悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

歴史は面白い

2011-09-30 23:38:35 | 言葉

また、今日の新聞から

200年前のこと、大分県臼杵市(臼杵藩)の姉妹が、1,200㎞を船や徒歩で、
当県常陸太田市の青蓮寺まで、病に倒れた父を迎えにきたという話。
浄土真宗信徒の父親は、親鸞ゆかりの遺跡巡礼に出かけ、青蓮寺で動けなくなり、
寺や地元住民に助けられ、療養していた。

7年後、青蓮寺の住職が、京都西本願寺で行なわれた親鸞550回忌大法要で、
臼杵にある菩提寺の住職と出会い、消息が知れたという。

臼杵市では、小学校の教科書にも載るくらいに知れているが、常陸太田市では、
知る人はいなかった。2005年に、青蓮寺で書簡など古文書が見つかり、
臼杵からの問い合わせもあり、にわかに動きが出てきたとのこと。

まず、西日本新聞の記事では、この親子が貧しかったということになっている。
朝日新聞では、「貧しかった」という文言はない。
貧しい家の父親が、史跡めぐりという設定もわからない。
姉妹は、臼杵藩に許可を得て旅に出たらしいので、「貧しい」部分は、誤りか、
脚色かもしれない。
また、貧しい農家の父親が行方不明になると、ドラマなどでは身売り話となる。
1,200㎞という距離。船と徒歩で2ヶ月かかったという。
全部徒歩でも日に20㎞で歩けるので、不可能な話ではない。
船旅はどのくらいだったのだろう。旅の行程なども知りたい。
また、西日本新聞では、この話が臼杵では知られていないという設定になっている。

それにしても、7年を経て、寺の住職同士が京都で出あうというのもすごい。
青蓮寺の住職は、父親の生まれがどこか聞いていたのだろう。
そして、550回忌の法要で、もしかしたら一家の菩提寺の住職と会えるかもしれない、
と思って出かけたのかもしれない。
昔、大家は店子の家族のことをかなり詳しく知っていたようだから、
菩提寺の住職に会えれば、行方不明になった檀家の消息は、
確認できる可能性が高い

ただ、西日本新聞と朝日の正反対の記事が気になる。
①貧しい家族だったのか、②臼杵では知られていないということ、の2点。

「二孝女物語」として本になっているようなので、調べてみたくなった。
後刻、つつみ館(図書館)にあったのでWEBで予約した。


無関心のつみ

2011-09-29 22:05:01 | 言葉

本日、「日米密約文書公開訴訟」の高裁判決がでて、原告は敗訴した。
原告の一人に、元原研職員の茨城県民がいる。
ジャーナリストや学者が中心の原告の中にあって、「唯一ただの人」とのこと。
毎日新聞の西山記者が逮捕されてから39年も経過している。
裁判の過程で、国家が国民を欺いてきたことは、ほぼ確定した。

そして今、元原研職員として、密約問題と同じ国家の隠す体質を、
自分の問題としても捕らえ直さざるを得ない状況におかれている。

いずれも国家が隠し、報道が枝葉末節を騒ぎ立て、事の本質をわかりにくくし、
国民の間に不信感が広がった点は同じだ。

そして、いずれの問題にも、根底には役所任せ、
自分たちの無関心があったと訴えている。

これら、国家が絡む問題だけでなく、私たちの身の回りにも、
自分の立場から考えたり、発言したりすべき問題があると思う。

個人が、すべての問題に向き合えるはずはないが、
向き合った方がよい問題もいくつかあるはずだ。

私は、子どもの頃の貧しさ体験(実際には平均的な生活だったと思うが…)と、
自分よりさらに貧しい人を馬鹿にしたという経験を持っている。
また、ボランティア活動で手話に触れ、ろうあ者と付き合う中で、
障害者を差別的に捉えている自分を自覚した。
そのような自覚は辛さを伴うが、自虐的と言って避けていれば済む問題ではないと思う。

想像力を働かせれば気がつく問題は、身の回りにいくらでもある。
身の回りに課題があったら、課題を抱えている人がいたら、
できる範囲で関わり、手を差しのべてほしい。

自分のできる範囲で、責任を持てる範囲で、関心を持ち続けていきたいと思う。


作品と日常

2011-09-28 22:01:51 | 言葉

久しぶりに、藤沢周平全集第23巻所収、「小説の周辺」をちらほらと読み出した。
藤沢の妻は、一緒に出かけるのを好まない。
藤沢と「一緒に喫茶店に行くと、結局は飲み物を注文したりお金を払ったり、
私がぼんやりしていれば砂糖まで入れなければならない」…そうだ。

私のように自立した?人間から見ると、「えっ うそっ、そんなこともしてもらうの?」
というところだ。
他人の夫婦関係にいちゃもんをつけるつもりはないが、自立した人間を描く作家が、
自分の生活では、身の回りのことを世話させていることに違和感を持った。

実生活と作品世界は必ずしも一致せず、
いずれも独立していると思った方がよいのだろう。
一致しているべきだとは言えないだろうことは、何となくわかる。

会社では、大きな仕事をしている人も、家庭では靴下を履かせてもらい、
家庭の実務は何も知らない人がいるのと似たようなものだろう。

その稿の先の方で、こんなことを書いている。
「たとえば感動的な小説を書けても、
目の前で歩道に落ちた子供を拾い上げられないうようでは、
人間として役立たずだと私は思っていたのである。」

これは、老化を自覚したという話の流れの中で書いているのだが、
「気がついているんだっ」と思わせる言葉である。

仕事となれば、その仕事にふさわしい判断、行動がとれ人が、自分の家族となると、
適切な対応がとれないことがある。

仕事と生活を一致させた極端な例が、三島由紀夫だろうか。

ならば、娘にたしなめられる父であっても良いとしよう。


非理数科頭

2011-09-27 22:50:10 | 言葉

例会の連絡用にトランシーバー6台を使っている。
以前、千葉県協会の例会に参加したときのこと、
トランシーバーを拡声器代わりに使っているのを見て、取り入れた。
その会では、役員の多くがトランシーバーを持つ。出発式で会長挨拶や、
コース説明などにトランシーバーを使っていた。
役員が適当に参加者の間に散らばると、役員の周囲10人くらいに拡声されて、
拡声器代わりになっていた。この使い方の場合、役員が固まっていては役にたたない。

そのほかの使い方としては、こちらがメインだが、通常の連絡用だ。
団体歩行中の隊列の脇を、車や自転車が通行するので、
広がって歩いている時の危険に注意を促すためだ。

ところが、免許不要の「特定小電力トランシーバー」なので、騒音のある場所や、
建物の影では電波が届かなかったり、聞こえにくく用を足さないことがある。

そこで、「4級アマチュア無線」の資格を取ろうと、だいぶ前から参考書を買って、
読んでみるのだが、まったく頭に入らない。
小学生の低学年でも合格するという代物なのだが、私の頭はまるで受け付けない。
私の頭は理数科向けにはできていないようで、何度読んでも“ちんぷんかんぷん”だ。

ここで話は飛ぶが、中学3年の担任は数学の教師だった。
計算尺クラブの顧問をしており、どういうわけか入部した。
競技用計算尺はけっこう上手になり、市内大会では上位に入賞したりした。
それでも、数学は苦手だった。それが証拠に成績は悪かった。

時が移り、その時の担任が小学校に移り、
子どもがその時の担任と話をする機会があった。
どんないきさつか忘れたが、私の中学時代の話になり、
数学の成績が良かったという話になったそうだ。
まったく教師の思い違いなのだが、計算尺クラブにいたので、勘違いをしたのだろう。

そういうわけで、昔から理科も好きでなかったし、算数もできなかった。
頭のできが悪いのだから仕方がないと諦めるしかないが、資格は取りたい。

弟は理数系が得意で、アマ無線の1級か2級を持っているので、相談してみた。
すると、講習会を受講し、簡単な試験を受けると、
国家試験を受けずに資格が取れるとのこと。ただし、費用は少しかかる。
受講者の9割が合格するそうだ。
不合格の1割に入る可能性が大であるが、普通の頭ならば大丈夫と言われ、
本日受講申請をした。

さて、落ちたら恥ずかしいことになりそうだ。


文を書くこと

2011-09-26 23:24:22 | 言葉

文を書くという作業は、自分の思い、考え方を形にすること。
私の書くものは、非常に浅い、思想というのもはばかられるような思い、
考え方であるが。
書く中身は、深い内容を書くわけでも、特別な思いを発信したいというわけでもない。
ごく些細な、身の回りの少しだけ気になることや、気がついたこと、などを書いている。

ただ、こうして毎日書いていると、文の書き方にいつも気を配るようになる。
句読点の打ち方、てにをは、語感、漢字かひらがなか、などにも気を配るが、
最終的には、超個人的な好みで書いている。

ここで、長男の名前の由来について思い出した。
長男の名前は、「むのたけじ」の講演を聴いて決めた。
文化の語源は、「土地を耕すこと」だそうだ。それで、「耕作」となった。

その後、ラジオで「むのたけじ」と「森村誠一」の対談を聞いた。
その対談で、森村誠一は、本は面白くて、売れる本が良い本だ、と主張していた。
むのたけじは、売れればよいとは言えない。思想、中身が問題だと言っていた。
論点がずれていたのかもしれないが、その時は、森村がやたらに浅薄に思い、
読んでいた小説も急に嫌いになった。
小説は、確かに面白くなくてはいけないが、面白い中にも、
表そうとしている内容こそが大切だと思う。
森村の論点は、「売れればよい」に近い主張をしていたと記憶している。

二人のような、プロの物書きとでは比較にもならないが、
「文章」は、謙虚に考え、語彙を選び、あまり脚色をせず、書きたいと思う。


言い続ける

2011-09-25 22:16:42 | 言葉

聴覚障害者のコミュニケーション手段として、手話と筆談という紹介の仕方をしてきた。
夜の7時台、NHK教育では、聴覚障害と手話関連の番組を放送している。
例会からかえって、夕飯の時間に手話ニュースを見ていたところ、
要約筆記が話題になっていた。
聴覚障害者の災害対応に触れた番組の中で、
コミュニケーション手段の1つとして紹介されていた。

  

      養成講座での風景(サングラスをかけている)

                                   

            教室で使われる形

要約筆記は、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)を使って、
書いた文字をボードに拡大表示し、講演などの内容を伝える手段だ。
OHPは、強い光源を使うため、筆記者に負担がかかるため、
最近はOHC(オーバーヘッドカメラ)に移行しているそうだ。
書く代わりにキーボードで入力する、パソコン要約筆記もある。。

講演会などでは、手話通訳の他に要約筆記が配置され、内容理解を支援している。
難聴者は、手話が苦手な方が多いので、要約筆記の方が利用される。
手話の場合、通訳技術の問題や、通訳から目を離すと意味を掴めないことがあるが、
文字はすぐには消えないので補助手段として使える。

普通、講演会などで、聞こえる人に対するマイクによる拡声は、サービスとか、
情報保障とは言わない。当たり前のこととされている。
聴覚障害者の場合、手話や要約筆記を配置することは、
特別な配慮、(情報)保障と捕らえられている。
やはり、少数者は、配慮し続ける人が傍にいるか、制度として整備されないと、
保障されない(ないがしろにされる)ことが多い。

ないがしろ(蔑ろ)にされるとは、少し言いすぎだろうか?
どう対応したらよいかわからない場合もあるだろう。
聞いて知っていても、つい忘れることもあるだろう。
優先することが別にあるので、対応されない(あえて無視される)場合もあるだろう。

やはり、少しでも知っている人が、言い続けることが必要だ。


快適な生活?

2011-09-24 23:25:17 | 言葉

私の携帯電話には、スイカ、Edy、nanacoと3つの電子マネーが登録されている。
何も3つも入れなくてもと言われそうだが、たいへん便利に使っている。

最初は、年会費が無料だったので、新銀行東京のカードでスイカを作り、
それを携帯に移行した。
同時に高利子定期の募集があったので作成したが、その後、東京銀行は怪しくなり、
解約しても良いですよと連絡があったので、さっそく解約した。
普通は、「継続して預けてくれ」と言うのに、細かい定期は整理したかったのかな?
と思った。

スイカは、例会時の電車の乗り継ぎに便利なので、手放せない。
ただ、青春18きっぷや、ホリデーパスなどには携帯では対応しないので、
この点は不便だ。クレジット機能付きカードであれば、カードで切符が買えるので
この点は便利だが、他の電子マネーと平行して使うには、カードを複数枚持つので、
面倒になる。
携帯にまとめれば、至極便利で、「お財布携帯」という言葉がピッタリだ。
チャージは、携帯の通信機能を使って簡単にクレジットカードからチャージできる。

お財布携帯での買い物は、主にコンビニで、たまに自動販売機を使う。
セブンイレブンのコピー機は、nanacoが仕え、領収書も発行してくれるので便利だ。

無くした場合が多少面倒だが、遠隔操作で使えなく(ロック)できるので、
それほど危険性はない。

便利に使っていて、金銭感覚が希薄になるのは困る。
しかし、いずれの電子マネーも、通信機能を使ったチャージなので、
残額を確認した上で、5,000~10,000円くらいずつのチャージだ。
考えながら操作するので、それほど使いすぎにはならないと思う。

ただ、携帯をおもちゃのように使っているのが、多少気になる。
以前は、パソコンにも手を出しかねていたし、給与振り込みも断って、
現金で受け取っていた。
アナログ生活を通そうと思っていたのに、気がついてみれば、
いつの間にやらデジタル生活にどっぷりと漬かっている。
携帯がないと困る生活は、携帯に使われているようで気にはしているが、
自覚していれば良しとするか。


ウォーキングとトイレ

2011-09-23 23:24:01 | 言葉

ウォーキングは、比較的長い時間継続して行なう運動だ。だからどうしても、
途中でトイレということになる。
例会の下見に行くとき、トイレの場所を確保することは絶対条件だ。
トイレからトイレまでの距離、男女それぞれの便器の数などを確認する。
山などでは、「雉打ち」や「お花摘み」で対応する。
将来は、携帯トイレの利用なども検討しなければならないだろう。

プロの競技でも、急に便意を催す場合もあるだろうが、体調の管理がシビアだから、
そのための棄権は滅多にないだろう。
ウォーキングの場合、団体歩行だと長い時間行動が制限されるので、体調不良だと、
困ることになる。近くにトイレがない場合もあるだろうし、下痢だったり、高齢のため、
長い時間我慢できない場合もあるだろう。

自由歩行であっても、近くにトイレがない場合がある。私も、東松山の50㎞で、
急に便意を催し困ったことがある。近くにトイレがなかったが、
林の中を歩行中だったので、失礼してコースから外れ用を足すことができた。
これまでにも、トイレ探しで冷や汗をかいたことは何度もある。
いつもというわけではないので、ウォーキングを躊躇するほどではないが、
病気や体調不良で便意を我慢できない人もいるだろう。
そのような場合、ウォーキングや行動を制限してしまう。

以前、福祉施設に交通事故でせき髄損傷の方がいて、外出を避けていた。
理由を聞くと、便意を催してすぐトイレに行かないと失敗してしまうからと言う。
その人に、外に出る機会を増やしてほしかったので、
市内の「車いす用トイレ」マップを作った事がある。
公共施設の他に、民間施設、店舗なども調べたがけっして多くはなかった。
残念ながら、その地図は使われなかった。

また、障害者用の改造車両を専門に作っている会社が埼玉県にあり、
何度か行ったことがある。その会社では多くの職員が車いす利用であった。
そして、やはり排便に問題を抱えている人が多かったので、工場内には、
シャワー付きのトイレがあり、失敗しても作業を続けられるような配慮がされていた。

排便は、人間にとって当たり前のことだが、体調、疾病、その他の条件によっては、
行動の制限につながる。
当たり前の事であるが、状況によっては、恥ずかしさを伴う。これは、微妙な問題だ。

子どもだと、授業中トイレに行きたいと言いづらかったり、
失敗して馬鹿にされることもあるし、いじめにつながることもあるだろう。

高齢になり肛門括約筋不全を起こしていると、下着を汚してしまうこともある。
このことが、運動や行動の制限につながると、二次的障害ということになる。

ウォーキングでは、歩き出す前の準備運動やクールダウンを行なっているが、
肛門括約筋運動を取り入れても良いかもしれない。
ただこれは、たまにやっても効果はないので、やり方を教える程度で、
毎日続け3ヶ月くらい続けなくてはならない。


自分には何ができるんだろう

2011-09-22 23:17:21 | 言葉

枝廣淳子という方の話をラジオで聞いた。始めて聞く名前で、
アナウンサーが言っているのに、枝○○子と聞こえて、なかなかわからなかった。
29歳で本格的に英語を勉強し、同時通訳者、翻訳者、会社経営、NGO代表、
環境ジャーナリスト、等々の肩書きを持っている。

通訳、翻訳の仕事を通じて、異文化間コミュニケーションに深い関心を持ち、
活動の幅が次第に広がっていったと言う。

私も、レベルは雲と泥だが、手話を通して、ろう者と聞こえる人との文化の違いに触れ、
異文化間コミュニケーションに関心を持つようになった。
聴覚障害と言っても、聞こえの程度は千差万別で、まったく聞こえない人から、
意味を伝える音声としてではなく、音だけを感じるレベル、音声が少し聞こえるレベル、
とあり、その間も無段階に聞こえの程度が違う。

以前、福祉手当不支給の問題で関わったとき、「音声が識別できる」として、
福祉手当がカットされた人がいた。
この人は、雨戸にボールが当たった音と、雷の音は識別できないという。
大きな声で話していると、意味はわからないが、
大きな音として感じるという。

聴覚障害者は、そういう聞こえの状態に置かれている。
そのような聞こえの世界にいる人は、聞こえる人とは違う世界にいる場合がある。
違う発想をする場合がある。多くの事柄を目で見て判断する。
少ない情報しか提供しないということは、少ない情報で判断しろということだ。

少ない情報で判断する場合、聞こえる人も実は困っている。
最近の例では、原発、放射能の問題。情報が少なくて、不安に思う人が大半だろう。
聞こえず、情報が限られている人は、常時不確かな状態に置かれているということが、
理解できるのではないだろうか。

人は、他人の行動や考え方が理解できない場合、
自分の理解の仕方を再吟味するよりも、相手に問題があると考えやすい。
私も、そういう考え方から自由でないとの自覚はある。

ここで、枝廣さんの言葉に戻る。
人との関わりの中で、自分の考え方が、すぐに伝わらない場合がある。
そのような場合、「すぐに諦めず」、「相手に通じる伝え方を考える」ことが大切だという。

自分が信じていることを、どうしても伝えたいならば、どうしたら伝わるか、考える。
伝わらないからといって、すぐに諦めたり、言葉を探す努力をしない場合、
それほど自分の言葉を信じていないし、深く考えてもいないのではないか、と思う。

また、通訳、コミュニケーション、他人との関わり、原発、エコロジー問題と、
自分を狭い枠に押し込めず、必要に迫られて行動半径を広げてきた枝廣さんは、
「自分には何ができるんだろう」という発想を常に持ってきたそうだ。

誰にでもまねのできることではなく、私は足元にも及ばないが、
どうしたら伝えられるか、自分には何ができるのか、諦めずに考えながら、
ウォーキングをベースにして、会の活動を続けて生きたいと思う。


菊と台風

2011-09-21 19:00:38 | 言葉

懐かしい台風と言っては変に思われるかもしれないが、
物心ついてからというもの、わが家は年に2~3回、台風には困らせられた。

小さな頃のことは覚えていないが、猫の手より多少役立つようになってからは、
台風が近づくとお決まりの手伝いがあった。
風があまり強くならないうちに、部屋の畳をあげた後にビニールなどを敷き、
菊の大鉢を部屋に運び込む手伝いをさせられた。
時には、夜中に起こされ、寝ぼけ眼で雨合羽を着込み、雨風の中、この作業をする。
時には、見込みで運び込んだが、結局強風が吹かなかったということも時々あった。

父が年をとってからは、部屋に運び込む代わりに、
庭の一画にカーポートのような物を自作し、その周囲をよしずなどで囲い、
その中に菊鉢を運び込み、風雨を避けるという方法に変わった。
この場合、作業が比較的簡単なので、かなり早い内から作業にかかる。
私は、これが億劫で、「まだ大丈夫だよ」と言って、
ギリギリまで空模様を眺めようとする。しかし父は、前もってやっておきたい。
雨が降る前、穏やかな内に作業を済ませておきたい。

父にとっては、命の次くらいに大事な菊だから、とにかく菊優先だ。
ここ5年くらいは、あまり大きな台風が来ない。だから父の最晩年は、
無駄骨になることが多かった。ぶーぶー言うのもみっともないので、
腹の中で「まったく~」と苛つきながら手伝った。

そんな作業はもう必要なくなった。
昨年の菊は、何とか仏壇に上げる程度に咲いたが、
今年は生かさず殺さずのひどい状態になってしまった。

私のことだから、草葉の陰で嘆いていることだろうとは、締めくくれないが、

こんな風景や

こんな風景が見られなくなったのは寂しい。