『タイタンの戦い』 ~巨大サソリと旅をする・・・

2010-05-13 12:00:00 | 映画&ドラマ


 昨夜は、『タイタンの戦い』の記事を殆ど書き終わった時点で文章を飛ばしてしまいました。今までの時間は何だったのでしょう? 本当に腹が立ちます。いや、それ以上に疲労がどっと押し寄せてきました。これ上雑巾頭を絞ったところで何も出てこないだろうから、ベッドに上がって寝てしまいました。
 一晩明けて、『タイタンの戦い』の感想を綴ろうと思うのですが、いつになく気力が湧いてきません。映画はかなり熱かったのに・・・。

 ギリシア神話の神々や魅力的な怪物たちが出てきた『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』。監督のクリス・コロンバスは、ADHD(注意欠陥/多動性障害)で難読症と診断された息子との対話の中から生まれた原作小説を難読症の娘に薦められて読み、デミゴッド(半神半人)の主人公が難読症(トム・クルーズもその一人らしい)に苦しんでいるという設定に惹かれ、難読症の子供たちを力づけてあげたいとの想いから映画化しようという気持ちになったそうです。完成した作品は、自身が監督した「ハリ・ポッター」シリーズの1&2作と同じ「少年の成長物語」でした。
 「X-MEN」シリーズの監督ブライアン・シンガーも、超能力者をスーパーヒーローとして描くのではなく、少数であるがゆえに普通ではないと差別される異形の者として描いていますが、コロンバスの視点はシンガーほど深くなく、『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』の肝心な部分が薄められてしまって、「醜いアヒルの子」と同じ話になってしまったのが残念です。でも、中学生になったばかりの頃に見たならば、「自分も、もしかしたらデミゴッドかもしれず、いつか白鳥になるんだ」と、大いに感動したかもしれません。結局は、ただのニワトリだったのですが・・・。

 『タイタンの戦い』の主人公のペルセウスには、「白鳥になりたい」という気持ちはさらさらありません。自分の出自を告げられたペルセウスは、神になることも英雄になることも断固拒否し、自分を育ててくれた両親と同じように人間(アヒル)として生きることを選択します。そこがオリジナルのペルセウス(ギリシア神話と、1981年に製作された『タイタンの戦い』のペルセウス)と全く異なる点です。1981年のペルセウスは、パーシー・ジャクソンのように悩むこともなく、自分がデミゴッドであることをむしろ誇りに感じていました。神々の力を借りなければ使命を果たすことができないことを知っているし、自分の欲望や野心を達成するためにその力を積極的に利用します。今回のペルセウス(サム・ワーシントン)は坊主頭からして異色ですが、意地でも神の力など借りるものかと、むきになるところに共感を覚えました
 1981年のペルセウスはアンドロメダ姫に一目惚れして、こともあろうに「隠れマント」を使って寝室に忍び込むストーカーまがいの行動に及びますし、怪物クジラ(特撮監督のレイ・ハリーハウゼンは、自身が生み出した怪物イオーと大ダコを合体させクラーケンを創造)を退治した後は晴れて姫と結ばれ国王となります。でも、2010年のペルセウスは、彼女の美しさや彼女のバックグラウンド(財産や地位)に見向きもせず、あっさり彼女のもとを立ち去るのです。20世紀には美徳ともされた数々の欲望に対して全く無関心である点が、21世紀の英雄の要件かもしれません。


男汁たっぷりなペルセウス(サム・ワーシントン)と、

それ故、出番のなくなったブーボー


 さて、オリジナルの『タイタンの戦い』も、ギリシア神話のペルセウスの冒険とは少々異なっていて、レイ・ハリーハウゼンが創り出したクリーチャーが縦横無尽に動き回るスペクタクル映画でした(人間くさいギリシア神話の神々をローレンス・オリヴィエ=ゼウス、マギー・スミス=女神テティス、ウルスラ・アンドレス=美の神アフロディーテなどが演じていますが、彼らの方が添え物で、ウルスラ・アンドレスに至っては単に立っているだけ! たいそうがっかりしたものです)。
 先に述べたように、2010年の『タイタンの戦い』は、ペルセウスに関しては全く異なっているのですが(ついでにいうと、1981年のペルセウスは間抜け面でした)、視覚効果を担当した特撮の神様=レイ・ハリーハウゼンに最大限の敬意を払っています。監督のルイ・リテリエ自身が、世界中の映画ファンや映画人を魅了したレイ・ハリーハウゼンの大ファンで、監督が決まる前に彼と会って色々な話を聞かせてもらっていたそうです。その意味で、全編が彼へのオマージュになっています。
 最新のCGXが使われていますが、ハリーハウゼンが動かしたクリーチャーたちと同じようなフリッカー(=ちらつき。ハリーハウゼンはストップ・アニメーションでひとコマずつ人形を動かしたので、実写と合成するとカクカクした動きが出る)をわざと加えるマニアックな演出までしています。ハリーハウゼンが独自に考えた蛇の胴体を持ち矢を射るメデューサや、巨大サソリが出てきたときは、座席から飛び上るほど喜びました。しかもこのメデューサ、ユマ・サーマンのメデューサより色っぽかった~♪

 至るところでハリーハウゼンに言及しながら、2010年のペガススは何と黒馬だったり、ルイ・リテリエらしさが(ペルセウスの改変同様)随所に見られる点が面白く、その中でも、『スター・ウォーズ』のR2D2&C3POに相当するコメディリーフとして登場したロボットオウムのブーポー(知恵の象徴として自分の肩に止まっているオウムをペルセウスの元へやるようゼウスから命じられた女神アテネが、そんなことはできないと憤慨して、鍛冶の神ヘファイストスに造らせた機械仕掛けのオウム)が、2010年度版では「こんなものは役に立たない」とガラクタ箱に入っているあたりがとても可笑しくて、憤慨した人もいるかもしれませんが、「ルイ・リテリエはビーボーのことが大好きなのだ」と思ったものです。
 双頭の魔犬(ギリシア神話に登場する魔犬ケルベロスは三つ首ですが、頭が三つあるとうるさいとしてハリーハウゼンが双頭に変えた)や巨大禿鷹など、泣く泣く割愛されたクリーチャーがいる代わりに、怪鳥ハルピュアイをたくさん飛ばし、巨大サソリをさらにスケールアップさせるなど、ハリーハウゼンのファンにはたまらない一品に仕上げてくれました。
 こうなると、続編をぜひ作って、今回登場しなかった骸骨兵士や、ひとつ目の巨人サテュロスにも登場願いたいところ。帰宅後は、1981年の『タイタンの戦い』を見ずにはいられなかったのですが、21世紀になって、かつての子供たちがハリーハウゼンに恩返しをするときを迎えているのでしょう。そして新たな子供たちへ・・・リメイクとはそういう風にありたいものです。


 ハリーハウゼンのメデューサと1981年の『タイタンの戦い』。ペルセウスは間抜けだけど、めでたくオリジナルもブルーレイが発売されました!

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