

とにかく自転車に興味があるかどうかの別なく、お勧めの本。なんとなく夏に相応しい感じもしますし(^_^)

マンガ『その女、ジルバ』(有間しのぶ)がいい味。

2015年07月15日 20時29分49秒 | メディア日記
アラサー女子(奥様)に薦められて読んだら、これがなかなかいい味。
作者は会津若松出身らしく、帰省先とかに福島がちょくちょく出てきてそれにも親近感。

100年前のブラジル移民の話と、戦後の厳しい時代、そして震災後の今が、平均70代以上の老嬢たちと老マスターがいる店「 BAR OLD JACK&ROSE」でさりげなく響き合い、出会い直していく。
題名の「ジルバ」は、家族で移民したブラジルから帰ってきて、戦後の混乱期をダンサーとして息抜き、40代で自分たちの店を持った女性。

とっくに亡くなっていて、写真(もちろんマンガですが)でしか登場しない「ジルバ」が、100年の時を超えて人と人とを出会わせていくお話。

狂言回しは、40歳独身でスーパーに勤める笛吹新(うすいあらた)。
「人生の残高がマイナスのまま」
とうらぶれていく自分を感じているときに、件のバーのホステス募集(時給2000円)のチラシを見て、お年寄りたちが元気に営む不思議な「オババ」バーの新米として働くことになる……。

というオープニング。

エピソードの一つ一つに派手さはない。むしろ淡々と少しだけ暖かくなるお話が続いていく。

いい感じです。テンポがゆっくりなのが安心するなあ。

二巻目も買わなければ。しかしこのペースだと、ストーリーの大きな展開は望めないかも。それがまたいい味、かもしれませんね。





本deてつカフェ@ふくしま『はじめての福島学』開沼博氏を招いて編の感想

2015年07月14日 20時45分15秒 | 大震災の中で
Facebookに書いたけれど、メモ代わりにこちらにも転写しておきます。

開沼博さんを招いてのてつカフェふくしま
『はじめての福島学』
本deてつがくカフェの感想。
いろいろ面白かったです。
正直、それぞれのコトバを受け止め、噛み合わなさをじっくり味わいながら考えていくてつカフェの流儀と、開沼博さんの考えている? 「社会学のゼミ」的なイメージの齟齬が、今回は今ひとつ豊かに機能しきらなかった感じはありました。
もどかしさがなかったとはいえません。
「もっと開沼さんとガツンとやりとりしたいぜ」
という思いと、
「おいおい開沼さん、ここはてつカフェであんたのゼミじゃねえし」
という思いの葛藤、というか。
でも、
開沼さんが最後に吠えていた
「福島のレベルはこんなもんか。東京でやればもっと充実する。ここに今日きた人がもしゼミ生だったら潰してます」 
という挑発は、てつカフェと社会学の接近遭遇としてとても面白かったです。この本の 「敢えてする挑発」を、著者が参加者にも直接一発かます、ということだったのでしょう。
確かに、開沼博を福島のトップランナーとして走らせておいて、ないものねだりをするのはどうかと思います。 「お前たち、やることやれよ」というメッセージは感じました。
一般に、著者を前にすると
質問コーナー→自説の開陳→無い物ねだり
という流れにになりやすい。
そういう意味では、てつカフェ@ふくしまらしく、最後まで概ね場が抑制的にコントロールされていて良かったんじゃないかなあ。
以下は個人的な思い。
私たちは個人として 「物語」を生きるものだし、愚かな感情に振り回されもする。そういう風にできてもいる我々が、なお 「思考」し続けるとしたなら、人称を経由しないもしくはそれ以前のところにアプローチしていかねばなるまい、と私は見ている。
開沼博という名前を持つテキストと人物との出会いが、どんな形で私たちがこの福島に生きることとつながっていくのか、答えはもう少し先にある、と感じる。
『はじめての福島学』は、そのロイター板(ふみきりばん)のようなモノかもしれないなあ。
データの提示はありがたかったが、
「福島へのありがた迷惑12箇条」はいささかしつこいし、読後感も悪い。煽りというか釣りというか、実に賢い人のプライベートなクソブログを読んだ感じ。
それをあえて 「公共空間」に出すことの 「プロレス効果」をどう受け止めるか。
ずっとこの感じだとつらいっす。
釣りや煽りはそれとして、さてではどうする?というリアクションが要請されていると受けとめた。
私は
8/1、エチカ福島第5回
で考えるよ、というのがとりあえずの応答。社会学の学問的成果は尊重するけど、 「あおり」の戦略はテキストの領域だから、そうそう素直には受け取らない。
感想を書かずに帰ってしまったので、メモ代わりに書いちゃいました。

とにかく、参加して良かったです!


追伸
開沼博氏と上野千鶴子氏の対談がここに。

https://cakes.mu/posts/9323

荻上チキ氏と開沼博氏の対談はこちら

http://www.netapod.com/2015/04/blog-post_22.html


ネットの烈風吹きすさぶ中で4年間フクシマのイメージと向き合ってきた開沼氏の立ち位置はリスペクトに値すると思う。

まあだが、『はじめての福島学』のスタイルはこれだけで勘弁して欲しいところ。

正直、このスタイルだとしまいにお金を払いたくなくなっちゃう。まあ、それも織り込み済みってことになるんだろうか。

そのあたり、本人が織り込み済みならいいってもんでもないだろう、と言ってみたくもなるけれど、それは一〇年後ぐらいに取っておくべきなんだろうね。

どこまで歩いていってくれるのか、待ちます。だって、私には歩けない道だから。開沼氏は開沼氏のやり方でいくんだろう。
誰かがやらなくちゃならない。よろしく頼む。


私は私のやり方でもうすこしぐずぐずしてみるよ。


本deてつカフェ@ふくしま『はじめての福島学』開沼博氏を招いて編の感想

2015年07月14日 20時45分15秒 | 大震災の中で
Facebookに書いたけれど、メモ代わりにこちらにも転写しておきます。

開沼博さんを招いてのてつカフェふくしま
『はじめての福島学』
本deてつがくカフェの感想。
いろいろ面白かったです。
正直、それぞれのコトバを受け止め、噛み合わなさをじっくり味わいながら考えていくてつカフェの流儀と、開沼博さんの考えている? 「社会学のゼミ」的なイメージの齟齬が、今回は今ひとつ豊かに機能しきらなかった感じはありました。
もどかしさがなかったとはいえません。
「もっと開沼さんとガツンとやりとりしたいぜ」
という思いと、
「おいおい開沼さん、ここはてつカフェであんたのゼミじゃねえし」
という思いの葛藤、というか。
でも、
開沼さんが最後に吠えていた
「福島のレベルはこんなもんか。東京でやればもっと充実する。ここに今日きた人がもしゼミ生だったら潰してます」 
という挑発は、てつカフェと社会学の接近遭遇としてとても面白かったです。この本の 「敢えてする挑発」を、著者が参加者にも直接一発かます、ということだったのでしょう。
確かに、開沼博を福島のトップランナーとして走らせておいて、ないものねだりをするのはどうかと思います。 「お前たち、やることやれよ」というメッセージは感じました。
一般に、著者を前にすると
質問コーナー→自説の開陳→無い物ねだり
という流れにになりやすい。
そういう意味では、てつカフェ@ふくしまらしく、最後まで概ね場が抑制的にコントロールされていて良かったんじゃないかなあ。
以下は個人的な思い。
私たちは個人として 「物語」を生きるものだし、愚かな感情に振り回されもする。そういう風にできてもいる我々が、なお 「思考」し続けるとしたなら、人称を経由しないもしくはそれ以前のところにアプローチしていかねばなるまい、と私は見ている。
開沼博という名前を持つテキストと人物との出会いが、どんな形で私たちがこの福島に生きることとつながっていくのか、答えはもう少し先にある、と感じる。
『はじめての福島学』は、そのロイター板(ふみきりばん)のようなモノかもしれないなあ。
データの提示はありがたかったが、
「福島へのありがた迷惑12箇条」はいささかしつこいし、読後感も悪い。煽りというか釣りというか、実に賢い人のプライベートなクソブログを読んだ感じ。
それをあえて 「公共空間」に出すことの 「プロレス効果」をどう受け止めるか。
ずっとこの感じだとつらいっす。
釣りや煽りはそれとして、さてではどうする?というリアクションが要請されていると受けとめた。
私は
8/1、エチカ福島第5回
で考えるよ、というのがとりあえずの応答。社会学の学問的成果は尊重するけど、 「あおり」の戦略はテキストの領域だから、そうそう素直には受け取らない。
感想を書かずに帰ってしまったので、メモ代わりに書いちゃいました。

とにかく、参加して良かったです!


追伸
開沼博氏と上野千鶴子氏の対談がここに。

https://cakes.mu/posts/9323

荻上チキ氏と開沼博氏の対談はこちら

http://www.netapod.com/2015/04/blog-post_22.html


ネットの烈風吹きすさぶ中で4年間フクシマのイメージと向き合ってきた開沼氏の立ち位置はリスペクトに値すると思う。

まあだが、『はじめての福島学』のスタイルはこれだけで勘弁して欲しいところ。

正直、このスタイルだとしまいにお金を払いたくなくなっちゃう。まあ、それも織り込み済みってことになるんだろうか。

そのあたり、本人が織り込み済みならいいってもんでもないだろう、と言ってみたくもなるけれど、それは一〇年後ぐらいに取っておくべきなんだろうね。

どこまで歩いていってくれるのか、待ちます。だって、私には歩けない道だから。開沼氏は開沼氏のやり方でいくんだろう。
誰かがやらなくちゃならない。よろしく頼む。


私は私のやり方でもうすこしぐずぐずしてみるよ。


『リスクの神様』(フジTVのドラマ)が面白い。

2015年07月08日 22時45分43秒 | メディア日記
今日初回のフジテレビ系ドラマ『リスクの神様』がことのほか面白い。
危機管理っていうテーマがタイムリーだし、役者がなんといっても魅力的だ。

堤真一、新感線の芝居の時よりずっとかっこいい。単なる二枚目(半)って思っていて済みません。

戸田恵梨香は元々好きだったけれど、これも良い味が出ている。

小日向文世(愛してる!)や志賀廣太郎(大好き!)や吉田鋼太郎(人気ですね)などの脇役もすばらしい。

なんでこんなキャストが成立したのか。
役者を観ているだけで楽しくなる。

戸田恵梨香が失脚するところから始まる第一話の導入も楽しいしね。

感触が良い芝居を観ている感じに近いなあ。

あんまりドラマをリアルタイムで観ないんだけれど、こりゃ続けてみなくちゃ。

第5回エチカ福島を開催します

2015年07月01日 03時26分28秒 | 大震災の中で
エチカ福島第5回 ワークショップ開催のご案内です。
よろしかったらぜひご参加ください。



お問い合わせはこちら。
エチカ福島Gmailアドレス
ethicafukushima@gmail.com
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テーマ
「教師の仕事を考える」
 ー教育の課題と可能性を福島で探るー

日時 2015年8月1日(土)13:30~16:30

場所 福島大学 M2教室

参加費 無料

日程
  13:00開場
  13:30趣旨説明
  13:45 報告1「地域に根ざした教育」 
  14:25 報告2「教育の湧き出る場所」 
  15:10 全体討議

参加者 どなたでも(大学生・高校生も大歓迎です。大学見学代わりに、あるいは教職のネタ準備にご利用ください)

参加申込み 不要です。当日ふらりとおいでください。

テーマ設定の趣旨

 教育は私たちにとって身近でありながら、何十年も前からの制度に縛られていたり、成果を手にするのが10年20年後だったりそします。それぞれの違いを尊重する場所でもあり、同時に共同性をはぐくむ場所でもありましょう。個人の自由と社会の公共性をどういう次元で出会わせていくか、も大きな課題です。

 エチカ福島では、今後<教育編>として、教育の課題と可能性を継続的に考えていく予定です。

 今回はその<教育編第1回>として、「地域教育」と「特別支援」の実践をしている公立学校の先生をお呼びし、現場からの報告をいただいた後で、そのことについてフロア全体で討議していきたいと考えています。
 お二人の実践は東日本大震災や原発事故と直接の関係はありません。
 けれども、それぞれがここに「違い」を抱えたまま分断線を生きる経験と、同時に共同性・ネットワークの再構築をこの大震災以後に経験してきた私たちにとって、「地域」について考えること、個々の違いに応じた「支援」を考えること、は教育の今日的課題であると同時に、福島の「今」を生きる上で避けて通れない課題でもありましょう。

後半話し合いの時間も十分取ってあります。
ぜひよろしかったらご参加ください。高校生・大学生・一般の方・現職の教員、どなたでも大歓迎です。

正直な話、現場の実践について、技術論・方法論・制度論や社会的視点ではなく、じっくり教育の根本からさかのぼって考えてみる機会は、現場の教師でもそうあるわけではありません。

いやむしろ、現場にいるからこそ、目の前の授業やイベント、事務や部活動などに忙殺されて、日常の繰り返しの中に埋もれてしまっているのが実情かもしれません。

夏休みの土曜日、ゆっくりじっくり「教育」とかを、他の人のお話を聞きながら考えたり話したりしてみませんか。

お待ちしています。

エチカ福島 共同代表 島貫 真

問い合わせはこちらへ。

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以前のイベントについては
こちらへ。

http://kitsuneinu.jugem.jp/

第5回エチカ福島を開催します。

2015年07月01日 03時25分50秒 | 大震災の中で
2015年8月1日(土)福島大学M2教室で
「教師の仕事を考える」
というワークショップを開催します。

どなたでも無料で自由に参加できます。
これから教職を志す大学生・高校生の方にもぜひ。

報告者は小中学校の現役教諭です。第一線で活躍している方の報告を踏まえ、教育の課題と可能性をじっくり考えたいとな思います。
今回のポイントは
「差異(ちがい)と共同性(つながり)」

詳しくは下のパンフレットを。