最近本を読まなくなった。頭を使う本を読むには、時間と、けっこう体力が要るからだ。
それでも、最近「日本手話」に関する本を読み出した。
読み進めるにしたがい、自分のこれまでやってきた手話はお粗末なもので、
若い内に気がつけば良かったと思った。
確かに私の手話は、表出(表現)はしているが、どこまで通じているか自信がない。
逆に、読み取りはというと、こちらはもっと自信がない。ろう者同士で会話している手話は、
ほとんど読み取れない。本にも書いてあったが、ろう者同士では「日本手話」、聴者には
「日本語対応手話」を使っているので、私にも少し分かる。
このようなお粗末な状況である。では止した方がいいのかというと、そうもいかない。
ろう者は、手話が通じないということで、聴者中心の集会等にはほとんど参加できないし、
手話通訳を配置している講演会、スポーツ教室等もほとんどない。
スポーツや文化的なサークルに入ろうにも、断られるだろうと自粛したり、拒否される。
当会にはろう者が8名おり、ある意味で異常な在籍率だ。
手話のできる会員がいるからと簡単に言われるが、その手話のできるという内容も、
上に書いたような「お寒い」状況であり、手話のできるという当人が、戸惑ってもいる。
だから、実態は恥ずかしいかぎりであり、「無いよりマシ」でやっているだけなのだ。
望むのは、手話のできる聴者が増えること。
遊びや趣味の世界にも手話通訳が無料で派遣されること。
聞こえる人には当然の、情報を得るところまでは、保障すべきと考える。
そこのところが理解されて初めて、ろう者が真に社会参加できる「きっかけ」ができたと、
やっと言えると思っている。この部分だけは、自信を持って言いたい。
これは、40年以上中途半端に関わってきたことで言える、お粗末な意見である。