あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

五色沼・会津若松の旅(その1)

2017年11月13日 | 旅行記

初めての五色沼と会津若松に行ったのは10月19、20日の1泊2日でした。
今日から旅行記を綴っていきます。

もうすぐ1か月も経ってしまいますが、この頃は10月にはめずらしい長雨で、台風には当たらなかったものの、さすがの晴れ女たちも太刀打ちできませんでした。
紅葉を期待して出発しましたが、お天気が悪く、まだ少し早くて、大満足な紅葉を見ることはできませんでしたが、それでも色づいた木々を眺めながら、五色沼をハイキングしました。

この旅行を計画する前は、五色沼という名前の沼があるのかと思っていました。
そうではなくてあるHPによれば
「1888(明治21)年,それまで1000年間ほとんど火山活動を停止していた磐梯山に 突然大規模な水蒸気爆発が発生し,北側(裏磐梯側)が山体崩壊と岩屑なだれを起こし 大きく北に向けて馬蹄形地形が形成された。川が埋没して水がせき止められ,桧原湖・小野川湖・秋元湖・五色沼などが形成された」とのこと。


五色沼とは「磐梯山は噴火の後、裏磐梯三湖を含めて約300の湖沼群を誕生させた。五色沼とは、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼など、エメラルドやコバルトブルーの色を持つ、磐梯山北麓にある湖沼群の総称」だったのです。

五色沼は、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、弁天沼、瑠璃沼、青沼などのいくつかの沼で構成されています。
約2時間ちょっとで五色沼自然探勝路をガイドさんと一緒に歩きました。


前置きがとても長くなりましたが、このブログを書くことによって、裏磐梯の歴史などがよくわかりました。
それでは五色沼散策に出発します。


まず散策路の入り口に見えてきたのが「平時災害救護発祥の地」の碑です。
赤十字は戦争中に傷ついた兵士を救護することを目的に設立された組織でしたが、磐梯山の大爆発で多数の負傷者が出ていた時、日本赤十字社の内部では、これは戦争ではないとの反対論があったのを押し切って、3名の医師と看護婦たちが派遣されて救護活動に当たりました。
これは戦争における救護が目的であった赤十字が平時(戦争以外)に救護活動を行った最初のケースとなりました。
今では赤十字といえば災害などのときの救護が当たり前のようになっていますが、世界で一番最初の戦争以外の救護がここで行われたのです。









散策路は一部を除いて、このような歩きやすい道でした。









落葉を踏みしめながらの散策です。









こんな看板もありました。
熊よけの鈴を鳴らしながら歩いている人もいました。









毘沙門沼は五色沼の中でも一番大きくて、色々なところから撮りました。
水の色は水中の微粒子により色々変わるらしいですが、専門的なことはよくわかりませんし、この日は雨でお日様の光もなく、ほとんど同じ色に見えました。
そもそもエメラルドグリーンやコバルトブルーの色の違いがよくわかりませんが、水の色は神秘的で美しかったです。
似たような写真ですが、撮った順に載せておきます。






























磐梯山の噴火で削られた山肌がちょっとだけ見えます。
















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