シラスに登録してみた。
詳細は
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000034496.html
東浩紀が作った(現在代表はは別)ゲンロンによる生中継、「ゲンロン完全中継チャンネル」の配信コンテンツとして「シラス」が誕生した。
1本800円(税別)で3h~の対談や鼎談の中継を観ることができ、終了後も半年間は自由に繰り返し視聴できる。
月額見放題は「ゲンロン完全中継チャンネル」については6,000円(税別)
高いか安いか受け取る人によるのだろう。
こんなことを言うとしゃらくさい話、といわれるのかもしれないが、私個人としては高くない、という印象だ。
比較が適切かどうか分からないが、都心のカルチャーセンター(朝カルなど)でも、それこそゲンロンカフェのトークイベントでも、1回数千円はかかる。田舎から交通費と時間をかけて出ていてイベントに参加すれば、1回10,000円は下らない。
地元で読書会(カフェロゴ)の読書会に参加したり、エチカ福島というイベントを開催したりとかしてもいるが、なかなか気軽にこういったコンテンツに触れるのは難しい。ましてやこのコロナ禍ではなおさらだ。
そんな中で、1本800円で人文系トークコンテンツを視ることができるのは結構ありがたいと思う。月6,000円も高くはない。
今までのことを考えれば、2本視聴すれば十分元が取れる計算になる。
そして結構大事なのは、自分だけで考えていては得られない視点や課題の切り口をいくつも見せてもらえる点だ。
100万人~1000万人単位のマスを対象としたテレビのコンテンツでもなく、都心に行かなければ触れられないイベントでもなく、こういうプラットフォームで「文化的」にコアなトークコンテンツが配信されていくのは歓迎したい。
たとえば、今日視聴した
飯田泰之×井上智洋「経済学は格差をどのように捉えてきたかーーコロナショックとこれからの世界経済」(2020年11月24日放送)
では、「格差」の問題を経済学の側から見るとどうなるかという話をたっぷりと聞くことができた。
先日読んだ
『時間かせぎの資本主義』W・シュトレーク
は、現代資本主義の課題についての事情をよく整理してくれている好著だと(素人としては)感じていたものの、二人の経済学者のトークで改めて「格差」について論じているのを聞いていると、そうか、そういうことだったのか、と腑に落ちることが多くなる。
一人で本を読むのも面白いが、その上で話を聞くともっと面白くなる。
また、一昨日視聴した
伊藤剛×斎藤環×さやわか「『鬼滅の刃』と少年マンガの新情勢――竈門炭治郎の優しさと強さが伝えるもの」
は、典型的な「流行り物」についてのヲタクな議論満載だったけれど、居酒屋でものをよく知った友人の話を聴きながら酒飲みをしつつときに突っ込みを入れる愉しさが味わえたような気がした。
さらに、先週視聴した
國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか――原子力と中動態をめぐって」【『ゲンロン11』刊行記念】
でも、國分さんの関心である責任の話(そして近著である『責任の生成』で展開される欲望形成支援の話)と東さんの関心である動物的な悪とが交差するところで議論が展開していくのがとても面白かった。
1ヶ月にこれだけのコンテンツを味わえれば、得をした気分になれる。
有料にこだわった、という東浩紀の姿勢に共感すると同時に、これを実現したその「力」に敬意を表しておきたい。
あとはこれが「人文系」の発信を支えるプラットフォームとして(それなりの期間)機能してくれることを祈りたい。
複数のカテゴリーが立ち上がった時に、それをフォローするお金の余裕はないから、単発で購入することになるのか、チャンネルを選んで定期視聴することになるのか分からないけれど、Netflixの4倍お金を払っても、それだけの価値は(私にとっては)あると感じた。
ぜひ、続けてほしいと願う。
かつて井上光晴が『文学伝習所』を全国に作り、同人誌の合評をしたり小説の添削をしたり、文学論講義をしながら日本中を駆け回っていたことを思い出す。文壇の友人には「そんな暇があるなら小説を書け」と言われたり「文学が伝習できるのか」と揶揄されたりもしたと聞く。しかし、自分の手で自分の顧客を開拓し、教育し、掴んでいくというその姿勢を考えるとき、シラスとは違うけれど、人文系の文化資産を再生産していくシステムを構築しようとしているという点では、響き合うものがあるかもしれない、とも感じる。
「文化資産」もまた、決して無料で手に入るというものではない。自分がどんなスキルを持ち、どんな文化的関心を持ち、どんな形の「より良き生」を求めていくのかによって、求めるものも異なり、そのコストも違うだろうけれど、いずれにしても、人文系の文化資産を豊かにしてくれる場所、基盤の可能性を、今はこのシラスに見いだしてみたいと思う。
ただ、ばとりとめなく考えると「塾」のような形式なら、例えば中島義道、松岡正剛、内田樹(かれは道場、ですかね)、丸山健二など、を思い出す。
そういうものよりはシラスはもう少し通りに面して開かれたサロンに近いのだろう。
そこもいい。
サロンの談論に耳を傾けた後、自分の場所に戻ってさてではどうする?と考え、また動くのはそれもまた楽しい。
コロナ禍が一段落しないと、動きだすのは大変だが。
7年ほど続けてきた自分たちの(ささやかな)活動も、一昨日、今年度はイベントを開催しないと話し合って決定した。
居酒屋で友人としゃべりにくくなったのも辛いが、まあ仕方がない。
今は書斎で、あるいは職場の片隅でシラスを聞きながらいろんな視点やアイディアをもらっておこうと思う。
図書館に籠もって本を渉猟するのもまたよし、だ。
詳細は
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000012.000034496.html
東浩紀が作った(現在代表はは別)ゲンロンによる生中継、「ゲンロン完全中継チャンネル」の配信コンテンツとして「シラス」が誕生した。
1本800円(税別)で3h~の対談や鼎談の中継を観ることができ、終了後も半年間は自由に繰り返し視聴できる。
月額見放題は「ゲンロン完全中継チャンネル」については6,000円(税別)
高いか安いか受け取る人によるのだろう。
こんなことを言うとしゃらくさい話、といわれるのかもしれないが、私個人としては高くない、という印象だ。
比較が適切かどうか分からないが、都心のカルチャーセンター(朝カルなど)でも、それこそゲンロンカフェのトークイベントでも、1回数千円はかかる。田舎から交通費と時間をかけて出ていてイベントに参加すれば、1回10,000円は下らない。
地元で読書会(カフェロゴ)の読書会に参加したり、エチカ福島というイベントを開催したりとかしてもいるが、なかなか気軽にこういったコンテンツに触れるのは難しい。ましてやこのコロナ禍ではなおさらだ。
そんな中で、1本800円で人文系トークコンテンツを視ることができるのは結構ありがたいと思う。月6,000円も高くはない。
今までのことを考えれば、2本視聴すれば十分元が取れる計算になる。
そして結構大事なのは、自分だけで考えていては得られない視点や課題の切り口をいくつも見せてもらえる点だ。
100万人~1000万人単位のマスを対象としたテレビのコンテンツでもなく、都心に行かなければ触れられないイベントでもなく、こういうプラットフォームで「文化的」にコアなトークコンテンツが配信されていくのは歓迎したい。
たとえば、今日視聴した
飯田泰之×井上智洋「経済学は格差をどのように捉えてきたかーーコロナショックとこれからの世界経済」(2020年11月24日放送)
では、「格差」の問題を経済学の側から見るとどうなるかという話をたっぷりと聞くことができた。
先日読んだ
『時間かせぎの資本主義』W・シュトレーク
は、現代資本主義の課題についての事情をよく整理してくれている好著だと(素人としては)感じていたものの、二人の経済学者のトークで改めて「格差」について論じているのを聞いていると、そうか、そういうことだったのか、と腑に落ちることが多くなる。
一人で本を読むのも面白いが、その上で話を聞くともっと面白くなる。
また、一昨日視聴した
伊藤剛×斎藤環×さやわか「『鬼滅の刃』と少年マンガの新情勢――竈門炭治郎の優しさと強さが伝えるもの」
は、典型的な「流行り物」についてのヲタクな議論満載だったけれど、居酒屋でものをよく知った友人の話を聴きながら酒飲みをしつつときに突っ込みを入れる愉しさが味わえたような気がした。
さらに、先週視聴した
國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか――原子力と中動態をめぐって」【『ゲンロン11』刊行記念】
でも、國分さんの関心である責任の話(そして近著である『責任の生成』で展開される欲望形成支援の話)と東さんの関心である動物的な悪とが交差するところで議論が展開していくのがとても面白かった。
1ヶ月にこれだけのコンテンツを味わえれば、得をした気分になれる。
有料にこだわった、という東浩紀の姿勢に共感すると同時に、これを実現したその「力」に敬意を表しておきたい。
あとはこれが「人文系」の発信を支えるプラットフォームとして(それなりの期間)機能してくれることを祈りたい。
複数のカテゴリーが立ち上がった時に、それをフォローするお金の余裕はないから、単発で購入することになるのか、チャンネルを選んで定期視聴することになるのか分からないけれど、Netflixの4倍お金を払っても、それだけの価値は(私にとっては)あると感じた。
ぜひ、続けてほしいと願う。
かつて井上光晴が『文学伝習所』を全国に作り、同人誌の合評をしたり小説の添削をしたり、文学論講義をしながら日本中を駆け回っていたことを思い出す。文壇の友人には「そんな暇があるなら小説を書け」と言われたり「文学が伝習できるのか」と揶揄されたりもしたと聞く。しかし、自分の手で自分の顧客を開拓し、教育し、掴んでいくというその姿勢を考えるとき、シラスとは違うけれど、人文系の文化資産を再生産していくシステムを構築しようとしているという点では、響き合うものがあるかもしれない、とも感じる。
「文化資産」もまた、決して無料で手に入るというものではない。自分がどんなスキルを持ち、どんな文化的関心を持ち、どんな形の「より良き生」を求めていくのかによって、求めるものも異なり、そのコストも違うだろうけれど、いずれにしても、人文系の文化資産を豊かにしてくれる場所、基盤の可能性を、今はこのシラスに見いだしてみたいと思う。
ただ、ばとりとめなく考えると「塾」のような形式なら、例えば中島義道、松岡正剛、内田樹(かれは道場、ですかね)、丸山健二など、を思い出す。
そういうものよりはシラスはもう少し通りに面して開かれたサロンに近いのだろう。
そこもいい。
サロンの談論に耳を傾けた後、自分の場所に戻ってさてではどうする?と考え、また動くのはそれもまた楽しい。
コロナ禍が一段落しないと、動きだすのは大変だが。
7年ほど続けてきた自分たちの(ささやかな)活動も、一昨日、今年度はイベントを開催しないと話し合って決定した。
居酒屋で友人としゃべりにくくなったのも辛いが、まあ仕方がない。
今は書斎で、あるいは職場の片隅でシラスを聞きながらいろんな視点やアイディアをもらっておこうと思う。
図書館に籠もって本を渉猟するのもまたよし、だ。