
青梅・五日市線内を走り出すと、すぐに201系とすれ違った。ブログの写真ではわかりにくいが、「青梅・五日市線」のステッカーが貼られた専用車だ。この路線内でも、半数近くがE233系に変わっている。青梅・五日市線は、拝島までこのように複線になっているが、正確には単線が2本並んだもの。その昔、国鉄に買収されるまでは、五日市鉄道(当時は非電化)と青梅電気鉄道が、それぞれ自前の線路を走っていた。元私鉄だけに(四つの私鉄が合併した飯田線のように)駅間の距離が短く、一駅歩きにちょうどいい。

拝島駅を過ぎた地点で、【左←五日市線/青梅線→真っすぐ】に分岐する。青梅線は拝島から先、東青梅まで複線化された。ここには写っていないが、青梅線の右側をJR八高線の線路が走っており、右に大きく曲がってゆく。シャッターのタイミングが悪くて、五日市線の線路が隠れてしまった。御岳山に行ったときよりも、線路と線路の間にある雑木林で紅葉が進んでいた。
青梅に近づくと、にわかに空気が澄んできて、奥多摩の山々が見えてくる。麓はまだ紅葉が残っている。というか、本格化? 同じ距離から撮影したが、右の写真は望遠レンズの圧縮効果で、電柱が隙間なく立っているようにみえる。青梅まで約30分、いつでも一番前に立ってしまう。何度見ても飽きない。自分の「テツ」分は、去年「むかしみち」を歩くなど、青梅線を二度訪れたときに出来上がっていた?
駅を降りれば、手描きの映画看板が迎えてくれる。ホームの待合室の壁と、連絡通路に6枚の看板が掛けられている。雑誌などでよく紹介されるのは、向い側に掛かっている『鉄道員』(ペトロ・ジェルミ監督)『ティファニーで朝食を』『終着駅』。同じオドーリーでも鉄道絡みで、ラストシーンがパリ北駅だった『昼下がりの情事』の看板にしてほしかったなあ~。こちら側の看板で、一番向こうに見えているのは『旅路』。元はNHKの朝ドラだった(ヒロインは日色ともゑ)。どんなお話だったのだろう?
オリンパス・ブルーじゃないけど、雲一つない見事な青空に映える青梅の駅舎。ちなみに、トシ子のデジタル一眼レフカメラは、オリンパスのE-3にほぼ決定(フルサイズ機はキャノンにする予定)。あとは金の算段だ~
駅のロータリーを左に道なりに行き、鉄道公園へ向かう坂道の手間、青梅線を跨ぐ陸橋を渡ったところに喫茶『夏への扉』がある。看板の上にピートのシルエット。扉を引くと・・・夏に続いていたか?
天井の扇風機、だるまストーブ。時代を感じさせるスピーカーからジャズ・カルテットの演奏が流れる。カウンターの隣にある居室は純和風。畳と炬燵が嬉しい。淹れたてのコーヒーを飲んで、持参した文庫本を読みながら至福のひとときを過ごした。
このガラス窓の向こうに「青梅キネマ館」があったそうだ。『夏への扉』は昭和7年に建てられた。和洋折衷のモダンな家は(五月とメイが住んだ家にも少し似てる?)、目医者さんの自宅兼診療所だったらしい。今から25年前、『夏への扉』のご主人がここに移り住んだ頃には、すでに映画館は閉鎖され、建物も取り壊されていたそうだ。今、向かいでマンションの建設工事が行われている。
橋を渡って目抜き通りの【昭和幻燈館】で、青梅線を跨ぐキネマ通りが再現されていて、『夏への扉』もちゃんと建っていた。山本高樹さんの素晴しい作品が何点も展示されている【昭和幻燈館】には、必ず寄ってしまう・・・ 山本さんのHP『模型日和下駄』は、 → ここをクリック
井戸でも有名な本郷の樋口一葉旧居跡も、このように幻想的で懐かしいジオラマで見ることができる。浴衣姿の湯上り美人に目が行ってしまうが、画面のどこかに必ず永井荷風先生がいるので探してみてネ! 今夜はここまで。お休みなさい。
ひとつでも信じてることさえあれば
扉はきっと見つかるさ
あきらめてしまうにはまだ早すぎる
扉の鍵を見つけよう
そしてピートと連れだって
君を迎えに戻るだろう
だから リッキィ ティッキィ ティヴィ
その日まで お休み
(『夏への扉』より抜粋。作詞&作曲=山下達郎)