2014年2月7日、第22回冬季オリンピック「ソチ五輪」が開幕しました。
史上最多の87の国と地域、個人参加での手段もIOC(国際オリンピック委員会)への申告で許されるようだ。その結果、個人参加も含めて2.900人の選手が23日までの17日間、7競技、98種目での戦い(平和の祭典)が繰り広げられます。
世界の皆さんがそうだと思うのですが、特に僕たち日本人はオリンピックというイベントが大好きなのだと改めて考えさせられます。
普段はスポーツなんかに何の興味も持たない人達も突然、なんちゃって評論家に変身、競技者は勝つために臨むのは当然だけど、僕たちオーディエンスはスポーツの勝ち負け以上に選手の皆さんの姿を借りて平和やスポーツマンシップの大切さを感じなければなりません。
何度も言っているようですが、僕は政治的な事は語りません。スポーツの力で世界が純粋にそして平和に繋がることを願っています。
7日の朝日新聞で女子スキージャンプのトレーナー「竹花 智氏」の記事を見つけました。もともとがスキージャンプ選手でもある竹花さんはあらゆる角度から選手をサポート、金メダルに最も近いと言われる女子ジャンプ陣の活躍に期待が高まります。
竹花さんとは友人を通じて知り合い、僕の主催する「ハノハノランニングプロジェクト企画」でもお世話になりました。左が竹花氏です。
ランファンランニングスクールでは給水や荷物移動など、ナショナルチームのトレーナーとは思えないフットワークでお手伝い頂きました。ランファンイベントにご参加頂いた方は あっ と思われたのでは無いでしょうか?
現地時間でのライブ映像は視ることが出来ませんでしたが、素晴らしい演出での開会式です。
日本選手団入場です。
いろいろな意味で心配もあったソチ五輪、開会式は素晴らしい内容です。
そんな2014年の冬季オリンピック開会式をTVで視ながら42年前の記憶をたどります。
僕たちが住む札幌でも42年前、冬季五輪が開催されました。
1972年札幌大会、僕は12歳の小学校6年生でした。道産子でありながらウインタースポーツよりも室内競技が好きで、体操選手が信じられないジャンプ力で地上を蹴って空中をくるくる回転する姿に強い憧れを持つ少年でした。
その頃、僕の通う小学校に日体大出身で体操競技を教えてくれる須田先生という方がいて、好きな子供たち10名くらいだったかなぁ~機械体操を教えてもらっていました。
今となっては遠い記憶ですが、バク転ならば10mは出来たと思います 後方宙返りで失敗、胸の骨に膝が当たって呼吸出来なくて死ぬかと思ったことを今、急に想い出しました
昔の事を想い出しながらこの記事を書いていると、どんどん話がオリンピックからズレてしまいますね。
そんなオリンピック好きな12歳の福田少年でしたが、その頃はオリンピックの資料を買いそろえるお金も無く(その頃ってオリンピック特集の雑誌ってあったのかなぁ?) 父親が読み終えた新聞が僕の情報源でした。
無いなら自分で作ろうと12歳のジャーナリストは動き出しました。材料は1冊のノートとヤマトノリ、セロハンテープは高価なので極力使いませんでした。
その頃の僕はセロハンテープが劣化する事を知らなかったので、現在でも僕の札幌オリンピックスクラップブックは42年経ってもページをめくって読むことが出来ます。
ソチ五輪記念として一部公開します。新聞は変色し、当時の活字は小さく、読みにくいですが、僕の記憶の中にしっかりと内容は刻まれています。
グラフィックデザイナーでもあった僕の作品です
開会式は現在の僕たちのホーム練習場所 「真駒内競技場」 縁を強く感じます。
全てはお見せ出来ませんが、当時の北海道新聞の札幌オリンピック関連記事は全て切り抜いて貼りつけたと思います。
閉会後には成績一覧の記事もあり今でも大切に保管しています。
その頃、こんな記事もありました。南沙織引退宣言、正直に言います。ファンでした
いよいよ競技が本格的に始まります。ソチ五輪が42年前の札幌五輪のように平和の架け橋となり無事に終了することを心から願います。
ソチ五輪には知り合いが選手として、スタッフとして関わっています。皆さんの活躍をここ北海道から応援しています。頑張れ! 日本! 頑張れ! 北海道