龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

佐保姫の匂い袋

2011年02月24日 23時16分29秒 | インポート
夕方、二階から外階段を下に降りようとして表にでると、懐かしい匂いがした。

甘やかな、柔らかい春の女神の香りである。

気がつけば今日はもう雨水。
寒い寒いといって、コートの襟を立てていたのが嘘のようだ。
あんなに大雪があったのも、ついこの間なのに……。

それにしてもこの春風の甘い匂いは、どこからくるのだろう?
湿度?それとも温度?それとも花粉のにおい?

それがなにからくるのかは分からないけれど、子供の頃から知っている。
行ってきまーす、といって家の扉を開け、外に飛び出した瞬間に感じる季節の変化。「今日から春だ」と、子どもごころに独り決めする日が確かに存在していた。
最近、この国の将来を憂える言説には日々事欠かないけれど、胸一杯風を吸い込むだけでこんなに豊かになれるとしたら、私たちはもう少しゆっくり歩いたり考えたりしてもいいのかもしれない。


雨水(うすい)=寒さが緩み草木が芽吹く
季節。



伊豆の大渋滞

2011年02月16日 22時04分47秒 | インポート
この週末、箱根に行ってきた。箱根は雪の真っ只中。FRのロードスターは乗れないので、FFで。
いや、美術館とか空いてました。ルネ・ラリック美術館ってところに寄ったんだけれど、思いの外(失礼!)に充実していて、ゆっくり午前中ぼーっとしながらアール・ヌーボー&アール・デコのガラス器を堪能。
午後はサン・テグジュベリの博物館。
これも馬鹿馬鹿しいと思いつつ、けっこうまったり楽しみました。

まあ、箱根の雪は折り込み済みだったのですが、翌日はすっかり晴れて富士山も雲一つ無く堂々と姿をあらわしてくれたもので、これはもう大丈夫、と判断。伊豆半島ドライブに足を踏み入れたのが運の尽き。
伊豆は東側と西側の海岸線、および山間部の道、大きく分けると南北の道は3つしかないわけ。

で、雪は止んだけれど山間部の道は封鎖もしくはチェーン装着義務付け状態。
となると、午後首都圏戻りのクルマは、当然のことながら東側海岸線の道路に超集中。

いや……参りました……。
伊豆半島の真ん中東あたりにある伊東から常磐道入り口の三郷まで、なんと9時間。

あり得ない。ゴールデンウィークのど真ん中5月4日にディズニーランドに行ったときだって、入場待ちは4時間程度でしたよ。

規制でもないのに、そして道路には全く雪なんぞ欠片もないのに、9時間とは。

なんか、こういう忍耐の経験って、人格をどこかで不可逆的に変えるんじゃないかなあ、と思う。
我慢をしてルサンチマンを溜め込むっていうより、だんだん「笑える」ようになってくるのです。

強度の獲得っていう感じ、かなあ。
まあ、姑の嫁いびりみたいなルサンチマンのバトン受け渡しみたいなものは願い下げだけれど、ある意味「待つしかない」というか、どうにもならないことはガタガタ言わずに「待機」みたいなのも、たまには悪くないかも。

っていうか、そんな愚かなドライブ計画=無計画を実行に移すなって話だよねぇ。

でも、ふらりとでかけてみたいのです。とりあえず、どこまででも。


自分の中の既得権

2011年02月11日 00時58分14秒 | インポート
最初『日本の若者は不幸じゃない』(ソフトバンク新書)を読了した時はそれほど感じなかったが、しだいに自分は「正規雇用」=「既得権しがみつき」的な発想を無意識にしていたのかも、とじわじわ思いだした。

給料は右肩下がり→正規雇用の困難化→君たち若者はかわいそう…という大雑把な認識で若者を憐憫の目で眺め、しかも自分は当面安全なところにいて、実は一番失うことを恐れている。 既存システムの中にいる人は、その多くがそこで身動きがとれなくなっているんじゃないか。不自由なのはどっち?

で「年金開始年齢の先送りが」とか老後の心配ばかり。 ある面でそれは自分のことかもしれないと、改めて自戒しちゃいました。本当に既得権益がなくなるのは怖いのかもね。

ホントは、携帯を妻に踏まれたみたいなこと言わずに、新しい「相撲」を探しに行くほうがいいかも。一緒にしたら怒られるかなあ?

そしてこういう図式自体は、相撲さんだけの問題じゃないよねえ、どう考えても。

むしろ私自身の、既得権との闘いの問題です。

Twitterをぼんやりいじっていたら

2011年02月11日 00時49分03秒 | インポート
Twitterをぼんやりいじっていたら、あっという間に3時間ぐらい経っていた。その間にやったことはブログ更新2件、読書20ページ。
こんな調子じゃ人生いくら時間があっても足りなくなっちゃう、と一瞬思う。
でもじゃあ、時間をどんな風に使ったら有効活用なのかと改めて問い直してみると、結局毎日こんなもんかもしれない、とも。
ネットをうろうろ覗いているだけでも2、3時間はすぐ過ごせてしまう。ブログ更新できただけ今夜はましだったかもしれないのだ。

嘗て、25年ほども前のことになる。子育てに忙殺されていた時期、一年だけ単身になったその最初の一ヶ月は、仕事から帰ったあと毎晩毎日二冊づつコンスタントに本を読んでいた。

あの習慣が身についていたらもう少したくさん本が読めていたのに、と思うが、結局一ヶ月しか続かなかった。そういうものである。

こうやって三件目のブログ更新。
なんだかなあ(苦笑)





身内のお葬式が続く。

2011年02月07日 00時44分38秒 | インポート
人はいずれ死を迎え、ここから別のところに還っていく。

それが「あの世」なのか「自然」なのか「天国」なのか「西方浄土」なのかは分からないけれど、とにかくこの世界の地平を越えた向こう側、こちらからは手が届かない場所に誰もがいつかは旅立っていく。

それにしても、身近にそういうことが立て続けに起こると、こちらの精神の一部がいつのまにか「向こう側」に近いところに引き寄せられ、いつのまにかこちら側の魂が不安定になっていくようだ。

ここ最近、毎月のように親族が亡くなっている。こういう経験ははじめてのことだ。数が多い、ということが問題なのではないが、やはり連続するとダメージは深い。リタイアして20年以上過ぎた、80歳以上の年配の人が逝くのと、まだ現役の者が無くなるのとでもまた、ひと味違うだろう。

この週末は74歳と60歳の親戚だった。
白血病と動脈瘤破裂。
二人とも急なお迎えである。

90歳を過ぎた父親が、
「若い者が追い越していくなあ。順番が違うだろうに」
とショックを受けた様子で、
「今度こそは自分の番だよ」
と冗談とも本気ともつかぬことを言って笑う。

死それ自体を怖れる気持ちは、子どもの頃とか、青春期、あるいは子どもが幼かったころから比べると間違いなく薄れてきていると思う。
だからといって「死」が怖くないはずもないが、むやみに怖れて絶望するというようでもない。

日常にそういう「死」の気分が近しく漂ってくるのは必ずしも健康な状態とも言えないのかもしれないが。

年寄りを送り出してしまうまでは生きていなければならない、とは思うが、その後いつまでも長生きしたい、とは思わない。苦しまずに死ねれば、と漠然と思うばかりだ。
しかし、そんなことは宝くじが当たれば、というのと同じ根拠のない話で、実際にそうなってみなければ分からない。

ただ、身近な人の死を連続して体験すると、そういうことが自分の身にも起こるのだ、と想像力を働かせずにはいられなくなる。

もうすぐ80になる母は
「そうやって身近な人がどんどんなくなってお葬式を重ねていくうちに、みんな行く道だ、と思って次第に怖くなくなるものなのかね」
と葬式帰りに呟いた。

身近な人に突然死なれてしまうと、残された者の心にその人の元気な印象がずっと残り、いつかどこかでひょっこり還ってきそうな気がしてしまう。

死者と共に生きる、なんて「文学的表現」に過ぎない、と今までは思っていたけれど、そういう想像力は、極めてリアルな「現実」なのかもしれない、と思い始めている。

それこそが、「死」の側に精神の幾分かを引き寄せられている証拠、なのかもしれないが。