東武日光線堀切駅は、上りと下りのホームがつながっていない、珍しい構造だった。
東口には和式のトイレが一ヶ所のみ。出発式をする場所を探しながら西口をのぞく。
西口は狭い空間しかなかった。改札内にあるトイレの利用ができるか聞いたところ、
対応した駅員は、乗降客だとは思わず、よほど日頃から乗客の苦情を聞いているらしく、
聞く前から先回りし、「本来は入場券を買っていただいて、から始まって、
トイレの小規模なこと、乗降客のためのトイレであること」、などをさんざん並べ立てた。
相手の話を聞かず、自分の立場や組織を守ることを優先する職員はどこにでもいる。
個人の商店などであれば、二度と行かなければ良いが、公共の機関だとそうもいかない。
逆に、対応が良いために長い付き合いになる店もある。
「笑顔はお金がかからない」などと書いて、額に入れて飾っている店があった。
最初は妙な違和感があっただけだったが、必要があり付き合っている内に、
やはり口先だけであることがわかり利用を絶った店もある。
個人的な付き合いも、店との付き合いも誠実さが基本にないと、長続きしない。
私が二度と行かない店がある。話を聞かず客を疑うような対応をした店と、
土日以外にたまたま休暇を取ったときに、「今日はさぼりかい?」と言った店の二軒。
付き合いが50年以上になる店は、近所の理容所、肉店。豆腐屋は、44、5年になる。
一方的に自分の視点から評価したり、嫌うだけではなく、
時には反面教師として捉え直すことも必要だと思う。
9月10日に実施される例会の再下見に行ってきた。7月に1度行っているが、
確認したいところがあり、再び行くことになった。
葛西用水沿いを含む14㎞のコース。
堀切菖蒲園を経て、東京都葛飾区四つ木からは、ほぼ一直線に10㎞ある。
この区間は公園化されており、子どもの水遊び場なども整備されている。
明日まで子ども向けに水路の流れや人口の滝などが運転されているが、
夏休みは明日で終わりとなるためか、子どもの姿は幼児のみ数人だけだった。
時速4.5㎞換算で行程の所要時間を割り出し、ほぼ予定通りにゴールできそうである。
当会の例会下見に要する費用は、「古河悠歩の会交通費支給規定」により、
概ね2回まで交通費、見学施設の入場料その他の実費を支給する。
食事代は自弁にて賄うこととし、会費からの支給はない。
下見費用については、県内他会の状況も大差はないと思われる。
当会では、一般市民の例会参加が少ないので、参加費収入は少ない。
昨年度は、28,400円の決算額だった。
下見のための交通費109,140円にコース図の印刷費他を加えると、
参加費では賄えていないことになる。
例会は、会員のための活動と言う側面がほとんどを占めているので、
会費を見込んで良いわけであるが、永続的な活動を目指し、
活動の中身を見直していくと、収支のバランスをとることが望ましい。
備品の購入、その他の費用は、会費収入をにらみながら支出しているので、
毎年度、支出が上回ることはないが、積極的に活動を展開しようとすれば、
会費収入だけに頼るのではなく、参加費他の事業収入の増を図らなくてはならない。
参加者の増を図ったり、その他の収入を増やすためには、
活動内容の見直しが必要になる。
会員、役員の考えを集約しながら、会活動のあるべき姿を探っていきたい。
私が煙草吸いだった頃の中盤過ぎ、自然や社会に目がいくようになってからは、
携帯灰皿を持ち歩くようになった。
それ以前は、今は眉をしかめるような振る舞いを、平気で、当たり前のように、
むしろ格好良いと思いこんで、道路に落とし、足でもみ消していた。
今は、二日に一遍くらいの間隔で、家の周辺100m位の範囲を煙草の吸い殻や、
空き缶、煙草の包装紙、パン、アイスの包み紙などを掃除して歩いている。
自分の昔の姿だからというわけではなく、「まったく!」とは思うが、
捨てる人に怒りを持つこともない。諦観に近い。
そういう振る舞いをする人は「絶対」なくならない、と言いたくも、思いたくもないが、
いなくなる可能性は、限りなくゼロに近いと思う。
画一的なことは望ましくなく、多様性が重んじられる。
マナー違反も、暴力団も、困ったことではあるが、取り締まることは難しく、
どちらかと言えば、野放し状態だ。煙草条例など、規制しているところはあるが、
個人の振る舞いを規制することに多くの了解は得られないから、できない。
暴力団、右翼団体など、していることは犯罪そのものではあっても、
被害者から訴えられるまでは、規制のための法規もないので、
積極的に摘発はできないでいる。多くは、影で泣く。
子どもに対する虐待なども、積極的に警察や周囲が、
関わっても良いのではという考え方に変わりつつある。
親の子に対する虐待は犯罪であるというとらえ方が必要と思う。
虐待と教育の境目の判定が難しいという理由で、多くの子どもが、
毎日のようにいじめられたり、殺されている。
多様性を認める(受け入れる)ということは、反論する人がほとんどいないだろう。
暴力団というのは、極端な話だが、グラデーションは限りなくあるもので、
突き詰めていけば、煙草の投げ捨ても暴力団も、存在を認める(多様性を認める)
かどうかということが、これからも問われ続けていくと思う。
テレビで「三波春夫 歌芸一筋に生きた道」を見た。
小学生の頃から好きな歌手で、俵星玄蕃のレコードなどは良く聴いていた。
彼の朗々と歌う声が好きだ。聴いていて気持ちが良い。
今、家には彼のレコードその他の音源はない。テレビでたまに聴くくらいだ。
今日の番組を収録しようと思い、夕方娘に電話をして、録画の方法を教わった。
しかし、手違いで時間が過ぎてしまい、
その上テープが見つからなかったので録画を諦めた。
俵星玄蕃その他の曲を聴く内に、歌声に感動し、涙が出そうになった。
彼の気持ちの良い歌声を聴くと感動する。
番組の中で、ある曲を収録するに当たっての永六輔の思い出話の紹介があった。
永六輔作詞、『明日咲くつぼみに』の収録時の話。この時、三波春夫は癌を患っていた。
永は癌のことを知らなかった。もし、知っていたら歌わせなかったと言っていた。
歌詞の中に、死んでいく者の立場からの語りが含まれている。
歌わせたことは悔やんでいたそうだ。
その時、歌い方に注文をつけた。
90歳を過ぎても歌えるような優しい歌い方で歌って欲しいと言った。
しかし、三波はいつもの力強い歌い方になってしまう。永は、何度もだめ出しをした。
それを聴いていた三波の妻は、「もうやめて欲しい、
三波にはこういう歌い方しかできない」と永に言った後、スタジオに入り、三波に言った。
「永さんの言うようになぜ歌えないのか。三波春夫ともあろうものが!」と叱咤した。
これを聴いて、永は泣いてしまったそうだ。
確かに『明日咲くつぼみに』の歌声は、今までにない優しい歌い方だった。
三波の奥さんの、三波がかわいそうで歌わせられない、という思いと、
三波には作詞家の指示通り歌えるはずだという強い思いとが、
二人に正反対のことを言っていながら、矛盾していない離れ業をさせたのだと思った。
通っている学校に、出ると負けの運動部があったが、県大会に出場できることになった。
クラス決議をして全員で応援に行こうという動きが出て、話し合いがもたれた。
私は元々運動あるいは運動部が好きでなかった。単に運動神経が鈍く、
すべての運動に関心がなかっただけで、特別な理由はない。
ただ、運動部に限らず、部内に漂う、先輩による強制という流れは好きではなかった。
さらに、部活動に限らず、個人の意思を抑えるたぐいの強制にも強い反発を覚えていた。
私一人が、全員で行こうという決定に反対し、結局自由参加ということになった。
このように、今思えば、いわゆる協調性がなかった。
子どもの頃は、娯楽がなかったからか、相撲と野球は見た。
相撲は、小柄な関取、野球は巨人のみ応援した。
しかし、長島後は、まったく関心がなくなった。
前にも書いたが、プロボクシング、プロレスは、外人選手を応援した。
日本での試合では、孤軍奮闘という形になるので、かわいそうだからという理由で。
そんなわけで、プロ、アマ問わず、
新聞のスポーツ欄やテレビ放映はまったく関心がない。
また、ナデシコジャパンもまったく関心がなく、「騒ぎ過ぎじゃない?」、
「その内、見向きもされなくなるんだろうな」と醒めた目で見ている。
ところが、先週の朝日新聞に載った、岡田武史氏と佐々木則夫氏の対談は全文を読んだ。
中見出しに、“ポジション取り 「言われて」と「自分で」と ぜんぜん違う意味”…岡田氏、
とあったのが目に入ったからだ。
この部分だけでなく、いくつか自分にとって参考になる言葉があった。
また、「一郎」関連の記事も時々目を通すようになった。
未熟な自分を向上させるため、
好きでない分野の知恵でも取り入れようという気持ちが芽生えたのだろうか。
年をとると腰が曲がるが、私のへそは、年とともにまっすぐになりつつあるのかもしれない。
朝ドラ「おひさま」で、敗戦後に戦中の教師の責任に触れてやりとりされた台詞の中に
「時代が言わせたことへの責任」というのがあった。
あの時代、言いたくても言えないことは現代の比ではないだろう。
そんな時代に、意思に反して、国家の方針に従って発言したり、教育するという、
二重に苦しい経験は、教師の場合特に激しかったと思う。。
現代では、自分がどう振る舞うか、選択の余地があるとはいえ、
思った通りに振る舞うことに、躊躇する場面は少なくない。
電車内で、怖そうな人がすごんでいたときにたしなめることができるか?
百人の中で一人だけ反対意見を言うのはかなり勇気が要る
私は、小さいときから気が小さかったから、たいていは大勢に流され、
反論したくても口をつぐむことが多かった。
高校時代には、言うことを聞けないなら「学校をやめるしかない」という、
生徒指導教師に屈したことがある。
子どものバイク問題では、子どもと一緒に抵抗したが、校長室でのやりとりの末、
学校で免許証を預かるという指示に従った。
それでも、どうしても退けない(退きたくない)ことがある。
そんなときは、意を決して立ち向かうわけだが、胸はどきどき、足はがくがく、
声を震わせながら立ち向かわなくてはならない。
20歳の頃、アルバイト先で、社長の息子の部屋の片付けを指示されたことがある。
それを断るのは一苦労だった。
このような場面はそう度々はないが、意に染まないことに遭遇すると、
頭と体はいつも同じ反応をする。
「醸す」とは、辞書によると米や豆に麹を加え発酵させ、酒や味噌などを作る、とある。
発酵は時間をかけて行なうことから、何となく、自然になどの意味が付け加わる。
「~出す」は、「~し始める」という意味があるので、醸し出すという使い方もされる。
「物議を醸す」とは使うが、「物議を醸し出す」というのは聞き慣れない使い方だ。
「柔らかな雰囲気を」は、「醸し出す」が続くが、「醸す」は似合わない。
「醸す」の語源を訪ねると、酒造りを表現する「醸(かも)す」は、
口噛み酒の「噛(か)む」が語源であるという説がある。
しかし、農業博士の住江金之氏は、著書『酒』(西ヶ原刊行会)にて、
これらは別系統の言葉であると指摘し、
「醸す」は「かびす」から転じたものであると分析している。
麹菌を使うことに加え、「醸す」の語感とを併せると、
「黴す(かびす)」、こちらの方が説得力があるような気がする。
ウォーキングの場面で言うと、たとえば、利根町歩く会のTさんは、
歩行中の注意を会員に伝えるときに、ユーモアを交えた声かけをするので、
けっしてきつくならず、いつも和やかで柔らかな雰囲気を醸し出している。
聞こえないということは、当たり前だが、見た目には分からない。善意からとは思うが、
大きめのバッジなどの目印を付ければわかりやすいという人がいる。
ペースメーカーを付けている人、脊髄損傷でトイレが近い人、弱視や色盲の人、
内部障害などの人も、皆それと分かる標識をつけた方がよいという人がいるだろうか?
いるかもしれない。
それぞれの障害をもつ人が、必要に応じ自分の(不自由な)状況を表明すれば、
即対応できる社会であってほしい。だが、遠慮なくいえる環境を整えなければ、
絵に描いた餅でしかなく、一部の強心臓の持ち主しか利用できない。
障害がない人にも、白人にも、皇族にも、定職を持っている人にも、気の弱い人強い人、
目の良い人悪い人、威張る人おとなしい人…要するに、どちらにもいる。
あるいは、ユニバーサルデザインの別の流れかもしれないが、
聴覚障害者にとってわかりやすい表示、視覚障害者向けの音声表示などが、
公共施設に義務づけられると、生活の幅が格段に広くなる。
前者は、黄(地震その他)と赤(火事)の点滅ライトで災害を知らせたり、
文字表示で何が起こっているか知らせるなど。
後者は、盲人用横断歩道だけでなく、特定の発信装置を持った人が近づくと、
その場所の説明を音声で知らせるなど。
いずれも、実用化されているが、設置数が限られているだけだ。
やたらに威張りたがる人がいるが、彼らにもそれと分かる標識を付ければ、
敬して遠ざけることができるかもしれない。
しかし、それは邪道だ。聞こえない人にバッジを付けるのも、
理解しにくい人たちを自分の枠内には入れたくないということである場合がある。
アメリカのテレビドラマ。日本では、1964(昭和39)年5月16日から
1967(昭和42)年9月2日まで放送された。
(東京オリンピックは1964年10月10日から10月24日まで開催)
当時中学2年生であった私は、途中から見始まったと記憶している。
初回は見逃している。
主人公(リチャード・キンブル)は医師で、妻殺しの罪で死刑の宣告を受け、
護送の途中列車事故にあい、辛くも脱走した。護送を担当した刑事は、
執拗にキンブルを追う。
逃亡生活の途中で多くの人びとと関わり、毎回はらはらしながらも、
多くは関わった人に助けられ、辛くも逃げおおせる。
刑事は、長い追跡の中で、キンブルの人間性に理解を示すようになるが、
追うことはやめない。逆にキンブルに助けられることも何度かあった。
このドラマが人気を博したのは、主人公の哀愁を帯びた表情と、
自分の逮捕の危険も顧みず、関わった人を助けるという人間性に加えて、
吹き替えを担当した睦五郎の声によるところが大きかった。
俳優としての睦五郎自身は、時代劇の悪役をやることが多く、
キンブルの役柄とは落差が大きかった。
私は、人の声に惹かれることが多く、特にキンブルの声は好きだった。
知的で、優しさを感じさせる声に惹かれ、逃亡者のナレーションと、
睦五郎がキンブルの声を吹き込んだレコードなども何度も聞いた。
声優の矢島正明のナレーションも好きだった。
「リチャードキンブル、職業医師、正かるべき正義も時として盲しいることがある…」
というナレーションをまねて喜んでいた。
再放送も何度か見たし、テレビドラマをレーザーディスク(10話ほど)にしたものも
買って見ている。
今日の朝日新聞に逃亡者のDVD発売の広告が載っていた。
全120話、完全収録版。しばらく、買うか、買わないか迷いの日々が続きそうだ。
洗面所で歯磨きをしている背中の壁にはこんな黒板がある。縦45横60の大きさ。
日常のさまざまな場面で思いつくいろいろな事柄は、思いつくたびに忘れ去られる。
歯磨き、トイレ、入浴、寝床に入って間もなく、食事中、新聞やテレビの視聴中、
突然思いついては消えていく思いつきの数々。
中には、貴重な発見、発想もあったと思う。
忘れ去られた(貴重な?)思いつきは、膨大な数に上るのは間違いない。
そこで、手近にあるメモ用紙に書き残すようにしているが、メモを忘れることも多い。
思いついて、すぐに忘れたそのすぐ後に、書いておけば良かったと悔やむことも数多い。
今朝の歯磨き中、背中の黒板に写真のようなメモした。
物心ついた後の、私個人の、貴重?だったかもしれない思いつきは、
何千何万の数に上ると思う。
古河市内すべての人が、思いつきや考えたことをメモに残し、仕事に、学習に、
地域活動などに生かしたとしたら、どんなに素晴らしい古河市ができあがるだろう。
忘れ去られた事どもが、失って始めて気づく貴重なものどもであったのではないかと、
慚愧の思いにかられる。
しかし、人間というものは、太古の昔からそんなものかもしれない。
もちろん、今のような言葉を発見する以前、洞窟に絵を残せるようになった時代以降、
人間は書き残す人もいれば、次々と忘れていく人もいる。
私がもし、太古の時代の人間だったら、手近なものを食べるだけでなんの工夫もせず、
すぐに死んでしまったかもしれない。
私の小学校の頃の通知表には、毎度「忘れ物が多い」「努力が大切」と書かれていた。