今日は久しぶりに三国橋を渡った。新古河駅まで行くと約3㎞。往復で6~7㎞。
三国橋の埼玉側、橋北150m付近に、カスリーン台風時の決壊口碑がある。
ここに来る度に往時が偲ばれる。
橋の上からゴルフ場を見る。ここがすべて葦原だった。
中高生の頃、茨城側の土手から葦原を眺めるのが好きだった。慚愧の念に堪えない。
橋を渡り終え、土手を歩くと、この看板。なんてこった!
今日は久しぶりに三国橋を渡った。新古河駅まで行くと約3㎞。往復で6~7㎞。
三国橋の埼玉側、橋北150m付近に、カスリーン台風時の決壊口碑がある。
ここに来る度に往時が偲ばれる。
橋の上からゴルフ場を見る。ここがすべて葦原だった。
中高生の頃、茨城側の土手から葦原を眺めるのが好きだった。慚愧の念に堪えない。
橋を渡り終え、土手を歩くと、この看板。なんてこった!
懐かしのキャンロップをイオンの100円ショップで見つけた。買い占めようと思ったが、
2袋だけ買ってきた。
キャンロップは、あさひさんの思い出と結びつく。
キャンロップは、古河ではなかなか見つけられなかった。
以前、掲示板で騒いでいたら、歩友のあさひさんが送ってくれた。
今日、イオンでスマホのバッテリーのケースを探していたら、偶然見つけた。
佐久間製菓は、いろいろあって2社に別れている。
キャンロップを作っている会社と、サクマドロップの会社は違う。
サクマドロップは、「火垂るの墓」にもでてくる。今でも好きな飴だ。
何とか、合同し、二つの製品を作り続けてほしいと願っている。
歩きの途中で大根を買った。それで、今夜のおかずが、なんとなく、ほぼ決まった。
他に白菜と大根の漬け物を買ったので、必ずしも“すみつかり”を作ろうと決めた訳で
はなかったが、昨日、書いたので、作らないといけないような気分になったこともある。
材料は、大根2本、にんじん3本、大豆165g、油揚げ5枚、酒粕280g、鮭の頭2個、
竹輪2本…これは忘れていたので途中で加えた。約2時間煮て、できあがった。
途中で、母に味見をさせると、塩気が足りないと、“生意気"なことを言う。
何日か前、叔母さんが持ってきてくれたので、雨の中、傘をさして少しだけ届けた。
叔母さん(母の妹)は、まぁまぁじゃない、と言う。
これは、冷たくなったやつを食うのが”なんともうまい”ので、勝負は夜中になる。
夕飯で食ったが、イマイチだった。大根が少なかったのと、塩を加えた方が良かったか。
調味料は入れなかったが、何となく甘かった。
だが、大失敗、ではなかったので、気をよくして、また近いうちに作ろう。
昨日(1月27日)、茨城県ウオーキング協会のHPをホスティングサービスに移行した。
ホスティングサービスは、レンタルサーバーともいい、以前私が利用していたサービスでは、
HPの容量が大きくなり、利用限度を超えてしまったので、他に転出したという経過である。
私の後を担当してくれたO氏は、中途での交代を快く引き受け、対応してくれ安堵している。
今回のレンタルサーバー利用も心配していたが、本日私のプロバイダーへの連絡が済み、
完全移行が終了した。
旧アドレスから新アドレスへの移行は、6ヶ月間は移転が自動で行なわれる設定とした。
HPが見つからない場合、検索をして探してくれると思うが、わからない人がいたら、
教えてやってほしい。
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本を読んでみようかと思っている。
中途視覚障害者へのインタビューで構成されているそうだが、生来の場合はどうだろうか。
聴覚障害者の場合も、生来の場合と中途失聴者では、言葉の受け止め方はかなり違う。
私は、毎朝起きると、母の部屋に行き、ポータブルトイレの電源を入れる。
この時期、部屋は暗いが、母を起こす前に、PCに電源を入れたり、タオルを暖かくしたりと、
少々時間があるので、電気を付けずにコンセントを探ってプラグを差し込んでいる。
コンセントの場所は、仏壇の下で、覆いもあるので、通常は外から見えない位置にある。
最初は、なかなか差し込めなかったが、最近は手探りでもスッと差し込めるようになった。
習練というのは凄いものだなと、最近、我ながら感心している。
慣れによって手探りだけでできるところは、全盲の人と同じ状況ではないだろうか。
いや、実は違うというのが、上記の本の訴えたいことの一つであるらしい。
以前、全盲の人の介助をしばらく経験した。
パソコンの操作や、接続などについては自力で行なえる人だった。
食事については、6時にご飯、3時におかず、9時に味噌汁などと伝えれば可能だった。
それでも、トイレへの移動は、とうとう1人ではできなかった。
ただ、私も未熟で、1人で行くように勧めはしなかったので、私の責任があるかもしれない。
障害者といっても、その程度は千差万別で、対応の仕方も、やはり千差万別だ。
相手を知らないと同一視してしまうという「障害」を、健常者はもっているのかもしれない。
それを「障害」といってよいのか、異論もあろうが、検討する余裕はもっても良いと思う。
割烹着をネットで探すと色々あった。多くは後ろで紐を結ぶタイプ。
五十肩は軽度だが、後ろで結ぶのは面倒なので、前ボタン式を探す。
襟のないものが多く迷ったが、これかなというものが見つかった。
色は茶系、値段が6,500円くらいで高い。
購入手続きを進めようとしたが、迷いがでた。
ジャージのズボンがすり切れ、上着だけ残ったものが2着もあるので、
それを使えば良いではないかと思い直した。
いつもだと買ってしまうのだが、最近スマホ関連のバッテリーその他を購入しているので、
支払が嵩んでいる。
それにしても今時のスマホは電池の減りが激しい。毎日充電が必要だ。
理由はある程度わかっているが、使い方からすれば仕方がない。
GPS機能を使って、歩行距離などを記録し、歩きながら音楽を聴く。
これだけで、夕方には電池残量20%くらいになってしまう。
必要な時間だけGPSを利かせればよいのだが、つい設定したままにしている。
もう少し操作に慣れれば、使い勝手が良くなるかもしれないが、現時点では仕方がない。
そんな訳で、割烹着をあきらめ、バッテリーを買った訳である。
夕飯はカレーにした。今着ている上着を着替えようと思ったが、面倒なのでそのまま調理した。
ほぼ同時に、切り干しだいこんの煮物もつくる。ネットで調べた作り方で、なかなかうまい。
昨日、甘露煮を買ってきたので、これも添えて、今夜の食事となる。
パソコンに向かい、ふと左袖を見るとカレーの染みがついていた。あぁ、またやってしまった。
私はこうして、袖といわずあちこちを汚し、一張羅をダメにしている。
昔の女性が着ていた割烹着は、良くできている。料理着というから、まさに名の通りである。
体裁が良くないのであまり着たくもないが、一着買っておこうかと考えている。
ネットで調べると、男性用の割烹着もあることに気がついた。料理人が着ているやつだ。
近々購入しよう!
今日は、熊谷市での埼歩協の例会に参加する予定だったが、億劫になり取りやめた。
そのこともあり、総合公園に向けて歩きだした足が、欲を出してもっと先へと思ったようだ。
総合公園の中を歩きながら、昼飯はしらかばラーメンで取ろうと思った。何㎞あるだろうか。
予想では6~7㎞としたが、結果として9㎞強であった。都合12.8㎞をかけたことになる。
予定した例会(12㎞)参加を朝になってサボったので、無意味に頑張った気がする。
風が強く向かい風にもあったが、それほど汗をかかなかったのは良かった。
途中、駒塚古墳に寄った。ときどき車窓から眺め、気になっていたが小さな古墳だった。
公共、コンビニのトイレが無理なく使えたので助かった。
明日あたりまた雪が降るかもしれない。明日は、どう歩こうか。
『そして父になる』を読了した。映画を見ているので内容はわかっていたが、引き込まれた。
親子はきれい事では済まないことが多いが、幼少の時期、取り違えの事実に直面すると、
おかれた状況を理解するだけでも、膨大な労力を要するだろう。
子が育つ過程で、親がどう対応すべきか迷うこともあったが、子どもの側に立とうとした。
子どもが成長してみれば、庇護の対象ではなく、娘にはやり込められることもあるし、
逆に教えられることもある。
大人同士の関係だが、子どもの頃の記憶が残るので、他人とはまったく違う間柄だ。
子の介護を受けることにでもなれば、私が母に対しているのと同じ状況になるだろうか。
よく言われる、子は親の背中を見て育つということになるのだろうか。
今日は歩きだす時間の取り方に迷った。
けっきょく、母が帰ってくる前に帰ることができるぎりぎりの時間を見つけて歩きだした。
朝日新聞21日に掲載のインタビュー「時流に抗う」を切り抜いた。
時代や、今いる場所での「場違い」感を大事にしようと呼びかけている。
彼とは、程度は違うが、私は、若い頃から「場違い」感をかかえてきた。
「うまく立ち回れない」ということもあるだろうし、現況が「あるべき姿と違う」という思いもある。
そこでどうするかということから、今の私の立ち位置がある。
呆け防止のためにいろいろと考えたり、歩いたり、「老老介護」についても考えさせられている。
「残り時間」ということもある。平均的にいって、あと25年くらいしかない。
その間に、あるべき姿を求めたいという思いがある。平均から外れれば、もっと少なくなる。
のんびりと過ごしていていいのか、という思いがある。