悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

無いよりマシ

2015-06-30 19:19:03 | バリアフリー

最近本を読まなくなった。頭を使う本を読むには、時間と、けっこう体力が要るからだ。
それでも、最近「日本手話」に関する本を読み出した。

読み進めるにしたがい、自分のこれまでやってきた手話はお粗末なもので、
若い内に気がつけば良かったと思った。
確かに私の手話は、表出(表現)はしているが、どこまで通じているか自信がない。
逆に、読み取りはというと、こちらはもっと自信がない。ろう者同士で会話している手話は、
ほとんど読み取れない。本にも書いてあったが、ろう者同士では「日本手話」、聴者には
「日本語対応手話」を使っているので、私にも少し分かる。
このようなお粗末な状況である。では止した方がいいのかというと、そうもいかない。

ろう者は、手話が通じないということで、聴者中心の集会等にはほとんど参加できないし、
手話通訳を配置している講演会、スポーツ教室等もほとんどない。
スポーツや文化的なサークルに入ろうにも、断られるだろうと自粛したり、拒否される。

当会にはろう者が8名おり、ある意味で異常な在籍率だ。
手話のできる会員がいるからと簡単に言われるが、その手話のできるという内容も、
上に書いたような「お寒い」状況であり、手話のできるという当人が、戸惑ってもいる。
だから、実態は恥ずかしいかぎりであり、「無いよりマシ」でやっているだけなのだ。
望むのは、手話のできる聴者が増えること。
遊びや趣味の世界にも手話通訳が無料で派遣されること。
聞こえる人には当然の、情報を得るところまでは、保障すべきと考える。

そこのところが理解されて初めて、ろう者が真に社会参加できる「きっかけ」ができたと、
やっと言えると思っている。この部分だけは、自信を持って言いたい。

これは、40年以上中途半端に関わってきたことで言える、お粗末な意見である。


苦手なこと

2015-06-29 18:06:13 | 雑記

苦手なことはたくさんあるが、最右翼は「挨拶」か。羅列してみたくなった。
怖い系~バンジージャンプ、高いところ、狭いところ、プール(金槌)、躍り食い、生きた魚の刺身
恥ずかし系~ただの挨拶、プール(出っ腹)
嫌い系~賭け事(未経験)
不快系~サッカー(気持ち悪いダンス?)、ひな壇番組
下手系~挨拶(不当意不即妙)、キャッチボール(顔にぶつかりそう)
いざ羅列しようとすると、思いつかないものだ、脳の不活性化の影響か。 


当意即妙と妙なハイテンション?

2015-06-28 20:06:42 | 雑記

今時のテレビで生き残るには、当意即妙な応答と、適度なハイテンションが好まれる。
本当に好まれているのかどうかは、疑問を付しておきたい。
これがトレンドとばかり、売り手市場でばらまかれているだけのような気がする。
「これは嫌」ボタンができれば、かなり変わるだろうと期待している。
科学の世界が賢くなるのならば、視聴者の好みを知るテレビ、ラジオがほしい。
新聞もテレビもラジオも、視聴したい番組が少なくて困る。
新聞とテレビ(NHK)は有料なので、割引制度か、減免制度を検討してほしい。
新聞は80%、テレビは90%減免してほしい。
それぞれ、見ない紙面、見たくない画面が大半だから。 


公平でないこと

2015-06-27 21:00:42 | バリアフリー

明日は、当会の役員会。Oさんは、東京ろう協の集会参加のため、欠席と連絡してきた。
昨日の機関紙印刷時、通訳手配について確認したところ、忘れていたらしい。
中一日では通訳の手配は難しかったのだろう。そのための欠席だと思われる。
通訳が手配できないと、私が通訳を兼ねる。その状況を慮ったのだろう。
連絡が不十分だったかもしれない、申し訳ないことをした。
明日は、通訳をメインにして対応しようと覚悟していたが、不要となってしまった。
会員の1割を占めるろう者の代表として、参加してほしかった。
その代表をどう受け入れてきたのか、はなはだ自信がない。
まずは形だけでも整えたかったし、いずれ実質的に参加してほしいと考えていた。
まず、通訳を付けて会議に参加してもらうのが第一歩。
複数の発言は、通訳の手に余る。会議進行の役割が大きくなる。
会議とは関係のない小声での会話は伝わらない。あってもなきがごとし。
聞こえる役員は、それらの発言をほとんど聞いて了解している。
それらが、当たり前の事柄として、聞こえる人の理解の根底にある。
聞こえない人は、それらの、加算すれば膨大な量の情報の不足の中で、会議にでる。 
そのような状況は、無数にある。その集合は、大きな情報の差となって、現れる。
それらのことを知った上で、会の運営をしなければ、不公平になる。
 


でっかいどう決算

2015-06-26 22:30:58 | 雑記

でっかいどうオホーツクマーチの収支がまとまった。残金があったので、等分し返金する。
前回は8,000円、今回は5,300円の返金となった。
今回は、大会参加以外の見学場所が少なく、割引の適用が少なかったためと思われる。
残金はプールしておくという方法もあるが、継続的な仲良しグループなら良いが、
当会の場合参加者の出入りがあるので、残金は均等に返金するのが適当と判断した。
金銭的な決算は以上の通りだが、活動の結果としては、検討の余地が残ったと思う。
・宴会の場での情報伝達、交流の仕方をどう取りはからったら良いか
・参加コースについては事前に調整し、無理のない参加とすべきだったろう
・手話のできる人を1~2名、誘っておいた方が良かったか?
・計画を練る段階で、ろう者の要望、意見を聴取しておくべきだった
次回実施する場合は、上記の課題を検討して望みたいと思う。


手話翻訳!

2015-06-25 21:07:22 | バリアフリー

あぁ、と思った。私の手話では、とても通訳といえないという自覚はあったが、
翻訳という言葉に納得するものがあった。
私が使っているのは、「日本語対応手話」、ろう者が使っているのは、「日本手話」。
日本語と日本手話では、言語(文法)が違う。通訳というよりは、「翻訳」というのが近い。
北海道で感じた違和感から、いろいろと調べ、手話とは、ろう者とは、翻って考えてみた。
ネットで調べると、こんな本を知り、さっそく注文し、今日届いた。
『翻訳で変わる日本語と手話の関係「驚きの手話」「パ」「ポ」翻訳』 
この本には、DVDが付いている。音声がなく、日本手話だけで収録されているらしい。
私にはほとんど読み取れないだろう。~まだ見ていない

いっそ、歩きは個人的な趣味にして、手話サークルに入り直そうかなと、考えてみた。


茄子料理

2015-06-24 19:18:05 | 食べ物

この時期、茄子が台所に転がっているので、麻婆茄子を作ることにした。
茄子といえば、しぎ焼きが好きなのだが、やたらに油を使うのでいつも躊躇する。
実は、母が昔よく作っていた「茄子味噌」が食べたいのだが、覚える前に倒れてしまった。
麻婆茄子を作ってから、危なっかしいが、母に聞いてみた。以下、母の言葉から。
「茄子を(縦)半分に切って、(半月)切り。油で炒め、砂糖を加え、柔らかくするため醤油、
味噌を加えて混ぜ合わせる」と、ここまで言った。記憶の断片だろうが何か実感があった。
「途中でしょっぱくしないため水も少し入れる」と言い添えたところが主婦の心だったろうか。
 

 


他人(ひと)の呼び方

2015-06-23 18:18:29 | 雑記

人は、その関係のあり方によってさまざまな呼び方、呼ばれ方をする。
今、私は、渡辺、渡辺さん、なべさん、なべちゃん、敏夫さんなどと呼ばれている。

人は、集団あるいはその属性で呼ばれる場合がある。
例会の帰り、電車の中で知り合ったろう者に、Uさんは、私を「(健)聴者」と伝えた。
「健聴者」とは、「健全な聴覚を持つ者」ということだろう。変な言い方だ。
聞こえる人のことを「(健)聴者」と言い、聞こえない人のことを「ろうあ者」、「ろう者」、
「聴覚障害者」、「聴力障害者」などと呼ぶ。
聴覚障害者の全国的な団体は、今でも「全日本ろうあ連盟」と名乗っている。
聴覚障害者という言い方では表しきれない、文化的、言語的な歴史があるためである。
手話は「日本語とは違う言語体系を持つ」、「ろうあ者には独特の文化がある」として、
誇りを持って「ろうあ」を名乗っている。
私は、多少ともろう者の文化や「日本手話」に触れた者として、優れた面を理解できる。
ろうあ者は、ろう学校で「日本語」を学ぶが、ろう者間で学び合い、獲得していくのは、
独特な文法を持つ「日本手話」であり、私はごく一部分しか(ほとんど)理解できない。
彼らは、私と話すときは「日本語対応手話」で話してくれるので、ある程度理解できる。

そんなろう者を例会の場で呼ぶとき、私は、どう呼んだらよいのか迷うことがある。
会員間で、「ろうあ者」と、ひとくくりで呼ぶ(扱う)のは、何か失礼な感じがしている。
できれば、「Oさん」、「Uさん」、「Hさん」、「Yさん」などと呼ぶのが良いと思っている。
文章などの中で、私たちのことを「(健)聴者」と呼ぶように、「ろう者」、「ろうあ者」と
いうのは良いが、例会の場で、「ろうあ者」がいない、「ろうあ者」がまだ集まっていない
などと大声で言うのには、なにか「違和感」が残る。

できれば、会員間で、適切な呼び方を探したい。
それが、互いの関係をきちんと保つ取り組みに繋がると思う。


介護は込みで

2015-06-22 18:56:19 | 介護?

「イクメン」ならぬ「カイジ-(介護爺)」は、一部の男性(そんなことは女の仕事
だという御仁)には恥ずかしいことだろう。だが、一般的には「えらい」と言われたり、
思われている。そんな時、こそばゆい気分になるが、実態は口にできないこともある。

福祉制度は最大限に利用する。交通機関や、ホテル、レジャー施設等のサービスも、
遠慮せず利用する。ディズニーランドに車椅子で電車利用で行ったが、快適だった。
外部の目は、かなり好意的であることも実感しているし、優先されることも間々ある。

それらは、介護の負担をかなり軽減してくれるのは確かだ。
しかし、それらの社会的、外部的なサービスでは補てんできない事柄がけっこうある。
それは、当事者間だけの問題(葛藤)であることが多い。

以前、老人福祉の担当をした経験から、それら負担のはけ口を外部に求めたり、
相談機関の利用もあり得るし、人には薦められる。
これらのことは、常識として知っているが、愚痴になる、と自覚すると、
却って言えなくなる(言いたくない)こともある。
当事者には、きれい事では済まないという思いがけっこう強くあり、
自分の不甲斐なさに心を砕いたり、堂々巡りを繰り返しがちだ。

若い頃、そんな当事者に、社会の正論らしきものをぶつけ、怒られたこともある。
思い出すだけで、恥ずかしくなるできごとだ。
介護は、良い面、悪い面をごちゃ混ぜにして、終わってから評価されるものか。 


五霞町ウォーキング教室

2015-06-21 21:05:02 | ウォーキング

「いきいき茨城ゆめ国体」が開催されるのに伴い、デモンストレーションスポーツ部門中、
ウォーキングには2町(五霞町、利根町)が名乗りを上げた。
昨日、五霞町で、「ウォーキング教室」が行なわれた。
茨城県ウオーキング協会と古河悠歩の会が支援体勢をとっている。
昨日は、町民37名が参加。梅雨の最中であったが好天に恵まれ、熱中症を懸念するほど。
無事6.3㎞を歩き、次回は9月に行われる旨周知された。
また、体協役員からは、ウォーキング協会を設立したいとの言葉もあり心強かった。
ウォーキングクラブ設立の方向が出れば、当会としても個人としても協力したい。